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Tlaotlon「Ektomists」.jpg

 エイフェックス・ツインの変態性とアクトレスの急進的な実験精神が混在した音楽ないかなあと妄想していたら、本当にあった・・・なんてことを言いたくなる面白さが、「Ektomists」にはある。


 本作を作り上げたのは、オーストラリアはメルボルン出身のジェレミー・クブラフなる男。もともとマリンヴィルというインディー・ロック・バンドでキーボードを担当していたりと、いわゆるテクノ/ハウス畑の出身ではない。だが昨今は、そうした出自を持つ者がテクノ/ハウスを更新することも珍しくない。それこそ、ポカホーンテッドというノイズ・バンドをやっていたアマンダ・ブラウン、さらにはブラック・アイズというハードコア・パンク・バンドに在籍していたアイタルなど、いわゆる《100%Silk》周辺にはそのような者が多くいる。


 そういった意味でジェレミーは、《100%Silk》が中心となったテン年代インディー・ダンスの潮流を受け継いだアーティストだと言える。つまり、ハウス・ミュージックの要素を打ち出しながらも、ダンスフロアとライヴハウスを跨げる高い順応性があるのだ。本作は、体を揺らし心を躍らせるダンス・ミュージックとしても機能するし、ひとりベッドルームで寝転びながら聴き浸るチル・アウト・ミュージックとしても機能する。言ってしまえば、リスナーの数だけ側面が存在する作品なのだ。


 しかし、DJにとっては取り扱いに困る代物でもある。確かに、かろうじて維持された4/4キックの反復による中毒性は、本作のダンス・ミュージック的側面を象徴している。ところが、そのキックに交わる音は一定のフレーズを捨て去り、さながら飛び道具のように現れては瞬く間に消えてしまう。その現れるタイミングもひたすら聴き手の予想を裏切るもので、人によっては不快感を抱くのでは? といらぬ心配をしてしまうほど安定感に欠ける。本作は終始、音と音の間に生じたズレが合うことなく進んでいくのだ。この不思議なグルーヴの類例を強いて挙げれば、ワンオートリックス・ポイント・ネヴァーになるだろうか。とはいっても、そのグルーヴが好き嫌いハッキリ分かれるものであることは揺るがない。それゆえ聴く人を選ぶ作品になってしまったが、そのことを批判する気はさらさらない。むしろ、このような作品があってもいいとすら思う。時に発展と拡張は、極端な方向性をキッカケにして生まれるのだから。そんな過激さが、極彩なサウンドスケープを描く本作には存在する。



(近藤真弥)



【編集部注】「Ektomists」はカセット・リリースです。デジタル版は《1080p》のバンドキャンプで購入できます。

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JEBIOTTO.jpg

 サウンドクラウドやバンドキャンプで日本のギター・バンドの曲を聴いていると、Boyish(ボーイッシュ)のような和製ネオ・アコースティック、あるいはThe fin.(ザ・フィン)のような和製シューゲイザー、チルウェイヴなバンドによく出くわす。時流に乗るのが悪いわけではないし、流行る前から同じ音楽性を志向していたのかもしれない。でも、舶来の音楽をそのままコピーしているだけでは? と思うバンドも少なからずいる。咀嚼して自分の血肉にするまで至っていないのだ。その一方で《Maltine》がbo en(ボーエン)のようなJ-POPに影響を受けた海外ミュージシャンの作品をリリースし、ヴェイパーウェイヴが80年代の日本の歌謡曲をサンプリングする昨今、再認識するのは日本独自の進化を遂げたJ-POPの海外に対する有効性だ。


 その文脈において、東京のスリー・ピースJEBIOTTOジェビオットはダーク・ホースかもしれない。彼らが鳴らす歌謡ディスコ・パンク、胸躍るデジタル・ビートは、誰にでもある若き日の夏の思い出を呼び起こす。極上のメロディーは現実には存在しなかった美少女のシルエットさえ幻出させるかもしれない。まるでアシッドをキメているかのようだ。クスリなんかやらなくても彼らの音楽を聴いている間だけは、実際には無かった恋を回想することができる。それは優れたポップ・アートだけが持ち得る魔法だ。そして興味深いことに、アルバム・タイトルの頭文字をとると "LSD" となる(笑)。


