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 ロンドンの中心街から地下鉄で20分ほど北東へ向かった「Old Street」駅より徒歩10分くらいのところに、今回の会場「Hoxton Square Bar & Kitchen」はある。いわゆるイヴェント・スペースで、カフェ&レストラン、ギャラリー、小さめのライヴハウスなどが一緒になった、日本で言えば「渋谷アップリンク」のような場所だ。今夜はここで、モグワイのライヴが行なわれる。言うまでもなくモグワイはUKを代表するインストゥルメンタル・ロック・バンドであり、日本でも「恵比寿Liquid Room」や「新木場Studio Coast」を満員にしてしまうほどの人気と実力を誇っている。そんな彼らが、200人も入ればギチギチになってしまうようなハコに出演するのだ。

 実はこれ、2月中旬からベルファストの「Mandela Hall」を皮切りにスタートする彼らのUKツアーに先駆けた、言わば「リハーサル・ギグ」のようなもの。All Tomorrow's Partiesの粋なはからいによって実現したこの滅多にないチャンスにロンドンでは壮絶なチケット争奪戦が巻き起こり、あっという間に完売となったようだ(そりゃそうだろう)。地元に住む友人たちにも羨ましがられたこの一夜限りのショウを、幸運にも筆者は観戦することが出来た。

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ミューフレーミング・リップスヨンシーアジアン・カンフー・ジェネレーションアートスクールのライヴ・レポートをアップしました(上の「LIVE REPORTS」ボタンから入っていただければ、もしくはここから飛んでいただければ、全部つづけて読めます)!

原稿はずいぶん前に入稿されていたのですが、なかなかアップすることができませんでした。申し訳ありません。

このコーナーの記事は、これまで基本的に(事情によりライヴ写真が入手できないもの以外は)写真入りで掲載してきました。

しかしながら、ライヴ写真を入手したり掲載許可を得たり...という作業をしている時間が、現状なかなかとれないというのっぴきならない事情がございます。場合によっては比較的簡単に入手できるもののありつつ、「簡単に入手できたものは写真を掲載、そうでないものは写真なし」というのは、どうも心苦しい(紙媒体であれば、そうであっても大丈夫なレイアウトをおこなうことが比較的容易にしても...)。

というわけで、今後このコーナー、申し訳ありませんが、基本的に今後は「文字のみ」で進もうと思っております。

なお、これまでも図らずも結果的にそうなっていたのですが、ここであらためてお伝えしておきますと、ここに載る記事は(編集部からの「発注」でなく)コントリビューター諸氏の自発的ご提案によるものとなっております。

では、どうかお楽しみください!

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「artワンマンはパンクバンドばりに曲数が多い」。開演前にギターの戸高はTwitterにて、こうツイートしていた。確かに、そうだ。ART-SCHOOLのワンマンでは、20曲を超えることはほとんどで、時には30曲以上演奏することすらある。しかも、この時は10周年記念ライヴのセミ・ファイナルであり、フロントマンの木下のホームタウンでもある大阪公演だ。下記にセットリストを掲載したが、結果的には新旧織り交ぜた27曲がプレイされる長丁場となった。しかし、最終曲「ロリータキルズミー」まで確かな熱量を伴ったライヴだった。

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 新年1週目の週末の外気はとても寒い。梅田シャングリラ前の歩道を、何人ものファンがART-SCHOOLの一つの節目となるであろうツアーのファイナル・イヴを見届けようと長い列を形作っていた。

 開演時間の19時ちょうどくらいに、客席が暗転し、彼らのお決まりのSEが流れ出す。エイフェックス・ツイン「Girl/Boy Song」だ。メンバー4人がステージに現れると歓声があがる。が、いつもは曲の中程で止まるSEがほぼ全て流される。少し遅れて演奏された幕開けを飾る曲は、意外にも、新譜『Anesthesia』のタイトルトラックだ。鈴木の淡々した機械的なドラムから始まり、サビで一気に加速する。オープニング早々、戸高の鋭利なギターが心地良いが、本人は至って自然体でプレイしているようだ。MCを挟まずに「水の中のナイフ」「アイリス」と第1期の曲が続き、新譜からの「Siva」がプレイされる。しかし、どうやら、この時点では木下のボーカルがどこか不安定だ。この曲が終わった後に、MCからその真相が明かされる。「レッドブルを飲み過ぎて正直、気持ち悪いんですよ」と戸高が言うと、「俺さっき3杯飲んじゃったからね...」と木下。レッドブルの効用が仇に出たのか、少しスロースターター気味になってしまっていたようだ。

