マシュー・ハーバート『ワン・ワン』(Accidental / Hostess) [reviews]

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 ドゥルーズの言い回しに「逃走線」という言葉がある。

 諸々の逃走線は社会野のリゾーム、地図作成法となっており、それは脱領土化の運動と同じものであり、自然への回帰では全くない。もっと言うならば、欲望の編成行為のエッジと言える。故に、諸々の逃走線は必ずしも革命的であるわけではなく、反対に権力装置が縛りまとめるものである。そこで、彼は「戦略」を持ち出す。戦略とは、逃走線に対し、その統合や方向付け、そして、収斂や分岐に対して、二次的でしかない訳だ。欲望とはまさに、諸々の逃走線の中にある、流れの統合と分離である。欲望は逃走線とは、区別される。アントニオーニの「欲望」を想い出すまでもなく、そもそも欲望はとても不条理なものであり、その不条理なものを装置的に囲い込むのが社会システムと言えるとしたならば、マシュー・ハーバートが試みてきた数々の実験と果敢なチャレンジはどのような成果をもたらしたか、を敷衍して考える余地はあるかもしれない。

 現在進行形で常々動く、彼の長い歴史の説明は寧ろ必要がないかもしれない。

 ただ、簡単に纏めると、ビョークの『Vespertine』のプロデューサーに起用されてから、その後のリミックスでの優秀な仕事、ドクター・ロキット、レディオ・ボーイ名義など様々なものをスキゾに縦横無尽に渡りながら、ハーバート名義での3作目の01年の『Bodily Functions』でシーンを揺らがしたのは記憶に新しい。この作品により、クリック・ハウス文脈からも称賛を受け、また、生活音を取り入れコラージュをする手腕、プリセット音を使わない職人的な音作りや美麗なサウンドレイヤーへの意識への高さからも、注目を浴び、彼を絶賛していたジャイルス・ピーターソンの名前を挙げるまでも無く、世界的な評価を得た。特に、「Audience」に至ってはよくFMで聴いた(日本でも、かのKREVAも自分のラジオでお気に入りでかけていた)。その後、室内楽的ビッグバンドへ接近した03年の『Goodbye Swingtime』、05年の食品産業へのアイロニーを込めた『Plat Du Jour』、06年の会心作『Scale』など常にぶれのない姿勢を続けてきた。

 余談だが、僕個人としては、彼の音響工作の妙とダイナミクスの力学を端的に示すのは『Bodily Functions』も勿論なものの、実は、リミックス・ワークを纏めた02年の『Secondhand Sounds』といまだに思っている。何故なら、リクルースからセルジュ・ゲンズブール、更には自身のワークまでを跨ぎ、独特の揺らぎと美麗さを極めたサウンド・コンクレートの為され方はここに凝縮されており、ある種、以前/以後の彼の音像を「規定」した作品群がおさめられていると言えるからだ。それにしても、どのワークにしても、どこまでも美麗でソフトな手触りの音、ダブやクラシックやジャズを参照点にした上手な咀嚼の仕方には唸らされる。

 また、彼は、「音」自体の側面以外にも、ハンバーガーや世界的アパレル・ブランドの商品を潰してそれをサンプリングして、即興的にビートを構成するパフォーマンスや明確に反グローバリズムを発言する活動家としてピックアップされる部分があったのは否めない。そして、ジャーナリズム・サイドも、その姿勢を面白がり、付随するサンプル数や品物の種類や過激な発言を敢えて抽出するようなところがあったのに対して、僕は妙なもどかしさも感じていた。何故ならば、バルトーク的に「音の政治性」というコンテクストを敷けば、もっと皆が彼の創る音楽の美麗さに最短距離で近付けるかもしれない、と思っていたからなのもある。

 そんな中、ソロ三部作と銘打って、彼はマシュー・ハーバート名義で「世界」ではなく、遂に「自分」と対峙する事になった。今回は、「1人の男」をコンセプトとして、彼の人生の「とある一日」を描写したものになっており、ソングライティング、演奏、サンプリング、レコーディング、ミキシングに至るまでの全制作過程をハーバートが完全に1人でこなしている。今後も、1か所のクラブで一夜の間にサンプリングされた音源だけを用いた第2弾『One Club』と、1匹の豚が生まれてから屠殺されて食べられるまでをサンプリングで音楽に仕立て上げた第3弾『One Pig』が順次リリースされる予定となっている。

 さて、第一弾の『One One』はどうなのか。結論から言うと、これがしかし、良い意味でいつものハーバート以外、鳴らせない音が鳴っている。エレガントにダルで、捻じれた音の位相が微妙に緩やかに変わってゆき、曲名は徹頭徹尾、マンチェスターやバレンシアという地名に統一された記号的な有り方という、センスは相変わらずな部分がある。しかし、一つ、これまでと違うのはパーソナルでメランコリックに、よりミニマルな様相になっているということだろうか。反・グローバリズムや常々、コンセプトを標榜して世界へ音を届けようとしていた彼が、自分自身と向き合った結果、どうにも零れ出る自省のムードがベッドルーム・シンガー・ソングライターのそれに似て、非常に面白い。

 僕は、この『One One』での、一人の人間としての、マシュー・ハーバートが紡ぎあげる狂おしいサウンドの先に、何故か、オウテカの新作『Oversteps』の美しい静謐性に似た感覚を想い出してしまった。オウテカの新作も非常に緻密に編まれた優美でメロウな内容だったが、その音の隙間から滲み出るものには今までにないマッドネスを感じた。そういう意味で言うと、余計なバイアスを除いて音だけに耳を澄ますと、柔らかく日常が歪んでくる、そんな相変わらずのフリーキーさも備えているところがやはりハーバートの本懐だと思う。これから続くONEのシリーズを期待させる充実した内容の力作だろう。

 逃走線上にまだまだ、彼は戦略を練る。

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このページは、伊藤英嗣が2010年5月15日 20:00に書いたブログ記事です。

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