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 ラヴ・イズ・オールのポップの定義は明確だ。キャンキャン歌う女の子のヴォーカルが飛び跳ねる。とどのつまりはその一点。「もっとハイに! ポジティヴに!」と言わんばかりの歌声とギター、ベース、ドラムス、サックスのスピードに乗った演奏が突っ走る。一切ロウに入ることのないハイなテンション。夢にまで記憶が残る鮮烈なサウンド。もしこの音楽を辞書でひくなら出てくる単語はストレート。

 その姿勢はアロハやオーウェンなどで知られるレーベル、Polyvinylに移籍し、発表した3rdアルバムとなる本作『Two Thousand & Ten Injuries』(初国内盤化)でもぶれていない。デビュー当初はポスト・パンク・リヴァイヴァルと評され、2ndアルバムではガレージと評されたスウェーデン出身、男4人女1人の彼ら。ポスト・パンクやガレージの要素を残しつつ、エレクトロの要素を取り入れ、わずかにシューゲイザーも取り入れ、なおかつ凝ったサウンド・エフェクト、立体的なミックスが功を奏し、本作では、もはやムーヴメントに収まらないほど音楽性のふり幅は広がった。が、しかし、やはり真っ先に耳に飛び込んでくるのはキャンキャン、ポップな女の子ジョセフィーヌのヴォーカルだ。

 アート・ブレイキー並のドラミング、フリー・ジャズを思わせる歪んだサックス、すっとんきょうなギターが、ジョセフィーヌの歌声に絡みつき、整頓されないまま飛び出てくる。ぶっきらぼうだがそれがいい。愉快痛快とはまさにこのこと。あえて例えれば、ヤー・ヤー・ヤーズの1stアルバムをキュートにしたような作品だ。

 ラヴ・イズ・オールはトーキング・ヘッズにも、TVオン・ザ・レディオにもなれる素質を持っている。しかし彼らはそうならなかった。それはあくまでも自分たちのアイデンティティは、苦労も苦難も高らかに笑い飛ばしてしまうシンプルなポップ性だという自覚がはっきりしているからなのだ。ゆえに聴くたび真っすぐ耳に飛び込み、スカッとするしグッとくる。メロディをわずかに崩し、ちくりと刺す程度の毒っ気ある歌声を忍ばせているところもグッド。ネガティヴな物事のみではなく、ネガティヴ思考が渦巻く現代にあって、本作はネガティヴ思考をも実にチャーミングに蹴散らしてしまうのだ。そこにまた、スカッとする。

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 ドゥルーズの言い回しに「逃走線」という言葉がある。

 諸々の逃走線は社会野のリゾーム、地図作成法となっており、それは脱領土化の運動と同じものであり、自然への回帰では全くない。もっと言うならば、欲望の編成行為のエッジと言える。故に、諸々の逃走線は必ずしも革命的であるわけではなく、反対に権力装置が縛りまとめるものである。そこで、彼は「戦略」を持ち出す。戦略とは、逃走線に対し、その統合や方向付け、そして、収斂や分岐に対して、二次的でしかない訳だ。欲望とはまさに、諸々の逃走線の中にある、流れの統合と分離である。欲望は逃走線とは、区別される。アントニオーニの「欲望」を想い出すまでもなく、そもそも欲望はとても不条理なものであり、その不条理なものを装置的に囲い込むのが社会システムと言えるとしたならば、マシュー・ハーバートが試みてきた数々の実験と果敢なチャレンジはどのような成果をもたらしたか、を敷衍して考える余地はあるかもしれない。

 現在進行形で常々動く、彼の長い歴史の説明は寧ろ必要がないかもしれない。

 ただ、簡単に纏めると、ビョークの『Vespertine』のプロデューサーに起用されてから、その後のリミックスでの優秀な仕事、ドクター・ロキット、レディオ・ボーイ名義など様々なものをスキゾに縦横無尽に渡りながら、ハーバート名義での3作目の01年の『Bodily Functions』でシーンを揺らがしたのは記憶に新しい。この作品により、クリック・ハウス文脈からも称賛を受け、また、生活音を取り入れコラージュをする手腕、プリセット音を使わない職人的な音作りや美麗なサウンドレイヤーへの意識への高さからも、注目を浴び、彼を絶賛していたジャイルス・ピーターソンの名前を挙げるまでも無く、世界的な評価を得た。特に、「Audience」に至ってはよくFMで聴いた(日本でも、かのKREVAも自分のラジオでお気に入りでかけていた)。その後、室内楽的ビッグバンドへ接近した03年の『Goodbye Swingtime』、05年の食品産業へのアイロニーを込めた『Plat Du Jour』、06年の会心作『Scale』など常にぶれのない姿勢を続けてきた。

