アジアン・カンフー・ジェネレーション

ASIAN KUNG-FU GENERATION

今の時代のことをちゃんと書くことによって
ヘンな普遍性が生まれる


優れた音楽...ポップ・ミュージックは魔法(マジック)たりえる。『マジックディスク』と題されたアジアン・カンフー・ジェネレーションのニュー・アルバムは、まさにそんなテーゼをど真ん中からとらえているようだ。過去と地続きのまま、明日にもつながっている、そしてぼくらが生きている「今日」の空気を極限までつめこんだ時限爆弾。堂々たる「新しい一歩」そのものではないか。たとえば先日レヴューを執筆してくれたような若者...より彼らに近い世代の者に取材してもらおうかとも考えた。しかしここはあえて、ある種の「対象化」を試みるためにも(そして、今は小さいかもしれないけれど、こちらも新しい一歩を踏み出したつもりの:笑)クッキーシーン主宰者...年長者である伊藤自身がインタヴューを担当することにした。1時間以上におよぶ会話の、ほぼ全貌をお届けしよう。

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クッキーシーンっていう、どっちかっていうとオルタナ/インディー系みたいな雑誌をずっと10年以上やってたんですけど、昨年発行された72号で初めてアジカンに出ていただきました。別にそれまで避けてたわけじゃないんですけど、なんとなくご縁がなかったみたいなところで、今日初めて僕自身がインタヴューさせていただくのもまったくありがたい限りというか、楽しみにしつつ緊張しております...。今日はニュー・アルバムのインタヴューということで、当然聴かさせていただいたんですけど、素晴らしいです!

後藤正文(以下G):ありがとうございます。

かなり今までと違う、新しいステップが感じられて...。まず1曲目、先行シングル「新世紀のラブソング」からして、とにかくビックリっていう感じなんですけども...。この曲というのは後藤さんのヴォーカル・スタイルから、リズムの感じから、いわゆるこれまでのアジアン・カンフー・ジェネレーションにはあまり感じられなかった黒人音楽的な要素というかですね、ヒップホップ的な要素というか、ラップというか、そういうものをすごく感じたんですが。

G:さかのぼって、黒人のヒップホップまでではないとは思うんですけど、サンプリングとか、ラップ・ミュージック、ポエトリー・リーディングっていうのはやっぱり意識していて。ずっとまあ、なんていうんだろうな、ヒップホップに対する憧れみたいなのがあって。表現としてすごい自由で制約がすごい少なくて、なんなら、いろんなレコードつなぎ合わせて、その上に自由な言葉を乗っけて...。でもロックに落としこむとすごく難しいんですよ。いわゆる「ミクスチャー・ロック」がやりたいわけじゃないんで、そのあたりの難しさっていうのはあって。ずっと考えてはいたことだったんですけどね、「どうやったらいいのかな」って。「やってみたい」っていう気持ちはあるんだけど「それをアジカンでやれんのか」っていう気持ちもあるし、いろんなことを考えていて、やっと今になって技術的なものがついてきたんでできたっていうのもありますし、詩も書けるようになったし。言葉数を増やしていきたいっていうのはちょっとね、詩を書く人間としては思っていて。

そういうラップ的な乗せ方をすると言葉数も増えますよね。

G:そう。ヒップホップは語るべき言葉を強く持ってるし、そのくせ、なんていうんだろな、"トラック"って言い切っちゃってる強さっていうのがあって。

"バンドの演奏"じゃなくて"トラック"?

G:うん、独立させてるっていうか。もちろんビートとかで言葉と絡んできてるんだけど、メロディーってものはそこまで...フックとかはありますけど、それに縛られないでいいから、構成の自由がきくっていうか。

ちなみに、この曲とかってドラム・パートに関してはエディットされてるんですか? ブレイクビーツにしたりとか、ループしたりとか。

G:そういうエディットは、なしですね、ウチは。並べ替えたりとかは。基本的に全部叩き切って、オーバー・ダブとかでその後シンバル叩いて録ったりしてるから「ドラムにドラムを重ねたり」はしてますけど、基本的には人力ですね、全部。ただ1曲目は(ドラムマシーンの)808もずっと鳴らしてるっていう、そういうのはありますけどね。

なるほど。歌詞の世界ってことに関して言えば、ここには例の「2001年9月11日」のことなんかも出てくるんだけど、2010年になって、今「新世紀のラブソング」って、なんかカッコいいなっていうか、いい意味で「遅いな」っていうか(笑)。そのへんはどうでしょうか?

G:まあ対象化するのに時間かかってるっていうのもあるし、どっちかっていうと、2000年代に入って膨れ上がった暗いムードっていうか、そういうのをぶっ壊したくて、敢えて今"新世紀"って言ってるっていう。いろんなとこで言ってますけど『Kid A』の感じっていうんですかね、あの呪いみたいな(笑)、なんていったらいいのかな、みんなレディオヘッドになりたがったっていうか、そういう時代だったと思うんですけど、やっぱ「暗い」っていうのが自分のなかにもあって、「新しいフィーリングっていうのが必要なんじゃないの?」っていうのをちょっと思って。

