デデマウス

DE DE MOUSE 


ファンの人たちと一緒に歳をとって

いければな、みたいな


アンデルセンの作品に「絵のない絵本」というのがあるけれど、ヴィジュアルのないものが視覚イメージを呼び起こすとき、その風景というのは色彩のある夢のように鮮明であったりして、それが現実なのか非現実なのかわからないくらい具体性を帯びていたりする。


2012年にリリースされた『sky was dark』からおよそ1年半、今回は"DE DE MOUSE x2"というDE DE MOUSE + Drumrolls名義とソロ・セットのツーマン形式となるイベントにあわせて、ライヴやアルバムのことなどいろいろとお話を伺った。


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 まず『sky was dark』やこれまでの作品に見られるファンタジーという要素について、こんなふうに語ってくれた。


「実は根本的な部分は何も変わってなくて、テーマに着せてる洋服を変えてるだけなんですね。だから僕自身がたぶん中二病ってやつなんですよ。ファーストから実は僕のなかのテーマは一貫してそこにたどり着いてしまうっていうか、僕の妄想するものがたぶんそういうものでしかなくて、生と死なんですよ。結局死の世界に行って帰ってこれるかこれないかだけの話であって」


『sky was dark』にある多摩の風景というものが、彼自身の体験を膨らませた世界であることもまた、興味深かった。


「ほんとに多摩ニュータウンが好きだったからよく遊びに行ってたんですよ、20代前半くらいの頃から。すごく整然とされてて緑と街っていうものがすごく共存してる場所で美しいんだけど人気(ひとけ)がなくて、実際あそこって若者の過疎化がすごい進んでて年寄りばっかりだったりとかするんですよ。なんかもう、夜に歩くとすごく夢のなかを歩いてるような気がしたりとかして」


 そのとき連想させたのが「おしいれのぼうけん」という絵本に出てくる誰もいない首都高を走って街にたどり着くシーンだったという。


「小さいときからそのシーンを見てすごく行きたいなと思ってたんですよ。で、大人になってその妄想がいつの間にか、その街自体が誰もいない街で、こんなに整然としてマンションだったりとか人の住む場所があるのに人気を感じないってことは、ここはもしかしたら死後の世界なんじゃないかみたいな、生気を感じないというか、道行く人も顔がなんとなくぼやけてて見えないみたいな、その妄想をそのまんまひとつの形にしたのが『sky was dark』で、だからあれは僕にとって死後の世界に遊びに行ってた人間がほんとに帰れない世界にちょっと巻き込まれてしまうっていう」


 彼の言っていた子供に対しての「可能性と未知なるもの」或いは「未来」、そしてそこに住む少女という存在の不可侵性がよりいっそう儚くも幻想的に惹きつけているように感じる。


 必ずしもデデマウスというアーティストに影があるわけではないし、その音楽を聴くかぎりすごく煌びやかで美しく、むしろ明るくポップなサウンドであると思う。メロディーやコードがしっかりしていて、キャッチーなヴォイスと特にライヴで見せるアッパーな踊れる曲調のものは、とても楽しい気分にさせてくれるものも多い。


 だが過去を振り返るという行為はある者にとってはすごく後ろ向きなもので、直視しづらいネガティヴなものにもなり得ると思うけれども、もし彼にとってそれがポジティヴなものだとしたら、きっとその儚さとは裏腹にもっと強くて明るいものなのかもしれないと感じたりもする。


 今回インタヴューをして思ったことは、何らかの敵対心を持って困らせようとするかのように、おそらくただ言いたいことをひたすら言っていたのではなく、だけれどもそこに偽りはなくて、だから頭のいい人なんだろうなと思った反面取り込まれるようなもどかしさがないわけではなかった。それでも今彼が思っていることやそもそもの考え方においては、先日のライヴに関しての発言のなかでも垣間見ることができた。


「いい歳のとり方をして活動してきたなって気持ちがあって。活動していけばしていくほど当たり前のことだけど時間が経って自分もどんどん歳をとってくわけじゃないですか。歳をとるとどうしても価値観が変わってきたりとか共感できなくなるのは当たり前で、最初は自分が作った音楽と聴く人の歳がある程度近かったかもしれないけども、やっぱり若い子たちとの世代差は生まれてくるし、だからといって無理して若い子に合わせようとすると自分はそうやって無理して音楽を作れるかっていうと作れない、作らないほうを選んできてしまったから、そうなるとほんとにファンだった人たちと一緒に歳をとっていければなみたいな気持ちはすごくあって」