 音楽自体の話に戻ると、低いシャープな声質でクールに歌うMadcaは、同時にシンセサイザーで下世話なほどポップなメロディーを奏でる。Tuttiのギターはベースのような音を出し、Molisonはドラム、エレクトロ・パッドを使い分け、3人が紡ぎ出す音はニュー・オーダーを連想させる。しかし同時に、歌謡曲というフィルターを通した日本ならではの視点で再構築されている。1曲目「Seqential TomTom Cats」は、うしろゆびさされ組が歌ったアニメ『ハイスクール!奇面組』の初代オープニング曲を思い出すし、3曲目「PaPaPa Emotion」はaccess(アクセス)「Virgin Emotion」のオマージュかもしれない。その一方で、後半の「Ax Nx C」や「We can dAnce」といった曲はソニック・ユースをはじめとする実験的なノイズ・ロックからの影響を感じさせる。一聴、ミス・マッチに思えるそういった音楽性の組み合わせには不思議な中毒性があり、私は繰り返し聴いてしまっている。



(森豊和)

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Manic Street Preachers『Futurology』.jpg

 世の中に対しどれだけ怒りを抱いていたとしても、その怒りを保ちつづけることは難しい。膨大なパワーもたらしてくれる初期衝動は、時を経て "惰性" になる宿命からは逃れられず、そのことに納得がいかない者は苦悶する。あれだけ怒り、不満をたくさん抱えながらも、どこかで緩さを持ってしまう自分に。


 とはいえ、そうした苦悶と上手く折りあいをつけ、前を向いて歩みつづける者もいる。それこそ、マニック・ストリート・プリーチャーズがそうだ。サード・アルバム『The Holy Bible』までは、リッチー・エドワーズという創造力あふれる男と共に、そして彼が私たちの前から消えてしまったあとも、ジェームス、ニッキー、ショーンの3人は音楽シーンの第一線で活躍している。まあ、『This Is My Truth Tell Me Yours』や『Lifeblood』は少々守りの姿勢が強く、内省的な雰囲気を醸していたが、こうした人間臭さも彼らの魅力。完璧ではないからこそ、迷いながらも自分なりの答えをその都度導きだし生きていくという人の本質的な泥臭さを体現している。当たりまえといえばそうだが、その当たりまえなことがまた難しいのだ。しかも彼らは、自分たちの本質である反骨精神に忠実なまま、現在に至っている。アルバム・チャート上位の常連バンドという商業主義の役目を果たしつつ、自分たちの主張や信条はしっかり伝える。イギリスは日本と比べてそれが容易いというのは確かにそうだ。しかし、それでも難しいことに変わりはない。彼らはそんな難しい仕事を20年以上もつづけている。彼らが影響を受けたと公言するザ・クラッシュよりも長く。


 前作『Rewind The Film』と対を成す形で作られた『Futurology』は、マニック・ストリート・プリーチャーズの長い歴史を彩るに相応しい良盤だ。アコースティック・サウンドが中心にあった前作とは打ってかわってエレクトロニックなプロダクションが際立ち、どこかレトロ・フューチャーな世界観が見え隠れする。クラウトロックやポスト・パンク色が濃く、ノイ!、クラフトワーク、さらには『Low』期のデヴィッド・ボウイなどがちらつく。このような要素はこれまでの作品でも度々うかがえたが、本作のようにそれが中心となっているアルバムはなかった。同じような作品を作らないのも彼らの特徴だが、それは本作でも貫かれている。


 もちろん、彼らのファンにはお馴染みの知性あふれる歌詞も健在。こちらも内観的で陰鬱な言葉が目立った前作とは違い、ポジティヴで前向きな言葉が多く用いられている。政治的なテーマに足を踏みいれることも忘れていない。戦争経済なる言葉が飛び交う現在を揶揄した「Let's Go To War」が好例だろう。さすがに、リッチーがいた頃の "4人対世界" という大言壮語なマニック・ストリート・プリーチャーズではないが、それを現在の彼らに求めるのはお門違いだ。時代が変わるように、人も変わり成長するのだから。



(近藤真弥)

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The Bug『Angels & Devils』.jpg

