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MARTYN『The Air Between Words』.jpg

 ハウスは偉大というべきか、永遠というべきか、どちらにしても、"死んだ" "終わった" みたいな言説とは無縁の音楽なのは間違いない(まあ、そもそも、そうした言説自体が理解できないものではあるが)。新しいジャンルや潮流が現れ、一時は音楽シーンの片隅に追いやられても、いつの間にか大きな潮流として戻ってくる。例えば、ダブステップ以降は非4つ打ちのトラックが横溢したイギリスでさえ、スタイリッシュなハウス・ミュージックを鳴らすディスクロージャーが全英アルバム・チャート1位を奪取し、ルート94がセクシーなハウス・トラック「My Love」を全英シングル・チャートの頂点に送り込める現在なのだ。ダブステップ以降のベース・ミュージックにしても、"ベース・ハウス" なんて言葉が至るところで見られるように、ハウスを取り入れている。やはりハウスの万能性は、多くの人にとって魅力的なものなのだろう。言ってしまえば、4つ打ちであれば何をやってもいいのが、ハウスという音楽だ。


 本作『The Air Between Words』を完成させたマーティンは、ダブステップ以降のベース・ミュージック・シーンにハウスを逸早く接続したひとりである。前作『Ghost People』が《Brainfeeder》によってリリースされたことからもわかるように、マーティンはフライング・ロータスを中心としたビート・ミュージック・シーンで評価され、同時にポスト・ダブステップというタームの代表的アーティストのひとりとしても見られていた。しかし、《Nonplus》がリリースしたコンピレーション『Think And Change』に提供した「Bad Chicago」、そして「Newspeak」などのEPが表していたように、ここ最近のマーティンはハウス/テクノに傾倒していた。


 本作は、そんなマーティンのモードが明確に反映された、ハウス/テクノ・アルバムに仕上がっている。アンソニー・ネイプルズのようなハウス界の新進気鋭を抱える《Mister Saturday Night》と共振するローファイでラフな質感が際立ち、初期のシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノといった、いわゆるオールド・スクールな音に接近している。インガ・コープランドフォー・テットを迎えて描きだしたサウンドスケープは、ザラつきながらも、ダンス・ミュージックが持つ甘美な享楽性を上手く抽出してみせる。特に高い中毒性を持つ「Forgiveness Step 2」のグルーヴは、1度身を任せてしまったらなかなか抜けだせないものだ。



(近藤真弥)

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Sam Smith『In The Lonely Hour』.jpeg

 先日、映画『チョコレートドーナツ』を新宿シネマカリテで観てきた。この映画は、1979年のカリフォルニアを舞台に、ダンサーとして働きながらもベット・ミラーのようなシンガーになりたいと夢見るルディ、世界を変えるために法律を学び検事局で働いているポール、そして薬物依存症の母に育てられたダウン症の少年マルコという3人の "愛" にまつわる物語だ。同性愛者であるルディとポールは、マルコの母が薬物所持で逮捕されたのをキッカケに、マルコを我が子のように育てはじめる。3人で一緒に暮らしながら、学校へ通わせ、毎日朝食を作り、マルコが眠る前は、彼が大好きなハッピーエンドの話を聞かせる。


 それは3人にとって幸せな時間であった。ルディも、ポールからプレゼントされたテープレコーダーでデモを制作し、それがひとりのクラブ・オーナーに気に入られ、シンガーとしての道を歩みはじめた。しかしある日、ルディとポールが同性愛者であることが周囲に知られ、マルコは家庭局に連れて行かれてしまう。ポールも仕事を解雇されるが、それでもルディとポールは立ち上がり、周囲の偏見と差別、そして法律に挑んでいく。


 ロンドン出身のシンガーソングライター、サム・スミスの名が多くの人に知られるキッカケは、ディスクロージャーの大ヒット曲「Latch」に参加したことだろう。この曲でサムは、繊細で甘い歌声を披露している。その後もノーティ・ボーイの「La La La」に参加するなど、いくつかの客演をこなしつつ、自身のEP「Nirvana」もリリース。着実に歩みを進めてきた。