「一番有名な「baby's star jam」って曲やんなかったじゃないですか。あれはみんな求めてたはずなんですよ。エイベックスにいた時代はほんとにただ盛り上げて帰ってくっていうこともすごく多くて、でも実際その頃のライヴ映像見るとお客さん楽しそうにしてるんですよ。で、一時期それをやめて、ほんとに自分がやりたい音楽、自分のやりたいことだったり自分の特性とか適性とかってどんなものだろうって思ったら、そっちじゃないなっていうのが自分であって。だからそこから少しずつリスニング調のものだったりとか、そういうメロディアスなものを一切排除したライヴ形態だったりとか、そういうようなのをやりながら、とりあえず少しずつお客さんを、ファンを誘導してったというか。そっちだけじゃないんだよっていうふうな」


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photo by Yosuke Hayashi


 印象的だったもののひとつとして、ソロ・セットの映像で使われていたRave、Party、Acidといった文字やスマイルマーク、TB-303の機材の画像などが表すアシッドというものが、会場限定シングルに収録された「sky was dark (drumrolls acid mix)」という曲のなかでもアップデートされているように、それが全く古いもののように感じられなかったことも、テクノやハウスが変化した今の時代らしい在り方なのかもしれないという気がした。


「僕自身が昔から好きだったんですよ、そういうアシッド・ハウスとか。で、ちょうど多感な時期、思春期の頃が一番そういうレイヴだとかっていう言葉がお茶の間に広まり始めた時期で、やっぱりダンス・ミュージックって自分のなかで洗練された都会の音楽っていうのがすごくあって。僕自身が群馬の片田舎で育ってそういうバブリーなものへの憧れみたいなのがすごくあったから」


「例えばデデマウスで言うと映像は山口崇司君っていう映像作家の方がいて、彼の場合はパソコンのソフトのプログラムで映像を作っていくから、これまでにこの映像を揃えてって正直すごい難しいんですよ、1個のプログラムを作るのにかなり時間がかかるから。でもそれはそれで抽象的なものの良さがあって、抽象的なものだからこそライヴで見聞きして頭のなかで補正できる部分っていうのはあるとは思ってて。それとは別にrokapenis (VEJ) 君っていうVJの方は、どちらかっていうとVJあがりだったりするからサンプリングとかを主体としてやっていて、彼とやる場合はけっこう打ち合わせするんですよ。この曲だとこういうイメージだからこういうの揃えといてっていうふうに。だから彼とやるほうのが自分のアイデンティティーが反映されやすいというか」


 今回はDE DE MOUSE + Drumrollsの映像を山口氏、ソロ・セットの映像をrokapenis(VEJ)氏が担当。またCDで聴ける作品とライヴが大きく異なるのも特徴のひとつであり、編成はもちろん時間帯によっても変化させるなど様々な形態のライヴをおこなっている。


「ライヴ・スタイルもたくさんあるから、でもそれは表面で、もう少し下の方に核みたいなものがあって、そこがブレちゃったら終わりだなって僕のなかでは思ってて。その核っていうのがすごく説明しづらい抽象的な世界なんだけれども、僕はそこが一番重要だと思ってて、例えば今自分はこういうことやってるけどもう少しファンの層を広げたいからこういうことをしようって決めたときにその核となるものにヒビが入るかもしれなくて。それを壊す時も必ず来るしそれをしなきゃいけない時、それが来た時は必ずしなきゃいけないとは思うんだけれども」


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photo by Yosuke Hayashi


 また、デデマウスのルーツとなる部分において、かねてからイベントなどで使用していた自主レーベルの名称である<<not>>という否定の言葉に、他の何かではないもの、延いては無二の存在という意味があったのかもしれないとも思わされる。


