オアシス『タイム・フライズ...1994-2009』(Sony Music)

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 1994年4月、アメリカのシアトルで27歳で自らの頭をショットガンでぶち抜いてその人生の終始を打ったアーティストがいた。そう「ニルヴァーナ」のカート・コバーンだ。彼の死によりグランジも終わり、新しいムーブメントや若者にとっての「神」であるかのような次世代の新しい指針が必要になった。何かの終わりは新しい何かの始まりでしかないのはいつの世もそうであるように。

 同じく4月、ノエルとリアムのギャラガー兄弟を軸にしたバンド「オアシス」は時代を作り上げたかつての少年、若者のカリスマになってしまったカートが神への供儀として捧げられ、失われた世界で「スーパーソニック」としてデビューを果たす。

 カリスマ自体が時代を作るわけではなく、カリスマは磁石のようなもので、彼らに惹かれるファンや支持者はある種の砂(鉄)として強力な磁場に吸い寄せられていく。その砂の流れが時代と言ってもいいのかもしれない。だからこそ時代の流れができあがった後に新しい磁場が発生すると砂はまた次なる時代の流れに向かっていく。役割を終えたものは自然と回収されるかのように神の元へ帰っていく。

 マイケル・ジャクソンの死による彼の再評価はこの新しいディケイドにポップな散乱銃による色とりどりなものが溢れる前兆として最後に咲き誇ったように僕には思えた。

 「オアシス」は三枚目のシングルとして「ニルヴァーナ」の「I Hate Myself and I Want to Die(自分が嫌いだし死にたい)」への反発として「Live Forever(永遠に生きる)」と歌った。この1994年にデビューアルバム『Definitely Maybe』を発売し英国初登場一位を記録し彼らの歴史が始まった。

 そしてそのデビューから16年の歳月が経った今、2010年に発売された『Time Flies』という彼らの歴代シングルを網羅している作品がリリースされた。バンドのリーダーでありソングライティングをメインで務めていたギャラガー兄弟の兄・ノエルの脱退によってオアシスという時代は終わり実質的にこの作品が最後の「オアシス」作品となるだろう。

 彼らが第一線でロックンロールバンドとして活動していた16年という歳月の中であまりにも大きく世界の流れが変わってしまった。その中でも彼らは言いたい事をいい、暴れてたりケンカをしたりと様々な問題を起こし、ロックンロールの最後の生き様を見せていたように僕には思える。そしてその限界が訪れたのが2010年だったということだろうか。彼らは、リアムやノエルはこれからも音楽を続けて行くだろうし、ビッグマウスは健在だろうが、彼らのようなバンドはもう現れないだろうと収録されている曲を聴きながら思う。

 洋楽ロック不振は海外バンドを呼ぶフェスのラインナップを見てもわかるように客を以前のようには集 められない、昔だったら考えられない日本のアーティストを呼ぶ事でなんとか集客を増やそうと努力しているのがわかる。音楽業界自体の落ち込みと若者の洋楽離れがそれにさらに拍車をかけている。

 そう意味でもオアシスというバンドのように日本でも売れるロックバンドというものはこれから少なくなっていくし、彼らの楽曲のように僕らですら口ずさめるようなロックが出てくるのかは疑問だ。

 彼らがこうやってビッグバンドとしての「オアシス」に区切りをつけて終焉したことで次世代のロックが、新しいムーブメントがゼロ年代終わり頃から萌芽しつつ、それらが今のテン年代に入り一気に実ろうとしている事と符号させる。

 しかし、彼らが残した楽曲はこうやって残る。いつしか彼ら自体が「Champagne Supernova」のようになってしまったなと思っていただけにこうやってきちんと終止符を打ったことは嬉しいような哀しいような複雑な気持ちになる。

  ノエルの脱退で浮かんだのは旧約聖書『創世記』に登場するカインとアベルの兄弟の話だった。彼ら兄弟が神ヤハウェに各自の収穫物を捧げた。兄・カインは農耕で取れた収穫物を、弟・アベルは羊を放牧し肥えた羊を。神はアベルの供物には目を留めたがカインの供物は無視(シカト)した。カインはそのことによる嫉妬でアベルを殺してしまったが、アベルの血は神に向かってこのことを訴えた。神ヤハウェはカインにアベルの行方を問うと「私は永遠に弟の監視者なのですか?」と答えた。

 ノエルはリアムを殺さずにすんだ。でも彼らの「オアシス」を殺すことで互いを生かすことを選んだ。そして「オアシス」は完全に僕らの、ファンのものとしてこの16年のロックンロールの記憶として残った。

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