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 ファースト・アルバム『Space Is Only Noise』で話題を集めたニコラス・ジャーという男は、デイヴ・ハリントンと結成したダークサイドとしても『Psychic』を発表するなど、デビュー当初からほぼ休まず活動を続けてきた。さらに彼はこうした音楽活動に加えて、《Other People》の主宰としても興味深い作品をいくつもリリースしている。ジャングルとジュークを混ぜ合わせたヴィンテージナイキ『Dubna』、幽玄なアンビエントにロマンティックなディープ・ハウスのサウンドが溶け込んだドリュー・グラッグ「Over-Under」といった具合に、特定のレーベル・カラーを打ち出すというよりは、ヴァラエティ豊かなカタログが《Other People》の特徴だ。


 そんな《Other People》が新たにフックアップしたのが、アシュリーと名乗る女性アーティスト。彼女のサウンドを端的に表すと、極端に音数が少ないミニマルなエレクトロニック・ミュージック。それでいて、反復するビートによって高い中毒性も得ている。実験音楽に没頭するシリアスな雰囲気を窺わせるが、何度か聴いているうちにリラックスとした抜けの良さがあることに気づく。こうした肩肘張っていない遊び心はインガ・コープランドのサウンドを想起させる。


 とはいえ、そのコープランドと比べれば、アシュリーにはヒップホップやR&Bからの影響を感じさせる歌心がある。同時に、自らの歌声を曲全体の一部として扱う鳥瞰的視点と冷徹さもアシュリーの音楽には存在する。この点は18+とも共振する側面だと言えるだろう。


 だが、こういった近年のアンダーグラウンド・ミュージックと接続できる彩度を備えた「Ashes 2 Ash」は、面白いことに先述の『Space Is Only Noise』に近い作風だ。このアルバムもまた、過剰に音を盛ることはせず、ニコラスの渋く味わい深い歌声をひとつのパーツとして機能させた作品。それこそ、18+やインガ・コープランドのソロ作品との類似性を見いだせるほどの。言ってしまえば「Ashes 2 Ash」は、ニコラス・ジャーの感性が未来を的確に捉える鋭いものであることもわかる作品なのだ。


 そう考えると《Other People》は、あまり知られていないアーティストを紹介すると同時に、ニコラスの感性を素直に反映させたレーベルなのかもしれない。もしかすると、ニコラスがピンときた音をそのままリリースしているのでは? そう思わせるほど、《Other People》の作品群は見事にバラバラな音楽性である。だとすれば、どうしてもニコラスの次、つまり『Space Is Only Noise』に続くセカンド・アルバムのほうにも期待を抱いてしまう。レーベル主宰者としての活動をいかに取り入れ、表現するのか・・・。だからニコラス、そろそろセカンド・アルバムを出してくれないだろうか?




(近藤真弥)

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 例のごとく、「その言葉でタグづけされているアーティストが好きじゃない」ってことではないけれど(笑)、レイドバックというやつが苦手だった。


 まあ、パンク/ディスコ世代の特徴かもしれない。当時苦手だったフュージョンって言葉も時代をへるに従って許容できるようになったものの、レイドバック...は、だめだ...。


 たぶん、ぼくは心底「くつろいだ、のんびりとした、ゆったりした」音楽を求めていないのだろう。性格的に。


 だからベル・アンド・セバスチャンが『Dear Catastrophe Waitress』のラスト曲で、イラついたようなサウンドにのせて《どうやって事態を改善していけるんだ?/もし きみの望むのが うだうだ怠けているような状態だけだとしたら》と歌ったときは完全に快哉を叫んだし、ティーンエイジ・ファンクラブが『Howdy』収録曲「My Uptight Life」で《ぼくの人生はずっとはりつめた神経質さにあふれていた/でも それでいい》と歌ったときにも激しい共感を覚えた。


 エヴリシング・バット・ザ・ガールの片割れベン・ワットが、そのグループを始めた少しあとに発表したファースト・ソロ・アルバムから30年以上の歳月をへてリリースした、セカンド・ソロ・アルバム。