「久し振りに演る曲です」との戸高の言葉と共にプレイされたのは、「ガラスの墓標」。続けて「Diva」「サッドマシーン」がプレイされると、木下の声も温まり出し、どんどん勢いを増す。それに呼応するように、「Black Sunshine」「Outsider」などでは、前列のオーディエンスたちも腕を振り上げる。
 木下が「新年早々、こんな暗いバンド観に来ちゃっていいんですか...本当、暗い新年になっちゃいますよ...」と皮肉交じりのMCを炸裂すると会場も和やかに。相変わらず、10周年でもこういうところは変わらないバンドである。また、「ここ大阪は、あんまりイメージ無いと思うけど俺の地元で、住んでいた高校生の時までは一刻も早く抜け出したかった。鬱屈した生活を送っていて、東京に出て来れてせいせいしたけど、最近は丸くなってきて...。悪いところばっかでもないかなって...」とホームタウン公演特有の心境が吐露される。個人的な話で恐縮だが、僕も木下氏と同じく、大阪生まれの人間で、大阪や生まれ育った京都が苦手で、出て行きたい節が常にあったので、特に共感してしまった。「そんな過去の自分を想いつつ、ここからは憂鬱な曲が4曲続きますが...楽しんでください...」という言葉の後に演奏されたのは「僕が君だったら」「Lost Again」「into the void」「Loved」。特に「Loved」は、その静端な曲調が相まって、この日の陰のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

 陰鬱メドレーの後に「爆笑MC何かしてよ」とふられても、リアクションに困る宇野を横目に「めっちゃおもんないやん!このシューゲイザー野郎!」と、宇野の着ている(シューゲイザーの文字と靴がプリントされた)オフィシャル・グッズをネタにしながら、地元だけあって関西弁を披露する場面も。本編クライマックスでは「ecole」でディアーハンター譲りといったようなニューゲイザー勢を彷彿させる甘美な轟音に酔ったと思いきや、「スカーレット」での鋭利なギターに切り裂かれ、「Under My Skin」の衝動が襲った。特に「あと10秒で」は、ラスト定番の曲ではあるが、今まで以上に確かな熱量に覆われており、この日の陽のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

「Fade To Black」を終え、ステージを去ったメンバーをアンコールの拍手が追う。数分おいて、再び現れたメンバーは、戸高がビーズの物まねをしたり、それに対抗した木下が、適当にフジファブリック「バームクーヘン」を歌ったりと本編では出さなかった茶目っ気を披露したかと思うと、木下が忽然に「この会場で今、睡眠薬を持っている人はいないかな」とオーディエンスに問いかけ、所持しているファンを挙手させる。「眠れなくて...こういった部分も今年は全面に押し出そうと思ってて。。医者に予約した時が一番心が休まるんですよね...」と赤裸裸に吐露し、戸高も「『錠剤をくれよ』って歌詞あるもんね」と間の手を入れる。僕もマイスリーという入眠剤などを携帯していたが、ハルシオン(ディアーハンターの新譜、『ハルシオン・ダイジェスト』をもちろん想起するだろう)などを所持するファンに焦点が向いた。一連のMCの後にプレイされたのは、第1期からの選曲では珍しい「I hate myself」。かの流れの後だけあって、なんて皮肉なんだろう。「車輪の下」でメンバーがステージを後にしても、まだアンコールを求める声は止まない。

 ダブルアンコールにして最後の1曲として演奏されたのは、「ロリータキルズミー」。たどたどしいイントロで始まりはしたものの、この日一番の喚起と熱をもって演奏された。

 10周年を迎えたART-SCHOOL。彼らは自他ともに認めるライヴ・バンドであるが、この熱の収まるところはまだ訪れはしないだろう。


セットリスト

1. Anesthesia
2. 水の中のナイフ
3. アイリス
4. Siva
5. ガラスの墓標
6. Diva
7. サッドマシーン
8. Black Sunshine
9. Outsider
10. ウィノナライダーアンドロイド
11. イディオット
12. 欲望の翼
13. 羽根
14. Butterfly Kiss
15. 僕が君だったら
16. Lost Again
17. into the void
18. Loved
19. ecole
20. スカーレット
21. あと10秒で
22. Under My Skin
23. Fade To Black

