I Had Too Much To Dream... No, To Sleep Last Night!

 公式発売日は明日ですが、早いところではもう今日あたりから、お店に並んでると思います。クッキーシーンが紙媒体として1年ぶりに復活した、このムックが。

 ただ、ぼくのなかでは正直言って「紙媒体」と「ウェブ媒体」どっちが上という気もまったくないというか、5月にウェブ「ヴァージョン4」を立ちあげたときが「復活」気分のピークだったんですけどね...。

 でも「紙媒体」の場合、それがそのまま「商品」...(ひとによってはなけなしの)お金(実際、税込1500円は大金だと今のぼくは思う...)を払って買ってくださる方がいなければ成りたたないわけで、より緊張感が漂うというか...(クッキーシーンの場合、それが比較的少ないように見えるかもしれないけど、ぼくはぼくなりにかなり緊張してるわけで...)。

 ぼく自身も昨日初めて「本」になったものを見て、いろいろ思うところがふくらみ眠れなくなってしまった。

 >>>>>>>>>>

 いい意味でも悪い意味でも、すごく「クッキーシーン」っぽいというか。

 >>>>>>>>>>

 ぼくの場合「デビューしたころに戻った...原点回帰したように見えて、実はそうじゃない。長年の経験がいい意味で反映されている。新しい段階に達したような、ぐるっとまわってもとにもどった...メビウスの環のような」アルバムがけっこう好きだったりする。自分の(編集長としての)作品であるので客観的には見られないと断っておきつつ、ぼく自身にとってはそんな本になった。

 初期クッキーシーンのようでもあるし、それを自費出版で創刊した翌年に(「ソロ活動」として)作った『ネクスト・ジェネレーション』っぽいところもあるし、当時の編集者である畠山実くんやスペシャル・ゲストの岡村詩野さんらと作った『USインディー・ポップ・マップ』っぽいところも、そのあと(やはり当時の編集者だった)和田晃太郞くんと作った『アワー・チョイス』的なノリもある。

 新しい読者の方からすれば、また違うふうに見えるところもあるだろうし、いろんな方の感想/解釈を知りたいけれど、(あたかもミュージシャンがインタヴューに応えるように:笑)自分で勝手にしゃべれば、50号台なかばくらい以降の「雑誌」版クッキーシーンを作っているときよりも、その前のほうが、より楽しかったという感覚がある。

 ぼくとしては、なんとなくそのころ(50号台なかば以前)に近いノリで作れたような気がするんですよね...。

 >>>>>>>>>>

 たとえば、↑この「区切り記号」。

 つい先日から変えました。これまで、PCのブラウザ(少なくともFIrefox)で見たときに、いちばんきれいに見える形にしてたんですが(あ、でも、たとえばウィンドウズで別のブラウザで見たとき、きれいに見えていたかは、はっきり確認してなかった。すみません...というか、このあたりも「紙媒体」との違いですね!)、最近ぼくもようやくiPhoneに変えて、そのときに激しく奇妙に見えていたことに気づき、早速なおしてみたわけです。

 PCのブラウザで見ると、妙に未来的(笑)な感じがして、これまたいいじゃん! みたいな(笑)。

 こういう、妙なこだわりを発揮していくことが、たぶんぼくは好きなんでしょうね。それも、かなり「わけのわからない」レベルで。

 クッキーシーンも50号台なかばすぎると、なんか「媒体のイメージ」みたいなものが固定されてきて、編集スタッフがそれを妙に気にするようになったりして(実際50号もつづいている雑誌のスタッフになるのと、海のものとも山のものとも知れない段階でそうなるのとでは、まあ自ずから「別もの」っぽくなっちゃうよな...)。

 正直、それが息苦しかった、というのもあるかもしれませんね。

 >>>>>>>>>>

 そんなこんなで、決して「クッキーシーンの愛読者と言えるような存在ではなかった」と(少なくとも、ぼくには)公言している小熊くんと、さらには今まで「発行元」のひとには編集に一切タッチどころか口出しもさせなかった(61号から「CDをはずして月刊にする」という形式に関しては逆に版元の要請を100%のんでみた。当時すでに社長を退いていた日暮さんに「気でも違ったの? 大丈夫?」と真顔で言われたときには「いやー」とヤケクソ的に応えるしかなかった:笑)けれど、今度は(株)音楽出版社でCDジャーナル誌の編集をばりばりにやっている徳武さんにも深くからんでもらった。