 多様性には、大きく分けてふたつあるように思える。ひとつは、いろんな要素や文化が集められていながら、互いに交わることがない、あるいはそうした交わりを無条件に排除し、相互作用が働かない多様性。ふたつめは、互いの文化や要素を取り入れあい、自らのホームとする文化を多元的に発展させていく多様性。


 前作『London Zoo』から6年ぶりとなるザ・バグことケヴィン・マーティンのアルバム『Angels & Devils』は、後者の多様性が息づいた作品だ。本作を作り上げたケヴィンは、キング・ミダス・サウンド名義などでも活動するヴェテラン・アーティスト。そのキング・ミダス・サウンドやザ・バグに通底している要素といえば、やはりレゲエ/ダブということになるだろうが、それは本作でも変わっていない。前作もベースを強調したサウンド・プロダクションが際立ち、ダンスホールやグライムといった要素を中心に作られたアルバムだったが、本作はその方向性をより深化させた内容と言っていい。しかもダブステップが誕生する前からダンスホールやダブ・サウンドを鳴らしてきたこともあり、レゲエ/ダブへの敬意が色濃く表れている。


 とはいえ、「Fall」にはインガ・コープランドを迎え、そして「Fuck A Bitch」ではデス・グリップスとコラボレーションを果たすなど、現在の音楽シーンに目を向けることも忘れていない(デス・グリップスは先日解散してしまったが)。もちろんただ呼び寄せただけでなく、ダークかつ耽美的なアルバムの世界観に上手く馴染ませ、それこそ冒頭で筆者が述べたふたつめの多様性を実現させている。『Angels & Devils』という二項対立なタイトルとは裏腹に、本作は境界線を自在に飛び越える極めて折衷的な作品だ。これはおそらく、ケヴィンが長年ロンドンに住んでいた影響もあるだろう。多種多様な人々が行き交い住んでいるロンドンという街の土壌と文化を反映しているわけだ。


 そういった意味でも本作は、『London Zoo』から地続きのアルバムだと言え、同時にイギリスという国が持つ歴史を表象してみせる。それは例えば、ジャマイカから移り住んできた人たちによってイギリスにサウンドシステム文化が持ち込まれ、そうした流れが、60年代に始まり現在もロンドンで毎年おこなわれている祭典ノッティング・ヒル・カーニバルに発展した、というようなもの。こうした歴史的背景を本作は感じさせる。



(近藤真弥)

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halfsports.jpg

 最近、チャイルドフッドのデビュー作『Lacuna』と、スプーンの8作目『They Want My Soul』を繰り返し聴いている。アシッド・ハウス、シューゲイザー、チルウェイヴといった80年代以降の様々な音楽要素を取り入れたバンドがチャイルドフッドだとしたら、スプーンは無骨なまでにルーツ・ロック志向で60~70年代の伝統的なソウル、ファンク色も匂わせる。やや乱暴に言ってしまえば、ちょうど8090年代のポスト・パンク/ネオ・アコースティックを境に逆の方向性に進化を遂げた2組だ。スプーンがキンクスを目指したとしたら、チャイルドフッドはディアハンターがお手本というか。経歴も好対照で、チャイルドフッドは時代の寵児として英米のメディアで既にもてはやされているが、スプーンが本格的にブレイクしたのは2007年の6作目『Ga Ga Ga Ga Ga』。活動開始から10年。解釈しだいでは、スプーンは時代の流行におもねることなく、ひたすら音楽性を研ぎ澄ましていった末にブレイクしたともいえる。どちらが良いというわけではない。


 前置きが長くなったが、岐阜出身で名古屋を中心に活動するツイン・ギターの4人組ロック・バンドHALF SPORTS(ハーフ・スポーツ)もまた、時代とは関係ない地点で自らを律し続けているバンドだ。ピクシーズやスーパーチャンクを思わせるパワー・ポップが彼らの音楽性の基本である。しかし、ジャケット・アートはワイアーのサード・アルバム『154』のオマージュであることにニヤリとさせられる。浮遊感あふれる歪なギター・エフェクトや、突然加速してはまた唐突に元のテンポに戻るといった捻くれた構成で、かつ難解な印象を与えない楽曲からも当然ワイアーの影響を感じさせる。明るさの中に空虚さを含んだような女性コーラスがハスキーな男性ヴォーカルに絡むさまや、随所で聴かれるザ・スミスやアズテック・カメラ等を思わせる繊細なタッチのギター・フレーズからも、ポスト・パンク/ネオ・アコースティックを起点にした音楽的背景が窺える。


