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 大感動の初来日からもうすぐ一年、サマーソニックでの再来日(東京のみ)も決定しているナダ・サーフから届けられた新作はカヴァー集。これまでもザ・ディービーズ(The dB's)やピクシーズなどの楽曲を取り上げてきた彼らだが、本作も音楽オタクを唸らせる通好みな選曲となっている。彼らが影響を受けてきたであろう大御所アーティストから、スプーンのような同世代バンド、ソフト・パックのような若いバンドの楽曲まで、音楽への愛がひしひしと感じられる選曲になっている。

 原曲のメロディの良さを活かしながら、しっかりとナダ・サーフらしさの感じられる演奏になっている曲が多いが、ムーディー・ブルースの「Question」のカヴァーのように、大胆にパワーポップ風にアレンジされている曲もあり、聴き手を飽きさせない。かつてスピンアートから作品をリリースしていたビル・フォックスなど、地味ながらも素晴らしいアーティストの楽曲が選ばれており、興味を持った方はこの機会に是非オリジナルと聴き比べてみてほしい。

 日本盤ではボーナス・トラックとして、昨年のナノ-ムゲン・フェスティヴァルでのライヴ音源と、アジアン・カンフー・ジェネレーション「ムスタング」、少年ナイフ「Bear up Bison」、スピッツ「空も飛べるはず」などのカヴァーが追加収録されている。

編集部より:近日中にインタヴューをおこなう予定です。この素敵なアルバム・タイトル(『If I Had A Hi-Fi』つまり「もしぼくがステレオを持っていたら...」)についても尋ねる予定ですし、それがアップされる際に、より詳細なカヴァー曲のラインアップも紹介します。

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 決して「にーにーにーぜろず」とか、言わないように。「トゥエンティートゥー・トゥエンティーズ」だからね。声に出して言ってみると、とってもカッコいい!そして僕は純粋に「トゥエンティートゥー・トゥエンティーズが帰って来た!」と声を大にして言えることが、とても嬉しい。スキップ・ジェームスというブルース・マンの「22-20 Blues」という曲から名付けられたバンド名であることは、みんなが知ってる通り。そんなブルースの世界に魅せられたキッズたちが、たった1枚の(最高の!)アルバムを残して僕たちの前から姿を消して6年になる。それは活動休止ではなく、解散という2文字で伝えられた事実。若くしてブルースの虜になった彼らは、21世紀のクロス・ロードの真ん中で「悪魔に魂を売る」こともなく、別々の道を歩むことを選んだ。そこに伝説はなかった。現実として、憔悴しきっているその姿がとても痛々しかった。

 6年前には想像もできなかったこと。それはクロス・ロードの先が、ひとつにつながっていたということ。たどり着いた先には、悪魔も神様もいない。もう一度、22-20sと名乗るために自分たちだけがいた。そして、この『Shake/Shiver/Moan』が最高だってこと。オリジナル・メンバーのマーティン・トリンプル(Vo/G)、グレン・バータップ(B)、ジェームス・アーヴィング(Dr)の3人にギターのダン・ヘアが新たに加入して、22-20sが本当に帰って来た。

 とてもカラフルなアルバム。ロックという音楽そのものがブルースを基礎として様々なスタイルを飲み込んでいくように、22-20sもそれぞれの6年の間に進化していた。揺らぐことのないブルースこそが核になっていることは間違いないけれど、より豊潤になった表現方法がどの曲にも色彩を与えている。2本になったギターの絡み合いが耳を奪う。前作よりもメロディアスになった歌が心に届く。
 シンプルなカッティングと不穏なサイド・ギターの響きが印象的な「Heart On A String」から、22-20sの第2章は始まる。全速力で突っ走るドライブ感がたまらない「Latest Heartbreak」、グルーヴするブルースのタイトル・トラック「Shake, Shiver, And Moan」、バーズを思わせるギター&メロディの「Ocean」と「Let It Go」、そして「4th Floor」や「96 to 4」のようにポップな曲もある。ラストの「Morning Train」は、アコースティックなアレンジが秀逸。どの曲も最高にカッコいい!「ぶっちゃけ、1st聞いてません」「ブルースって苦手かも」という方も「Ocean」だけでいいから聞いてみて!名曲だから。