 「紙媒体」としてのクッキーシーンがつづいていくことに関して、それはすごく大きな力になったとマジで思う。

 >>>>>>>>>>

 さて、本当はこのあたりでそろろしめくくりたいところだけど、実は今まで眠れなかった理由が、もうひとつある。

 >>>>>>>>>>

 90年代にデビューした、パラダイス・ガラージという日本のアーティストによる、唯一のメジャー・ディストリビューション・アルバム『実験の夜、発見の朝』(1998年)が、DIWレーベルから再発された。それも、おそろしいことに、ボーナスDVDつきのデラックス・エディションとして。

 信じられない。

 >>>>>>>>>>

 ぼくは90年代、フリーランスのA&Rでもあった。そんななか、最後に手がけたのがパラダイス・ガラージこと豊田道倫のマネジメントだった。客観的な事象に関しては、岡村詩野さんによるぼくのインタヴュー(笑)がブックレットに載っているので、そこにくわしく書いてある。

 かいつまんでいえば、それまで東芝EMI(当時)でやっていたレーベルが、あくまで会社の事情によりつぶされてしまった。そうなる寸前、彼らは「パラダイス・ガラージとメジャー契約しよう」と口約束してくれていた。彼らが「マネジメント・オフィスとして契約するつもりなら法人にしなければいけない」と言ったので、仕方なく有限会社を作り、豊田くんにも給料(当時の大学卒業生の初任給よりちょい少ないくらい)を払い始めて準備を始めていた。しかし、まさにその瞬間に、東芝EMIの社長が変わり、口約束をしてくれたひとが現場のヘッドとなっていたセクション自体が消えてしまった...。

 ぼくは豊田くんの音楽が大好きだったし、大きな可能性も感じていた。ええい、乗りかかった船だ! とばかり、収入はぼくのライターとしての原稿料だけという状態で(ちなみに当時すでにクッキーシーンは始めていたけれど、これは趣味みたいなものというか、完全に採算度外視。実際最初の2、3号は完全に赤字だった)、がんばることにしたわけだ。

 それから1年と数ヶ月後に『実験の夜、発見の朝』が、ようやくリリースされた。

 その段階で、ぼくはすでに1千万近い赤字を出していた。当然ながら貯金はすべて食いつぶし、数百万円の借金もできてしまった。もうこれ以上は無理だろう...と思い、豊田くんのマネジメントを知り合い(当時、インディー時代の黒夢の原盤を持っていたひと。なんか、フェラーリとかに乗ってた:笑)に委託し、A&R活動からはすっぱり足を洗うことにした。

 それで『ネクスト・ジェネレーション』を出した。それはもともと大栄出版という出版社にいた編集者のひとがブルース・インターアクションズに移ったから、自然とブルースが版元になった。そこで社長(当時)の日暮さんと知り合い、意気投合して1999年からクッキーシーンの版元になってもらうことになったわけだ(ちなみに、ぼくのなかではそのときもうひとつ、京都にあった某出版社も候補になっていたのだが、そこは数年後に倒産した...。一方、日暮さんとしては、ぼくにA&R的なことをやってほしかったという気持ちもあったようだ。実際90年代になかよくしていたドミノと契約しないか? という話を持ちかけたのだが「収益が見こめない」ということで「現場」にあっさり却下された。あそこで契約してれば、今ごろフランツやアークティックも? まあ歴史にもしもは禁物だけど:笑)。

 話がずれた。とにかく、あのアルバムはぼくにとって、トラウマ以外の何者でもなかった。それゆえ、聴きかえすこともないどころかアートワークを見るのさえつらい...という感じで封印していた。

 「客観的判断ができない」という意味では、クッキーシーンの比じゃない(笑)。

 >>>>>>>>>>

 本当はこのまま死ぬまでふれずにいたかったんだけど、岡村さんが自分のインタヴューをどうまとめているか気になったし(される側の気持ちがよくわかる...。結果、素晴らしいものでしたー!)、この機会に聴いてみるか...と思い実際そうしてみると、あのアルバムが「トラウマ」になってしまったことの、もうひとつの理由がよくわかった。

 12年ぶりに聴いても、本当に細かい部分まで「ああ、あのときはこういうことで、こういう音になったんだよな」「このアレンジになった『意味』は、あれだった!」みたいなことが鮮やかに思いだされる。

 あそこで最も重要な自分の仕事は「場所をつくる」ことだと思っていた。それゆえ、「自分の意見を絶対にとおす」とかじゃなかったにしても、すべてに関して納得しないと気がすまなかった。だってさ、卑近な話だけど、個人で1千万近い金額をつぎこんでたら、そんな気分にもなるよね(ちなみに、結局のところインディーがインディーたりえるのも、そういう理由なんだろうな...と旧友瀧見などを見て当時から思っていた:笑)。