 そうした道のりを経てリリースされたファースト・アルバム『In The Lonely Hour』は、儚くも美しい "哀しみ" に満ちた作品に仕上がっている。もしかすると、「Latch」や「La La La」でサムの歌声を初めて聴いた者は、肩透かしを喰らうかもしれない。というのも、このアルバムに収められた曲のほとんどは、私たちに語りかけるようなサムのヴォーカルを際立たせたバラッドだからだ。それゆえアップテンポなトラックは少なく、サムが幼い頃から聴いてきたというソウル・ミュージックの影響が色濃く反映されている。言ってしまえばノリノリなアルバムではないし、みんなで聴くよりはひとりベッドルームで聴き入るのが相応しい。


 それでも本作は多くの人に聴かれ、愛される作品になるだろう。先ごろ公開されたFADARのインタヴューでサムは、同性愛者であることを告白している。痛切な片想いを綴った歌詞の内容が多いことからも、本作が "報われない愛" をテーマにしているのは窺えたが、その対象は男性だったということだ。とはいえ、それは本作を楽しむうえでは関係ない。『チョコレートドーナツ』と同様に、本作もまた、他者を求める者なら誰でも味わうであろう "愛の物語" について描かれているのだから。ゆえに本作を、愛する対象が同性であるということで、"性的少数者の物語" と括ってしまうのは些か狭隘ではないかと思う。愛した者が同性であったというのは、人それぞれ性格が異なると一緒で、ほんの些細な違いにすぎない。あくまで本作は、サム・スミスという名の青年をめぐる抒情と物語で作られているのだ。


 このような普遍性が根底にあるからこそ、『In The Lonely Hour』は眩しいほどの輝きを放っている。




(近藤真弥)

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SHARON VAN ETTEN『Are We There』.jpg

 「恐れるものは何もなかった」。このアルバムを繰り返し聴いて、こみあげてくる感情についてずっと考えて、たどり着いた言葉。パティ・スミスやスザンヌ・ヴェガを連想するヴォーカルが胸を貫く。エレクトロニカ、ポストロック、インディーR&Bの要素をさりげなく取り入れながら、骨格はあくまでシンプル。一聴するとオーソドックスなブリティッシュ・フォーク、生活感のこもったブルース、あるいは息が詰まるほど甘いソウル。最小限の音数で、本当に大切なことだけを紡ぎ出そうとしている。何回か聴いたのち、ふと1曲目のタイトルを見ると「Afraid Of Nothing(何も恐れない)」。なんだ、はっきり歌っているじゃないか。そうだよ、とても近い感覚。冒頭に書いた言葉はレディオヘッドPyramid Song」の一節《Nothing to Fear》からの連想だが、あの曲も当時の最先端音楽の影響を吸収したうえで伝統的な歌を再現していた。とてもスイートであまりに繊細で孤独、けれど力強い点も共通している。


 ボン・イヴェールとのコラボレーション、前作『Tramp』をザ・ナショナルのメンバーがプロデュース、セルフ・プロデュースの本作にもザ・ウォー・オン・ドラッグスのメンバー始め盟友ミュージシャンが多数参加など、ここ最近シャロン・ヴァン・エッテンのトピックは尽きない。しかしそんなことより気になるのは、彼女の唄を聴いていると、愛するとはどういうことか絶えず問いかけられているようであること。3曲目「Your Love Is Killing Me」は命がけで向かい合う恋について。6曲目の「I Love You But I'm Lost」では恋人との損なわれてしまった関係を告白し、私たちはお互いに尊敬し高め合うことができるはずなのにという内容を歌う。7曲目の「You Know Me Well」では恋人との関係がたとえこの世の地獄であったとしても、向かい合っていく覚悟を切々と歌う。そしてラストの「Every Time The Sun Comes Up」では困難が続いていく毎日について淡々と歌い、最後の一節で、全ては幻覚かもしれないと笑い飛ばす。聴き手に最終的な判断をゆだねているようだ。