「例えば自分が<<Warp>>系のアーティストが好きだったから、彼らみたいになりたいっていう気持ちがすごい強かった。でも彼らは彼らで自分のアイデンティティーをそのまんま形にしてたのを、僕がただ追っかけてたってそれになれるわけないなって、あんなに広い荒涼とした何にもない所、例えばエイフェックス・ツインだったら、たぶんちょっと行けば荒々しい海もあっただろうし、日本みたいに田んぼとか畑があってもそんなに荒涼としたずーっと続いてるものとかないじゃないですか。全部がこじんまりとした、箱庭的な、そういう景色を見て育ってきたから、そりゃあもう、どんだけ頑張って荒涼とした世界を出そうと思っても無理だなと思って」


 そう言いながら「だったらオリエンタルを逆手に取ればいい」と発想を転換させて生まれたのが民族系のサンプルを使用したヴォーカル・チョップというスタイルであり、或いはセカンド・アルバムに顕著である日本の原風景を模写したふうなサウンドを確立させたことも、こうした影響から来ているのだろうと見受けられる。


「だからある意味挫折から始まった。自分のなかで挫折だったから。エイフェックス・ツインになれるって思ってて、それがなれないっていうのを24、5くらいのときに感じて。結局エイフェックスっぽい音が作れてもそれを超える評価なんて得られないって思ったから、彼らと同じクオリティーのサウンドとかビートは作れるかもしれないけれども、それが評価されるものじゃないなって思って。やっぱり日本人には日本人にしか出さないものがあるから、向こう(海外)からしたらそれがゲテモノでしかないかもしれないけれども、僕にとってはなんとなくそのほうが自然に音楽が作れるようになったっていうのがあって」


 ある種のレベル・ミュージックであったデデマウスにとって、ひとつの転機となった『sky was dark』という作品は、特に独自性の強い作風だったと同時に、その世界観を投影させた映像作品を自身で手がけるなど音楽制作以外の表現もおこなっているが、ひとえに彼の口から語られるその姿勢に教わる部分が大きい。


「あんまり自分だけでやりすぎるのは良くないなって思ってたんだけれど。例えばファーストって誰でも出せるんですよ、ファーストってやっぱりマスターピースになるんですよ、だってそれまで持ってきたものが全部入ってるわけだから。それからどうしていくかってなると、そこから人間的成長だったりとか価値観だったりとか、変えてこうとするのってエネルギー持って変えようとしないと変えられないんですよ、人間って。歳とってくと更に経験だけでどんどんできてっちゃう。でもチャンスって間隔はあるけど必ず何回か来るはずなんですよね、ずっと活動を続けてれば必ずマスターピースみたくなるものは何枚か出てくると思ってて、そこに行くまでにどれだけ自分を変えようとしたかとか、どれだけ自分と周りとの繋がりでそれまでの自分になかったものを自分の形で出そうとしたかとかって僕はいろいろあると思ってて。自分のなかだけで自分が好きなものって変わらないんですよ」


「こないだの(ライヴの)MCでも冗談っぽく言ったけれども、やっぱりどんなことをしても、『こいつこれからいくかもしれない』っていう勢いを持ってるアーティストには敵わないんですよ、彼らは何をしても注目されるんです。自分はファーストのときにそういう扱いを受けたし、メジャー行くときもファンとかにすごい応援してもらって行ったけれども、すごく感じたのは自分はレベル・ミュージックのつもりでやってたのが、メジャーに行ってもまだそのつもりでやってたらみんなメイン・ストリームのアーティストとして見てて、ライヴをやるとそれまでだったらけっこう反抗的な感じでやってたのが『何あれ、あんなことやってて気分悪い』とかそういう意見をすごい聞くようになって、自分がカウンターされる立場に行ったってことにしばらく気づかなかったんですよね。それに気づいたときに自分の立ち位置を知ったし、自分にしかできないものっていうのを真摯に追いかけていくしかないんじゃないかって」


「僕は何かから反抗していたいだけ」そう語ってくれた彼は、7年前にデビューしてから現在35歳という年齢にあって「替えのきかない立ち位置」に来ていながらも、同時に童心を持ち続け懐かしい風景を描いたり子供向けの作品を作ったり、その興味の対象がずっと魅力的かつ刺激的であるかぎり私たちにとってこれからも物語の入り口となり得るだろう。



2014年4月

取材、質問作成、文/吉川裕里子

質問作成協力/松浦達



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デデマウス
『Sky Was Dark』
(Not)

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