 余計なお世話かもしれないが、筆者は一つ懸念を抱く。彼らの音は、ゴリゴリのハードコア・パンク勢からは遠く、より柔らかな音を奏でるネオ・アコースティック・リヴァイヴァルな若手バンドとも違う。マイナーなインディー・ロック村のなかでもさらにカテゴライズされにくい、受け入れられ難い位置にいるのではないかと。しかし自分の信念を貫くというのは得てしてそういうことだとも思う。周囲に流され本意ではない音楽を演奏してそこそこ成功するくらいなら、信じるスタイルに固執して注目されない方がなんぼかマシ。本当にしたいことをすれば例え失敗しても悔いはない。むしろ、演者も観客も一体になって楽しめるような音楽はその地点からこそ生まれてくるはず。



(森豊和)

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hikashu_super_2.jpg

 暑い。日本の夏は、とにかく暑い。地球温暖化のせいだか知らないけれど、最近の夏はまた湿度が高い...ような気がする。日本の夏、キンチョーの夏...じゃなくて、アラフィフ音楽(主に洋楽)野郎である自分は、こんなふうに言いたくなってしまう。日本の夏、ザ・ヴェンチャーズの夏。いや、ここはやっぱり、20世紀風にベンチャーズと表記したいところだ。


 80年代初頭、彼らがメジャーと契約していた時代に東芝EMIからリリースされたベスト&レア・トラック集『ヒカシュー・スーパー』につづく、30年以上ぶりの続編『ヒカシュー・スーパー2』。前作にも、1980年に彼らがベンチャーズと共演した際のライヴ・トラックが2曲入っていた。かつてはヒカシューの代表曲「プヨプヨ」「パイク」にベンチャーズが参加したものだったけれど、今回は逆にベンチャーズの「十番街の殺人」「テルスター」にヒカシューが参加したトラック! 『ヒカシュー・スーパー2』の流れとしては、その2曲の直後に79年のヒット曲「20世紀の終わりに」のまさに20世紀末(2000年)に録音された「ダクソフォン・ヴァージョン」が、極めて自然につづいていく(リアルそのもの...)。


 そういえば、1980年、高校2年生だったぼくのサマータイムの最愛聴盤は、ヒカシューのセカンド・アルバム『夏』だった。うん、日本の夏、ヒカシューの夏...。


 ちょうどYMOが大ブレイクしていたころの話だ。彼らは、プラスティックス、Pモデルと並んで「テクノ・ポップ御三家」と呼ばれていた(笑)。ぼくは、そのみっつを並べた場合、今挙げた順番で好きだった。ヒカシューとプラスティックスは、かなり大好き。そのあと、のりこえられない壁があってPモデル...ってな感じで...。そう思ったきっかけのひとつは、愛読(カルチャー?)誌『ウィークエンド・スーパー』に載っていた「ヒカシュー巻上とPモデル平沢のバトル」の顛末記を読んで、Pモデル...だっせー...と思ったことも理由のひとつだった(詳細は略。またの機会に:笑)。


 当時は、いわゆる「ビニ本」が登場してきた時期。健康な高校生男子としては大変興味を持っていた。その流通形式を使って『ジャム』『ヘヴン』といった先端的な雑誌も売られていたことは知っていたものの、なかなか買えなかった。売ってる自販機が近所になかったうえに、とても高かった...。しかし『ウィークエンド・スーパー』は、1000円以下で近所の本屋さんで普通に買える。毎号(いわゆる無名時代、よりゲリラ的であった時期の荒木経惟による)極めてエロい無修正写真も毎号載っていた。『ヒカシュー・スーパー』というアルバム・タイトル、およびロゴは、その雑誌へのオマージュとなっている。