この曲に限らず、『マジックディスク』全体から、そんな勢いをすごく感じました。ちょっと「ゼロ年代」っぽい気がする最後の「ソラニン」がボーナス・トラック扱いであるところを含めて...。正直言っちゃって、僕はレディオヘッド、ダメだったんですよ。ダメっていうか、すごくいい音楽やってるし、尊敬できるバンドだとは思うんだけども...。僕が初めて買った「ビートルズ以外の洋楽のレコード」はピンク・フロイドなんですよ、70年代の中学生の時に。ぼくは今もフロイドが好きだし、「中学生がまずピンク・フロイドを買う」みたいな意味でレディオヘッドから入る、好きでいつづけるっていうのは全然アリなんだけど、なんか僕としては、あえて、レディオヘッドはうじうじしすぎ、みたいにずっと言いつづけてきた...。だけど「新世紀のラブソング」のド頭の《あの日 僕がセカンドフライを上手に捕ったとして/それで今も抱えてる後悔はなくなるのかな》っていうところは、ある意味暗いっちゃあ暗くてうじうじしてるんだけどもグッとくるっていうか...。僕は中学校の時に野球やってて、最後の打席でヒット打てば逆転ってところで打てなくて(笑)、それ30年経っても憶えてるんですよね。でもそれはそういう『Kid A』みたいな音楽に影響されてうじうじするっていうのとはまた違う話でさ、これが実話なのかどうかは別として、歌詞の内容、"リリック"っていう言い方もできるぐらいラップに近づいてるかなと思ったんです。(歌詞で)自分のこと言った後にニュース・キャスターのことを言ったり。こういう言い方は気持ち悪いかもしれないですけど、社会派みたいな部分もあったり...。

G:そうですね。でも普通に自分のパーソナルな歴史っていうのもあるし、もちろん今自分が暮らしている時代のこともあるし、どっちもあって然るべきだなって感じは自分のなかではあるという感じ。ただわりとフラットに取り上げてはいるんですけど、やっぱりでも「深刻な顔するのが頭いい」みたいになっちゃったっていうのはあると思うし、でもなんか、いわゆる漠然とみんなが言ってる"世界"みたいなものっていうのは、それぞれの頭の中にはないから。

おお! その言葉、まさに今から聞きたかったことにつながってきます...。最近"セカイ系"っていう言葉があるみたいで、そういうものと例えばアジカンの世界とかを結びつけたりっていうことも今まではたぶんされてたような気がするんですよね。僕もそういう事実は最近知ったんですけど、若いコと話してて。だからセカイ系ではない...、つまり「頭の中に世界があるわけじゃない」って言い切っちゃうのはいいですね。

G:そのへんの誤読はね...。僕は何年か前に"セカイ系"って言葉が出てきた時に「え~!?」とか思ったんすけど。まあ、僕らは片足突っこんでたところはあると思います。

僕も"セカイ系"的な感覚ってわかるんですけどね。中学生の頃から『世界の中心で愛を叫んだけもの』とかは読んでたし...。"けもの"のないやつには興味ないですけど(笑)。エヴァとかもすごい好きだし...。

G:僕はエヴァンゲリヲンにまったくintoできなかったんで...。まあ最初の頃...ファースト・アルバムとかでね、歌ってる世界観からのつながりだとは思うんですけど。でもみんなが「うーん...」って頭を抱えてる感じっていうのはもうやめにしたほうがいいんじゃないかっていうのはあるっていうか。

それはそうですよ。ぼくも今、テレビ版のエヴァ見るとたぶんいらつく。新作映画のヱヴァンゲリヲンはそういう部分が意図的に減退してたところが良かったわけだし...ということはおいといて(笑)、4曲目「さよならロストジェネレイション」なんていうのは、まさにそんな感じですかね。

G:うん。僕らは青春時代の経済的な背景もあって、どうしても引きこもったり、ニートだったり、フリーターだったりっていう...。

「経済的な」っていうのは、お金がなかったってことですか?

G:状況的に就職先がなかったし、実際に。

いわゆるロス・ジェネ(ロスト・ジェネレーション)だよね。気持ち悪い言い方ですけど。

G:だからそういうところでいろいろ悩んだ世代だと思うし。

だからこそ、「暗いね」「つらいね」って言ってるのは僕らで終わりにしよう、っていう(ようなことが「さよならロストジェネレイション」で歌われている)のは、カッコいい!

G:上の世代にもそう思ってもらったら最高なんだけどな、みたいな。やっぱり自分達のやることが自分達に跳ね返ってくるわけがなくて、そこを期待しちゃうと...。

えっ、どういうことですか?

G:自分達が何か社会的な奉仕とかしたとするじゃないですか。その実りを自分で収穫しようと思ったら無理が出てくるっていうか、それは「自分に対してまず利益を」っていう話だから淀んでくるんですよ、活動とか流れが。

まさに、そう思う。それってすごい重要だと思うんだけども、それを「奉仕の精神で」とか「後の世界に」とか「後の世代に」とか「友愛で」とかいうと、ちょっと違うふうになっちゃうから。同じようなことだとは思うんですけど。

G:でも自分達がやってることって、やっぱり下の世代に影響すると思いますよ。それは意識してほしいと思う。僕は今自分達がやってることが何年か後に意味をなしてくると思うし、その時初めて"評価"っていうものも僕は確固たるものになればいいっていう意味での野心、そうやって評価されたいなっていう気持ちはあるんですけどね(笑)。「今どうか」って、今の利益を突き詰めちゃったらお金の話とかになっちゃうじゃないかって、「そんなことじゃなくて...」っていうのは思ってるんですけどね。

それ基本だよね。僕、アジアン・カンフー・ジェネレーションの皆さんっていうか、後藤さんをはじめ、みんなすごい音楽ファンだと思うんですよ。音楽ファンでやってて、そこで"音楽ファン度"っていうのを経済的なことに結びつけるっていうのは、アジカンはちゃんとできてたと思うんだけども、けっこう難しいとこがあると思うんだよね。で、なんか下の世代はね、そのへんもうちょっとわかってるかなっつうか、「どっちみち音楽ファンでも金になんないんだから」っていうふうに思ってくれてるような気がする(笑)。というか、なんか今20代前半くらいのコとかとはすごい話しやすいんですよね(笑)。僕は今年40代後半なんですけど、自分なんかモロそういうの...音楽業界的にバブルだった頃フリッパーズとかに関わっちゃったんで、「音楽ファンであることが、もしかしたらお金になるかもしれない」という幻想の流布に関して、けっこう罪の意識があるんですよ。だから「ネオアコ」という「言葉」自体あまり好きじゃなくて...。「ネオアコ・バブル」がなかったら、自分が今こういうことはできてないと思うんですけどね(笑)。いや、まあ自分語りはこれくらいにして...。活動開始からもう10年以上たってますよね。

喜多建介(以下K):14年ぐらいですね。

なので、「後で評価されるかもぐらいな感じでいいんじゃん」みたいなことを思うようになったのは、それだけ続けてきたからそういう感じになったっていうところはあるのかな?