 彼も当然ジジイになっている。もともと「若々しいけれど、枯れた味もある」人だった。にしても、変なふうに歳をとってたらやだな...と不安を抱えつつ聴きはじめ、冒頭のバーナード・バトラー(元スウェード...というより、ぼくにとっては、それを脱退して最初におこなったエドウィン・コリンズとのコラボ・ワークや、クリエイション・レコーズから出していたソロ・アルバムが印象的。今回、多くの曲に参加している)のギターで「うっ、ちょっと、エリック・クラプトンみたい(汗&笑)」と思った瞬間、まさか「レイドバック」アルバムか? と...(笑)。


 いや、しかし大丈夫だった。


 アルバム全体をとおして(本質的なブルース...もしくはブルーズ...もしくは憂鬱ってやつを会得した表現であるという意味で)エリック・クラプトンに通じる部分はあるかもしれないが、少なくとも、「レイドバック」などまったくしていない。


 もともと前作や初期エヴリシング・バット・ザ・ガールの作品をとおして「アズテック・カメラと並ぶ、メジャー・セヴンス(・コードを効果的に使った)・ポスト・パンク・ポップ」の代表格としてその名を知られるようになったベンだが、近年はいわゆるエレクトロニック・ミュージックに傾倒していた。DJとしても活躍していただけに、クラブなどの現場で、若い者たちと交流する機会も多かったから、そうならずにすんだのかもしれない。


 このアルバム自体は、近年の彼の活動からこちらの頭に浮かぶ予想をくつがえすように、ハウスやテクノ的ノリは皆無に等しい。バーナードのギターを除けば、ブルースというよりはメジャー・セヴンスな感じ...つまり、同じ黒人音楽でいえばジャズやそれ系中南米音楽に近い? でも、あえてなにかに例えろと言われれば...そうだな「スーパー・キャッチーじゃない」ときの(そして、もちろん女性ヴォーカルじゃないときの)フリートウッド・マックとか?


 彼の世代/年齢的なことを考えても、いわゆる70年代AORに近づいてしまうのは、もう本能的...というより、それに近い形で子どものころから身にしみついてしまった素養として、仕方ないことだろう。そして、あれだ。本作には(それほど目立たないけれど)ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアも、こっそり参加している。この世代の、それほど遠くない位置づけにあるアーティストが彼(ら)と接近した前例としては、ドリーム・アカデミーが挙げられる(このアルバムには、彼らの作品に近い面もある。感動的なラスト・ナンバーとか...)。そして、ベン自身は、先述のソロとほぼ同時期に、ロバート・ワイアットの共演EPを出していたなあ...などということも思いだしてしまった。原盤供給元の「まだ作られていない道」から、欧米でライセンスされたレーベル名義は、なんとキャロライン(70年代にはヴァージン傘下レーベルとして、当時は完全にマニアック・レーベルだったヴァージンという会社のなかでも、さらにマニアックな部分を担当していたというか...:笑)だし...!


 プリファブ・スプラウトの近作ほど、この先もしつこく愛聴していくかどうかはわからないけれど、いいアルバム。好きです。



(伊藤英嗣)

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 ここ10年のフランスのダンス・ミュージック・シーンを語るうえで欠かせないレーベルといえば、やはり《Ed Banger》になるだろう。2003年に始動したこのレーベルは、これまでにジャスティスやセバスチャンといった、いわゆるフレンチ・エレクトロの中心人物を輩出してきた。他にもペット・ショップ・ボーイズ、DJメディ、ローラン・ガルニエなど、そうそうたる顔ぶれがカタログに並んでいる。先日《LuckyMe》から「Wedding Bells」という良質なEPを出したカシミア・キャットを逸早くピックアップしたりと、鋭い嗅覚も健在だ。《Ed Banger》は、文字通り名門レーベルとしてその存在感を放ってきた。


 とはいえ、もはや《Ed Banger》ばかりに注目していられないほど、現在のフランスからはさまざまなダンス・ミュージックが生まれている。その盛り上がりは世界中のリスナーに届いているようで、イギリスのDJ/クラブ雑誌DJ MAGは、1950年代末にフランスで起こった映画のムーヴメントをまんま引用したフレーズ、「FRENCH NEW WAVE !」を掲げたりもしている(おまけに「VIVE LA FRANCE !」なんて言葉も)。


