ピーター・フック

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PETER HOOK

誰でもDJをやってみたらいいんだよ
でも、うまくDJをするってことは難しい

元ジョイ・ディヴィジョンのオリジナル・メンバー(どの楽器が最も印象に残ったかといえば、やっぱ、彼のベースだよね?)であり、もちろんニュー・オーダーの重鎮であるピーター・フック。本国では音楽書の枠を超えてベストセラーとなった彼の初めての著作『ハシエンダ』日本版がリリースされる。音楽ファンなら誰もが必読の、超一級ドキュメンタリー。そして、彼がそこでなにを学んできたかも(なんとなく、だが:笑)よくわかる、感動的な作品となっている。

つい最近、彼がニュー・オーダーの「ほかの3人(The Other Three)」の不埒な行為に関して訴訟を起こした理由も、『ハシエンダ』を読めば、間接的にわかる...ような気もする。

この4月末には、新しいバンド、ザ・ライトを率いて大磯でおこなわれるフェスティヴァルのために来日、ついに日本の聴衆の前で(フジ・ロックにてニュー・オーダーがおこなって以来、初めて)ジョイ・ディヴィジョンの曲を披露してくれることになっている。その面子による『Unknown Pleasures』再現ライヴ・アルバムを聴いたが、正直素晴らしかった。「ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリスト」は、もちろん故イアン・カーティスだったけれど、それを継ぐ者としては(ニュー・オーダーとしてそれを披露したときの)バーナード・サムナーよりもピーター・フックのほうがふさわしい。そこにこめられた、狂おしいまでの熱情の質および量ともに、

この1月、インターナショナルな存在として復活した伝説のクラブ、ハシエンダ主催イヴェントにDJとして出演するため来日を果たしたピーター・フックに話を聞いた。ぼくは個人的な都合で残念ながら参加できなかったその取材を敢行してくれたのは中谷ななみさんと、『ハシエンダ』日本版編集者圓尾公佑さん。では、どうぞ!

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all photos by Kazuya Hayashi

(雑談をしながら、今日来れなかった伊藤の話をしている)

ピーター・フック(以下、P):クッキーシーンは憶えてるよ。前にインタヴューしたこともあったよね。

はい。私が電話インタヴューしたこともあるんですけど(笑)。

P:そうなんだ! ずいぶん昔になると思うけど(笑)。

はい(笑)。伊藤も本当に来たがっていたんですが、他の仕事があって欠席しました。すごくこの本を日本で出したがっていたのは彼なので、あなたと直接本の話ができず、非常に残念です。

P:そうだね。他の言語に翻訳されて発売されるのは、この本がはじめてだから、俺自身もすごくうれしいんだよ。

え、そうなんですか?

P:うん、そうなんだ。日本で翻訳されるって聞いて、すごくうれしかった...去年の震災で日本に来れなかったのは残念だったけどね。俺の問題なんて、震災で被害に遭われた人の問題に比べたら、なんでもないからね。

でも、サマー・ソニックでは来日してくださいましたよね。質問作成者の伊藤は昨夏のソニックマニアであなたのDJを体験して、完全にノックアウトされたそうです。さすが、バンド経験者だけあって「盛りあげかた」を心得ているというか...。そういう意味では、バンド演奏もDJも同じですよね?

P:はじめて俺が日本に来たのは、80年代後半のことだった。

バンドでですよね?

P:そう。ニュー・オーダーで。すごく楽しい経験だったね。たくさんの女の子に追っかけられて(笑)。最高だったけど、もう今は誰も追っかけてくる女の子はいなくなった。みんなお母さんになっちゃったんだろうな。お母さん達から追っかけられることは、あまりないね。とにかく、初来日したときの経験は、カルチャー・ショックだった。女の子に、追っかけられてる!って(笑)。

当時おいくつだったんですか?

P:24、5だったね。とにかく、俺たちにとって日本は、いつも特別な場所だった。マンチェスター・ミュージックに、深い愛情を感じてくれているのもわかったし。それからどんなバンドでプレイしても...ニュー・オーダー、リヴェンジ、フリーベース...俺はいつも日本にギグをしにやってきたんだよ。他にはあまり、外国っていってないね。

え、本当?