 トム・ヨークが「Pyramid Song」で歌ったように過去、現在、未来、この世、あの世、全ては地続きかもしれない。今生きている現世こそ、ひょっとしたら地獄なのかもしれない。シャロン・ヴァン・エッテンは決して安易な希望を歌わない。シニカルな絶望にも傾かない。ただ在りのままの自分を、世界を包み隠さず歌う。



(森豊和)

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Kate Tempest ‎- Everybody Down.jpeg

 イギリスのラッパーであり2000年代を代表するリリシスト、ザ・ストリーツことマイク・スキナーの最高傑作『A Grand Don't Come For Free』が世に出たのは、今から10年前の2004年5月。このアルバムでマイクは、一見代わり映えしない日常を淡々と描いている。それは、オープニングを飾る「It Was Supposed To Be So Easy」の一説からもわかるはずだ。


《今日やること DVDをレンタル屋に返す 銀行で金をおろす 母ちゃんに夕飯を食べに行けよと電話する それから貯めた金を持って 待ち合わせ場所に走るんだ》

(「It Was Supposed To Be So Easy」)


 そんなアルバムを聴いて筆者が口にした言葉は、「普通!」。いや、内容が凡庸だとか言いたいのではなく、マイク・スキナーの歌詞が日本に住む筆者の日常とほとんど変わらないことに驚いたのだ。おまけに逃避願望もほとんどなく、そもそも "日常" とは本当に代わり映えしない退屈なものなのか? というマイク・スキナーの鋭い視点とタフな精神が、アルバム全体を覆っている。ゆえに『A Grand Don't Come For Free』は、 "日常" に隠された面白い側面を切り取るユーモアと好奇心で溢れている。


 2014年5月、筆者は久々に、聴き終えた瞬間「普通!」と(心の中で)叫んでしまう作品に遭遇した。その作品の名は、『Everybody Down』。現在27歳のイギリス人女性ラッパー、ケイト・テンペストによるアルバムだ。ケイトはサウンド・オブ・ラムのメンバーとして、アルバム『Balance』を2011年に発表するなど、音楽活動歴はそれなりに長い。さらに詩人や小説家としての顔も持ち、2015年発表予定のデビュー小説『The Bricks That Built The Houses』は出版権がオークションにかけられるなど、出版前でありながらすでに話題作となっている。このようにケイトは、言葉を扱う才能に恵まれた才女なのだ。


 『Everybody Down』でも、その才気は文字通り煥発。テンポのよい韻の踏み方は迫力を持ち、聴き手の心に深く突き刺さる。もちろん言葉の組み立て方も秀逸。それなりに英語を理解できればより楽しめるのは間違いないが、たとえ完全に理解できなかったとしても、冷静と情熱の間を行くケイトのエモーショナルなラップに聴き入るだけで、気持ちが自然と昂ってしまう。言ってしまえば、それだけでも『Everybody Down』は必聴レベルに達している。ケイトの声、呼気、温度に触れるだけで、目の前の景色がほんの少し変わるのだ。だからこそこのアルバムは、マイク・スキナーと比べればいくぶん寓話的にケイトから見た日常が描かれていながらも、日本に住む私たちにも響く "普遍性" を備えている。


 フランツ・フェルディナンドホット・チップとの仕事で知られるダン・キャリーをプロデューサーに迎えたサウンドも、聴きごたえ十分。ドラムマシーンとアナログ・シンセをメインに制作されただけあって、良い塩梅のラフな質感が耳に心地よく馴染む。音数が少ないミニマルなプロダクションも際立ち、ケイトの言葉を聴き手に最短距離で届けてくれる。また、「Lonely Daze」ではダンスホール・レゲエの定番リディムのひとつ "スレンテン" を取り入れたりと、挑戦的な姿勢を垣間見せる。「The Truth」のベース・ラインがダブステップを感じさせるのも面白い。