 そのなかでも、特に面白いのが《Bromance》と《ClekClekBoom》というレーベル。前者がジャスティス以降のフレンチ・エレクトロなサウンドを影響源として色濃く表すのに対し、後者はグライムやダブステップといったベース・ミュージックの要素が際立っている。ゆえに《ClekClekBoom》はイギリス的というか、フランスの匂いがあまりしない。それでいて、ただイギリスの流行りを追いかけるだけで終わらないサウンドも確立している。こうした方向性に至ったのは、急速に盛り上がったあと瞬く間に勢いが落ちてしまったフレンチ・エレクトロの諸行無常を見てきたせいかは定かではないが、少なくともパリにアンダーグラウンドな音楽シーンを作ることに腐心しているのだけは確かだ。それは2013年にリリースしたレーベル・コンピのタイトルが『Paris Club Music Volume 1』だったことからも窺える。《ClekClekBoom》は、フレンチ・ハウスでもフレンチ・エレクトロでもない、新たな音楽と文脈をパリに築きあげるという難題に挑んでいるのだ。


 そんな《ClekClekBoom》のアーティストで筆者が熱心に追いかけているのは、コニことニコラス・オリエ。ニコラスは2011年の「Luz In Pool / Suma / Crush」で甘美なUKガラージの要素を漂わせ、さらに「My Secret Diving E.P.」では妖艶なハウスを鳴らすなど、ベース・ミュージック中心の《ClekClekBoom》にあってハウス/テクノ寄りのサウンドを売りにしている。その音楽性は《L.I.E.S.》周辺のミニマルなロウ・ハウスに通じるものだが、それはあくまで一要素に過ぎなかった。


 しかし本作「Comfort Zone」においてニコラスは、これまでよりもディープでダークなサウンドスケープに到達してしまった。シカゴ・ハウス、インダストリアル、ベース・ミュージックが交雑するサウンドはラフな質感を携え、音数を少なくすることでドラッギーな陶酔感も獲得している。ここまでくると、《Minimal Wave》が偏執的にリイシューしつづけるチープでヒンヤリとしたポスト・パンク作品に近いものを感じてしまう。それほどまでに本作の電子音とビートには、現在と過去の間を彷徨うゴーストのような雰囲気がまとわりついている。正直、《ClekClekBoom》主宰のフレンチ・フライズやミニストルXよりもブっ飛んだ音で、面白い。


 それにしても、「Comfort Zone」をマスタリングしたスチュアート・ホークスはどんな気持ちだったのだろう。スチュアートはケイティ・Bやリリー・アレンの作品にも関わっている売れっ子エンジニアだが、本作をマスタリングする際に聴いたときはさすがに驚いたんじゃないかなって。まあ、余計なお世話かもしれませんが。



(近藤真弥)

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 ジョーイ・アンダーソンは、DJジャスエドやDJキューといった、いわゆる《Underground Quality》周辺のアーティストと共に、USハウス・シーンにおける新たな中心人物として注目を集めてきた。《Strength Music》より2008年にリリースされたコンピレーション・シングルに曲を提供して以降、彼は印象的なトラックを量産。しかし面白いことに、USハウスと括られがちなジョーイのサウンドは、ハウスと言うには少し違和感を抱いてしまうものだ。もちろんハウスが基調にあるのは間違いない。だが、DJジャスエドにDJキュー、さらに『Naturally』という良盤を発表したのも記憶に新しいダナ・ルーといった人たちに共通する、ロマンティックで開放的なサウンドスケープとは一線を画する。ジョーイのそれは意識の深層世界に潜り込むようなものであり、内観的な抑制美すら感じさせる。ミラーボールきらめくダンスフロアのさらに下、それこそアンダーグラウンドという言葉が相応しい音。これは《Underground Quality》周辺において異端的なサウンドだと言える。