P:うん。とにかく、俺は特別な親近感を日本に感じてるんだ。すごく素晴らしい国だって思ってる。日本の文化はイギリスとまったく違うから、そういう部分でも興味を引かれる。いつ来てもいい国だな、って思える。日本の人たちの気性のよさって、顔にも出てると思うよ。俺たちはいろんな場所をツアーして周るけど、顔を見ただけで、根性悪そうなやつらがそろってるような場所もあるし(笑)。とにかく、俺は日本に特別な愛着を感じていたから、DJをはじめたとき、日本にもDJとして行けるといいなあ、って思ってたんだ。実際、俺がイギリス国外でよくDJをするのって、2ヶ所しかない。東京とマドリッド。なぜかはわからないけどね。このふたつの街が最もよくDJしにいくところ。それで、日本にはじめてDJをしにきたときに、タカ(ハシエンダ・イヴェントの日本の担当者)に出会ったんだ。それ以降、いろんなことが大きく育っていってると思う。いろんなことを一緒にやるようになった。ジャック・ダニエルのイヴェントとか。残念ながらジョイ・ディヴィジョンのときは無理だった。国外に出るまえにあんなことが...。まあ、この次ジョイ・ディヴィジョンをプレイするバンドで来れるから、すごくうれしいと思ってるけど。

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ソニックマニアでのあなたのDJプレイで、あなたが自分のバンドの曲もたくさんかけていたことに、いい意味で驚かされました。ジョイ・ディヴィジョンは「そのまま」の曲(リミックスとかではないもの)をかけてましたが、ニュー・オーダーのほうは、カヴァーというか極端なリミックス、もしくはサンプリング・ネタとしてニュー・オーダーが使われているものをたくさんかけていました。その使いわけが興味深かったです。まず後者に関しては、バンドの張本人が、そういうものをたくさんかけるっていうのが、おもしろいと思いました。すごく現代的というか...。いかがでしょう?

P:へえ、おもしろいことに気づいたね。まあ、いろんな裏事情があってのことっていうか...。特にすごい理由があるわけじゃないんだけど。基本的にニュー・オーダーのリミックスって、俺のところに全部許可申請が回ってくるんだ。他の連中はそういうことに興味がなかったから(笑)。というわけで、俺はそういうおもしろいリミックスをたくさん耳にする機会がある。おっ、こいつは素晴らしい! って思うものから、カスだな、って思うものまで全部(笑)。そんななかでいいものを、自分のDJセット用にとっておくんだよ。ほとんどはリリースになることがないから、これはただ埋もれさせてしまうには惜しい、ってものを、DJセットで使うんだ。ジョイ・ディヴィジョンのものもいくつかは来るけど、ほとんどはニュー・オーダーのリミックスが来るんで、そういう理由でニュー・オーダーのものはリミックスが多くなっちゃうんだよね。最初にDJをはじめたころは、自分自身の曲をセットのなかでかけることに抵抗があった。理由はわからないけど、いつも他人の曲ばかりかけていた。ニュー・オーダーの人間がニュー・オーダーの曲をかけるって、すごく違和感があったっていうか。でもある日気づいたんだ。俺のDJを見に来てくれるお客さんっていうのは、結局、俺がニュー・オーダーのフッキーだから来てくれてるんだ、って。せっかくニュー・オーダーのフッキーがDJやるからってきたのに、全然ニュー・オーダーがかからなかったら、お客さんをがっかりさせてしまう。でも正直、ニュー・オーダーは俺にとってすごく嫌な形で終わったから、あまり曲をかけたくなかったっていうのも事実。だから、オリジナルじゃなくてリミックスをかけるっていうのは、俺にとっては楽しくて興味深いチョイスだった。ジョイ・ディヴィジョンに関しては、曲をかけてもそういう問題は感じない。どんな曲をかけても、ハッピーだよ。

質問作成者は80年代初頭に高校生だったころの個人的体験もあって、その音楽を聴くたびにどこか胸の痛みを覚えていました。

P:マイ・ゴッド(笑)!