 こうした具合に、『Everybody Down』はサウンド面にいくつもの要素が込められた作品だが、強いて括るならばヒップホップということになる。それゆえヒップホップ好きに聴いてほしい、と締めるのが妥当かもしれない。だが、それではあまりにもありきたり。そこで筆者は、ミツメシャムキャッツ、それから森は生きているといった音楽を聴いている人に『Everybody Down』を勧めたい。というのも、ミツメ、シャムキャッツ、森は生きている、ケイト・テンペスト、4者は視点や手段こそ違えど、"日常" に潜むささやかな光や楽しみ、あるいは世にも奇妙な世界に繋がる扉を指し示すという点では共通しているから。"日本の音楽" と "イギリスの音楽" なんて区分けは無意味だ。日本語と英語、言語は異なるが、その言語だって音に過ぎないのだから。そんな言語の音に惹かれたあと、言葉に込められた意味を理解していくという楽しみ方もアリなはず。確かに『Everybody Down』は、"日常" から逃れられないという諦念を抱きながらも、そこで生きる人々の想いが込められた言葉で埋めつくされている。だが、その言葉をまずは "音" として楽しんでみてほしい。それでも魅力は十分伝わる。住んでいる場所なんて関係ない。


 とはいえ、理解を深めた先に見えてくる風景がどんなものなのか、それは筆者の口からは言えない。マイク・スキナーは、『A Grand Don't Come For Free』のラスト「Empty Cans」で、《この先はつらい日々が始まる でもこうなるはずじゃなかった季節は終わった だからこれが本当の始まりなんだ》と言葉を紡いだが、それから10年後に生まれた『Everybody Down』は、果たして「本当の始まり」から生まれたのか? それとも10年前よりハードになっただけというシビアな現実を突きつけるのか?  その答えは、あなたの耳と心で直接確かめたほうがいい。



(近藤真弥)

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TRAXMAN『Da Mind Of Traxman Vol.2』.jpg

 2年前、トラックスマン 『Da Mind Of Traxman』がリリースされたときのジュークは、"広がりつつある" という段階だった。もちろんクラブで流れることはあったし、注目も集めてはいたが、"一般的" と言えるほどではなかった。


 しかし今では、ジュークの影響を感じさせるトラックが本当に多くなった。レコード・ショップ、バンドキャンプ、サウンドクラウドなどを散策し、"Bass" とタグ付けされた曲を聴いてみる。すると、不意に鳴らされる乾いたスネア、規則的に刻む人間の鼓動からどんどん離れていく忙しないリズム、そして強烈なベース。こういったジュークの特徴を匂わせる曲に遭遇することが増えたように思う。一方では、サグ・エントランサー『Death After Life』やスラヴァ『Raw Solutions』のように、ベッドルームを根城にするインディー・ファンも巻き込めるジューク・アルバムが生まれたり。そんな現況を見ていると、ジュークは文字通り "定着した" と言えるのではないか。


 それは日本も例外ではない。代官山ユニットでおこなわれたトラックスマンの来日公演、新宿LOFTで定期的に開催されているイベントSHIN-JUKE(シンジューク)、それから日本のジューク界を語るうえで欠かせないレーベル《Booty Tune》。これらのパーティーやレーベルの多大な努力によって、日本はジューク生誕の地シカゴにも負けないジューク大国となった。音楽メディアFACTに取りあげられた食品まつりのように、国外から注目を浴びるトラックメイカーも現れている。


 トラックスマンの最新作『Da Mind Of Traxman Vol.2』を聴くと、そうした状況においても揺るがない自らのスタイルに対する自信を感じる。DJラシャド『Double Cup』のようにジュークとジャングルを混ぜるわけでもなければ、アイタル・テックなどに通じる初期IDMの要素が強いジュークでもない。ソウル、ヒップホップ、ハウス、ジャズといった要素が散りばめられた上品な色気をまとう心地よいジュークであり、言ってみればこれまでトラックスマンが生み出してきた曲群との大きな違いはない。


 とは言っても、それで本作の魅力が削がれるかといえば、決してそうではない。むしろ、深化をしながらも変わらず残っている部分にこそ、本作の素晴らしさを見いだせるからだ。その「部分」とはズバリ、ジュークという音楽がさまざまなブラック・ミュージックの因子を内包し、作り手の解釈次第でその姿をいかようにも変える音楽であるということ。そんなジュークの真髄を本作は教えてくれる。


 こうした作風は、冒頭で述べたジュークの「定着」をふまえると非常に興味深いものだ。ダブステップがいくら商業化したところで、そういった潮流とは別のところでディープなトラックがアンダーグラウンドから次々と生まれ、商業化する以前のダブステップにあった精神やスタイルが脈々と受け継がれてるように、もしやジュークもそういう段階にきたのかもしれない。だからこそ本作でトラックスマンは、そのような残していくべき精神やスタイルを提示したのではないか?