Encore.1
1. I hate myself
2. Boy Meets Girl
3. 車輪の下

Encore.2
1. ロリータキルズミー

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《悲しみよ、此処に集まれ
/君だけに罪はないみたい
/踊るしかないや、夜明けまで》

(「ラストダンスは悲しみを乗せて」より)

 10年代に入ってからの彼らは「地上」と「地下」、「電子上」と「現実」を行き来するオルタナティヴな実験と大胆な提案を同時に進めた。先ずは、メジャー・レーベルに属している関係上、制約もされるだろう中でのボーカルとギター担当の後藤氏の積極的なツイッターの利用。それによって、すぐに神話的な要素を孕んでしまうアーティストという偶像性から「個」へ降りてゆき、内面や日々の他愛ない感情を吐露する所作は例えば、長尺の自らの来し方を話すインタビューなどで解析される自意識の尖りの先に別に音楽がそのままで設定されている訳ではない、という一部の潮流に対して明確なカウンターを示した。また、USTREAMを使ってツアーの一公演をリアルタイムで提供するという試みも有機的に働いたのも記憶に新しいところだろう。

 思えば、今年の新作『マジックディスク』というアルバムは、これまでのパワーポップを主体に置いた形式から、多様性に富んだ内容になっていた。独特のラップ的なラインが印象的な「新世紀のラブソング」、ホーンを入れたユーフォリックな高揚感がある「迷子犬と雨のビート」、ポスト・パンク的な意匠を持ったダンス・チューン「ラストダンスは悲しみを乗せて」、独白的な歌詞の意味が深く刺さる「さよならロストジェネレイション」など新機軸に軽快に歩みを進めた要素が増え、新しいアジアン・カンフー・ジェネレーション像の輻射を企図した。そこにはこれまでの作品群に必然的に孕んだ「みんなのため」に「絶望的な何か」を見つめる姿勢や「悲しみを背負う」というスタンスよりは、「自分はこう思っているけど、みんなはどう?」という投げ掛けのスタイルへの変化があったように思えた。集合的無意識が彼らを定義した窓枠から外れて、主客転倒を試みるように、逆説的にアーティスト側がファンやオーディエンスの個の一人ひとりに向き合ったと言えるのかもしれない。だから、それぞれのマジックディスクを募集したり、と、兎に角、「個」が持つ感情や想いのフックアップにも意識的であった。

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 彼らはメジャー・バンドとして大きいフェスを主催してしまうレベルでもあり、ホール・サイズでもフルハウスにしてしまうファンの信望も厚いバンドだが、今年は、敢えて意図的に「帝国概念の解剖」を試みようとしていたのはでないか、と個人的に思ってしまう。「帝国」を、恒常システムのパターンに含めて再定義し、分析概念として脱イデオロギー化を図ろうとする所作と換言できるだろうか。また、「例外としての帝国」から「常態としての帝国」へのパラダイム・シフトの背後にあるのは、世界の脱相対主義化である。相対主義は、他者への干渉を抑制する自己懐疑の規範であるが、「自由」などの価値の普遍性が疑われ得ない世界では、その機能は低下してしまうことになる。そこで、「帝国」の必然性が浮上する。だがしかし、その帝国について考えるための概念の嶮しさは必然ではない。では、アメリカ同時多発テロの際、当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュが「新しい戦争」と言ったようなコンテクストで、非対称的な戦時下で音楽は何に向き合うべきなのか、を考えなければならないとしたならば、今、ライヴで繰り返し演奏される「新世紀のラブソング」はもはやポスト・セカイ、帝国概念の解剖の射程を睨んでいるとも言える部分はある。