それが昨夏あなたがジョイ・ディヴィジョンの曲をかけたのをフロアで聴いて、もちろんその痛みが消えたわけではないにせよ、とにかくやけくそ的に盛りあがれたのが、すごく新鮮な体験だったそうです。フロアにおいては、曲のバックグラウンドうんぬんより、その機能面が強調されるのかな? と思ったり。いかがでしょう?

P:うん、すごくいいね! そうあるべきだよ。今、ジョイ・ディヴィジョンの本も執筆中なんだ。

本当ですか?

P:うん。9月に刊行予定。

いいですね! そうしたらぜひまた翻訳させてください(笑)。

P:うん、もちろん(笑)。正直、ハシエンダはイギリス、マンチェスターの局所的な現象...現象っていっていいと思うんだけど、そういう要素が強かった。でも、ジョイ・ディヴィジョンはより世界的に知られた存在だからね。この本のほうが、より広く世界で読まれるんじゃないかな。自分でもすごく楽しみだよ。今日もまた夜、作業を続けるけど。昨日はそれで、5時間作業してた。

え、来日中も?

P:うん。俺は世界のどこにいっても、イギリス時間で生活することにしてる。(22時すぎに始まった)このインタヴューを終えたら、上に行って本を仕上げる。イギリスで作業するのと同じ時間で働くんだ(笑)。

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音楽の話にちょっと戻りますが、2001年のフジ・ロックでニュー・オーダーのライヴを観たときもジョイ・ディヴィジョンの曲をプレイしていましたし、あなた自身にとってはそれほど「おおごと」ではないのかもしれませんが、あなたにとって、DJでジョイ・ディヴィジョンの曲をプレイすることには、どんな意味がありますか? 何か特別な感情を覚えたりしますか?

P:特別な感情っていうのはないね。自分自身の作品は気に入ってるし、誇りにも思う。実際、自分がかかわったことは、なんでも大好きなんだけど(笑)。そう思わないほうがいいようなものまで、俺は全部誇りに思っている(笑)。ニュー・オーダーがバラバラになった直後は、しばらく曲も嫌だったけど。聴くと嫌な気分になった。でも今ではもう、大丈夫だよ。そして、自分がいいと思うものは、何でもかける。DJをはじめたばかりのころは、好きとか嫌いとかいう問題じゃなく、ただやってた、って感じだった。でも今では、DJするのもすごく好きになった。実際に自分がプレイした曲をかけて、ギャラを払ってもらえるって、最高だろう(笑)? 誰でもDJをやってみたらいいんだよ。でも、DJをはじめて学んだことは、うまくDJをするってことは難しい、ってことだけどね。実際、ものすごく上手なDJって、存在感を出さないものだ。ただみんな、誰がDJしてるか気づかないほどパーティーして盛り上がり、そのまま彼はブースを去るだけ。誰もが最高の時間をすごして、そのまま家に帰る。誰がレコードをかけていたか、気にすることもなく。目立ちたいやつには向かないね(笑)。どれだけスムーズに夜が過ぎたかってことのほうが、重要なんだ。俺の場合は、普通のDJとは立ち位置が違う。ニュー・オーダーのフッキー、っていう期待がクラウドのなかにある。普通のDJは土曜の夜に出勤して、うつむいたまま黙っていい仕事をして帰ればいい。でも俺がそれをやったら、クラウドをがっかりさせてしまうからできないよ(笑)。

あなたにとって、ピーター・フック&ザ・ライト名義で、ジョイ・ディヴィジョンのアルバムを再現することの意味は?