 6年前には想像もできなかったこと。それは、こんなにも最高なアルバムで、もう一度出会えるという奇跡。1stとこのアルバムの曲を織り交ぜたライブは、どんなことになるんだろう?ひとつにつながったクロス・ロードの先には、フジロックの2日目もある。そして、その先もずっと続くはずの道が見える。22-20sの帰還を心から祝福したい。

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「エロい」と「セクシー」は違うらしい。チノの歌声を評して「エロい」と言う表現を使う側の意図としては、上品であろうが下品であろうがそんな品位などには余り意味を置かずに使っている筈である。時にピュアな怒り、時にナスティな下心を曝け出したりと自身の内面を抉り取ったようなボーカリゼイションであるが故に、受動する側の感情の襞を振動させる。そこには下品や上品などの隔てなど無い、解放された感性に満ちる妖しさが充満するのだ...。

 何よりその歌声を引立たせているのは彼らの音楽性であるのは言うまでもなく、オルタナ/メタル・シーンとは本当の意味で一線を画している事をこの凡そ4年ぶりのアルバムで証明してみせたのだ。そもそもチーム・スリープでピンバックのロブ・クロウらと共演したりとインディー音楽通の間でもその特異性は知れ渡っていたのだが。

 タイトで鋼鉄的なギター・リフは一聴すれば完全にUSラウド/メタルなのだが、キャッチーになり過ぎないダウナーなコーラスや、やや捻りを加えたリズム・パターンはそこらのキッズには勿体ないアダルトな内容。

 特に8曲目に収録されている「Sextape」ではドリーム・ポップや初期シューゲイザーなどの影響を公言するかの如く、浮遊感漂うメロディに歪んだギター・サウンドが揺らめいていて...もうこれは確信犯。更にはシングル曲「Rocket Skates」をフランスのシューゲイザー・ユニットのM−83がリミックスを手掛けた経緯もあることからも間違いない(アルバム未収録)。

 とは言えチノ本人よれば『ホワイト・ポニー』からの3作品の実験的なアプローチではなく、セカンド・アルバムの『アラウンド・ザ・ファー』に近い仕上がりとの談だが、確かに6曲目の「Prince」のイントロの質感は上記作品の「Mascara」を彷彿とさせるし、3曲目の「CMND/CTRL」では、ここ最近聴かれなかったあの頃のヒップな感覚が戻ったかのように心身をバウンスさせる。

 ベーシストのチ・チェンが回復しないままサポートに元クイックサンドのセルジオ氏が加わり制作されたが、これで万全の状態でチの帰還を迎え入れる体勢も整った。そして余談だがチノも痩せた!

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 実際のムーヴメントとして意味があったと思うが、06年程から起きたニュー・レイヴに個人的に積極的には乗ることが出来なかった。それは、「ファッショナブル過ぎる」という文脈ではなく、健康的なパトスが当時のクラヴに溢れていて、原色、蛍光色系の服で身を纏った若人がクラクソンズやCSS、ホット・チップ、等のクールなサウンドに合わせてスイングする様は気分的に悪くなかったし、ふと混じるマンチェスター・サウンド、アシッド・ハウスへのレファレンスを示した音にも懐かしさを感じたのも事実だ。ただ単純に、元々、レイヴとはもっといかがわしさを帯びており、歪みが少ない点が気にもなって、実際、表層的なカルチャーのうねりに還っていく中で、実効性を喪っていったのを傍目で見ている分に辛さを感じたというのが大きい。