 そうした姿勢は、待望のファースト・アルバム『After Forever』でも変わらない。まず一聴して驚くのは、ハウスというよりは初期のデトロイト・テクノを引き合いに出したほうがしっくりくるそのプロダクション。正直、"USハウス" と聴いて思い浮かぶであろうアーティスト、例えばフランソワ・ケヴォーキアンなどの顔が浮かんでくることはない。むしろデリック・メイやカール・クレイグの姿が脳裏をかすめる。基本的に4つ打ちとはいえリズム・パターンも多彩で、ジャズの要素をちらつかせる「Sorcery」、ファンキンイーヴンなどのアシッド・ハウスから影響を受けたベース・ミュージックとも共振する「Amp Me Up」など、ジョーイの豊穣な音楽的背景をうかがわせる曲群も聴いていて飽きがこない。先に「初期のデトロイト・テクノを引き合いに出したほうがしっくりくる」と書いたが、もうひとつ付けくわえるなら、ジャズやソウルの香り漂うダブステップをリリースしてきたレーベル《Eglo》と接続可能な音楽性が本作にはある。まあ、それを言ってしまえば、「Keep The Design」は『Frequencies』期のLFOを想起させるプリープ・テクノなサウンドが飛び出してくるし、「It's A Choice」はシカゴ・ハウスそのもの・・・といった具合に連想が止まらなくなってしまうのだが。


 いずれにしても本作は、USハウスに愛を捧げてきた往年のダンス・ミュージック・ファンだけでなく、ダブステップ以降のベース・ミュージックに感化された若い層にも訴えかける多様な作品だということだ。




(近藤真弥)

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 ザ・ホラーズの『Luminous』は文字通りの良作だが、デビュー当初の彼らを知る者からすると、感慨と驚きが入り混じった気持ちに襲われ、同時にいろいろ考えさせられてしまう内容かもしれない。


 ファースト・アルバム『Strange House』の頃、彼らはキワモノとして扱われていた。ゴシックなヴィジュアルもそうだが、『Strange House』のリリース前におこなわれたUSツアーで、ヴォーカルのファリスが客と乱闘騒ぎを起こしたりと、音楽以外の面でニュースになることも多かった。それはそれでリスナーにショッキングな存在として認知され、強い印象を残したのは間違いない。とはいえ、注意深く『Strange House』に耳を傾けてみると、ガレージ・ロックやサイコビリーといった要素がちらつく通好みのサウンドだから、そういう彼らの高い音楽的素養が見過ごされがちなのは残念だと思っていたのも事実。


 しかし、セカンド・アルバムの『Primary Colours』、そして続くサードの『Skying』と、彼らは作品を重ねるごとにその音楽オタクぶりを発露していく。デビュー当初のセンセーショナリズムな側面は影を潜める一方、着実にスキルアップする姿はとても真摯に映るものだった。この2枚を聴いて、なぜ彼らがアンドリュー・ウェザオールやポーティスヘッドのジェフ・バーロウといった玄人から寵愛を受けたのか理解した人もいただろう。


 さて、そんなザ・ホラーズが4枚目となるアルバム『Luminous』を完成させた。前作で描かれたサイケデリアはよりスケールのデカイものとなり、全体的にエレクトロニックなサウンドが際立っている。ゆえにダンス・ミュージックのようなグルーヴもあるんだけど、それがテクノやハウスというよりも、マッドチェスターに通じるロック色の強いものなのが、イギリスのバンドらしいというかなんというか。たとえば、プライマル・スクリーム『Exterminator(XTRMNTR)』のように、キックやスネアの質感、それからビートの組み立て方にまで明確なテクノ色が出ているわけではない。どちらかといえば、グルーヴといった感覚的な部分でダンス・ミュージックの影響が表れている。だからこそオープニングの「Chasing Shadows」は、『Honey's Dead』期のジーザス・アンド・メリーチェインを彷彿させる曲調になったのかもしれない。『Exterminator(XTRMNTR)』と比べて『Luminous』は、"ロック側から解釈したダンス・ミュージック" という側面が強い。これまたマッドチェスターを引き合いに出すと、808ステイトよりもストーン・ローゼズやハッピー・マンデイズ的。さらに、スタジアムが似合う壮大なサウンドスケープはザ・ヴァーヴを連想させる。


 こういった具合に『Luminous』は、80年代末~90年代の要素があまりにも濃すぎる。しかも、セカンド・サマー・オブ・ラヴ期の享楽的なサウンドを衒いなく鳴らし、時代錯誤すれすれの内容となった『Free Your Mind』を発表したカット・コピーほどの潔さも見られない。さらに言うと、『Primary Colours』で見られた新しい音を鳴らそうとする探求心も薄い。要はどっちつかずで中途半端なのだ。この点に関しては、少し物足りなさを抱いてしまう。彼らが多くの引き出しを持つバンドであることを証明するという意味では、一定の評価をできるものであってもだ。彼らのポテンシャルはこんなものではない。良作なのは間違いないが、傑作と言うのはさすがに憚られる。