P:すごくたくさんの意味があるよ(笑)。ジョイ・ディヴィジョンは本当にあっという間に終わってしまった。たったの2年半が活動期間のすべて。それから長いこと、その思い出から俺は目をそむけつづけてきた。ジョイ・ディヴィジョン? 俺たちはニュー・オーダーなんだ、って。その時代は仕方なかったと思う。でもさっききみが言ったようにニュー・オーダーで少しづつジョイ・ディヴィジョンの曲をプレイするようになったり、そしてなによりニュー・オーダーがバラバラになってひとりになったとき、俺は突然、「なぜジョイ・ディヴィジョンを封印し続けなきゃいけないんだ? 理由は何だっけ?」って思ったんだよ。そして、なんて残念なことをしてきてしまったんだろうって後悔した。今こうしてジョイ・ディヴィジョンをやっと祝福する機会が持てて、ハッピーだよ。今イアン・カーティスのホーム・タウン、マックルスフィールドでのフェスも企画してるんだ。彼の死後30年を記念しての大きなジョイ・ディヴィジョン・フェスだよ。そういうことができる時期が、やっと来たんだな、って思った。やっとつまっていた何かが溶けたように感じた。いろんなことですごく落ち込むこともあったけど、こういうことができる機会は逃さないようにしていこうって思った。今俺は、マンチェスターでクラブもやってるんだ。俺の仲間がみんな来てDJしたりしてる。俺もそこでDJしたり、ジョイ・ディヴィジョンをプレイしたりしてるけど。

え、それってどのクラブのことですか?

P:ファクトリーってクラブ。

ああ、あの元ファクトリー・オフィスがあった跡地にできたってクラブのことですね?

P:うん、そう。パートナーとして経営に加わってる。まったくおかしなことだけどね。今度は、正しいクラブ経営のハウツー本が書けるんじゃないかと思うんだけど(笑)。

もうクラブは懲りたんじゃないんですか(笑)?

P:まあ、ハシエンダってクラブは特別だったからね(笑)。あそこは「やれることは何でもやってみよう」というクリエイティヴな挑戦のために建てられたもので、現実的にクラブを経営しようなんて考えはまったくなかった。ハシエンダでは、思ったことは何でもやってみることができた。それが何であっても、夢に見るようなことを何でも実験してみることができた。たとえ、それがいくらかかろうともね。実際に払えるかどうかってことを考えもしないで(笑)。新しいクラブは、ビジネスマンのパートナーと経営している。だから俺がクラブに行って、「ここ、内装を全部真っ赤にしてみたらどうかな?」って言っても、「ノー」って即答される(笑)。「地下にスイミング・プールを設置するのは?」「ノー」「なかでサーカスをやってみるっていうのはどうだろう?」「ノー」みたいな(笑)。今はクリエイティヴィティーと現実のバランスみたいなものがしっかりと取れた状態で"クラブ経営"ができている。彼と一緒にクラブをやってきた2年間で、俺はハシエンダで16年かけて学んだ以上のものを学んだ。「昔のほうがおもしろかった」って言われたらそうかもしれないけど、今はしっかりと現実を見ながら続けていくことができるようになった。あのころは誰も、利益を上げようと思ってクラブを経営してなかったからね。それじゃ、ずっと続けていくことはできないよ。実際それで、ハシエンダはめちゃくちゃになってしまったわけだし。まあ、素晴らしいめちゃくちゃぶりだったわけだけどね。そのおかげで、いまだにハシエンダにインスパイアされる人が出てくるわけだし、人の情熱に火をつけたり、かけがえのない記憶の一部になったりしているわけだから。そういうものは、お金じゃ買えない。

今のマンチェスターの若い世代も、ハシエンダやそこから生まれたカルチャーのことはよく知っている感じですか?

P:知ってるやつらは多いよ。自分のクラブでDJをするとき、来てる連中は大抵18歳から25歳くらいまでの若いやつらだ。自分がすごく歳取ってるような気になるよ(笑)。でも、そんな連中から、すごくリスペクトされてるのを感じる。「生きてる伝説」って呼ばれて。まあ、そういわれても、「死んじまった伝説」よりはマシだって程度だけど(笑)。実際、状況は昔とは大きく違う。彼らの両親の年代が、俺の音楽を聴きながら青年期を過ごしたジェネレーションなわけで、両親が聴いている音楽を聴きながら、こういうキッズは大きくなったんだ。DJしてるとそういう若いやつが近づいてきて、「俺の父さんがよろしく、っていってました! 1981年にあなたのギグを見て、感動したそうです」とかいうんだ(笑)。まあ、すごくうれしいね。誰かの子供たちに、父さんたちのジェネレーションの音楽は素晴らしかったと思ってもらえることはさ(笑)。

2012_01_ptrer hook_A4.jpgさて、わたしと質問作成者伊藤は、1年くらいかけてあなたの著書『ハシエンダ』をふたりで翻訳しました。

P:おっと、それじゃ、君にも何が起こったか全部知られてしまってるわけだね(笑)。翻訳、大変だったろう?