 テクノを掘りさげれば必ずデリック・メイに遭遇し、ハウスに傾倒すればフランキー・ナックルズを避けて通れないように、トラックスマンもまた、ジュークという音楽の原点を教授してくれる伝道師なのだ。



(近藤真弥)

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ふぇのたす『胸キュン'14』.jpg

 繰り返しのリズムで寿司のネタを挙げていくダンス・チューン「すしですし」で始まり、ボーカロイド、エレ・ポップ的な音作りを基調としながらも、見え隠れするのはNUMBER GIRL(ナンバーガール)への愛。ヴォーカルのみこ、デジタル・パーカッションの澤"sweets"ミキヒコ、そしてギター/シンセサイザーと全ての作詞作曲をこなすヤマモトショウからなる3人組ふぇのたすは、羊の皮をかぶった狼である。


 2曲目「たびたびアバンチュール」は、NUMBER GIRLからの影響を公言するBase Ball Bear(ベース・ボール・ベアー)を彷彿させるニュー・ウェイヴ・ディスコだし、3曲目「有名少女」はNUMBER GIRL「透明少女」へのオマージュ。ギターの音圧が上がり、舌足らずなヴォーカルも熱を帯びてくる。けれども深追いはせず、以降は80年代アニメ・ソングのようなエレ・ポップへ回帰していく。乱暴な例えだが、彼らの音楽性は高橋留美子『らんま1/2』の女らんま。一見可愛らしい容姿で中身は武闘派なのだ。


 高橋留美子の諸作品は萌え文化の源流のひとつであり、アニメ同人誌やボーカロイドで描かれるキャラクター・デザインのルーツかもしれない。萌えという感覚は諸説あるが、私が思うに、ある種のフェティシズムであり、個人対個人の物語へ発展しない。彼や彼女の中だけで完結する二次元への恋である。アニメの美少女は生身の女性と比べて情報量を格段に減らす一方で、ありえない大きな瞳や胸といった形で魅力をデフォルメし増幅している。ボーカロイドも肉声をデジタル化して情報を減らしながらも、人には歌えないとっぴな加工が可能。つまり情報を削ぎ落とし単純化し、ある部分に限局して反復しイメージを増幅する。


 これは昨今の精神科医療の大きなトピックス、自閉症スペクトラムと結びつきやすい特徴だ。国際的な精神疾患の診断基準であるDSM-5において、アスペルガー症候群や従来の自閉症などを包括する概念として新たに定められた疾患単位である自閉症スペクトラムは、生まれつき感覚過敏があり膨大な情報にさらされることに弱く、その程度が甚だしければ、著しい興味の限局と反復、コミュニケーションの不具合を引き起こす。その一方で、ときに人並み外れた創造的才能はこの特性に基づく場合がある。


 この視点に沿ってふぇのたすを聴けば、彼らの曲で一貫して歌われるテーマはあらゆる角度から襲いくる情報の渦だ。「有名少女」における注視妄想に、「もどかしいテレパシィ」のメールと伝言板だけで確認される恋、「おばけになっても」で歌われる幽体離脱する恋人。逃げ場のない情報社会で、繰り返されるリズムを盾に情報を遮断し彼女は身を守る。嫉妬や憎しみだけでなく、優しさや思いやりさえも負担になるのかもしれない、そんな彼女は「透明少女」。極まれば光も闇もこの世界の真実全てを受け止めてしまうような、その過敏性ゆえに、ときに現実を拒否し引きこもる。しかしひとたび世界と彼女の歯車が合えば、凄まじい才能を発揮するポテンシャルを秘めている。