 余談だが、僕個人としては、彼の音響工作の妙とダイナミクスの力学を端的に示すのは『Bodily Functions』も勿論なものの、実は、リミックス・ワークを纏めた02年の『Secondhand Sounds』といまだに思っている。何故なら、リクルースからセルジュ・ゲンズブール、更には自身のワークまでを跨ぎ、独特の揺らぎと美麗さを極めたサウンド・コンクレートの為され方はここに凝縮されており、ある種、以前/以後の彼の音像を「規定」した作品群がおさめられていると言えるからだ。それにしても、どのワークにしても、どこまでも美麗でソフトな手触りの音、ダブやクラシックやジャズを参照点にした上手な咀嚼の仕方には唸らされる。

 また、彼は、「音」自体の側面以外にも、ハンバーガーや世界的アパレル・ブランドの商品を潰してそれをサンプリングして、即興的にビートを構成するパフォーマンスや明確に反グローバリズムを発言する活動家としてピックアップされる部分があったのは否めない。そして、ジャーナリズム・サイドも、その姿勢を面白がり、付随するサンプル数や品物の種類や過激な発言を敢えて抽出するようなところがあったのに対して、僕は妙なもどかしさも感じていた。何故ならば、バルトーク的に「音の政治性」というコンテクストを敷けば、もっと皆が彼の創る音楽の美麗さに最短距離で近付けるかもしれない、と思っていたからなのもある。

 そんな中、ソロ三部作と銘打って、彼はマシュー・ハーバート名義で「世界」ではなく、遂に「自分」と対峙する事になった。今回は、「1人の男」をコンセプトとして、彼の人生の「とある一日」を描写したものになっており、ソングライティング、演奏、サンプリング、レコーディング、ミキシングに至るまでの全制作過程をハーバートが完全に1人でこなしている。今後も、1か所のクラブで一夜の間にサンプリングされた音源だけを用いた第2弾『One Club』と、1匹の豚が生まれてから屠殺されて食べられるまでをサンプリングで音楽に仕立て上げた第3弾『One Pig』が順次リリースされる予定となっている。

 さて、第一弾の『One One』はどうなのか。結論から言うと、これがしかし、良い意味でいつものハーバート以外、鳴らせない音が鳴っている。エレガントにダルで、捻じれた音の位相が微妙に緩やかに変わってゆき、曲名は徹頭徹尾、マンチェスターやバレンシアという地名に統一された記号的な有り方という、センスは相変わらずな部分がある。しかし、一つ、これまでと違うのはパーソナルでメランコリックに、よりミニマルな様相になっているということだろうか。反・グローバリズムや常々、コンセプトを標榜して世界へ音を届けようとしていた彼が、自分自身と向き合った結果、どうにも零れ出る自省のムードがベッドルーム・シンガー・ソングライターのそれに似て、非常に面白い。

 僕は、この『One One』での、一人の人間としての、マシュー・ハーバートが紡ぎあげる狂おしいサウンドの先に、何故か、オウテカの新作『Oversteps』の美しい静謐性に似た感覚を想い出してしまった。オウテカの新作も非常に緻密に編まれた優美でメロウな内容だったが、その音の隙間から滲み出るものには今までにないマッドネスを感じた。そういう意味で言うと、余計なバイアスを除いて音だけに耳を澄ますと、柔らかく日常が歪んでくる、そんな相変わらずのフリーキーさも備えているところがやはりハーバートの本懐だと思う。これから続くONEのシリーズを期待させる充実した内容の力作だろう。

 逃走線上にまだまだ、彼は戦略を練る。

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 シューゲイザー? レイヴ? それともシュー・レイヴ?