いえ、素晴らしい本だと思いました! 実際、今まで私が翻訳した本のなかで、一番おもしろかったです(笑)。

P:そう言ってもらえると、本当にうれしいね。ありがとう(笑)。

興味深いエピソードだらけであるのみならず、実にエモーショナルで、一本すじがとおっているというか...。まず、著者であるあなたに「変な伝説なんかいらない...というか、間違ったイメージが伝わるのは気持ち悪い。本当のことを露出させるぜ! 裸になるぜ!」といった姿勢があるように感じられました。いかがでしょう?

P:いや、別にそんなつもりはなかったねけど(笑)。俺がひとつ、今までの経験で学んだことは、誰もがそれぞれ、自分の思い出ってものを持ってること。誰もがそれぞれ違った形で、「これが本当に起こったことだった」って記憶を持っている。だから本の最初に書いたように、これは俺の記憶のなかで正確に起こった出来事だったってことで、誰にとっても絶対的な真実だった、ってことじゃない。それに、こうして話をしてるだけならいいけど、いろんな悪さした話を実際に文章にして本として出版すると、ただ話しただけとはまったく違う重さがそこに生じてくる。ダーティーな話を、ただ話してるだけならいいけど、活字にしたとたん、「うわあ! なんてひどい!」って思うんだ(笑)。書くって、重いことだよ。ずっと残るしね。だから、一生残ってもかまわない、って思えるものしか、活字にしちゃいけないと思う(笑)。インターネットのせいで、どんな昔のことでも、永遠に残るようになってしまったから。ライヴやイヴェントも、「ああ、憶えてるよ。本当に最高に素晴らしかった」って思っていたものが、YouTubeにアップされてて、見ると「...あれ、それほどじゃなかったかな」って(笑)。頭のなかの記憶だからこその神話や素晴らしさっていうのも、嘘じゃないし存在してると思う。でもそれをそのまま目にすると...。たとえば俺がはじめてピストルズを見たフリー・トレード・センターのギグ。あれを見て俺は衝撃を受けて、ミュージシャンになろうと思ったけど、もしあのギグを俺が今YouTubeでみたら、同じように思うかわからない(笑)。とにかく、俺は本を書くときに、自分が一生このことを言われてもかまわない、と思うことだけを書こうと決めていたんだ。それと、あまり人を非難するようなことはしたくなかった。本を書きはじめたころは、あんな結果になることにかかわった全員を非難してやりたい気持ちがあった。でも書いているうちに、自分だってそういう連中となんら変わりなく、悪かったんだなってことがわかった。そういうことを起こさせてしまったんだから。あそこからいろんなことを学んだよ。それで結局、誰のことも批判することはやめようと思った。まあ、難しいシチュエーションではあったね。フィクションじゃないわけだから。でも、本の"著者"って響きは単純にすごく気に入ってるね(笑)。俺が本の"著者"なんだぜ、って(笑)。

(笑)実際、本にしたあとあなたに苦情を言ってきた登場人物はいませんでしたか?

P:いたよ。

やっぱり...(笑)。誰かってことは言えませんか?

P:マネジメント・スタッフのひとりだった、ペニーって女の子。ある表現が気に入らなかったらしい。まあ、それで訴えるとかそこまでいったわけじゃないけど、気に入らないっていうから、ペーパーバック版ではそこを書き直した(注:日本で発売される翻訳書は、ハードカバー版を元にしています:笑)。書き直しに関しては、俺にとってはそんなにハッピーなことじゃなかったけど、それで彼女がハッピーなら、まあ、俺も結果的にはハッピーかな、って。大したことでもなかったし。俺は誰のことも、意図的にアンハッピーにしたいとは思ってない。...たまにはあるかもしれないけど(笑)。

でも、あなたの立場からいえば、批判して当然だったりする部分もあったわけじゃないですか?