 デリダがバイザー効果という概念を提示したが、そこでは「見る/見られる」の関係を分析していた。そもそも「亡霊」とは、魂と肉体の二項対立を考えたときに「精神は魂でも身体でもないと同時にその双方でもあるといった"モノ"となる」と命名しがたいモノとなる精神のことを差した。要は、彼は二項対立の図式で考えた時にそのどちらでもなく、どちらでもないという差異を発見する作業を行った。また、「人が知という名のもとに了解していると信じているものの管轄には属していない。それが生きているのか、死んでいるのかは知られていないのである」と言ったが、これこそが「共時性を解体し、錯時性にわれわれを引きもどす」という、バイザー効果の理由付けとするならば、僕は明確にニュー・レイヴをして「亡霊」を視るような錯時性を持っていた。だから、「喪に服すように、躍っていた」自分は常に時間に、引き裂かれていたと言える。

 また、プロディジーがニュー・レイヴに否を唱えていた理由も分からないでもない。元々のレイヴが持つ一夜限りの「絶望的ではない、饗宴」は希望を示唆しなかった代わりに、閉塞した「今日」の順延をせしめたと言えるものの、ニュー・レイヴには「明日」はあったが、「今日」が無かった気がする。<非・日常>がレイヴではなく、実のところ、クラウドが日常に虚飾を巻いて、その瞬間に自己の忘失を描こうという背景があるとして、記号に何らかの名称を付けるべきではなかった。

 僕はもう少し記号的なダンスをしたかったと言えば、少しメタ的になるかもしれない。その意味で、ニュー・レイヴ的な渦の中で、どうにも気分が滅入るのも確かに現前していた。

 そこでの異端の異端にして救いがクリスタル・キャッスルズだったところはある。カナダはトロントのアンダーグラウンド・シーンから出てきた安っぽいエレ・ポップを鳴らすユニット。ノイズ・バンド出身のボーカルのアリスとガレージ・メタル・バンド出身のイーサンのトラッシュでニート(Neat)な音は何もかもから浮いていたし、ニュー・レイヴ勢にも、デジタリズム、シミアン・モバイル・ディスコ、ジャスティス辺りのニュー・エレクトロ勢にも、「含まれる」ことがありながらも、全くの違和の塊としてはみ出していた。そもそも、彼等のフェイヴァリットはヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ストゥージズ、ジョイ・ディヴィジョン、ソニック・ユースな故に、自然とはみ出すのは当たり前なのだが、「Crime Wave」辺りの耳触りの良さが誤配を生んでしまったのかもしれないし、かなり振り切ったライヴをするのと比して、音がコンパクトで小綺麗だったのも問題があったのだろうか。

 その後、必然的に、ニュー・レイヴ勢は停滞し、代表格のクラクソンズの次の一手を打ちだせないという状況下、シーンは明らかにシフト・チェンジした。アンダーグラウンド・シーンの充実と相反するように、表層的なレイヴの狂騒は疎外されていき、ロック×ダンスといったタームも衰微していった。そこで、届いた彼等のセカンドが実に美しい出来になっているのには、或る程度、想像は出来たといえ、嬉しかった。ローファイな質感と、シンセのたおやかさは磨きがかかり、咆哮系の曲よりも、ニューオーダーや初期のデペッシュ・モードを想わせる耽美なニューウェーヴ的な意匠の曲が断然、良い。「Celestica」などまさか彼等の曲とは思えないほどポップで、リトル・ブーツやラ・ルー辺りのサウンドさえも彷彿させる。しかし、打ち消すような変則ビートの曲やゴシックなムードも随所に挟み込まれ、異質感を耳に残す。アイスランドの教会、デトロイトのコンビニ裏のガレージ等を渡って録音されたというのも含めて、散漫さを否めないながらも、ロマンティックなまでに頽廃的な意志を前景化させた深化作と言える。

 個人的に、もっと傍若無人にフリーキーに振り切って欲しかったとも思う部分もある。だが、おそらく彼等の事だから、またそれさえも裏切るような展開を見せてくれる事を確信させてくれる透いたREBELに溢れているという点は評価したい。

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"See? Hamster on my mouse mat. (Sounds like a morrissey title...)"