 豊田くんも、ああ見えて実は優しいところがあるので(というか、人間的に「まとも」なので)、無意識のうちに歌詞から曲調から(それ以前の、趣味的レベルをこえて)「伊藤寄り」になっていたような気がする(伊藤に対する無意識の? 揶揄も含み。そういうの、ぼく大好きだし!)。少なくとも、ぼくからすると、「共感できる」などといったレベルを、はるかに超えて、当時の自分の「理想の音楽」そのものになってしまっている...。

 そういった意味で、この先、これ以上のものが出てくることは(理論的に言って)絶対にありえないだろう。これって「評論家」としては致命傷じゃね(笑)?

 >>>>>>>>>>

 でもいいんだ。あれをとおして、ぼくはポップ・ミュージックに関しては「(主役の)ミュージシャン(と、ほかのミュージシャン)」と有象無象のスタッフ、どちらが「上」ということはない、という事実がはっきりとわかった。

 もちろん、そういった「制作」サイドと「評論家」、どちらが上ということもない。ただし、それは「ミュージシャン」と「リスナー」のどちらが「上」でもない、というのと同じ意味だ。「リスナー」と「評論家」は、まったく等しい存在にすぎない、とぼくは昔も今も強く思っている。

 このあたり、勘違いしてる「評論家」も「リスナー」も、まだまだ多い気がする。というか、このインターネット時代(笑)に、それは絶対ふさわしくないでしょでしょ?

 >>>>>>>>>>

 当時からAV監督として我々(豊田くんと伊藤、そして多くの人々)から尊敬されていたカンパニー松尾さんは、ぼくと同じくパラダイス・ガラージの大ファンだった。ライヴのたびに「どーもー!」と現れてヴィデオを撮影していた。本当であれば、それに対してなにかお返しをしなければ...と思っていたのだが、できずにいた。大阪にまで自費で来てくださっていたのには(マネジメント・オフィスにお金がなかったので、交通費さえお出しできなかったのが)本当に心苦しかった。

 今回の付録DVDは、そのカンパニーさんが当時の映像を(だいたいLPくらいの長さに。このあたり、彼もポップ・ミュージック/ロックが身体にしみついたひとなんだろうな...と思う)まとめたもの。

 1曲目からして、ぼくがパラダイス・ガラージに対して当時感じていた魅力を集約した映像となっており、目が離せない(早送りしようとしてもなかなかできないのは「効率を追求しているわけではない...つまり比較的特殊と言われる感じの」AV監督として培ったワザのたまものだろう)。

 2曲目(当時の新宿ロフトの楽屋の模様)から、タバコを吸いまくるぼくの手だけが出てきて「ああ、当時からぼくはヘヴィー・スモーカーだったんだな...」とか苦笑しつつ、これ以上は出てきてほしくない(だって裏方だし...)と思ってた。そのあと、ワーナー・スタジオでのレコーディングの模様のとき、カメラの脇を通って外に出る自分ががーんと写ってた(汗)。「裏方だから、あまりヴィデオには映りたくない」とか思って出ていったんだよな...とか記憶が蘇りつつ、当時の自分の(80年代前半のマイケル・スタイプを意識していた...というより、単に散髪に行く時間がなかったゆえ、70年代のジミー・ペイジが浮浪者化したような髪型を含む)気持ち悪さに唖然...。キチガイそのもの...。そのあとまた戻ってきてしまった自分の姿は、たしかにあのアルバムの制作に関して自分が果たした(と、ぼくは思っている)役割を適確にとらえているような気がする(このあたり、松尾さんの「ドキュメンタリー作家」としての才能、かもですね)。

 そしてあのスタジオの階上にあるロビーで、事務所に残してきた畠山くんと携帯で連絡とりつつ(当時は携帯の普及率も今ほどじゃなかった。まだぎりぎりでポケベルの時代? でも、ぼくわりと「新しいテクノロジー」が好き)クッキーシーン4号の「レヴューの場所決め」を、いっしょうけんめいやっていたことも、まるで昨日のことのように思いだした。

 そんなこんなで、ムックの校了以来1週間ぶりに、また徹夜してしまいましたー(汗&笑)。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: I Had Too Much To Dream... No, To Sleep Last Night!

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.cookiescene.jp/mt/mt-tb.cgi/2496

コメントする

メニュー

2011年7月

          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31