P:そういわれたらそうだね。でも年をとったらわかることだけど、結局何か悪いことが起こるときって、自分がそうなることを許してしまってるときなんだよ。それを思えば、誰のことも簡単には批判できなくなる。「これはニュー・オーダーの金だ。もうやめろ!」ってはっきり言えていたら、「あ、そうだね。ごめん」って、もっと早くに済んでいたことだったかもしれないんだ。まあいいや、って続けさせていたのは俺たち。だから、"俺たち"全員の問題だったといえる。でも、ある意味こうして本にできたことで、俺の心なかの何かがやっと一区切りついたというか、楽になった部分がある気がする。今度、ジョイ・ディヴィジョンの本を書くことで、ジョイ・ディヴィジョンのことでもいろんな事が楽に思えるようになるといいなと思ってるよ。実際、書いていてすごくおもしろかった。自分自身の人生も含めて。

実際、いろいろあったとは思うんですが、特にこの本では、エピローグなどからあなたのロブ・グレットンに対する思いが伝わってきて、思わず涙が出てきてしまいました...。

P:うーん、なんて言ったらいいかな...。難しいね。誰かと一緒に仕事を始めるころって、いちいち細かな金の勘定のことより、「俺たちは一緒の船に乗ってるんだ! さあ、どんどん一緒に進もう!」みたいな気持ちが先に出てくるものだ。でも長年一緒にやっているうちに、進みたい方向性や考えていることに、次第にずれが生まれてくる。今振り返って思えば、ロブ・グレットンは根っからのギャンブラーというか、ギャンブル中毒だったんじゃないかな。ハシエンダは彼の、一世一代の大勝負だった。そして、絶対にそのギャンブルをやめようとはしなかった。どこからでも構わず、金を見つけられるところからかき集めてきては、彼はハシエンダにつぎ込んだ。ただギャンブルを続けるために。うまくやれるはずがなかったよ。オープンした初日からね。でも、彼は絶対にそれを認めなかった。ある意味ではそこまでの強さを持つ彼のキャラクターを、リスペクトしなきゃいけないと思う。絶対にあきらめない。絶対に勝つまでやる、って。彼がやったことの多くに納得できないことはあるにしても、彼が素晴らしい信念の持ち主だったってことには変わりない。すごく強い人だったと思う。間違いなく、伝説は生み出した。アシッド・ハウス、マッドチェスター...。彼がいなければ、そんなすべても生まれてこなかったかもしれない。彼ははっきりと、自分が生きた印を世界に刻み込んでいった人だった。

2012_01_ptrer hook_A5.jpg(ここで、同席していた『ハシエンダ』編集者であるイースト・プレス圓尾公佑からの質問)ところで、ハシエンダでは全員が踊ってた、って書いてあったと思うんですが、あなたも踊ってたんですか? あなたのイメージって、いつもクールに演奏しているか、お酒を飲んでいるかで、ダンスしてるようなイメージって浮かばないんですが。

P:まあ、エクスタシーには間違いなく、白人の男を踊らせる効果があるよ(笑)。脳の中のタブーみたいなものを、すべて吹っ飛ばすような効果がある。誰にどう思われようと、構わないような。たとえばその辺(注:一流ホテルのラウンジにて取材は行われていました:笑)で急にダンスしたいと思ってもやらないのは、他の人になんて思われるだろうって意識がどこかにあるから。頭がおかしいと思われるんじゃないか、とか(笑)。でも、エクスタシーを入れていると、「もう、人からなんて思われようとどうでもいい、やりたいことをなんでもやってやる」って気になる。まあ、長年の経験からいって、ドラッグについて言われているほとんどの素晴らしい効能っていうのは、全部嘘だって俺は知っている。ドラッグのせいで人生をメチャクチャにしたり、体をボロボロにしたりしたやつらを、俺はあまりにたくさん見てきた。ドラッグをやることは、かっこいいことでも、素晴らしいことでもない。ドラッグに関わることは、本当にただ厄介なことをしょい込む以外の何ものでもないんだ。本当に注意してなきゃいけない。今俺は、俺みたいな人間がそういうことをちゃんと伝えなきゃいけないと思っている。あそこに、賛美されるようなものは何ひとつない。ハッピー・マンデイズがやったことは、ある意味では何も知らない無垢さと、バカさの結果だった。俺は自分の体験から、そういうことを痛いレッスンとして学んだよ。

なるほど。でも、そうして踊ってみたとき、あなたはダンスが上手でしたか?