G:何年か前からメンバーに言ってるんだけど、表現っていうのは時限装置だから、必ずしもその時に起爆装置に火が点くっていうわけではないっていうか。今だって、例えばビートルズのCDを買って、それが花開く瞬間っていうのが中学生とかのなかにあるわけだから、つまりそういうものだから、とにかくどういうものを作るかがすべて。それを「あ、いいな」って思うかどうかっていうのは、自分達の与り知らないところでその装置が働いてるっていうのは絶対そうだと思うから。だから『ファンクラブ』の時に「そういうもんだから、今別にワッと盛り上がらなくても」...。

『ファンクラブ』の時にそう思った! それはいいですね! ティーンエイジ・ファンクラブの精神に通じるような気もするし...(笑)。

G:(笑)「誰かがいつか手に取った時に『これはいい』って言えるものを、ゆっくりと温まってからのほうがいいんじゃないの?」っていう話をして、そういう意識は今でもあって。だって自分が買ったCD、2006年ぐらいに買って積んで置いといたの聴いて、当時まったくわかんなかったけど、今聴いたらめちゃめちゃいいものもあるし、出た時に「みんな、なんでこれがいいって言うんだろう?」と思ってたけど、今「いい」って思うものもあるし。表現ってそういうものだから。

「表現は時限爆弾」っていいよね。大阪にタイム・ボム(時限爆弾)っていうレコ屋さんがあって、今もまだやっててすごい好きなんだけど、あの店名も確か昔の曲名から取ったらしい。それはそれとして、この曲(「さよならロストジェネレイション」の歌詞)で《膨らんだ泡(バブル)といっしょに弾けた》年を1986に設定してるのはどういうことでしょうか?

G:象徴的な気がするのは、ロス・アンゼルス・オリンピックの年かなあと。なんかものすごいいろんなものが浮かれてた印象が。僕が中学生だったのか、小学生だったのかわかんないけど。あの頃ってバブル真っ盛りでしょ?

ですね。えーとね、バブルは84、5年からだから、ちょうどバブルの初めの「オギャー!」とくるところだよね。

G:たぶん、86年くらいから始まってバブルが終息に向ったみたいな文献を読んだ気もしたんで。

そこですでに崩壊の萌芽が感じられたというのは正しいですよね。バブルというのは...というか資本主義の頂点というのはそこから必然的に下降線を描くものだから...。僕は88年に大学を卒業したんだけど、その頃はまだ一応バブルの余波があってギリギリ"ロスジェネ"とは言われなかった...。

G:どのくらいだろ、僕らが高校を出る95年ぐらいから「就職がそろそろキビしい」みたいな話を聞いてたけど、実際のこと言うと、僕らが大学を出る2000年のあたまぐらいが一番ヤバかったよね、就職は。何もなかった。

上の世代から見ると申し訳ないって感じだけど"ロスジェネ"。

G:僕らの下の世代の時は、また一回青田買いブームみたいなのがあったんだよね。で、今のコ達もかなりキツいんだと思う。

その割に明るいよね、今のコって。そこが好き(笑)。まあ人それぞれだと思うけど。

G:それなりに若いコ達、賢いんだと思うよね。何年もこういう状況の悪いなかで暮らしてきてるからしたたかだし、賢いし、ちゃんと楽しみ方も心得てるんだよね。そういうコ達にどうやって音楽の面白さをプレゼンテーションしてくかっていうのはひとつ、ねぇ。世代って違うとけっこう考え方とかも違ったりするから、面白く交わったら嬉しいなと思ったりするんすけどね。

強くそう思います。その話は、またあとでするとして...。1986年って、インディー云々についても、けっこう興味深い年なんですよね。僕とかはジジイなので70年代末からいわゆるインディーものみたいなのを聴いてて、で、86年ってポスト・パンク的なものが完全に終焉して、『C86』とか「インディーを盛り上げよう」みたいなことをメディアがやってて、シューゲイザーとかインディー・ポップとか好きな人は86年っていうのをわりと神聖視してる傾向がある(笑)。そういえば、それこそ(昨年リリースされた洋邦取り混ぜた『ナノムゲン』コンピレーション・アルバムにも収録されていた)マニックス(マニック・ストリート・プリーチャーズ)のリッチーに以前インタヴューで聞いたんですよ。彼らってもともとインディー・ファンだったし「インディペンデントなこと」であるとか「自分らでやってくこと、DIYであること」にものすごい意識的でるあにも関わらず、なんでメジャーとやってんの? みたいな話になった。まあ最初は(インディー・レーベルの)ヘヴンリーと契約して、そのヘヴンリーがメジャーと契約してそのままという流れはあるんだけど...。とにかく、1986年に『C86』という動きをNMEがめちゃくちゃ盛り上げてた。リッチーは地方...ウェールズに住んでたから煽られてNME主導「C86ツアー」が近所に来たとき見に行ったんだけど全然ショボくて、「こんなんだったら俺達のほうがいいじゃん」とか思って、それでもう全然プレスのことを信用しなくなって...という流れがあったんですって。僕自身も、実は80年代後半ってあんまりUKのインディーものを聴かなかった時期で、1986年というものに対してはすごく醒めてるところがあったし、メディアと現場のずれみたいなものには昔からいらついていたから、すごく共感が持てたんです。さらには70年代末から言われていたオルタナティヴ...ポスト・パンクのバブルがいったん完全に弾けた年と見ているところがあって...。

G:なるほど。

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『マジックディスク』に話を戻すと、「さよならロストジェネレイション」につづく「迷子犬と雨のビート」、これも本当にすごくいい!

