東浩紀『クォンタム・ファミリーズ』書籍(新潮社)

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 批評家であり思想家である東浩紀氏の処女小説『クォンタム・ファミリーズ』(以下『QF』)は09年の年末に、そうゼロ年代の最後にこの世にドロップされ、このテン年代(by 佐々木敦)の最初の年2010に第23回三島由紀夫賞を受賞した小説だ。

 例えば、批評家・思想家としての東浩紀を知らなくてもこの作品は存分に魅惑的だし、ある意味では世代間で分断されてしまっているジャンルとしてのSF、今やあらゆるカルチャーは世代間において分断されてしまっているように思える。その分断の中SFというジャンルが若い世代にもまた広がる可能性を秘めている小説であり文学である。

 ゼロ年代最後の年に若くして三作の長編を残して亡くなってしまったSF小説家の伊藤計劃がいた。『QF』と彼の処女作である『虐殺器官』は新しい時代のSFのスタンダードとして後世に語られる作品だろう。

 僕らが今、生きているこの世界は9.11以後の世界でテロリズムと言う言葉がもはや一般化し、グローバリゼーションという新しい宗教が完全に物事の根本を変えてしまった世界だ。そこで生活する僕たちにとって、物語は何を教えてくれるのだろうかという問いに対してこの二作のSF小説は想像することの萌芽を読者に与えてくれる。

 82年に死去したアメリカのSF作家であるフィリップ・K・ディック(代表作は『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』『高い城の男』『ユービック』等)が81年に発表した『ヴァリス』という作品と85年に村上春樹が出版した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という二作が『QF』の中で大きな役割を果たしている。

 主人公である葦船往人はこの二作品と村上春樹が以前に書いた短編について作品の中で言及し、それらがキーとして作品に関わってくる。上記の二作品を読んでいるとこの物語はさらに奥行きを増す。

 あらすじ・2035年から届いたメールがすべての始まりだった。モニタの彼方には、まったく異なる世界の、まったく異なるわたしの人生があるのだ。高度情報化社会、アリゾナの砂漠、量子計算科学、35歳問題、幼い娘、ショッピングモール、そして世界の終わり。壊れた家族の絆を取り戻すため、並行世界を遡る量子家族の物語。

 例えば『35歳問題』は作中においては『ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげられなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば別の職業は選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接法未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。そして、その両者のバランスは、おそらくは三十五歳あたりで逆転するのだその閾値を超えると、ひとは過去の記憶や未来の夢よりも、むしろ仮定法の亡霊に悩まされるようになる。それはそもそもがこの世界に存在しない、蜃気楼のようなものだから、いくら現実に成功を収めて安定した未来を手にしたとしても、決して憂鬱から解放されることがない。』と物語の序盤で書かれている。

 この問題が並行世界と結びついているのは言うまでもなく、誰もが思い描いてしまう《かもしれなかった》世界の物語の根本として提示されている。

 物語は往人がいた世界、娘の風子の世界、息子の理樹の世界が繋がり、往人は存在しなかった幼い娘の風子がいる世界へ人生がリセットされるかのように移動する。妻の友梨花や風子の世界で彼女が作りだした最初は単なるソフトウェアだった汐子と物語は繋がって行き、彼ら家族の物語が少しずつ集まり寄り添いながら展開していく。並行世界で出会うことのなかった彼らが互いに出会う時に物語が収束し始め世界の謎が少しずつ解かれていく。

 並行世界がひとつの世界に集まる時に家族は何をするのか、どこに向かうのか。そして物語を操っていたのは一体誰なのか、誰の思惑が反映していたのか、そして最後の第二部の後の物語外2が何を意味するのか、世界の終わりとは何なのか、ハードボイルドとは何か、読み終わっても全ての物語がキレイにわかるようにはできいないのかもしれない。それは読者によってどう受け止めるかが違ってくるタイプの小説だからだ。

 この『QF』から新しいSFの流れが始まるだろう。新しい何かを感じさせてくれる作品には過去の作品からのオマージュや影響がありながら現在と未来を見据えてた表現がある。だからこそこの作品がテン年代最初の『三島由紀夫賞』を受賞したことは新しい希望がこの作品の中にあると思う。

 東浩紀は明確な意志で小説家として物語る事を決意した作家だとこの『QF』は教えてくれる。

「ゲームのプレイヤーはそれがゲームであることを忘れたときにもっとも強くなれる」

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