 まさに、日本の夏...(笑)。


 ベンチャーズの話に戻ろう。彼らは50年代~60年代の日本で確立された「エレキギター=不良」というイメージの源流のひとつにもなっている生粋のギター・バンドなのだが、なぜかエレクトロニックな音楽との相性がとてもいい。構造的にそれほど複雑ではなく、どこか機械的にぎくしゃくした味があるから、だろうか。ちなみに(USの)ディーヴォも(79年の)セカンド・アルバムで、ベンチャーズのレパートリーとして世界的に有名な「秘密諜報員」をカヴァーしている。ディーヴォも、そしてクラフトワークも、70年代末~80年代前半の日本では「テクノ・ポップ」と呼ばれていた。ヒカシューはファースト・アルバムで、クラフトワークの「モデル」を、あまりに巧みに(歌謡曲かと見まがう素敵なお水っぽさで)カヴァーしている。そして、この『ヒカシュー・スーパー』では、90年代末に日本でリリースされたクラフトワーク・トリビュート・アルバムにも収録されていた、彼らの「放射能」が聴ける。


 おお...と思った。今の時代状況に会っている。ライナーを読んでみると、98年録音か。そういえば...と思ってウィキを調べてみたら、おっと、それは違ったか...。


 例の、茨城県東海村の原発事故は99年のことだった。作業員がバケツで放射性物質を運んでいたなど、寒気に襲われるしかない事実があとになって発覚したものの(当時は主に東京の編集室で)がんがんにDTP作業しているとき、ネットで入ってきた速報ニュースを見たときは...! ちょ、ちょっと待てよ...死がそこまで迫っている...とばかり、数時間~1日くらい作業を中止して、ネットで情報を追うことしかできなかった。ツイッターなど影も形もないどころか、2ちゃんもまだまだ全然マイナーだった時代。今思いだしてもぞっとするし、ネットでニュースを得ることの重要性を、ぼくはそこで最初に学んだ気がする。


 で、この「放射能」、それを受けて録音されたものではなかったけれど、逆に時代を少しだけ先取り...日本の未来を予言していたと言えるかもしれない。もちろん、チェルノブイリやセラフィールド、ヒロシマに対する言及はある。そして、最近のライヴでは、当然フクシマにも...。


 これまでCD化されていなかった80年代初頭のシングル「私はバカになりたい」(荒木経惟ほどではないけれど、当時はまだほどよくアンダーグラウンドな存在だった蛭子能収のマンガ作品に対するオマージュ曲)「超・少年」と、それらのカラオケ・ヴァージョン、新録/新ミックス曲や90年代に録音されたものも含む、全12曲。テクノ・ポップなのかトライバル・アヴァンギャルドなのか? ロックなのかJポップなのか? そんな中途半端な対立項をのりこえ、ついでに70年代後半から現在に至る40年の時代も軽々とまたぎこしてしまった。グロテスクであると同時に美しく湿った(プラスティックというより生きたビニール人形的である)ヒカシューの音楽の魅力が、見事に集約されていると言えるだろう。


 日本の夏は...(以下略)。



(伊藤英嗣)


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Sky Ferreira『Night Time, My Time』.jpeg
 同じ行動をとっても、その人がどんな人かによって受け止められ方が違うというのは多々ある。例えば、男であれば当たり前のように思われる行動だから何も言及されないのに、それが女性だと "変わってる!" みたいに変なバイアスがかかってしまうとか。他にも、レコード・ショップのテクノ・コーナーで、女性アーティストのシングルが "男勝りで硬質なビート" だとか、"女性とは思えないハードなサウンド" という一言と共にレコメンドされているのを見かけると、これを書いた人は女性に対して固定観念を持っているのではないか? と思ってしまう。"ハードで硬質な格好いいサウンド" みたいに、素直なコメントではダメなのだろうか。こうした "女性だから" という場面に遭遇すると、筆者はどこか居心地の悪さを抱いてしまうし、だからこそ、ポーランドのザミルスカみたいな「ステレオタイプを破壊すること」に興味がある女性アーティストに肩入れするのかもしれない。まあ、こんなことを周りの人間に言うと、"女も女の武器を使うじゃないか" と反論されるのだが、そう言われると、男だって男であることを利用してこれまで生きてきたではないかと思ってしまう。いまだ根強い男性優位という社会の仕組みをふまえるとなおさらだ。