G:ありがとうございます。

やっぱり「これ、アジカンですか!?」みたいな、いい意味で。ホーンがバリバリに入ってて、オアシスの「Lyla」みたいなシャッフル・ビートが。

G:そうですね。なんか一番よかった時の90年代後半のUKロックのヴァイブスは、一番音楽にのめりこむきっかけになった原始体験なんで、あのヴァイブスはやっぱすごいなっていうか、好きなんですよね。

自分達が音楽にのめりこみ始めた時の感覚っていうことなんだ。

G:そう、フィーリングはそれが近い。でもそれをやるとモロになっちゃうから、ずっとやめてたりとかね。シャッフルビートは昔やってたんだけど、うまーく形にできないから。で、そろそろ大人にもなってきたし、「今だったら単なる模倣じゃないかな」と思ってやってみたら、自分達の新しいフィーリングとして鳴ったんで。

僕は「イージュー★ライダー」かな、と思ったんですけど...。

G:どういうことですか?

いや、だから《僕たちの現在を/繰り返すことだらけでも そう/いつか君と出会おう/そんな日を思って 日々を行こう》っていうところの歌詞が、個人的に奥田民夫さんの曲で一番好きな「イージュー★ライダー」や、サニーデイ(サービス)で一番好きな「青春狂走曲」みたいだなあ、という...。

G:なるほど。僕らは民生さんとかサニーデイ大好きなんで、そういう話は嬉しいですね。

それはよかった(注:このインタヴューのあと実際に「Lyla」と「迷子犬と雨のビート」と「イージュー★ライダー」をつづけて聴いてみたら非常に盛りあがった。これから筆者がDJをやるときの重要なパートになるであろう:笑)、あの頃のUKロックにホーンとか入ってたっけ? クーラ(・シェイカー)とか?

G:ブー・ラドリーズぐらいかな(笑)。

大好き(笑)! いや実はこのアルバム...『マジックディスク』は、アジカンにとっての『Giant Steps』もしくは『Wake Up!』、その両方のいいところが入っていると言えるのではないか...などと考えていたんです。

G:ホーンってフィーリングとしてすごい肯定感が増すんですよね。それをやってみて強くまた再確認したことでもあるし。

生ですからね、ホーンは。

G:生楽器ってエネルギーがすごいですね。ストリングスとかは繊細なタッチ、"力強さ"っていうよりは"繊細さ"が出る感じがするんだけど、ホーンって完全に口で吹いてるからかもしれないんだけど、テンションが高いですね。

ア・サーティン・レイシオにはトランぺッターもいるくせに、さらにホーンの音をシンセで出してて、"コールド・ファンク"などと称されていた...とか、ついそんなことを言いたくなってしまう僕は完全にポスト・パンク世代なんだけど...。先日『Rip It Up』という本の邦訳が『ポスト・パンク・ジェネレーション』という邦題で出たからあらためて読んで、ぼくは"さよならポスト・パンク・ジェネレーション"って言いたくなりました...とか、また自分語りに入っていきそうなのでやめますが(注:なぜそう言いたくなったかについては、近々その本のレヴューで書きます:笑)、8曲目「ラストダンスは悲しみを乗せて」っていう、これもすごい新境地じゃないでしょうか? コールド・ファンクというよりは熱くて、歌謡曲っぽいメロも大好きで...。

G:パーカッションを入れたのは今までは想定したことがなかったので、デモを作ったら、僕タイコ叩けないから無理な注文がいっぱいあって(笑)、それをドラムの潔と相談しながら、最終的には「パーカッションを入れたらいいんじゃないか」みたいな話に落ち着いて。

もしライヴとかでパーカッションの人がゲストで入るとしたら、それはそれで気持ちいいよね。パーカッションもいてドラムもみたいな。

伊地知潔(以下I):そうですね、ちょっと間奏を長くしてやらせてもらえたらすごい気持ちいいですね。

G:やりたいんだ(笑)。みんなで打楽器叩いても面白そうだよね。

今"さよならポスト・パンク・ジェネレーション"って言っておきながら舌の根も乾かずになんですけど、トーキングヘッズが『Remain In Light』という(1980年の)アルバムを出した直後のライヴを当時見たんで(笑)、ほんとに盛り上がってて。

G:あれ、生だとどうやってたんですか? 普通にいっぱい?

いっぱい。8人ぐらいいて、だから黒人、白人、女性、男性、全部いるみたいな。ちなみに僕が見たときは前座がプラスティックスだったんで、それも合わせれば黄色人種の男女も(笑)。

G:(トーキング・ヘッズの)メンバー以外に、パーカッションもいてみたいな?

そうそうそうそう。

G:すごくたくさんいたのかあ。

ただレコーディングはもちろんいろいろいるけど、完全にエディットで作りあげたやつを、ライヴでは再現できないから...。

G:(アレンジを)新しくしたんですよね。

そうそう。当時ライヴ盤も出たんだけど、ライヴ自体があまりによくて...それを「そのまま」LPに残せるはずがないじゃん(笑)? それで評論家もダサいからおおむねボロクソに評してて「わかってないなあ...」と思って...。当時はダイジェスト版LPだったんだけど、ちょっと前にフルのやつが...当時のセットが全部頭から終わりまでライヴで聴けるっていうCDが、ついに出て、それ聴いてすごい盛り上がって。

G:今そのライヴ盤出てる?