 これはトレイシー・ソーン本人による5月30日のツイート。きちんとTwitpicで写真も添えられている(マウスマットのうえ、PCのマウスの隣で餌を齧っているハムスターちゃん)。たしかに"Hamster on my mouse mat "はモリッシーのアルバムのソングリストに並んでいても収まりがよさそう(イヤーな感じの歌詞が目に浮かぶ......)。大好物のドーナッツやハムスターの話題を彼女はたびたび挙げている。

 一方で、少し遡って5月14日には、グリーン・ガートサイド(スクリッティ・ポリッティ)から作品を賞賛するメールが届いて冷静さを失っている様子もツイートされている。英ガーディアン紙に掲載されたインタビュー上においても、彼女のドライな筆致で記されるユーモラスな一面は" one of the most entertaining musicians on Twitter "と評されているが、それにしてもモリッシーにグリーンにトレイシー。なんと素晴らしい2010年っぷりだろう。ポストパンク・ジェネレーション万歳!

 そんな彼女のソロ名義としては2007年リリース『Out Of The Woods』以来三作目となる本作は、先述のチャーミングな姿が一見ウソみたいな、渋みと苦みに溢れたアダルト・オリエンテッドな内容に仕上がっている。そのタイトルからして重い。『愛とその裏側』。ことプライベートにおいては、かの偉大なるエヴリシング・バット・ザ・ガール結成以降、長年パートナーとして歩みを共にしてきた(2009年、ついに結婚!)ベン・ワットと、彼の病気など七難八苦こそあれど愛に溢れた生活を過ごしてきたイメージのある彼女の今作における作風は意外といえるし、実に興味深い。

 冒頭の「Oh! The Divorces」は離婚について歌い("次は誰? 次は誰の番かしら?")、次の「Long White Dress」ではマリッジ・ブルーを("それって私の勝手な思い込み?")、さらに三曲目の「Hormones」では母子の在り方の難しさを歌っている("あなたの場合は思春期の、私の場合は更年期のホルモン・バランス。あなたはトンネルに入ったばかりで、私はそこから抜けるところ")。独り者の集うバーで失った若さを嘆きながら手入れの行き届いた爪を見つめ、見通しの立たない救いを求める「Singles Bar」のような曲も収められている。トレイシー本人曰く「40歳を過ぎてからの人生についての作品」とのことだが、不安定な大人の現実がここではことさら厳しく率直に描かれている。

 プロデュースは前作に引き続きイワン・ピアソンが担当。デルフィックやM83『Saturdays = Youth』といった作品のプロデュースや多彩なリミックス・ワークでも知られる、本来はエレクトロニック畑の人物だが、本作では過度の装飾は控えられ、シンプルなSSW作品としての方向性が徹底されている。ホット・チップのアル・ドイル(ナード軍団のなかでは比較的マシなルックスの、ギター担当な人)をはじめとしたゲストも素朴なアレンジに華を添えている。メジャーを離れ、ベン・ワットのレーベル<Strange Feeling>からリリースされたのも功を奏しているのかもしれない(ちなみにアメリカではインディーの一大勢力として盛り返しつつある<マージ>から)。

 歌詞の世界観が過酷だからといえ、本作は心の傷口をライターの火で炙る類の作品では決してない。トレイシーの低く通った歌声は昔より丸みを帯びて慈愛の響きに満ちつつも、28年前の『遠い渚』から変わらず優しく寄り添ってくれる(国内盤でボーナス・ディスクとして収録された5曲入りのデモ音源は、彼女の表現がブレてないことの証明という意味でも聴き応えがある)。同じポストパンク世代であるフォールの新作における変わらぬ破天荒さも爽快だったが、年齢にふさわしい彼女の成熟も愛おしすぎるほどに愛おしい。そして本作にはきちんと救いも用意されている。最終曲の「Swimming」は厳しい世の中に生きる人々の心の闇をほんの少し照らしてくれるような内容になっている。