(近藤真弥)

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 インディー・ロックと凡庸な大量消費ポップスの違いは、一つに「大衆性を優先しすぎて真の感情を殺していないか?」にあると思う。


 80年代のAOR、エレ・ポップ、ブルー・アイド・ソウルを連想させる一方で、無国籍な音色はときにアジア風であったり、中南米の風を感じさせたりする。ファルセットを多用するヴォーカルに最小限のオケ。モントリオールのソロ・ミュージシャン、ショーン・ニコラス・サヴェージの新作を聴きまくっている。街中のカフェに似合う音楽のようで、ある瞬間、鋭く耳に突き刺さってくる。ショーンの放つ露骨な表現。歌声というよりうめき声、というか、もはや動物の鳴き声に近いファルセットは好き嫌いが分かれるだろう。私は好きだ。何万遍語るより一瞬で切なさを伝える。過去、現在、未来、ひょっとしたら人生を通した苦しみを伝えるヴォーカル。シンプルな、良い意味で中二病全開の歌詞もその効果を助長する。


 例を挙げれば4曲目の「Heartless」。ポリスの「Every Breath You Take(見つめていたい)」を思わせるメランコリックな反復コードの曲(確信犯なのか、3曲目の終りに《Every Move I Make》という歌詞がある)。少年時代のあの娘の記憶、二人だけの王国、彼女を偶像化して想い続ける。漂うエロティックな空気。一転して不穏な匂い、おそらく大人になった彼の視点。彼女には別の恋人がいる、でもそんなことは問題じゃない。子どもの頃、彼女は僕に蝶々をくれたのだからと彼は歌う。おそらくは性行為のメタファー。村上春樹の短編「女のいない男たち」を思い出した。昔の恋人が自殺したことを主人公は知る。彼女の夫は彼を嫉妬している。中学の時、消しゴムを忘れた彼に彼女が自分の物を半分に割ってくれた。そのことを死ぬ前に彼女は夫に喋ったのだ。


 ショーンの音楽は誰の心の奥にも眠る大切な、あるいは痛切な記憶を呼び起こす。元レーベル・メイトのグライムスや、ショーンからの影響を公言するマック・デマルコ等に比べ、商業的に扱いやすいキャッチーさには欠けるかもしれない。しかし彼は驚異的な鮮度で個人的感情を保ったまま、普遍性を獲得しようとしている。歴史を越えて受け継がれるポップスとはそういった綱渡りから生まれる。80年代にポリスのメンバーの兄弟が運営する《I.R.S》からデビューしたR.E.M.もそういったバンドだった。村上春樹も愛聴する彼らの音楽の大きな主題は「かつて素晴らしかったが、今は損なわれてしまった何か」だと思う。奇妙な符合。R.E.M.のメンバーはレコード屋の店員と常連客として知り合ったというが、ショーン・ニコラス・サヴェージの音楽からもレコード・マニアの匂いがする。何より生きづらさを感じる。シンプルな表現の組み合わせで独創的な音楽を生み出してしまうような輩にとって、この世界は息苦しすぎる。



(森豊和)

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 こだわりとかプライドとか、誰にだって捨てられない、曲げられないことはある。しかし妥協するのではなく、良い意味で開き直ることだって必要じゃないか。名古屋在住のロック・バンドTheキャンプの初流通盤を聴いてそんなことを思った。


 味のあるいなたいヴォーカルに、ハード・ロック・テイストのギター、ソウルのグルーヴ感溢れるリズム隊が粋な組み合わせだ。1曲目、大地を揺らすファンク・チューン「ピカデリー」でアガり、次曲「アルフレッド」冒頭のギター・フレーズで思わずニヤリとする。B'z「Pleasure'91 人生の快楽~」からの引用だろう。この曲は、バンド仲間のその後の人生について歌っている。愛する街、日々の生活のなかで流れる音楽や、価値観と共にあること。大切なつながりを保って生きていくこと。