 中学生の頃からマイスペースで多くの音源を発表し、そこからようやくファースト・アルバム『Night Time, My Time』にたどり着いたスカイ・フェレイラ。現在22歳の彼女は、恋人のザッカリー・コール・スミス(ダイヴのフロントマン)と一緒に麻薬不法所持の容疑で逮捕されてしまったりと、その扇情主義とも言える側面にばかり注目が行きがちだ。しかし、本作を聴けば、スカイ・フェレイラはひとりの表現者としてしっかりとした核を持っているのがわかる。まずサウンド面は、彼女が好んで聴いているというクラウトロックの反復性を見事にポップ・ソングへ昇華した「Ain't Your Right」、『Honey's Dead』期のジーザス・アンド・メリーチェインが頭をよぎるダンサブルなナンバー「Nobody Asked Me (If I Was Okay)」、出だしが一瞬ソニック・ユースを連想させるインディー・ロック・チューン「I Will」、そしてラストの表題曲ではドローンを取り入れるなど、かなりの彩度を誇っている。彼女は幼い時からゴスペルの聖歌隊で歌い、さらにインスタグラムにボビー・ギレスピー(プライマル・スクリーム)の写真をアップしたりするくらいだから、リスナーとしていろんな音楽を聴いてきたのだろう。こうした彼女の音楽的嗜好が本作には上手く反映されている。


 歌詞のほうも、多くの聴き手に最短距離で届く秀逸なものだ。よく比較されるロードのような詩的世界観はないが、自分の言葉をまっすぐに吐き出しているから、とても正直な響きを携えている。あざとい虚飾もなく、そういった意味で筆者は、日本のラッパーKOHH(コウ)のリリックを想起してしまった。特に「I Blame Myself」では、10代の頃から音楽活動やモデルの仕事をしてきたなかで生じた葛藤と、それをもたらしたものに対する反抗心が明確に表れていて、彼女が世間のステレオタイプに挑んでいるというのがわかる歌詞である。さらに「Nobody Asked Me(If I Was Okay)」では、自身のなかにある承認欲求と寂しさを吐露しており、ゆえに彼女の刹那的な心情を際立たせることにも繋がっている。


 だが、そこで自己憐憫なペシミズムに陥らないのが彼女の素晴らしいところ。むしろ本作は自由で活き活きとしたエネルギーに満ちていて、自分が抱える欠点や弱さを認めたうえで前に進もうとする彼女の姿を垣間見れる。しかも彼女はその姿勢を、あくまで等身大のまま貫こうとしている。少なくとも、ヒロイックな立ち居振舞いはまったく見られない。スカイ・フェレイラは、飾りを身につけたポップ・スターになれるだけの素質とスター性がありながらも、できるだけ妥協せずに自分の表現を届けようと試みている。いわば商業主義と自己表現の境界線を綱渡りしているのだ。このようなスリリングさも本作の魅力なのは言うまでもない。


 とはいえ、そんな本作の日本盤が、"未完成" のまま多くの人に届いてることは本当に残念でならない。大きな話題となったからご存じの方もいると思うが、本作の日本盤は本国盤に収められている「Omanko」という曲をカットした形でリリースされ、ギャスパー・ノエによる美しいジャケット写真も乳首が出ている部分はトリミングで見事に消されている。このような処置も彼女らしいといえばらしいが、音楽業界とやらに片足を突っ込み、"諸事情" もある程度は理解したうえで言わせてもらえれば、本作の日本盤は "完成品" として日本の音楽リスナーに届けられるべきだったと、今も強く想っている。『Night Time, My Time』が、スカイ・フェレイラという女性の真摯な姿を味わえる作品だからこそ。



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ZAMILSKA『Untune』.jpg

 ザミルスカのファースト・アルバム『Untune』だが、まずは本作に出逢うまでの話をさせてもらうとしよう。


 筆者は最近ポーランドのテクノにハマっている。キッカケは、チノのシングル「Early Days」。ちなみにこのシングルを手に取ったのは、《L.I.E.S.》などからリリースを重ねるヴェテラン・アーティスト、レゴウェルトによる表題曲のリミックスが目当てだったから。ハードウェアで作られた良質なテクノ/ハウスを量産する男の仕事ゆえに筆者も楽しみにしていたのだが、出来は "まあまあ" というのが正直なところで、強く惹かれるものではなかった。ところが、チノのオリジナル・トラックには興味をかきたてられてしまった。特に「Raw And Rugged」は、絶妙なタイミングで挟まれるヴォイス・サンプリング、ダンスフロアに集う人々のツボを確実に押すであろう巧みなトラック・メイキングといった具合に、ダンス・ミュージックの機能性を見事に備えていた。