 日本でのみセカンド・アルバムとして発表された前作『Science For The Living』のイギリス版というコンセプトの下に制作が開始され、新曲も加えたこのアルバム『Dead Waves』を聴くと、上記の形容のどれもが彼らカイト(Kyte)のサウンドを捉えきれていないことが、すぐに分かるでしょう。今作は本国では彼ら初のフル・アルバムとしての、デビュー盤となっています。

 まず一聴しただけで、今までのどの作品よりも電子音を大々的に取り入れていることに驚かされます。いや、前作のタイトルが『Science For The Living』だったり、今作にも収録されている「The Smoke Saved Lives」や「Designed For Damage」といった曲のタイトルを見ただけで、文系・文科系の数のほうが多いだろうインディ・シーンにおいて、明らかに理系っぽい異質な雰囲気を漂わせていた彼ら。今作は、その理系的スタンスが見事に活きたエレクトロニックなサウンドの攻めのデビュー作と言えましょう。

 前作では序盤の流れのなか、ゆるやかな印象すらあった「The Smoke Saved Lives」。今作では再録され、力強いボーカルと、より動と静が強調したサウンドを手に入れて、アルバムの幕開けを飾ります。続いて今作を象徴するような、新曲「Ihnfsa」の吸い寄せられるような吸引力をもったイントロを聴いただけで、気がつけばリスナーは既にカイトの世界に引き込まれています。アルバム全体に過去に発表した曲の新録を散りばめながらも、明らかにそれらを上回りながら、新曲でもその世界観を余すところ無く見せつける本作。シューゲイザーやレイヴは感じさせるものの、そのどれもが、限定的な範囲にとらわれず、しなやかに鳴らされています。旧来のファンも取りこぼすことなく、新たなフィールドを開拓していく彼らの積極的な姿勢が強く表れているでしょう。

 ところで、日本での単独公演は軒並みソールド・アウト、去年のサマー・ソニックでの来日でも力強いパフォーマンスを繰り広げてくれた彼らですが、まだまだ本国では、そのUKシーンでは異質なサウンドからなのか目覚しいほどの人気は確立していないようです。前作をふまえたデビュー・フル・アルバムとなる今作が、本国ではどう受け入れられるのでしょうか。気になってしまう作品です。

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 オランダのデザイナであるディック・ブルーナがミッフィーことうさこちゃんを生み出したのは1955年。今年で生誕55周年ということで、福音館書店からは色(所謂ブルーナ・カラー)を初めとして絵本が大幅に改訂され、本展が開催されることとなりました。

 展示はまず、デザイナとしての仕事の紹介から始まります。あくまでミッフィーが主役の展示会という性質からコンパクトにまとめられていますが、ペーパーバックの<ブラック・ベア>シリーズの宣伝ポスターや本自体の装釘に見られるシンプルかつ洒脱なデザインから、後の仕事への繋がりが見えてきます。また、友人の誕生日が書き込まれたカレンダーも人柄が偲ばれるものでした。

 そしていざミッフィーのコーナーへ。何と言っても、不採用のものも含めた原画(原画なのです!)が豊富に展示されていることが素晴らしいです。ブルーナがどのように描いたのか、線の具合や修正の様子も含めて間近に観てとれます。ブルーナ・カラーと称される色を直に観られるのは特に興味深いです。また、最終テイクに到るまでの異なったバージョンを同時に展示しています。そのため、絵やデザインだけでなく、ストーリーやテーマについてもバランス良く紹介されています。

 最後のコーナーでは、多くの方がメッセージを寄稿しており、個性的なミッフィーが展示されています。また、ブルーナ・カラーの家具に新装版の絵本が収納されており、実際に触れて読む事が出来ます。

 会場を出るとグッズコーナーがあるのですが、展示で盛り上がったところに充実したアイテムが揃っているため、大変な危険地帯となっています。特に祖父江慎デザインのグッズは遊び心に溢れています。ここまでなら出せる、という線を決めていかないと大変な事になってしまいます。

 そして、本展については、福音館書店による新装版と密な関係にあるように思います。特に、図録および改訂版の装釘を手掛けた祖父江慎の役割はとても大きいものです。ブルーナの意図や翻訳の意味を考えた上で、フォントまで作成しています。そこに、ブルーナへの敬意を感じました。同時に、Twitterで読めるその過程の楽しそうな事と言ったらなく(4月近辺を読んで下さい)、読んでいるこちらもとても楽しい気分になります。

 東京会場は10日で終了しましたが、今後全国を巡回します。今回見逃した関東の方も横浜会場へ是非。中国と九州が各地から遠いのと、東北地方では全く行われないのが残念ではあるのですが、行ける方にはお勧めします。

