楓屋

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THE AMERICAN ANALOG SET『Set Free』(2005)*画像
THE AMERICAN ANALOG SET 『Know By Heart』(2001)
THE WOODEN BIRDS『Magnolia』(2009)
PINBACK『Summer In Abaddon』(2004)
GOLDMUND『Corduroy Road』(2005)
AKIRA KOSEMURA『Polaroid Piano』(2009)
MUSETTE『Datum』(2009)
EARLY SONGS『Wind Wound』(2007)
清竜人『Philosophy』(2009)
OLDE WORLDE『Time And Velocity』(2009)
 一時期、ローファイ・ライクな宅録バンドの結成を目論んでいたのだが、ピンバックと、アンドリュー・ケニーに出会ったことで、その画策は瓦解した。私のヴィジョンは既に彼らによって(また想像を逸脱するアレンジ力によって)実現され、先取りされていたからだ。同時に自分が正しかったことを再認識した。平坦なビートでありながらも、彼らのサウンド・スケープは心地よく、流麗で、美しい。まだインディー・シーンには開拓の余地が残っており、今も耕されているのだ。特に『Set Free』は笑ってしまうほどスタイリッシュだった。

 00'sもまた、膨大なバンドが生まれ、消えていった。Webによる音楽伝達の波及は、バンドを簡素に量産しただけでなく、「多様なバンドが世の中にはまだ潜んでいる」という事実をリスナー達に知らせる契機を与えただろう。Web発達以前の時代では集積しきれなかったアーティスト達の情報をMySpace一つで掻き集められるようになったわけだ。それに呼応し、アーティスト達は多様性の懐胎を急速に進行させた。現代において、電子音楽を「電子音楽」という一言で片づけてしまうのは、もう野暮であろう。

 この2、3年において、まるで「一人に一人のアーティスト」とでも表現し得るようなニーズの拡大(と、それを処理できるアーティストの絶対数)が目立った。良い傾向ではないだろうか。モードやブームから脱線した「インディペンデントであれ」という姿勢は未だ堅固だ。

 中でも、よりパーソナルな音楽――普遍的な日常の隣人として寄り添う、日記のような音楽を紡ぐアーティストの萌芽が顕著だ。人懐っこさやローファイ感はかつてから好まれていたが、音楽による日記こそ、その究極的な体現かもしれない。小瀬村晶、ゴールドムンドらの音楽はいずれもそのセンス、空気感、肌触りを楽しむものである(楽しむというよりはただ傍にいるだけなのか)。ミュゼットのアルバムの曲名は、ただの日付である(アーリーソングスも何曲か)。最高にパーソナルだ。

 MySpaceなどによる情報の流布は日本にも漂着した。日本を覆うフィルターは年々破綻している。清竜人、沼田壮平の二人などは2009年に台頭したアーティストだが、彼らには世界基準の質感があった。10'sの幕を開けるような音像。彼らは来るべくして来た。

...というわけで、マングローバーズ(MANGROVERS)名義によりアンビエントっぽい音楽を制作している楓屋という者です。プライベートを彩るアルバムということなので、最近のクッキーシーンのイメージからは少々逸脱してしまうかもしれませんが、正直に羅列しました。こんな感じでいいのかしら...。

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