 まだインターネットも十分普及していない2000年代初頭、既に名古屋でもアンダーグラウンドなクラブ、ライヴハウスを中心に、海外志向のパンクやオルタナティヴを鳴らすインディー・バンドが活動していた。しかし、その認知度は東京とは比べるべくもなく、地理的に近い大阪や京都のようにDIYの強固な土壌があるわけでもなかった。名古屋はハード・ロック、ヒップホップぐらいしか流行らない街。それが一般的なイメージだった。


 しかしmixiを始めとしたSNSの普及が音楽ファンとミュージシャンをつなげ、名古屋のような地方都市においても音楽コミュニティーが発展する。2007年頃から、OGRE YOU ASSHOLE(オウガ・ユー・アスホール)が全国区で人気を博し、竹内電気、mudy on the 昨晩やcinema staff(シネマスタッフ)等が後に続く。新進のインディー・バンドを観るために必ずしも東京へ行く必要はない。そういった空気が生まれた。Theキャンプをリリースするレーベル《ONE BY ONE》もその流れのなかで重要な役割を担い続けている。同月リリースの新鋭sukida dramasにせよ、レーベルの顔であるiGOにせよ、このレーベルのウリは良い意味でのごちゃまぜ感だ。産業ロック? 90年代J-ROCKのフレーヴァー? みんなで踊れるならいいじゃないか! 尖った音楽だけをやっていても地元の友達は喜んでくれない。家族を持ち子どもの生まれた奴だっている。老若男女に届く音楽がいい。その上で自分達にしかできない表現を。


 各地のフェス出演を経て叩き上げられたバンド・アンサンブルを武器に、Theキャンプは雑多な要素を含んだファンク・ロックを鳴らす。大阪や京都のインディー・シーンのように独自の色があるわけではない。しかしポップスとインディー・ロックの不思議な融合が個性である名古屋シーンにおいて、彼らは新しい台風の目となっている。



(森豊和)

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 ぼくがディランに本気で入れこみはじめたのは80年代なかば、まだ大学生のころだった。多くのオリジナル・アルバム(もちろん「すべて」は無理だった:汗&笑)を買い集め、かなり聴きこんだ。それ以降、リアルタイムでリリースされるアルバムは、ほぼ「いいな」と思えた。ディランというのは常に深く時代とシンクロしている...と感じつつ(なお、当時さんざんディランをディスっていた中村とうようさんの意見にひきずられてるんだろうけど、「宗教」っぽいメタファーがちりばめられた70年代末~80年代初頭のアルバムはあまり聴く気になれず、いまだ持ってない:汗&笑)。


 60年代における「弾丸のような言葉や声(や狂ったような笑い。それは1965年の『Bringing It All Back Home』で聴ける)」の洪水も、サイケデリックなオルガンがフィーチャーされるようになってからのサウンドも、ジョニー・キャッシュとの共演を含むカントリー・アルバムも、ローファイ/ガレージそのものといえる『The Basement Tapes』も、70年代なかばにおける「痛い」としか言いようがない「暴露」ぶりも、80年代以降マーク・ノップラーやダニエル・ラノアやドン・ウォズなど「うわっ、最先端すぎじゃないですか?」ってな感じのプロデューサーとその都度組むようになってからも、彼は常に「今」の人だと感じられた。


 2007年発表のベスト・アルバム『Dylan』にあわせて起用された「初の公式リミキサー」がマーク・ロンソンだったという事実にも舌を巻いたし、そのころ公開された「一風変わった」伝記映画『I'm Not There』のサウンドトラック盤では(こんなタイトルにもかかわらず:笑)ディラン自身と並んで、ソニック・ユースやテレヴィジョン、(LAの)Xといったバンドの面々から、スティーヴン・マルクマス(ペイヴメント)、ヨ・ラ・テンゴ、スフィアン・スティーヴンス、アントニー&ザ・ジョンソンズまで、まさに錚々たる「オルタナティヴ・アーティスト」が勢揃いしていたことも忘れられない。