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 今回のTour 2010-2011「VIBRATION OF THE MUSIC」の中でも小さいサイズに入るのだろうか、キャパ400人規模の酒蔵を改造した京都の老舗のライヴハウス磔磔(たくたく)で、彼らはまだ出たてのインディーバンドのような瑞瑞しさで愉しそうに演奏していた。実際、後藤氏(ライヴ後、"磔磔、最高だな。"とツイートしていた。)含め他のメンバーも楽しそうな表情が現場で見て取れた。フジファブリックの金澤氏もサポート・キーボードとして入っての5人体制でのライヴだったが、音響のバランスも良い訳ではない分、それが音自体のロウ(生)でラフな質感をダイレクトに示していて、曲の骨組みだけが鮮明に見える中で、既存の曲でも新発見があるものも少なくなかった。『マジックディスク』からの曲を主にしながらも、「Re:Re:」から「リライト」へ繋ぎ、「君という花」のイントロに雪崩れる磐石な後半パートもあり、終始、高い熱量が保持されていた。要所に挟まれたMCでもフレンドリーに皆に話しかけるように、自分のサラリーマン時代を振り返り、バンドと平行してやっていた時期に、直行でスタジオ練習しに行っていたこと、京都の三十三間堂には驚いたこと、仏像や土偶の話など、徒然に喋っていて、ここ(ステージ)とそこ(フロアー)の差もないかのような穏やかな空気があってまた良かった。

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 ライヴという場所は「生モノ」として部分もあるが、グレン・グールド独自の用語に「ノン・テイク・ツーネス(Non-Take-Twoness)」というものがあり、それを援用することもできる。「ノン・テイク・ツーネス」とはその字面通り、コンサートという場では演奏を「やり直す」こと、即ちテイク2を行うことができないことを表す言葉で、コンサートにおける演奏の一回性とほぼ同義であると考えてもいいかもしれない。しかし、この用語には一回性という用語よりも、「より否定的な意味合い」が込められている。より良い演奏を目指すためには幾つものテイクを重ねるということが不可欠であると考えていたグールドは、「テイク・ツーネス」をステージでも求めようとしていた。ライヴでふと表出する「通常の解釈」や「レコード録音されたもの」からは大きく外れているようなアレンジや一聴では間違いかも、と取られ易いインプロヴィゼーション。ここでの「誤解」を巡っての細かい機微はグールドとジョン・マックルーアとの対話『コンサート・ドロップアウト』に見ることができる。

 彼らの場合はロック・バンドだからという矜持もあるのだろう、「一回性」の音楽として「ノン・テイク・ツーネス」を恐れない。だから、ステージ上で臨機応変にアレンジを加え、自由に曲を繋ぐようにその瞬間の熱を大事にするという様は非常に刺激的だった。その様をアドルノがシェーンベルグに寄せた言葉を嚥下した上で定義してみるならば、同時進行の多重性に対する最も鋭い注意、次に何が来るかいつも既に分かっている聴き方という凡庸な補助物の断念、一回的な、特殊なものを捉える張り詰めた知覚、そして時折、ごく僅かの間に入れ替わる様々な「性格」と二度と繰り返されないそれらの「歴史」を正確に掴む能力などを、それ(ステージ)は要求していた、と言えた箇所があったのは紛うことない。

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 今回、まだ僕自身が彼らに根深く持っていた「断層」が少し埋まったように思うことができた一夜になった。その「断層」とは説明するに、ニーチェのルサンチマンという概念の「周縁」を廻っていたものだった。社会的弱者が抱く恨みや劣等感のような屈折した感情が社会への攻撃に向かうときに、運動や宗教という形ではなく、「人生に意味はない」というニヒリズムに行き着きがちな瀬に彼らの「弱者たちのための歌」の数々が僕にはどうにも面映かったのだ。しかし、《何もないです、それならそうで、拗ねていないで、この檻を出よう》(「さよならロストジェネレイション」)と歌う彼らはやはり、生真面目過ぎるロック・バンドであり、それ以上でも以下でもなかった。それが何故か個人的に、嬉しく思えた。