"Right now we are just keeping afloat
 But soon we'll be swimming,swimming"
("今はただ流れに身を任せ、漂っていればいい。
だけどもう少し、もう少しすれば泳ぐようになるから")

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 心配御無用。安心すべし。もはやフィード・バック・ノイズの奏での中で、浮遊感のあるメロディと歌声を軸とする音楽性が定型化し、その音楽性を絵に描いたように押し出すバンドが溢れかえっていようとも、海外でも活動し評価を高めている日本の5ピース・バンド、コーカスがいれば大丈夫なのだ。コーカスもまた同じような音楽性だが凡庸なところはなく、これからのフィード・バック・ノイズ・ミュージックとでも言うべきサウンドを、新たな次元へと昇華するであろうと、彼らの「Going For A Lonesome Dream」EPを聴いて、僕はガッツ・ポーズをとったのだった。

 このバンドのサウンドを聴いたのは本作が初めてという腑抜けな僕だが、だからこそ衝撃度が高かった。懐に切り込むノイズ。かと思えば頭上でノイズが渦を巻く。しかもそのノイズの質感といったら無添加無農薬の野菜のようにサッパリとしていて、少々不格好な味がある。格好付けるのもいいのだが、やはり、不格好なロックは燃えるよねと、本作を聴いた僕は言う。英語を日本語のように平らな発音にした上手く使った歌声が功を奏し、すっと胸に沁み入って溶け込んで、僕はそのセンスの良さと清々しさに心打たれた。なおかつ、ときどきおどけた表情を見せるヴォーカルの余裕にニヤリとなり、「してやられた」と舌を巻く。静かに燃えるサウンドにユーモアを交えるという巧妙な「Going For A Lonesome Dream」EPは、フィード・バック・ノイズを武器とする多くのバンドの中にあって異彩を放っている。

 録音にROVOや大友良英を手掛けた近藤祥昭を起用。ミックスとマスタリングは藤井真生ということもあり、サウンドの質感、構築法に関して巧妙でエスプリが効いている。初めて聴いてもビュンと突き抜けるサウンドの心地良さは、じわじわと、ではない。瞬時に伝わる。それでもぜひ何度も聴き込んでほしいと思う。音の一つひとつが練られているのだ。

 音楽性は全く異なるけれども本作を聴いたとき、僕はザ・バーズのファースト・アルバムを聴いたときの気持ちになった。これから何か新しいことが始まる予感。未来はきっと輝いているだろう。そんなふうに思ったのだった。いや、きっと聴き手にこの作品はそう思わせてしまう力があるのだ。未来は「今」という無数に訪れる瞬間の連続によって成り立っている。だからこそコーカスは「今」を楽しませる。「今」の気持ちを豊かにする。しかして希望を感じさせる。僕は言いたい。この作品を「今」聴こう。「今」を聴き続けよう。

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 2010年は、USのインディ・ロックにおいて記念すべき年になるのではないだろうか? なぜなら、USのインディをメインにしたがるピッチフォークでベスト・ニュー・ミュージックを獲得する作品が続出しているから。それに、ヴァンパイア・ウィークエンドやMGMTといった事前に大きな期待を集めてきたバンドがクオリティの高い新作を発表し、チャートでも大成功を収めている。だが、まさかこのバンドもここまで凄いことになるとは僕はまったく予想していなかった。そのアルバムとは、ブルックリンを拠点とする5ピース、ザ・ナショナルの5枚目となるアルバム『High Violent』だ(この作品もピッチフォークでベスト・ニュー・ミュージックに選ばれている)。

 ザ・ナショナルの特徴を簡単にいうなら、ポスト・パンクの鋭角的なビート×ゴシックな雰囲気。それは『High Violet』でも存分に発揮され、漆黒の闇が作品のなかに広がっている。また、このアルバムでは、スフィアン・スティーヴンス(前作『Boxer』に続く参加)やボン・イヴェールなどのゲストミュージシャンが参加、非ロック的な楽器を導入することでカントリーやフォークなどのルーツ・ミュージックの深みを取り込み、オーケストラによってサウンドスケープのスケールをぐっと増している。いわば、アーケイド・ファイアとウィルコが一緒になり、ジョイ・ディヴィジョンの曲をプレイしているようなもの。間違いなくこれはアメリカ人にしかできないものだろう。