出てますよ。『実況録音盤』っていうのが日本盤タイトルで、歌詞対訳もやらせてもらったんだけど(笑)、オリジナル・タイトルが『The Name Of This Band Is Talking Heads』っていうそれだけの...だからカッコいいやつ。かなりきますよ。

I:いいですね、買ってみようかな。

G:参考にしたいね、ライヴの。打楽器いっぱいいたりすると、ライヴ上がるんすよね。最近はもう、とくにコンピューターとか使うものって何でもできちゃうから、そこに対する感動よりは「めっちゃ上手い人いっぱいる」とかそういう人間的なところに、「ヘタなんだけどすっげぇいい」とか(笑)「いるだけで違う」とかそういうところに面白味を感じたりしますけどね。

で、「ラストダンスは悲しみを乗せて」の前に入ってる7曲目「架空生物のブルース」。最高に「気持ち悪い」っていうか、すごい感動してしまいました(笑)。

G:どういうことですか(笑)?

いや、とにかく、「架空生物のブルース」最高! っていうことです。アルバムのキモだと僕は感じてしまった...。「架空生物のブルース」っていうタイトルもアレンジも気持ち悪いし、字面だけ見ると...まあ、僕は怪獣がすごい好きだから"架空生物"っていうと"怪獣"みたい、いいなあと思って聴いてるうちめちゃくちゃポジティヴな気分になって、すげぇ元気が出るんですけど(笑)。

G:それ...はわかんないすけどね(笑)。

ギター、ヘンでカッコいいですよね。ファーストバースの後のトゥトゥトゥトゥ♪っていうところ。

G:その後ストリングスがなぞるところですよね。

そうそうそうそう。あれはどのような?

K:あれも後藤のデモの段階で入ってて、その時から「ストリングスとユニゾンするから、そこのところだけは崩さないで」って注文があったんで注文通りに(笑)。この曲はあんまりデモからいじってないですね、僕は。曲が最初っからよかったんで。

ヘンな曲だよね。

G:そうかなあ。

いやいやいやいや(笑)。

G:でも面白いですね、架空生物=怪獣って。そういう人間の怪獣性を描いてる曲ではあるんですよね。"架空生物"っていうのは人間のことなんですよね、実は。一周回って。なんか、ストリングスとかといっしょにやるのも楽しいし、「楽しい」っていうか、自分のなかでは一番このアルバムの底っていうか、一番悲しいフィーリングを曲にはしてるんですけど。

だから僕も「ここまでポジティヴな曲がかつてありましたか?」って(最初聴いたとき、あまりにエキサイトして、取材用に)メモったもの見て、それから歌詞カードをよくよく見たら「...違うな」とか思って(笑)。

G:(笑)面白いですよね。そういう暗い曲が「この曲聴いてすごい前向きになれる」とかって言われると「不思議だな」と思いますよ。まあでも、そういうもんな気もしますけどね。

まったく。音楽はそういうもんだと思います。まさに"マジック"というか。だから、最後の3行とか《最深部で濁るブルーから這い出すために糸を吐いて/その糸でいつか希望を編んで/ありもしない羽で空を飛ぶ日を思う》っつうのはたしかに(曲名どおり)「ブルース」だと思うんですよね。で、俺まさにちょっと今、雑誌がとりあえずお休みになって、まあ頑張ってるし、手応えはすごいあるんだけど、わりと端から見たら「大丈夫?」って思われる時期のような気がするので、その「ブルース」にハマったってところがあるのかもしれない。だって「ブルース」って、極限までの落ちこみと端から見たら理解不能なアップリフティングさが同居しているものだから...。実はぼくにとって「ヘン」ってのは最高の褒め言葉で、それこそ(ブルースを変容した、キャプテン・ビーフハートの)マジック・バンドのような...。そんな音楽の"マジック"ということで言えば、9曲目「マイクロフォン」の歌詞も...なんか歌詞のことばっかですいません。インタヴューとかって言葉だから歌詞のほうが聞きやすいってズルいよね。

全員:ははははは。

《悲しみも希望も全部拾ってマイクロフォン》って言ってるじゃないですか。これはまさに、声だけじゃなくて、ライン録りもあるけど、とりあえずアンプから出した音を録ったりするからギターとかもベースとか、もちろんドラムもマイクロフォンで録音したと考えれば、けっこうこのアルバムは悲しみも希望も全部マイクが拾ってくれてるなあっていう。

G:ほんとにそうだったら嬉しいなと思いますね。どっちかをね、過激に拾うとどうしても違和感があるっていうか。「悲しい」ばっかり拾うと抗いたいっていうか、レディオヘッド的な絶望感みたいな、虚無感っていうかにつながっていっちゃうし。

今あらためて、「もともとアジカンはそうだったよな」と思いますけどね。かつては、いわゆる"セカイ系"に通じる感じで暗いっていうイメージがどっかあったのかも、自分のなかも偏見がどっかあったのかもしれないなあと、今回の取材前に改めて旧作も全部聴き直して思いましたね。

G:わりと聴き手のこととかを意識して作ってはきたんですけどね...。超ドメスティックなイメージがあるっぽくって、それは未だにもう少し洋楽好きな人にも聴いてほしかったりとかは。

NANO-MUGEN FES.に、最初にファラーとかを呼ばれた時あったじゃないですか。あの時ってクッキーシーン周辺の人とかってファラーとか好きだしアッシュとかも好きだからフェスを見に行ったら「お客さんが全然ファラーとかアッシュとか見てくれてなかった」とか言ってて、まあそのコはそう感じたらしい。それこそもうちょっと前は、これもあまり好きな言葉じゃないけど(笑)いわゆる渋谷系の頃とかは、一応聴き手もミュージシャンいっしょになって洋楽も聴いて「あれもこれもみんないいよね」みたいな「国籍とか関係なくいいよね」っていうのが普通だったのに「なんか違ってきてるんじゃない?」みたいなことを誰かが言ってて...。でも昨年のNANO-MUGENとか、今はまたずいぶん変わってきた気もするし...。今回のアルバムにはすごく「混ざりたい」っていうことも出てきてるじゃないですか、「ソラニン」はあくまでボーナストラックと考え、ラスト・ナンバー、12曲目の「橙」の最後が《混ざり合って/笑い合って/混ざり合って行くよ》っていうので終わってるのがすごくいいなあと思いました!