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 とにかく圧巻だった。まず驚いたのがメンバーの衣装。シガー・ロスでは見られない派手な格好は非常に目を惹き、スクリーンの映像にない赤を基調とした民族衣装に近いものをまとい、それをヨンシー以外にもパートナーのアレックスを含む全員が着ているという大変おしゃれなステージ。そして何よりもドラム。アルバム内の「ゴー・ドー」のドラムよりもっと激しいドラミングが終始観客をとらえ、ライヴならではの魅力を大いにみせてくれた。ステージでヨンシーとアレックスが絡むことはなく、ヨンシーはとにかくヴォーカリストに徹し、他のメンバーは全員がジョニー・グリーンウッドかのようにたくさんの機材を操り、特にドラマーが弓で木琴を弾くところは印象的。次にこのアーティストの最大の魅力、それがスクリーンによる演出。衣装と相反するダーク・トーンを基調とし、花や生物などを多く取り入れた夢のような世界を、最初から最後まで多く長くみせてくれたのだ。彼らの衣装もいっそう映えつつ、どちらも消さず強調される美しさ。そこに彼らの骨頂を感じる。ヨンシーはソロ・プロジェクトにおいて"アーティスト"であることを前面に出したかったのではないだろうか。シガー・ロスにおいてヨンシーはギター&ヴォーカルのフロントマンだけであって、彼個人のアーティスト性が見えるわけではない。楽曲、演出、背景、衣装、そのパフォーマンス全てにおいて完璧にアーティストである彼個人を、見せたかったのではないだろうか。そんな気がした至福の時間だった。

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 日本にハロウィンがやってきた。オレンジ色に染められたフレーミング・リップスのステージは、なんとスクリーンの女性器から出てくるという変態なパフォーマンスを見せ、更に彼ら特有の大量の紙吹雪と巨大バルーンの数々で、最初から最後まで大いに盛り上げてくれた。ステージにはメンバー4人のほか黒子ならず全身オレンジ子のスタッフが通り、一般から選ばれた全身オレンジ色のコスチュームを着たフレーミング・リップス・ダンサーズ(筆者含む...)が踊り、時にVo. のウェイン・コリンはメガフォンを使い、シンバルを叩き、ドラを鳴らし、飛び跳ねていた。G. のスティーヴン・ドローズも可愛い日本語でオーディエンスを沸かせた。

 前半の曲は日によって変わり、「ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ」や「イェー・イェー・イェー・ソング」などを披露。終盤ではライヴのハイライトとなる「レース・フォー・ザ・プライズ」をプレイ。「ヨシミ...」同様、ウェインがマイクをオフにして歌ったことによるオーディエンスの合唱が印象的だった。そして最後には「ドゥ・ユー・リアライズ?」。こちらも英語圏でないにも関わらずオーディエンスに歌わせたウェイン。実力派の彼らの大成功のライヴだったと言えよう。

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 この3日間のショウはフレーミング・リップスとのカップリング・ツアーで、前座のような形での出演となった。その為か、最終日はアンコールなしでの「コンフォーティング・サウンズ」での締めといういつもと少し違った演出ぶり。大阪では4thアルバムの曲を本編に持って来ずアンコールに2曲「スペシャル」~「ズーキーパーズ・ボーイ」と続けて披露したが、ベスト盤を意識してか若干バランスが良くなかったように思え、物足りなさを感じざるを得ない。東京では初日、いつものファンの為に過去一度もなかった「コンフォーティング・サウンズ」も「ルイーズ・ルイーザ」もやらないというイレギュラーなパフォーマンスで大いにオーディエンスを沸かせた。最終日にはお決まりのスタイルで、東京両日ともにプレイした4thアルバムからの曲を本編に持ってきて、エンディング曲を定番にすることで初めてのオーディエンスにも満足できる内容に仕上げていた。一番良かったのは個人的に17日。最終日に新曲を最後の曲の直前に持ってきたのに対し、自然に馴染むよう初めのほうに持ってきたことで全体の雰囲気やテンションも上がって途絶えることなく全編を披露してくれたことが嬉しい。ただ欲を言えばもう少し映像があっても良かったのではないか、前回より映像を減らしすぎたのではないかという点ぐらいだろうか。だが2月のツアーとは違いフレーミング・リップスを観に来たオーディエンスが多かった中、ミューという存在をきっちりと見せてくれていたと思う。

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Sviib_1.jpg
photo by Takanori Kuroda

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photo by Mitch Ikeda

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 秋が終わり、既にそれなりの冷え込みをみせてきている12月のシアトルで、ヴェニューこそ違ったがマッドハニーとパフューム・ジーニアス(Perfume Genius)という2組のローカル・アーティストを同じ夜に観ることができた。グランジ世代の最大の生き残りバンドの一つと、今年の夏に突然現れた、そんなグランジの残り香をかき消すような素朴なアンビエントを同時に味わうことで、ここシアトルの街の今昔を生々しく感じることができた。そんな一夜をレポートしたい。
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