 なお、東京会場では開催最初の週末に、先着申し込みでミッフィーと記念写真というイベントがありました。お子様と行かれる方は会場毎の情報を確認して行かれた方が良いと思います。

【参考サイト】
 ゴーゴーミッフィー展公式サイト
 ゴーゴーブログ
 祖父江慎 on Twitter
 福音館書店うさこちゃん誕生55周年記念キャンペーンサイト(2010/05/31まで)
 福音館書店キャンペーン担当者 on Twitter(2010/05/31まで)

【巡回スケジュール(2010/05/10現在確定分/大阪会場以外は図録による)】
 東京:松屋銀座(8階大催場) 2010/04/22-05/10
 札幌:大丸札幌店(7階ホール) 2010/05/26-06/07
 神戸:大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階) 2010/07/21-08/04
 名古屋:松坂屋美術館(松坂屋名古屋店南館7階) 2010/08/07-09/05
 横浜:そごう美術館(そごう横浜展6階) 2010/09/11-10/11
 福岡:福岡県立美術館 2010/10/16-12/05
 松本:松本市美術館 2010/12/10-2011/01/23
 香川:金刀比羅宮高橋由一館 2011/01/29-2011/04/30
 大阪:会場未定 2011/05/
 広島・ひろしま美術館 2011/07/16-2011/08/28

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 音楽を聴いていて、うかつにも笑ってしまったとき、やられたと思う。だけど笑ってしまうと思うのだ。これを聴いたら。近年、ここまでアクの強いヴォーカリストがいただろうか。アルバム2曲目、「A Walk On The Bleach」のイントロ、エレクトリック・ギターを爪弾くか細い音と、2拍、4拍を刻むハイハットの薄いバックに、唄うライアン・サンボルの声を聴いて、片岡鶴太郎のやる浦辺粂子のモノマネ(古いか)を思い出して笑ってしまった。そうして、彼の声にひかれ、なんとなく繰り返し聴いているうちに、いつのまにか彼らの音楽への真摯で挑戦的な姿勢に胸を打たれていた。

 このテキサスはダラス出身の6人組の音楽に触れたのは、この『Be Brave』が最初で、もう10年近く活動していることを知って驚いた。なるほど、カントリーやフォーク・テイストの、いなたい、だけどぐっとくるグルーヴ感(聴いてるより印象よりはるかに難しい)も、うなずける。実はこのレヴューを書く前に、渋谷に『Be Brave』以前のリリースを探しに行ったのだが入手できなかった。そればかりかこの『Be Brave』さえなかった。彼らがどういう道を辿ってきたのか知る術がないのが非常に残念だ。

 ここ最近、アントニー・アンド・ザ・ジョンソンズ(Anthony And The Johnsons)やアリラ・ダイアンのリリースで好調のラフ・トレードからリリースで、僕がレコードの5倍はいいだろうと推測している、ライヴのクオリティの高さが認められたのではと思う。ネオ・フォークなんて呼ばれている人たち、エミー・ザ・グレイトやアリラ・ダイアンのファンにはもちろん自信を持っておすすめできるのだが、批判を恐れず言えば、ボブ・ディランのファンにこそ聴いてほしい。ボブ・ディランを長く聴いてきたファンには、きっと僕と同じように、ライアンの声を笑った後には、彼らのすばらしい演奏にじっと耳を傾けてくれるはずだ。

 これからも、このアルバムをかけるたびに、その「うた」の純粋さに胸打たれ、アルバムが「Friday In Paris」にさしかかる頃には、もうほとんど泣きそうになるくらいの感動を覚えるのだろう。いつしか、ライアンのおかしな歌声を笑っているのは、そんなこっぱずかしい感動への照れ隠しではないかと、疑いはじめるのだ。

 ラフ・トレードのページで試聴できます。

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 Jonas A(ミューのヨーナス・ビエーレ)、Martin
A(マーティン・テレフェ)、Magne A(アーハのマグネ・フルホルマン)、Guy A(コールドプレイのガイ・ベリーマン)の4人から成る覆面バンド、アッパラッチク(Appa-rat-chik)。エレクトロ・サウンドを駆使してバキバキな音から浮遊感たっぷりな音、綺麗で可愛い音までを美メロに合わせて聴かせてくれる。とても4人の力とは思えない迫力と圧倒的な音圧で魅了されるこの作品は、オープニングのミューのヴォーカルから次々と変わるヴォーカルで色とりどりの色彩を持ち、比較的アップテンポながら中にはシガー・ロスのように自然を感じさせたりオウテカやボーズ・オブ・カナダのように喜びや悲しみを感じさせたり、音そのものがまるで生きているようだ。デジタル・サウンドとヴォーカルだけでここまでのことが出来るのかとうっとりすると同時に感動でうずくまってしまいたくなる傑作。マイスペースにも"Keep it secret"と書かれているが、覆面にしておくのが本当に勿体ないと思えてならない。もっと多くの人に知ってもらって聴いてもらいたいと思う。