 その後、ポーランドのテクノをディグる過程で遭遇したのが、RSSボーイズという2人組ユニット。アーティフィシャルかつエキゾチックな雰囲気を纏うヴィジュアルは高い匿名性に包まれ、作品のアートワークではペニスを用いるなど、一種のグロさも感じさせる。このセンスは、カニエ・ウェスト『Yeezus』に参加し、自身のサウンドクラウドにアップした『&&&&&』も話題を集めたアルカのヴィジュアル・イメージに通じるものだ。


 そんなRSSボーイズの作品をリリースしている《Mik.Musik.!.》から発表されたのが、ザミルスカの『Untune』というわけだ。ポーランド出身のザミルスカはシロンスク大学に通う現役の学生で、MVのほとんどを自ら制作するなど、DIY精神と創造性を持つ才女。


 彼女が鳴らすサウンドはズバリ、レジスが主宰する《Downwards》周辺に多い、ポスト・パンク色が濃い硬質なテクノ。インダストリアルでダークな雰囲気を強く打ち出しているが、そこにベース・ミュージックの要素を混ぜているのも面白い。こうした混合の類例を挙げるとすれば、ベース・ミュージックとインダストリアルを接続した音楽性で注目を集め、ハビッツ・オブ・ヘイトのメンバーとしても活躍するハッパになるだろうか。


 また、「Army」や「Duel 35」などはダンス・ミュージックの快楽性を秀逸なビート・メイキングで生みだしているものの、全体的にBPMはそれほど速くない。音の抜き差しも最低限に抑えられ、基本的には体よりも心を飛ばす音作りが目立つ。それゆえ、聴けば一発でハマるというような即効性は期待できないが、代わりにジワジワと魅了されていくスルメのような味わい深さをもたらしてくれる。このあたりは好き嫌いがハッキリ分かれるかもしれない。とはいえ、その味わい深さが聴き手の能動性を喚起するのも事実で、それが本作の魅力となっている。


 そして、ザミルスカの音楽を聴くうえで見逃せないのは、彼女がレベル・ミュージックとしてのテクノを鳴らしているということ。自身のフェイスブックにも書いているように、彼女は「ステレオタイプを破壊すること」に興味があるらしく、このことからも強い反骨精神を持つアーティストなのがわかる。だからこそ、先日もマレーシア航空機が領土内で撃墜されるなど、緊迫状態が続くウクライナを支援する目的で「Dissent [Support For Ukraine]」を発表したのだろう。このような精神は、アンダーグラウンド・レジスタンスの首謀者として知られるマッド・マイクに通じるもの。いわばザミルスカは、新たなライオット・ガールと言えるアーティストなのだ。



(近藤真弥)

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Hello World.jpg

《みなさまにご案内いたします この飛行機はまもなく離陸いたします シートベルトをもう一度お確かめください。》(「Hello World」)


 カナダ出身のアーティスト、ホトィンによるアルバム『Hello World』は、ベッドルームに収まりきらない想像力が爆発したハウス・ミュージックである。スチュワーデスのアナウンスで幕を開け、旅立ちの興奮を表すかのように粗々しいビートが鳴る表題曲にはオープニングを飾るに相応しい壮大さが宿り、続く「Ghost Story」は、ドラムマシーンのタムを多用したシカゴ・ハウスなリズムのうえで、柔らかいシンセ・サウンドが優雅に舞う心地よい曲。ここまでくれば、あなたはもう『Hello World』の住人。ラストの「Why Don't We Talk」まで、甘美で流麗な電子音に身を任せることになる。


 先にも書いたように、このアルバムはハウス・ミュージックを基調に作られたものだ。しかし、全曲にシカゴ・ハウスのラフで快楽的なリズム・パターンを取り入れながらも、アシッディーな音色を打ち出した「Infinity Jam」、柔らかいパッド音が幽玄に響く「Fight Theme」といった具合に、本作におけるホトィンは曲ごとにシンセの使い方を巧みに変えていくことで多様さを生み出している。ゆえにビートから実験精神を窺えないのが欠点といえば欠点だが、そうした欠点を補うように、聴き手をチル・アウトにいざなうサウンドスケープの魅力が本作を包みこんでいる。