 アイドルの作詞作曲も手がけるヤマモトショウは、萌え、オタク文化と彼の愛するNUMBER GIRLの音楽との接点を無意識に、半ば本能的に見出してしまった。そしてそれは時代の空気と必然的にリンクする。彼らのA&R加茂啓太郎が言う「音楽的発明」とは斬新なアイデアに加えて、そのアーティストが生きる時代のリアルを切り取っていることが必須条件なのだろう。



森豊和

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Habits Of Hate「Habits Of Hate」.jpg
 ダンス・ミュージックの "今" と "未来" を知りたければ、「Habits Of Hate」を聴けばいい。と、柄にもなくセンセーショナルな書き出しになってしまったが、このシングルを聴いたあとでは、そう書かせるほどの興奮状態に陥ってしまうのだからしょうがない。


 さて、なぜこうした書き出しになったのか?それにはまず、ハッパという新進気鋭のアーティストについて説明しなければいけない。英リーズ出身のハッパは、現在16歳のトラックメイカー。客としてではなくパーティーの出演者としてクラブを初体験したという。


 彼が注目を集めることになったキッカケは、2012年に発表された「Boss」。このトラックがリンスFMでプレイされると、ハッパの名は早耳リスナーたちの間でたちまち話題となった。それはダブステップを "過去の音楽" と認識し、若いリスナーに "再解釈" という形で届ける世代の登場を告げるトラックだった。その後ハッパはフォー・テットにリミキサーとしてピックアップされ、以降もジョン・ホプキンスやフォンデルパークといったアーティストの曲をリミックス。一方で自身のレーベル《PT/5》を立ち上げ、第1弾リリースのウィッチ「Vent」ではシフテッドをリミキサーに迎えるなど、UKハード・ミニマルの潮流とも邂逅している。こうしたさまざまな潮流を行き来することで、デビュー当初はベース・ミュージック界隈の新世代に過ぎなかったハッパは、将来のUKダンス・ミュージックを背負って立つアーティストのひとりとなった。


 そんなハッパが、《Black Sun》などからリリースを重ねるマンニ・ディーと結成したユニットこそ、デビュー・シングル「Habits Of Hate」を発表したばかりのハビッツ・オブ・ヘイトである。このシングルは、昨今のインダストリアル・ブームがベース・ミュージックに接近しつつある流れを反映させ、同時にダンス・ミュージックの攻撃性を極限にまで高めたヘヴィーなサウンドも鳴らしている。それはテン年代に向けた "ダブステップの再解釈" でありながら、プロディジーやケミカル・ブラザーズといった、ロック・ファンも巻き込んだビッグ・ダンス・アクトの血筋を見いだせるものでもある。言ってしまえば、将来的にディスクロージャーと肩を並べられるポテンシャルを示しているということ。それこそ、数年後には大型音楽フェスのメイン・ステージに立っていてもおかしくないほどの。「Boss」以降のサクセス・ストーリーや16歳という年齢ばかり注目されるハッパだが、そうした外部の煽動がなくても、生まれもって授けられた素晴らしいセンスだけでダンス・ミュージックの未来を切り開けるアーティストなのだ。この事実を「Habits Of Hate」は雄弁に鳴り響かせる。さすがのスクリームも、うかうかしていられないだろう(それゆえか、先日《Of Unsound Mind》というレーベルの立ち上げを発表したばかりだ)。


 そして、こうしたシングルが、ダブステップ以降のベース・ミュージックを牽引してきた《Hyperdub》の10周年記念コンピ『Hyperdub 10.1』と同じ年にリリースされたのは、なにか運命めいたものを感じてしまう。おまけに、ミリー・アンド・アンドレア『Drop The Vowels』が示せなかった、飽和状態にあるインダストリアル・ブームの "先" をたった1枚のシングルで私たちに見せてくれる。いやはや、すごい新世代が現れたものだ。


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Copeland『Because I'm Worth It』.jpg
 インガ・コープランドことアリーナ・アストロヴァが、ソロ・デビュー・アルバム『Because I'm Worth It』をコープランド名義で発表した。このタイトルを日本語に意訳すると、『私には(それなりの)価値がある』といった感じ。捉え方にもよるが、筆者からすると、背水の陣であっても前向きに行こうと歩きだす彼女の姿が見えてくるタイトルだ。