補足:現状このアルバムはMP3配信のみ(2月1日に開始されています)。CDは今のところ6月15日リリースが予定となっています。

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「インディー・ロック界のスターが集結したスーパー・グループ!」と、鳴り物入りでデビューして以来、着実に良質なポップ・アルバムをリリースし続けてきた彼ら。07年の4thアルバム『Challengers』以降、A.C.ニューマン、デストロイヤー(&他いろいろ)、そしてニーコ・ケイスのソロ作品など、各メンバーの課外活動を経て、満を持して5枚目のアルバムがここに届けられた。

 本作は、各自の活動の中で培われた要素がバンドに還元された一枚だと言えるだろう。例えば、随所に導入されたストリングスのアレンジはA.C.ニューマンのアルバム『Get Guilty』の流れを汲んでいるし、相変わらずパワフルで美しいニーコの歌声は昨年のソロ作『ミドル・サイクロン』を経て、切ない響きを増したように思える。ダン・ベイハーの書くメロディは、デストロイヤーやスワン・レイクで聴く時よりも仄明るく、力強く響くし、映画監督でもあるキーボーディストのブレインが監修した「Our Hands(Together)」のミュージック・ビデオも面白い。このように、メンバーそれぞれの持ち味、それぞれの表現が組み合わさる(文字通り『Together』する)ことで、作品に深みが生まれている。そして、そんな『Together』の輪はメンバーの間だけに留まらない。ベイルートのザック・コンドン、オッカヴィル・リヴァーのウィル・シェフ、セイント・ヴィンセントことアニー・クラークなど、現代のUSインディー・ロック・シーンに欠かすことのできない面々がゲスト参加。

 このように、完成度・話題性ともに高く、この作品がこれまでより多くの注目を集めることは間違いないだろう。ポップ・ミュージック・ファンで、この作品を好きにならない人はいないのでは?とさえ思えてしまう。「ストリングスやホーンが使われている」「何重にも重なったコーラス・ワークが美しい」という音楽的な側面だけではなく、あらゆるものを引き寄せ巻き込むエネルギーを持った、そんな一大ポップ・シンフォニー。

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 コートニー・ラヴという人は本当に! スキャンダラスな話題ばかりを振り撒いて、すっかりゴシップクイーンに成り下がってしまったかと思っていたら、いつのまにこんなアルバムを作っていたのか! しかも12年ぶりのホールの新作とは! 曲作りをしている、レコーディングをしているという話だけは伝わってきていたが、ホール復活どころか再び歌ってくれるのかどうかすらわからなかったこの数年、彼女の声を待ち侘びていた者としては、どんなに悪い噂が彼女を取り巻こうとも手放しで迎え入れたい気持ちだ。

 なのに、首から下のマリー・アントワネットの肖像といい、「ジェーン・グレイの処刑」の画といい、随分と不吉な暗喩を含んでいそうなジャケットには、華々しいカムバックの雰囲気は感じられない。昨年末にカートの忘れ形見フランシスの親権を再び剥奪されるという、最近で一番悪いニュースであったに違いない事件の後に『Nobody's Daughter(親なき娘)』というタイトルを冠してしまうなど、この作品には悲痛で哀しい彼女の数年が刻み込まれているのだ、ああどれほどつらい日々を送って来たのか、と私は思った。実際、前作『Celebrity Skin』を包み込んでいた、ロサンゼルスの波のようにキラキラとした希望の光は見当たらず、どこか陰欝で暗い雰囲気が漂い、コートニー独特のポップさも派手さも鳴りを潜めている。意外にもファースト・インプレッションは暗く哀しい作品というものだった。