G:洋楽とか邦楽のそういう分断みたいなのを感じてるから、ああいうNANO-MUGENみたいなことをやってるっていうのもあるかもしれないですね。もう少しフラットかと思ったら、僕達がファラーとアッシュを初めて呼んだ時に露(あらわ)になっちゃって、「ああ、ここまで違うか」っていうのはね。でもそこで見ていた感じって、みなさんが思った感じっていうのは、今のNANO-MUGEN FES.とかに来たらだいぶよくはなってるので。まあでも、やっぱどっちも楽しいから。

洋楽も邦楽も?

G:そう。単純に「両方楽しい」っていうのがね、プレゼンできるようなイベントだったら嬉しいと思ってやってるんですけど。

アジカンの音楽自体もそうだと思うしね。

G:僕達、強烈に日本語の音楽が好きなんで、例えばサビだけ英語でごまかしてないっていうか。

『ゴッチ語録』(という本。おもしろい!)で「イースタンユースが好きだった」っておっしゃってるのを読んで「なるほど」って思いました。

G:今はいろんなものが細分化されてる感じがしますけど、ジャンルとか。

僕はもうジャンルは...希望的観測かもしれないけど、行くとこまで行っちゃって、次は絶対混ざるだろうってことを期待してるんですけどね。

G:僕もそうですよ。一回フラットになって、そうするともう、細分化の果てにはそれぞれがただの個になるだけでね、もう一回フラットになってほんとにすごい人だけがボンボン出てくるような時代になるっていうか、ジャンルは関係なく、飛び越えた。

そろそろインタヴューも終盤って感じですが、11曲目の「イエス」って曲名もポジティヴですよね。"はい"と。ロックは大抵"ノー"なのに「イエス」と。

G:それはイエス・キリストとかにも、宗教的なことも比喩で使ってる「イエス」なんですけどね。

ジーザスですね。...メリーチェインではなく(笑)。6曲目「青空と黒い猫」の歌詞に《それは東アジアの朝方の風景》ってあるんですけど、もちろん東アジアって日本も含めてですよね。

G:そうですね。なんかちゃんと"現在地"を書きたかったっていうのがあって、どこで誰が作ってるのかっていうのを、どんな時代にっていうのを明確にしてきましょうっていう、歌詞に関してはね、トライアルはありますね。時代とかシチュエーションも。「新世紀~」とかもそうなんだけど、そういう叙事的な要素ーー今でしか書けないこと、今この場所で書くことみたいなのはものすごく意識してました。

だけどタイム・ボム(時限爆弾)なんだよね。

G:そうなんですよ。ていうか、「それこそが」だと思うんですよ。今の時代のことをちゃんと書くことによって、ヘンな普遍性が生まれるっていうか。僕自分が好きなのって、その年代のその音っていうものが鳴ってるものだったりするし。リマスター音源とかついつい買っちゃうけど、「やっぱりオリジナル盤のこのショボいのがこの時代の音だからこのほうがいい」とか思ったりとか。

なんか、その部分が僕が今の若いコに対して唯一心配な部分っていうか、僕なんかもわりと同時代ものにこだわるほうで、同時代ものを後で聴くのもいいんだけど、最近の若いコって...まあしょうがないけどね、リリースもあまりに多いし、古いものも普通に並列で売ってるから、そのへんもっと知りたいんだよね。それは聞いてもしょうがないけど、もっと下のことなんで。

G:だから並列で聴いてるんだと思いますよ。

そうなんだろうね。それはそれで普通にいいことだよね。すごいものを聴けばいいんだよね、今のものも昔のものもさ。

G:だから新譜は旧譜とも対決してる時代ですからね。そう考えたら、音楽家にとってはキビしいですよ。そりゃあビートルズだってポイって買えるし、今。まあ昔から買えるけど、どの年代のどんなマニアックな音楽だってネット上では廃盤にならずに残ってたりしますからね。そういうものとも張り合っていかなければいけないなっていう。もちろんリスペクトもしてますけどね、「だったら、その人達にできないこと」って考えたら、今のフィーリングを今のやり方で鳴らすことですからね。それだけは絶対過去の人達にはできないことだから、それをやりゃあいいんだっていう。

同意します。ちょっと話がつまんないほうに行くかもしれないけど、昔イエスっていうロック・バンドいたじゃないですか。で、最近MGMTっていうバンドが大好きで、この間でたセカンドに「Siberian Breaks」っていうすごい長い曲があって、イエスって「Siberian Khatru」って曲やってて、それも長い曲だからイエスと関係あんのかな? いつかインタヴューで聞いてみたいと思ってるんだけど、まだできてないから聞けてない(笑)。それから。あとは来週ライヴあるから行ってくるんだけど、ザ・ドラムスとかもこの2010年にすっごい好きで...。