 加えて特筆すべきなのは、暖かい人肌の温もりだ。それを生み出しているのはリリックと歌声だろう。レナード・コーエンとトム・ウェイツ、ブルース・スプリングスティーンからの影響を感じられる、ロマンスやシニカルなユーモアを綴った文学的な歌詞は、ヴォーカルのマット・バーニンガー(Matt Berninger)のペンによるもの。『High Violet』でも、マットは溢れんばかりの感情が詰まったバリトンで高らかに歌い上げ、ハーモニーがそれを優しく包み込んでいる。

 アルバムは、穏やかなイントロから滑り出し、ダイナミックなドラマツルギーがほとばしる「Terrible Love」でスタートする。その後の曲もドラマツルギーに満ちたものばかりだ。うなるようなキーボードから一転、静寂をへてオーケストラとファズ・ギターがぶつかり合う「Little Faith」や、シングルにふさわしい力強いビートや高揚感がありアンセミックな「Bloodbuzz Ohio」、脈打つようなドラムが印象的な「Lemonworld」などが続く。そして、「England」でクライマックスを迎え、「Vanderlyle Crybaby Geeks」にて厳かにエンディングとなる。すべての曲をつなぐものこそ何もないが、このアルバムはまるで1本の映画。それも、摩天楼の一夜を描いたようなスペクタクルな内容で、ただただ気高く美しい。

 この『High Violet』は世界中の音楽メディアから大絶賛で迎えられた。しかも、セールスにおいてもビルボード総合チャート初登場No.3に輝くという快挙を成し遂げた。確かに、3rd『Alligator』(2005年)とそれに続く『Boxer』(2007年)では英米の音楽メディアでその年の年間ベストを総ナメにしていた。とはいえ、この快進撃には驚くばかりだ。結成から10年あまり。長いキャリアをかけてザ・ナショナルがたどり着いた、ひとつの到達点となるこの作品は、2010年のUSを代表する1枚になるはずだ。

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 このメイル・ボンディング(Male Bonding)はイギリスはダルストンの3ピースで、現在ザ・ビッグ・ピンクでドラムを担当しているアキコ嬢がかつてヴォーカルを務めていたバンド=プレ(PRE)の残りのメンバーによって結成されたバンドだ。

 だが、残り物というなかれ。2007年に活動を開始して以来、ペンズ(Pens)やダム・ダム・ガールズとのスプリット・シングルをリリースしたり、ヘルスやザ・スミス・ウエスターンズ(The Smith Westerns)、ザ・ソフト・パックなどとツアーを行なったりしてきた実力派だ。

 と、ここで「ん!?」と感じた方もいるかもしれない。そう、上記のバンドはすべてUSのバンド。このメイル・ボンディングはいつしか本国UKよりUSでの人気が高まってきた珍しいバンドだ。というのも、彼らの音楽を簡単に言ってしまえば、グランジ・リヴァイヴァルだからだ。ハスカー・ドゥやダイナソー・Jr.を思わせるジャングリーでノイジーなギターと、ラモーンズやバスコックス譲りのポップなコーラス&フックの効いたメロディのサウンドはUKよりUSのほうがしっくりくるし、USでは名門サブ・ポップと契約しているのも納得がいく。

 そんな彼らのデビュー・アルバムがこの『Nothing Hurts』。全13曲ながら、30分にも満たない長さだ。ギタリストでシンガーのジョン・アーサーは「長い曲は好きじゃない」とコメントしているが、まさにその通り。3分を超える曲は一切なし。直線的でポップなメロディが一気に駆け抜けていく。