 しかし、シンプルなギターのストロークと彼女の声がいつまでも耳に残る。ヘッドフォンを外しても頭の中で彼女が叫ぶのだ、「あたしは生きる、あんたはどう?」と。昔と少しも変わらない、ハスキーで投げやりにも思える歌声には随所に彼女の鼓動が息づいていて、咆哮とも叫びともつかない生への渇望に満ちたその声が、これまでのどの作品よりも生々しく、そして痛々しく私達に届く。無駄なものを一切入れずストレートに作られたサウンドは、より彼女の声を引き立たせてリアルなものにし、心の深いところに容赦なく真っ直ぐに入ってくる。美しい言葉とスラングが混在した歌詞には絶望や希望が交差し、混沌としながら愛を欲する彼女の内面がとても私的に記されている。タイトルトラックである「Nobody's Daughter」はコートニーの手を離れてしまったフランシスのことだとすぐにわかるし、「Honey」にはカートへの想いが綴られている。「Samantha」で娼婦に自身を重ねつつも、「Letter To God」では"Can you help me?"と神に救いを求める。その叫びは痛々しくこそあれ、弱さは少しも感じられない。これは哀しい作品なんかじゃない。生きようとする強い意思の表われた、まさに復帰にふさわしい作品だ。これこそが彼女の傷だらけの生き方なのだ。悲劇のヒロインなどコートニーには似合わない。

 コートニー・ラヴという人を知ってから15年近く経つ。彼女の声が好きで、ルックスが好きで、破天荒な生き方が好きで、ずっと彼女を追いかけてきた。しかしここ数年、耳に入ってくるのは心配なニュースばかり。ゴシップやトラブルにまみれ、彼女の姿は見えなくなりかけていた。私の好きなコートニーはどこかへ行ってしまったのか...と思いかけた時、この力強いアルバムとともに彼女は戻ってきた。苦しい時ほど歌えと言わんばかりに。見失いそうだった彼女は今しっかりとここで歌っている。失って失って傷つけ傷ついてきた彼女は、それでも生きるのだと再び前を向くことを選んだ。そして今の彼女にはホールという居場所がある。支えてくれるメンバーがいることで、もっともっと自由に歌えるはずだ。コートニーにはソロアーティストとしてよりも、もちろん女優やパーティーに顔を出すセレブとしてなんかよりも、バンドを率いるフロントマンとしてステージに立つのが似合っている。下着のようなドレスから白く長い手足を放り出して、ギターを掻き鳴らしがなる姿はこれからもずっと私の憧れだ。

 彼女を好きじゃない、むしろ嫌いだという人は多いかもしれない。ほとほと愛想を尽かしたという人もいると思う。けれど自分にまとわりつく数々の雑音を、ここまで力強いパワーで跳ね返せる人はそうはいない。どうか彼女の外側で起こる出来事に目を向けるのではなく、内側から生み出される力を感じてみて欲しい。私達が思っている以上に必死に、一生懸命に、純粋に生きているのがわかるはずだから。

 PLAY THIS RECORDING VERY VERY LOUD PLEASE. - 彼女がこうライナーに記した通り、ぜひ大音量で彼女の鼓動を聴いて欲しい。

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 1999年の結成以来、言葉を持たない音楽を、言葉以上のメッセージに変換して、世界各地のあちこちで魅了しつつ、インストゥルメンタル・ロックの可能性を押し広げてきたMONO。今作はそんなバンドの結成10周年を記念して、24人のオーケストラ(Wordless Music Orchestra)を従えてニュー・ヨークで演奏されたライヴを音源、映像を完全パッキングした2枚組の作品。オーケストラを従えて制作された最新作『Hymn To Immortal Wind』からの曲を中心に、「Where Am I」や「Are You There」など過去の作品からの名曲も交えた全10曲、90分のセットリスティング。最新作の曲は、オーケストラルなアルバムを完全再現して圧倒し、過去の曲はオーケストラとの協奏により新たな命が吹き込まれ、どの曲もクラシカル・ミュージックが持つ荘厳なスケールと、MONOというバンド本来の持つ静寂と激動による爆発的なダイナミズムが合わさり、とてつもないエネルギーの創造に成功している。録音には元Minus The Bearでも知られる敏腕エンジニアのマット・ベイルズが担当し、バンドとオーケストラの息遣いのみならず、会場の張り詰める空気感やオーディエンスが高揚する様を、生々しく、余すことなく収録。バンドが体現したかったであろう、シネマティックで音像的な世界観と、その場で起きた歓喜の連続を、より一層耳と目で堪能することができる作品です。