 そんな流れのなか、ちょっと気づいたことがある。パンク/ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴやディスコ、アダルト・コンテンポラリーなど一部の例外を除き、60年代なかば以降のロックの世界では、なによりオリジナル・アルバムが重視されていた。ディランは、ビートルズやUKのいわゆるプログレッシヴ・ロック一派と並んで、まさにそれを確立した者のひとり...と文献で学んだ。そして彼のオリジナル・アルバムの数々は、この耳で聴いても、ぶっとんでしまうほど素晴らしい。ただ、シングルにも、すげーものが多いのではないか? オリジナル・アルバム未収録曲をいくつか含んだ『Greatest Hits』(1967年)や『Gretest Hits Vol.2』(1971年:LP2枚組)などは、ちゃんとした「流れ」もありすぎるくらいあって、オリジナル・アルバムに勝るとも劣らないほどグレイト、素晴らしすぎる。


 その延長線上にあるのは、レア・トラックをより大量に含む1985年の『Biograph』。ただ、アナログLP5枚組というヴォリュームは、さすがに、さまざまな意味でトゥー・マッチすぎ...。ぼくがそれを(より聴きやすいCDヴァージョンで)購入したのは、たしか80年代終わりか90年代に入ってから(CDプレイヤーそのものと、ほぼ同時くらいに...。それ買うの、かなり遅かったんです:汗&笑)。


 そして今、2014年。00年代にちょこちょこCDで買いなおしていたオリジナル・アルバムも(昔のようにアナログ盤→カセットという形ではなく、今度はiTunesというアプリケーションで)存分に聴きまくった。ベスト盤は先述の『Dylan』がある。また「そういうもの」が聴きたい...ディランの「オルタナティヴな」作品が。だけど今さら『Greatest Hits』や『Gretest Hits Vol.2』をCDで買いなおす気にはなれないし(まだリッピングしていない)、『Biograph』をパソにとりこんで(仕事がら、もしくはリッピングという行為をやりはじめたころからのクセで)オリジナル・リリース年度を調べて入力し、そこから自分に合った尺度のプレイリストを作る...という作業も面倒すぎる。正直そんな時間は(以下略)。


 そこにジャスト・フィットするかのごとく登場したのが、これだ。ディラン初の公式レア・トラック集『Side Tracks』。あれが入ってないだの、これも入れてほしいだの網羅的/研究的に考えるとまじできりがないので、そういった部分はさくっと忘れれば大丈夫。『Greatest Hits』『Gretest Hits Vol.2』『Biograph』それ以降のベスト盤や「公式ブートレッグ」から、かなりいいバランスでCD2枚にオリジナル・アルバム未収録曲/未収録ヴァージョンがずらりと並んでいる...という客観を装った物言い以上に、実際聴いていると、もう時間を忘れて没頭できる。一方で、失礼な言い方かもしれないが、オリジナル・アルバムほど「集中を要求されない感じ」が、またいい。彼の(というか、あらゆる)音楽の本質のひとつである「純粋な楽しさ」にフォーカスしやすい。


 もちろんオリジナル・アルバムから入っていくのが「正統的な」アプローチ。それは、まちがいない。ただ、ぼくは、とりわけディランを聴いたことがない人に、あえてこう言いたい。まずは2007年のベスト盤『Dylan』と、これを聴いてみたらどうだろうか? ちなみに、ここにはきれいに「2000年までの曲」しか入っていない(2007年初出のヴァージョンもひとつあるけれど、最初の録音は1989年らしい)。だから、そのあと20世紀にさかのぼるか、21世紀のオリジナル・アルバムを試してみるか、どちらにも進みやすい。それは、あなた次第。実際どっちに行っても、極めてスリリングな体験が待っているはずだ。



(伊藤英嗣)

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 ヴィンテージ・ナイキ『Dubna』やアディソン・グルーヴ『Presents James Grieve』などなど、今年もシカゴのジュークを取り入れたアルバムは数多く生まれている。


 もちろんジュークの本場シカゴ勢も黙ってはいない。トラックスマンは『Da Mind Of Traxman Vol.2』という最新アルバムをリリース予定だし、そして先日惜しくも亡くなってしまったDJラシャドは、ニューEP「We On 1」を遺している(これが遺作になってしまったのは、本当に残念としか言えない・・・)。