G:最高ですよね。ライヴ行けないけど(笑)。ショック。フォールズにも行けないっていう。

僕はフォールズには行かないけど、次の日レインコーツが来るから行くみたいな(笑)。で、なんかオモロいなと思ったのが...。あ、その前に...。アジカンとしては「2008年にいわゆるギター・バンドとかパワー・ポップみたいな枠でやれるところはもうやっちゃった」って感じじゃないですか? 2008年いっぱい出たじゃないですか、アルバム『ワールド ワールド ワールド』が出て、ミニ・アルバム「未だ見ぬ明日に」が出て、で『サーフ ブンガク カマクラ』が出て。

G:出しましたね。

あの時は、たとえば『ワールド ワールド ワールド』や「未だ見ぬ明日に」で「いろんなことやってんなあ」と思ったんだけど、今振り返ってみると、やっぱりこれと比べてみればギター・バンドの枠だったなあっていうかさ。

G:『サーフ ブンガク カマクラ』とかはね、過剰に振り切ってパワー・ポップにして。

いい企画盤だよね(笑)。すごい面白い。

G:「好きすぎて作った感じすからね。やっぱああいうの作ってるのが楽しいんすけど。

パワー・ポップなんだけど「稲村なんちゃらジェーン」とかっていうのがあるのが面白いよね。ごめん、駅名忘れちゃった(笑)。

G:稲村ケ崎です。

たぶん、あの辺が身近なんだよね。

G:そうですね、神奈川のバンドなんで。なんか青春モノを作りたかったんで、日本のね、そうそうそう、パワーポップじゃないけど"西海岸"性みたいなのがほしくて(笑)、勝手にそれを湘南に見立てたっていうのが面白いなと思ってやったんですけど。

タイトルに"ブンガク"って言葉が入ってるから「うーん」と思ったけど、聴いてみたらそんなことなかったし、さっきわざとらしく「稲村なんちゃらジェーン」と言ったのは、もちろんサザン(オールスターズ)の「稲村ジェーン」と結びつけたかったわけで、そういう身近さがあって...。そして、MGMTとかザ・ドラムスが、今"サーフ"って言ってたりとか、"西海岸"性を追究してるのより、すごく早かったですよね。

G:はははは、それは全然意識してなかったですけどね。なんかあるんすかね、ヘンな磁場が。

あるんじゃないですか。だからさっきおっしゃってた「今」に、「この時代」っていうのに真剣にこだわってやってたら、そういうシンクロって起きますよね。

G:俺、それ意識してなかったけど、指摘してくんなかったらわかんなかった。初めてです。でも確かにそうですよね、"サーフ"ってけっこうテーマになってて。

そうそうそうそう。MGMTもジャケでサーフだったりとか「サーフィンに行こう」とか歌ってても、別にそれは哲学的なテーマがあったりとかそういうわけじゃなくて、感覚的なものだと思うんですよね。だからけっこうあの感じで『サーフ ブンガク カマクラ』って言ってたのと、今の彼らがやってる感じっていうのが近いところがあるのかなあっていう。

G:ああー。確かに"サーフ"っていって「海の風景で、わりとミニマルな録音でアナログで録って、ルーズだけどポップなものを作りたい」っていうのがテーマだったんで、あそこまでね、彼らみたいなアート気質みたいなのは僕らは持ってなかったからああいう感じだけど。

ザ・ドラムスなんか全然アートじゃないじゃん(笑)。もっとショボいっていうとおかしいけど、パワー・ポップじゃなくてインディー・ポップって感じ?

G:でもMGMTはちょっとアートかじってる感じはする。

ああ、たしかに。

G:そう考えると面白いですね。あの時はフィーリング的に「ああいう風景いいな」って思って問答無用に引っ張られたとこもありますよね。「こういうものを鳴らしたほうがいいんじゃないか」みたいな。アジカンやってると、シリアスなものを書かなきゃいけなかったりとか、求められてる雰囲気もあるんだけど、それをやりたくなかったんだよね、2008年は。「そうじゃないものも絶対一枚作んなきゃダメだ」と思って。

例えば"ブンガク"っていうのも逆にそこまで振り切っちゃってるんだっていうことだよね。聴きゃあわかるんだけど。"ブンガク"って言葉が入ると、僕なんかかなり意地になって「哲学とか文学とかを持ちこむのは好きじゃない」と思うのね。まあいい感じにそれが入ってるのは全然問題ないし、実は特に洋楽の人だとけっこう入ってたりするんだけど、語る時には「絶対語りたくない」と思ってて。

G:僕らはカタカナで書いてるぐらいだからね、"ブンガク"っつっても純文学とかではなくて、その時意識されたのは「ストーリーテリングで1枚回していきますよ」っていう意味での"ブンガク"で、もうちょっとライトな感じ。

ケータイ小説?

G:ケータイ小説とはまた違うんだけど、基本的に文学性っていうのは、語り口が小説的であれば文学性っていうのはあるわけなんで。

キンクスだって超文学的っていえばそうですからね。

G:そうそうそう。だから難しい言葉を使えば文学ってことじゃないから、それはなんかね、ちょっと違うな。アジカンのアルバムって常々、そのアルバム以外は純文学性みたいなのを意識してるんですけど、なんかね、もう少し大衆的な意味での"ブンガク"っていうか、文庫本みたいなイメージっていうか。

今回もじゃあ文学性みたいなのを意識してるってこと?