 2013年夏、ディーン・ブラントと共に結成したハイプ・ウィリアムスの正式なコンビ解消が伝えられ、その後ディーン・ブラントは《Rough Trade》と契約。コープランドもコープランドで音源の制作を続け、いまは別々に活動しているそうだ。こうした背景をふまえると本作は、ディーン・ブラントに対する当てつけのように解釈できなくもない。「Insult 2 Injury(侮辱されて傷ついた)」や、アクトレスとコラボレーションした「Advice To Young Girls(若い女性たちに送る助言)」といった曲名は、そう考えるのに十分な説得力を持つものだ。もうひとつ興味深いのは、本作のプレス・リリースに記された次のような言葉。


 "spill a tear and then you cry for ldn is it the kinda place you'd die for? how does it feel to be lied to? but then again what's a girl to do?"


 これは7曲目「Inga(インガ)」(このタイトルはインガ・コープランド自身を指すと思われる)の歌詞から引用した一節で、このことも本作が内省的でパーソナルな作品であることを窺わせる。言ってみれば本作には、アリーナ・アストロヴァという女性の内観が記録されているのだ。


 これまでに彼女は、実験的かつディープなエレクトロニック・サウンドを展開し私たちを魅了してきたが、本作でもその姿勢は相変わらず。スティーヴ・ライヒやフィリップ・グラスといったミニマル・ミュージックの要素が漂うサウンドスケープは荘厳な抑制美を生み、不意に鳴らされる強烈なベースには聴き手を驚かせようとする彼女の遊び心が込められている。「Advice To Young Girls」では地鳴りのような低音を響かせ、さらに「Inga」はダビーな音使いを際立たせたりと、ベース・ミュージック好きに受け入れられそうなプロダクションが目立つのも特徴だ。お世辞にも最先端のサウンドとはいえないが、変に肩肘張ったような雰囲気は見られず、自身の求める音を自由に鳴らしている。


 本作にはディーン・ブラント&インガ・コープランド『Black Is Beautiful』、それから「Don't Look Back, That's Not Where You're Going」といったインガ・コープランド名義の作品で見られた、ナンセンスの極みに到達した皮肉があるわけではない。だが、ソロとしての第一歩という意味では文字通り良作、 作品のクオリティーを確保しつつ "これから" も期待させてくれる内容である。そして何より、陶酔的で美しい。


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CSジョセフアルフポルカ.jpg

 シーンの主流からはみ出しているからこそ生まれるトリックやミラクルがある。名古屋のインディー・シーンでも《THISIS(NOT)MAGAZINE》の周辺に、そういった異端かつ奇異なミュージシャンが集まっている。6eyes(シックスアイズ)やMILK(ミルク)のようなポスト・パンク/ハード・コア系のバンドから、ジョンのサンやYOK.(ヨック)のような叙情的アーティストまで様々だが、最近注目されているtigerMos(タイガーモス)は特に変わったユニットだ。アメリカ帰りのSSWイケダユウスケが、レミ街のキーボード/トラック・メイカーの荒木正比呂を誘って結成し、幻想的なフォーク、サイケデリア、エレクトロニカを折衷したサウンドをバックに、優しく滋味深いファルセットで歌い上げる。


 本稿の主役ジョセフ・アルフ・ポルカも変わった音楽性という点では負けていない。ヴォーカル/キーボードのてんしんくんとギター、ベース、ドラムの4人組である彼らが奏でるのは10年代の和製アシッド・フォーク。のどかな自然の風景がびろーんと拡張したり、だらしなく垂れ下がったり、目眩のようにふわふわ、ぐるぐる回ったり、時にすごい速さで迫ってきたりする。6曲入りの本EPは、前作に比べて良い具合に力が抜けたへろへろな疾走感、サイケ具合がより極まっている。長久手の大自然の中にある彼らの母校、愛知県立芸術大学が育んだ異形サウンド。USインディー直系のきらびやかに爪弾かれるギターは平原に昇る朝日のように我々を照らし、リズム隊がしっかりとしているからこそ、ヴォーカルやキーボードが思う存分暴れることができる。まるで野原を転げ回る小動物のように。