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 いきなりだけど、アーチー・ブロンソン・アウトフィット(Archie Bronson Outfit)の2006年にリリースされた彼らにとってのセカンド・アルバム『Derdang Derdang』は本当に素晴らしい作品だった。クリーム以来のハード・ロック/ガレージ・ロックの伝統である重たいギター・リフと煙ったい空気。髭ヅラ野郎ども(見た目もわかってる)のスリーピース演奏は重々しくも一体感が生む躍動感に満ち溢れていた。楽曲のツブが高いレベルで揃っていることもあり、個人的にも当時のお気に入りの一つだった。こんな格好いいバンドをバーで発見したというドミノの社長、ローレンス・ベルはさすが、大した彗眼の持ち主だ。

 彼らにとって不幸だったのは、リリースされた時期がちょうど00年代におけるガレージ・リバイバルのピーク・タイムだったことで、だからこそ注目は浴びたが、悲しいかな作品の良さに見合った評価はそれほど得られなかったように思う。日本でも残念ながらそれほど彼らの名前を聞く機会はなかった。そのシーンで突出した成功を見せた、レーベルの同僚でもあるアークティック・モンキーズの『Humbug』が好きな人たちには、ぜひあのアルバムも聴いてみてほしい。どちらが上とかは言わないけど、結構気に入ってもらえると思う。

 そんなこともあってかどうかはわからないが、次の作品を産み出すのに彼らは4年近くかかってしまった。そして、彼らの音は変わった。

 どう変わったかはPVを見比べるとイメージしやすい。まずは先に挙げた『Derdang Derdang』からの一曲「Dart For My Sweetheart」のPVを見てみよう。モノクロの映像。ずいぶん密接したバンドの演奏。それに合わせて踊り狂うグルーピー。チープなアニメーションも実に60年代的でわかりやすい。

 では次に、最新作『Coconuts』からシングル・カットされた「Shark's Tooth」を。宇宙船に乗りこみ、バイキング風の妙な衣裳を身に纏う3人。惑星に着陸してなぜか演奏を開始。大地は裂けて未来都市が突然聳え立つ。ベースからビーム! 両手からもビーム!(ホット・チップ「I Feel Better」のPVもアホすぎて素敵だったが、今年はビームがPV業界のトレンドなのかもしれない) 今様な映像はエフェクトも凝りまくってる。にしても、変なPVすぎだろ。

『Coconuts』ではプロデュースをティム・ゴールドワージー(Tim Goldsworthy)が担当。DFAレコーズの共同オーナー、U.N.K.L.E.の元ドラマーにして、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアや、カット・コピー『In Ghost Colours』、ラプチャー『Echoes』など、エポック・メイキングな作品の数々を手掛けてきた一方、過去には学校を中退して英国中でマイブラの追っかけをしていたという愛すべき人物である。

 バンドの音は彼の経歴と実に忠実に、とてもわかりやすく変化した。ニュー・ウェーブ的で金属質なエフェクトとけたたましいノイズが幾重にも張り巡らされ、ヴォーカルにも全編エコーがよく効きまくっている。楽曲はグっとダンサブルになった。ただ正直にいえば、特にアルバム中盤の数曲においては試みの全てが成功しているとも言い難く、過度期の作品と見なすべきかもしれない。(昔からのファンからは特に)賛否両論となりそうな作品だが、個人的には彼らの大胆な人選と遊び心をぜひとも支持したい。

 音像がブルージーな路線からディスコ・パンク気味に変化しても、リフ主体の獰猛でトライバルなサイケデリック・ロックの本質は変わっておらず、もっとも重要な魅力である「単純にかっこいい」部分はそのまま貫き通されている。冒頭の数曲の熱気は生半可な気分で流行に乗ったバンドには出せない迫力があるし、ジャケットの青くて丸い何かがコロコロ転がっていく画が浮かびそうな「Chunk」はほのぼのとしていて可愛らしい。暴走するノイズに乗せてひたすら叫びまくるだけの「Wild Strawberries」にしても、ヴェルヴェッツ・マナーに則ったキック・ドラムの連打に合わせて朗らかに歌われる「Run Gospel Singer」にしても、本当にかっこいい。かっこいいというその事実以上にあと何か必要だろうか。来日公演は必要だ。ぜひ生でライブ見てみたいです。凄そう。