P:もちろん。最高だよ。今ここで踊ろうか?(踊り始める)

え、まさか、今、入ってますか?

P:ノー(笑)!

(ふたたび圓尾)代官山エアーでDJをしてるのを見たことがあるんですが、そのとき、すごく、かわいらしく見えて(笑)。片足上げたりするダンスが。

P:バカみたい、って言われるよりは、かわいいって言われたほうがいいね(笑)。まあ、楽しかったらそれが自然に現れてくるってことかな。人を完全に楽しませるための仕事をしてるわけで、楽しくできなきゃ意味ないからね。ただつっ立って、ちょこちょこっとプラグを調節するだけのDJしても楽しくない。まあ、そういうDJをする連中も実際たくさんいるけどね。

あなたの場合は、DJなんだけどロックだな、っていうか。

P:ずいぶんスタイルは変わったけどね。昔はオーディエンスをイラつかせる選曲が多かった。何であんなのをフロアでかけたんだろうって、自分でも思うような。

なぜ?

P:たぶん、頭がおかしかったからだと思う。ジョニー・キャッシュとか。MC5とか。時にはうまくいったけど、時には最悪な結果になることもあった。DJのやり方がわかってなかったんだ。今では夜どおしフロアを熱く盛り上げるやり方がやっとわかってきたよ。どの曲をかけても、みんなが「うぉーーーっ!」って盛り上がるような。曲をかけたとたん、みんながさっとフロアから去っていくような曲は、もうかけない。おもしろいけどね。昔と今とでは、ミックスを作っても全然違うと思う。今は全部盛り上がるエネルギーにあふれた曲ばっかり。昔はなんだかよくわからないスロウな曲...ジョニー・キャッシュやビーチ・ボーイズ、MC5、ストゥージーズみたいなものをよくかけてた。悪くはなかったけどね。車でドライブしてるときにかけると、気分がいい曲だったんじゃないかと思うけど、土曜の夜0時のクラブで盛り上がるような曲じゃなかった。誰も楽しみにクラブに来てるわけだからね。それで俺の方が変わったんだ。かなり。

当時はつまみが取れそうなぐらいの派手なパフォーマンス付のDJステージだったようですが。

P:(笑)今ではもう、やってないけどね。はじめたころは、DJって何をしてればいいのかわからなかったんだ。バンドをやってたころは、ステージに上がれば、みんなが演奏してる俺を見てるのが普通だった。いつも俺は、何らかの形でステージで動き回ってて、みんながそれを眺めてるのが普通、っていうか。でも、DJは一回曲のプレイボタンを押したら、後の3分半ぐらいの間、何もすることがない。客は俺を眺めてる。俺は客を眺めてる。そんな変な距離感っていうか。まあ、それで、何かしなきゃいけないかな、って思って。いろいろ動いてればただぼんやり立ってるだけじゃなく、「あ、何かやってる」って思ってもらえそうっていうか(笑)。まあ実際、何かやってないわけじゃないけどね。今は友だちのアーサー・ベイカーに、イコライザーでいろんなおもしろいことをやるやり方を教えてもらったから、それでいろいろメスアップして楽しんでる。エフェクトで音にハイやローの波を作るっていうか。それでクラウドもその波に乗れるような。ちょっとしたトリックみたいなものだね。今まで、そういうDJしてるときの質問ってされたことがなかったから、おもしろいね。

はじめて見たとき、結構衝撃的だったんで(笑)。

P:まあ、今ではちょっとはDJの腕も上がったから、そんなに余計なパフォーマンスを入れなくてもすむようになったけど(笑)。

そろそろ時間のようですね。えっと...じゃあ、この質問を。ハシエンダは、常に音楽のジャンルの壁を崩そうとしていた、という言い方は正しいでしょうか?