 長久手はかつて愛知万博が行われた土地。リニア・モーター・カーによる路線が新設され現在も運行されている。国道以外ほとんど何も無い風景に、突然、万博跡地である国営公園が現れたときの気分といったら、まるでSFの世界だ。静かな車内ではるか上空から眺めるその景色は古代文明の遺跡のよう。本作収録のカヴァー曲、沢田研二「TOKIO」はこの風景を歌ったのかもしれない。そして万博の各国ブースを引き継いだかのように彼らの音楽からはどこか異国情緒も漂う。


 前述のtigerMosにしても、このジョセフ・アルフ・ポルカにせよ、奏でる音は違うが、今の感覚で70年代のサイケデリック・ロックが持っていた色気を再現しようとしている。かつて繁栄した文明が滅んだ後の、無人の廃墟が点在する世界を歩むイメージ。万博の繁栄が断ち切られた愛知の郊外で、大阪や東京、そして海外からの影響を断片的に取り入れながら、彼らなりのいびつで、しかし筋の通ったポップスを編み出している。



(森豊和)



【筆者注】「天声人語」はライヴ会場、FILE-UNDER大須の服屋『麻芽』、itunesで購入できます。

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model aeroplanes.jpg

 素敵な女の子に出逢い、全身に電流が走り、一瞬で恋に落ちる。まさにその感覚を2本のギターで表現する。モデル・エアプレーンズのサード・シングル「Electricity」は看板に偽りなしのキラー・チューンだ。


 今月のMusic Alliance Pactをチェックしていて、スコットランドはダンディー発のこの若手4人組ギター・ポッパーを知った。爽やかなギター・リフとベタなメロディー・ライン。なぜだか懐かしさがこみあげて胸が熱くなるデビュー曲「Crazy」のサビの歌詞は「君に首ったけ、君さえいれば全てうまくいく」ときたもんだ。セカンド・シングルは軽快なダンス・チューン、名付けて「Innocent Love」。純愛だなんてタイトル、今どき誰もつけない。でもそれがいい。情熱的なヴォーカルと愉快なコーラス。そのテンションと容赦ないキャッチーさに、不覚にも私はモーニング娘。の「LOVEマシーン」を思い出してしまった。ディスコ歌謡っぽいというか、日本人の大好きなフィーリング。つんく♂はそもそもロック・ミュージシャンだったわけだし。共通項はためらいのないダサさ、気持ちよさ。ポップ・ソングは本来そうあるべきなのだ。


 齢も30歳も過ぎると20歳やそこらの若造の曲なんて、と軽視しそうになる。「年をとらないと人生の苦しみなんて分からないわ!」と、ついつい頭の固いオヤジになって(笑)。それはいけないと反省した。最高のポップスは年齢も経験も超越して響くし、才能と偶然はときにマジックを引き起こす。そのメンバー、その時代がぶつかりあった末のケミストリー。また、フィル・スペクターのビートルズ関係の仕事、あるいはジョー・ミークが後世のロックに与えた遠隔的な影響などを挙げるまでもなく、ロックはガール・ポップと深い関係がある。ザ・スミスだって、スウェードだって、それにアークティック・モンキーズも、オールディーズのような甘酸っぱいメロディーを聴かせてくれる。だからスコットランドのギター・バンドと日本のアイドル・ディスコ歌謡に相似性を見い出したって不思議はないはず。ジャンル的にも、地理的にも、時間的にも、様々な音楽が影響し合い、折衷され今ある形となったのだから。文化は継承される。


 チャイルドフッド、ドラウナーズ、そして彼ら。UKギター・ロックはまだまだ元気で、わくわくするアクトが次々と出てくる。モデル・エアプレーンズはネットにデモ音源を上げてライヴ活動開始後、半年足らずでザ・ヴューの前座を務め、グラストンベリーに次ぐ英国最大規模のフェスティバル、ティー・イン・ザ・パークに出演を果たしたという。今、くすぶっている若いバンドマンもあちこちにデモ・テープをどんどん送ってしまえばいい。行動しなければゼロ。何も始まらない。



(森豊和)