G:殊更に強くは意識してないですけど、「もともとそういうものだから」っていう感じで。自分のなかでそこをアピールしたいわけじゃないんで。詩を書くんだから"詩"って考えたら、それは文学の1つのフォーマットだからそれは意識しますけど、でもやっぱ「音楽に乗ってこそ」ってところがあるんで、バランスはすごく大事っていうね。例えば、この1曲目で僕が音楽性を無視しちゃうと、たぶん完全にバックの演奏とは乖離して、ひたすら詩を読んだりとかするようになると思うんですよね。

そうですよね。インタヴューの最初のほうで"ポエトリー・リーディング"と"ラップ"って言葉が出てきたけど、これはポエトリー・リーディングじゃなくてラップになってますからね。ラッパーの人がどう思うかは知らないですけど(笑)。

G:ふたつの間のような気もしますけどね。まあでも、手法的にはラップ・ミュージックの手法だとは思いますよ。

ああ、でも中間といえば中間かも...。僕、イルリメさんとかECDさんがすごい好きなんだけど、彼らってラップとポエトリー・リーディングと歌の中間みたいな感覚っていうのがある気もするし、「新世紀のラブソング」とかは彼らを思い出したから。「直接的な影響」はないでしょうけど。

G:両方好きですけどね。なんかね、難しいですね、"ラップ"って手法はもう誰のものでもなくなっちゃったから。"ヒップホップ"って言葉と"パンク"って言葉は意味合い的には似てきてるっていうか、精神性の話になってきてるんで、だからすごい面白い。

だから僕ももとは「ポスト・パンク」ってコンセプトが昔から好きだったんですけどね。"パンク"っていうとガチガチの人が出てきちゃうんで。

G:そうなんですよ、形骸化した部分はありますからね。すごい排他的な言葉になっちゃう時もあるし、ただ不良性の置き換えだったりもしたりとかね。僕はずっと立ち位置的にはナードだし、出自も普通に体育会系だったから、そういう不良性みたいなのに憧れもあるし、距離感もあるから"パンク"って言葉はすごく難しいところがあったかな。まあでも、パンク・スピリットみたいなのは自分の中にもあるなとは今になって思いますけどね。「チクショー」みたいな、「負けねーよ」みたいな(笑)。それはでも表現に向けるもの、誰かをブン殴ったりするための力ではないから、自分にとっては。そういうのも面白いなと思ったりしますね、言葉とかって。形がどんどん変わってっちゃう。ジャンルとかも。

いろいろと主に後藤さんと話してしまったんですけども、みなさん、すみません。今回のアルバムの「今までとは違う」という部分はどうですか? 特にリズムとかもいわゆるギター・ロックっていう部分をはみ出してると思うんですけど、リズム・セクションとしてはどうでしょう?

I:ウチはけっこう前からやってる気がしますね。僕はギター・ロック、実はあんまり好きじゃないっていうか、聴いてなくて、どっちかっていうとハード・ロックとかメタルとかばっか聴いてたんで、プログレとかそっちを。アジカンに入った頃は聴かないようにしてましたもんね。「聴いたほうがいいのかな」って最初思ったんですよ、みんなが好きなオアシスとか。でも「無理矢理聴くのもなあ」と思ったし、逆にそれがよく作用してるような気がしたんで。今もちょっとそういうことは考えてるんですけど。

ずーっと聴かないほうがいいですよ。

I:ええ。そのほうが面白いものができる気がしますね。

今回のアルバムを聴いてみて、まあ自分でやってるからそんなに客観的には聴けないかもしれないけど「変わったかなあ」とか感じたりするところってあります? 自分のパートじゃなくても。

I:今回からなんですけど、後藤がデモから作りこんで僕達にくれるようになったので、明らかに変わりましたね。それでゲスト・ミュージシャンも入ってるっていう。それも初でしたから、けっこう初めてのことは多いアルバムです。

(ベースの)山田さんはいかがですか?

山田貴洋(以下Y):ほんとに音楽的な部分っていうか、演奏とかアレンジとかの部分に関しては好きにやったって感じがするんで、デモをもらった時点ですごい自由度が高まったなっていう。

それはいい話ですね。バンドとかをやったことがない読者の人が見ると、「デモをもらった」=「幅が狭まった」っていうふうに思う人もいると思うんだけども、デモをもらうことによってベース・プレイに関しても表現の幅がさらに広がったと。

Y:そうですね。

それも音楽の"マジック"のひとつだと思うし...。やっぱり後藤さんがリーダーじゃないですか。だからガイドを初めに見せてくれることによって「なるほど。こういうコンセプトだったらこういうふうにやってやれ」みたいなそういうような感覚もより自分の感じも入れられるようになったっていう?

Y:そうですね。今まではその先、ライヴのこととか意識してた部分があったんですよ。それを一旦取っ払って、レコーディングっていうものもスタジオワークっていう意味で突き詰めてったっていうか、そこを楽しんだっていう感覚ですかね。

僕が思う「あんまりギター・ロックっぽくなくなった」っていうのはそういうところかもしれないですよね。「ギターで埋め尽くす」っていう感覚が減ってきてると思うんですけど、(ギタリストの)喜多さんは、それは寂しくはないですか(笑)?

K:はははは、どうですかね。でもやっぱりまだギターはたくさん入ってるしーー。

全然入ってますよ(笑)。

K:(笑)そこはなんか、今後もどうなるかわかんないですけど、なんだかんだ好きなんでね、ギターの音も。入ってくとは思うんすけどね。

伊地知さん以外はみんなさん、趣味的にはインディー・ロックっていうか、パワー・ポップっていうか、ギター・ロックっていうかそういうものがお好きだったって感じなんですか?

G:バラバラですね。わかんないですね、何聴いてんのか、みんな。

『ゴッチ語録』でみなさんと後藤さんとの対談を読んで「(音楽の趣味が)それぞれなんだなあ」と思って、今回のアルバムにはそれらが今まで以上に出てるなあっていう気がしました。最後にみなさんのお話が聞けたのでこれでシメさせていただきます。今日はお忙しいところ本当にありがとうございました!

全員:ありがとうございましたー。


取材、文/伊藤英嗣

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