P:ハシエンダをはじめた人たちっていうのはすごくオープンで、新しい考え方を熱く支持する人たちだった。そういう意味ではイエスとも言える。ブルーグラスジャズ・ナイトをやってみたいって話にもすぐに乗ったし、ハードハウスも、やってみたらいいって、すぐにチャンスを与えた。何がそこから起こるか、見てみたかったんだ。何に対しても、とにかくやってみた。でもそれは、意識して「ジャンルの壁を崩していこうぜ!」と思ってやったことじゃない。ただ、何でもやってみようぜ、って思ってただけ。人生もそういうものさ。何がいいかなんて、とにかくやってみなきゃわからない。そういう実験ができたことは、すごく楽しかったよ。

今のあなたのクラブ、ファクトリーではどんな音楽がかかってるんですか? 同じような試みって、やっています?

P:ノー。そういう意味では、全然実験的ではないね(笑)。俺がDJするときは、いつも昔のものを18から25ぐらいの若いやつらにかけるけど、やつらは全然そんなこと気にしない。ただ、いい音楽かどうかってことだけ。あそこにはフロアが3つあって、DJが気に入らなかったら、客はすっと違うフロアに消えていく。シビアなもんだよ(笑)。1曲間違った曲をかけただけで、それまでいっぱいだったフロアが空っぽになる。くそっ!って(笑)。でも、そんな風に3つのフロアを客が自由に一晩中行き来してるのは、すごくいいことだと思うね。最高だよ。ただ、ハシエンダみたいなクラブは、世界中どこを探したってありっこない。最高に成功したふたつのバンドが、あのクラブを経済的にずっと支え続けてたわけだから。そんなことができたクラブなんて、他にないよ。ジョイ・ディヴィジョンとニューオーダーは、16年間もあの街を楽しませ続けたんだ。

さて、最後になりますが、4月に、日本で大きなイヴェントがおこなわれるそうですね。あなた自身の口から、それについて教えていただけますか?

P:うん、君たちにぜひ絡んでもらいたいね。

本当に? 絡むことになってるんですか? 知りませんでした(笑)。

P:今はじめて言ってるんだよ(笑)。この本って、いつ発売?

2月ですね。

P:(4月の、大磯の)会場で(その本を持ってきた読者を集めての)サイン会とかできる?

ぜひやりたいですね!

P:2晩ともやれたら、ぜひやろうよ。それで本もたくさん売れる(笑)。もし予算があるなら、このプロモのためにだけ来日して、インタヴューなんかをやってもいいけど。取材でも何でも、やれることがあるなら、なんでも協力するよ。ここのウェブ(日本のハシエンダ)にリンクしてもらって。タカとも相談して、できることは何でもやっていこう。

いいですね! でも、そのイヴェントの内容も、少し教えておいてもらえますか?

P:マンチェスター・バンドがいくつかやってくるし、DJもマンチェスターから数人連れてくる。日本人のDJも何人か参加するだろうけど。素晴らしいロケーションだと思うし。すごくきれいなところだよね。まあ、写真で見ただけだけど。イビサみたいな雰囲気にできるんじゃないかなって思ってるんだ。そこで本のプロモもできたらいいね。サイン会でも何でも。1晩4000人の収容を期待してるから、かなり売れるんじゃないかな。細かな話は、原書出版社とかいろいろとおしてさ(笑)。

おお、なんというか、ちゃんと(かつてのハシエンダの顛末などをとおして)いろいろ学んだひとならではの発言のように聞こえます!

P:(笑)


2012年2月
質問作成、文/伊藤英嗣
取材、翻訳/中谷ななみ
取材/圓尾公佑


※大磯のイヴェント...THE HACIENDA OISO FESTIVALについては、こちらをご参照ください!


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ピーター・フック
『ハシエンダ〜マンチェスター・ムーヴメントの裏側』
書籍(East Press)

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