 こうした状況のなか、日本のトラックメイカーCRZKNY(クレイジーケニー)がアルバム『DIRTYING』をドロップした。前作『ABSOLUTE SHITLIFE』もかなりやりたい放題の内容だったが、本作は前作以上に幅広い音楽性を獲得し、彩度ある内容となっている。ジュークを基調にしながらも、強烈なキックから始まる「Dirtying」はハード・ミニマルとの親和性を見せ、さらに「New Z Land」はドレクシアといったデトロイト産のオールド・スクール・エレクトロ、そして「Facebook Off」では、それこそDJラシャドが『Double Cup』で披露したジュークとジャングルの結合を見事に果たしている。この折衷性は世界中を見渡しても稀有なものであるのは言うまでもなく、文字通りCRZKNYのオンリー・ワンな才能だと言える。


 イギリスではジュークがポスト・ダブステップの文脈で解釈される一方、ニューヨーク在住のスラヴァなどがベッドルームでも機能する "聴かせるジューク" を鳴らしたことからもわかるように、ジュークは高い順応性を孕む音楽だ。このポテンシャルに気づいたトラックメイカーたちは、それぞれの解釈のもと良質なトラックを生み出し、それが現在も続くジュークの盛り上がりに繋がっているわけだが、そのなかでも本作は飛び抜けた存在感とクオリティーを持っている。「Steam Massacre」といった、前作の「3minute 2K13」に相当するお茶目なトラックもあり、持ち前のユーモアも健在。とはいえ、もっとも特筆すべきは、ジュークの流れや歴史云々についての知識を事前に知らなくても、強烈なベースと暴力的なビートによって "カッコいい" と直感的に想わせるトラックが満載、という点かもしれないが。そういった意味では、ジュークをあまり知らない人に向けた入門編的な1枚としてもオススメしたい。




(近藤真弥)

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 無性にご飯を食べたくなるファンク・チューン「お米フリーク」にまず度肝を抜かれた。この曲はシックの「Le Freak(邦題「おしゃれフリーク」)」のオマージュなのだろうが、パンク版のシックというコンセプトはまんまオレンジ・ジュースとかぶる。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、サックスによる京都の5人組ロック・バンド私の思い出は、オレンジ・ジュース同様、過去の様々な音楽からの影響を自在に取り入れている。


 私の思い出、これがバンド名。東京インディー・シーンで言えば、森は生きているや失敗しない生き方のほうが、まだバンド名らしく聞こえる。内省的でユーモアと哀愁漂う歌詞でファンクをやるという点ではトリプルファイヤーと同種かもしれない。しかし今挙げた3組と彼らが決定的に違うのは、京都という土地柄だろうか、現在の流行を意識した点があまり感じられないことだ。すると一番遠いようで近いのはミツメかもしれない。彼らの日々の生活のリアリティーを曲に落とし込み、サイケデリック・ファンクとして結実させている。


 4曲目、最高にセクシーなヒップホップ・チューン「Don't Stop BBQ」までは、彼らがあたかもバラ色の青春の日々にいるかのようなリリックが続く。しかし、この曲の後半でメンバーの家族らしき女性(母や姉? あるいは妻だろうか)の小言が挿入され始め、不穏な空気を醸し出す。「Don't Stop やめないで」という叫びがこれほど切実に聴こえる瞬間はない。だが、抵抗むなしく音楽はフェイド・アウトし、禁煙の辛さを叫ぶジミ・ヘンドリックスばりのサイケデリック・ギター・チューン「禁煙」から、風景は一変する。まるでオアシスの「Don't Look Back in Anger」のようなバラード「悲しいよ」。行けなかったキャンプで作るカレーについての妄想を歌う「俺のガラムマサラ」と続く。その業の深さ、怨念の密度といったら! そして60年代以前のアメリカ映画の主題歌、というかそれにインスパイアされた昭和歌謡を彷彿させる「荒野のネッカチーフ」を経て、ゲスト・ミュージシャンのピアノ演奏をバックにジャズ・シンガーさながらに歌い上げる「腰が痛い」で、彼らの日常は幕を下ろす。


 彼らはロックだけでなく、R&B、ファンク、ジャズ、ヒップホップからの様々な影響を昇華している。その一方で一聴するとふざけて聴こえる歌詞を乗せて、自分たちが必死に生きていることを皆に悟られまいとする。「ロックなんてたいしたものじゃない、皆が楽しんでくれたらそれでいい」。そんなメッセージすら感じる。だから彼らの演奏は胸を打つし、私はまたラジカセの再生ボタンを押す。



(森豊和)