 それにしても、そんなサウンドスケープが『Selected Ambient Works 85-92』期のエイフェックス・ツインや、《Planet Mu》主宰のマイク・パラディナスによるµ-Ziq(ミュージック)といった、いわゆるIDMを連想させるのはなんとも興味深い。例えば、ローンは『Reality Testing』、そしてフォルティDLは『In The Wild』において、それぞれ自らの感性と解釈を通したラウンジ・ミュージックを鳴らしているが、こうしたラウンジ・ミュージックの要素が『Hello World』にもある。いわば、アーティフィシャルでキラキラとした電子音によって構築された世界。とはいえ、《100% Silk》以降のテン年代インディー・ダンスの文脈にある『Hello World』に対し、『Reality Testing』や『In The Wild』は、《Brainfeeder》がヒップホップとジャズの新たな関係性を提示したあとの流れに存在するという差異はあるのだが。


 しかし、"ラウンジ・ミュージック" "IDM" というキーワードで『Hello World』『Reality Testing』『In The Wild』を接続できるのは確か。それはつまり、チルウェイヴの盛り上がりが収束してからしばらく鳴りを潜めていた "チル" という要素が、ふたたび浮上しつつあることの証左なのだ。




(近藤真弥)




【編集部注】『Hello World』はカセット・リリース。《1080p》のバンドキャンプではデジタル版のダウンロード販売もおこなっています。

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may.e「REMINDER」.jpg

 やはりというべきか、may.e(メイ・イー)の最新ミニ・アルバム「REMINDER」がリリースされてから、何度も聴いてしまう筆者がいる。『Mattiola』 『私生活』と、作品を重ねるごとに早耳リスナーの間で話題を集めていった彼女。優しいメロディーに、耳馴染みのよい歌声と言葉が多くの人に知られていくのは、may.eの音楽の虜になったひとりとして嬉しい限り。また、シチュエーションによってその響きが変わるのも、may.eの音楽が持つ魅力だ。電車に乗りながらでもいいし、あるいは街を散歩しながらでもいい。may.eの音楽は、どこで聴いても心にスッと寄り添ってくれる。筆者にこうした感覚をもたらしてくれる音楽は、may.eとニュー・オーダーくらいのもの。


 その魅力は、「REMINDER」でも相変わらず。"デモ・ミニ・アルバム" というだけあって、これまでの作品よりも少々ラフな質感が際立っている。とはいえ、それが欠点にならず味となっているのがまた面白い。なんというか、寝そべりながらラジオやレコードを聴いている感じに近い。以前に筆者がおこなったインタヴューでは、「私はキレイにしたいんです」と言っていたが、筆者からすればこれはこれでアリ。喜怒哀楽、そしてこれらにまつわる複雑な機微も喚起するサウンドスケープは、本当に心地よい。もちろん、キレイに録れる環境で作られた作品も楽しみにしているが・・・。


 そして、「REMINDER」を浴びるように聴きながらあらためて思ったのは、may.eの音楽にはアンビエント・ミュージックに近い要素があるということ。アンビエント・ミュージックはブライアン・イーノが提唱した音楽ジャンルであり、リスナーを無理に引き込んだりはせず、むしろリスナーがどれだけ能動的に聴くかで聞こえ方が変わってくる音楽だ。こうした要素がmay.eの音楽にもある。例えば、そこにあって当たりまえな空気のようなもの、もしくは夏の青空に浮かぶいくばくかの白い雲、あるいは森を歩いていると聞こえてくる虫の鳴き声でもいい。言ってしまえば、may.eとはアンビエント・シンガーである。まあ、そんな筆者の戯れ言は放っておくとして、まるで日常の一部であるかのようにmay.eの音楽は存在しているということ。それは、ひとつの曲に膨大な量の音楽的要素や情報を詰めこんだ昨今のJ-POPとは異なるもので、ゆえに彼女がオルタナティヴ的側面を孕むことにも繋がっている。



(近藤真弥)




【編集部注】「REMINDER」はmay.eのバンドキャンプでダウンロードできます。