 ザクザクと切り刻むようなギター・リフの「Year's Not Long」でアルバムはキック・オフ。以降、地響きのようなドラムがこだまする「Franklyn」、歌うようにメロディックなギターとツイン・ヴォーカルの「Weird Feelings」、ヴィヴィアン・ガールズをフィーチャーした「Worse To Come」など、ノイズと2分間の制約がありながら収録曲は非常にヴァラエティ豊かだ。歪んだ轟音が鳴り響くサウンドは、まるで90年代のシアトルにタイム・スリップしたように感じられる。決して斬新ではない。だが、人をひきつけられずにはいられないパワーと魅力がメイル・ボンディングにはある。

 自国びいきでイギリスのバンドには辛口評価のピッチフォークがこのアルバムをベスト・ニュー・ミュージックに選出。このままアメリカのインディ・キッズを熱狂させてほしいと願うばかりだ。

補足:日本盤は6月16日リリース予定となっています。

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 アップルズがSpaceとTimeをTravelするのだから、期待通りの直球アルバムであった。彼らが本来備えていたポップさが、電子音を介することによってよりカラフルに彩色されており、潔いほどの直接さが伝わる。車内のラジオで流れでもしたら、それだけでもうドラマティックな雰囲気を演出できるだろう(高速道路推奨)。

 甘酸っぱいメロディセンスや、ロブ・シュナイダーのハイトーンな声という要素らは、良い意味でAORを彷彿とさせる。曇りのない曲達はしかし、夢と希望だけを詰め込んだ理想世界を能天気に紡ぐわけではない。シニカルさというか、酸いも甘いも含ませたポップ感とでも表現し得るのか、馬鹿騒ぎに耽っているわけではない。考えてみれば、メンバーらも若くはない(ロブの声と外見のギャップをとやかく言うつもりはない)。直球サウンドであってもそこに簡素という文字はないのだろう。

 冷たいコーラや窓から注ぐ風のような、気持ちの良いアルバムだ。ここにきてキーボーディストを導入する創造への探求心にも頭が上がらない。ポップとは? という命題に対する一つの理想的な解答である。

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 90年代半ば頃からヴァージニア州フレデリックスバーグで活動をしていたスカイウェイヴのポール・ベイカーとジョン・フェドウィッツが、グループ解散後に結成したバンドによる約3年振りのセカンド(スカイウェイヴのもう1人のメンバー、オリヴァー・アッカーマンは、現在ア・プレイス・トゥ・ベリー・ストレンジャーズ<以下APTBS>のメンバーとして活動中である)。

 前作『Disapear』では、鼓膜を破壊するようなフィードバック(というよりハウリング)・ノイズにまみれたダークで不穏なシューゲイジング・サウンドを展開し、APTBSとの共通点を随所に感じさせた彼らだが、スクリーン・ヴァイナル・イメージやセリーヌ、ヴァンデルスらが所属するニューヨーク拠点のSAFRANIN SOUNDから、サウンドプールらを擁するボストン拠点のKiller Pimpにレーベルを移籍して作られた本作では、そこから一歩踏み出したサウンドスケープの構築に成功している。

 例えば冒頭曲「Stars Fall」では、フロントマン2人のハモリを強調し、続く「Never Make You Cry」ではJ−ポップも顔負けの哀愁メロディを披露。タイトな打ち込みビートとシンプルな循環コード、キャッチーな旋律やギター・リフがジーザス&メリーチェインを彷彿させる「Marianne」「It's Too Late」など、全体的にメロディの際立つ楽曲が並んでいるのだ。

 スカイウェイヴ譲りの爆音ギターも健在で、「Don't Leave Me Behind」では"アンプがふっ飛ぶんじゃないか?"と思うくらい歪みまくったギターを幾層にもレイヤー。ファズ、ディストーション、ワウの応酬はAPTBSとタメを張るほど凄まじい。

 この辺りのサウンドは、ニューヨークやロンドンでの人気に比べると日本での評価はまだまだ低いのが残念。特にペダル・エフェクター好きのギター・キッズにとっては、たまらなくツボなサウンドのはずなので是非チェックして欲しい。