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Bernard + Edith「Poppy」.jpg

 いま、イギリスのマンチェスターは闇に包まれている、というのは言い過ぎにしても、ダークなサウンドを数多く生み出しているのは間違いない。ザ・1975のように、スタジアムが似合うメロディアスな曲を武器にするロック・バンドもいるにはいる。しかし、昨今のインダストリアル・ブームを牽引し、いまやテクノ界隈に留まらない知名度を得た《Modern Love》、さらにセカンド・サマー・オブ・ラヴの影響下にありながら、『A Fallen Empire』という強迫的なドローン・サウンドを打ち出したアルバムで音楽シーンに躍り出たサミュエル・ケーリッジなど、お世辞にも明るいとは言えない音を鳴らすレーベルやアーティストが目立っているのは、紛れもない事実だろう。やはりジョイ・ディヴィジョンという、氷柱よりも冷たく鋭い音が特徴のバンドを輩出した土地柄なのか。あるいは、パーク『The Power And The Glory』と同じく、良いとは言えないイギリスの状況を反映しているのか。


 どちらにしろ、マンチェスターのサウンドはどこかメランコリックで、闇をちらつかせるものが多い。たとえ、どんなにアッパーで躁的なサウンドでも(それはハッピー・マンデイズを聴けばわかるはずだ!)。かつて、狂喜の宴を連日連夜繰り広げていたクラブ《Haçienda》にしても、ジョイ・ディヴィジョン『Unknown Pleasures』のマスター・テープ・コピーに支えられていたのだ(※1)。言ってしまえば、マンチェスター・サウンドの本質は "陽" より "陰" なのかもしれない。「Death Dance」なんて曲を発表し、サックスをフリーキーに鳴らすダークなポスト・パンク・サウンドが特徴のネイキッド(オン・ドラッグス)みたいな若手バンドも出てくるのだから・・・。


 そんな筆者の徒然とした考えは、本作「Poppy」が3枚目のEPとなるバナード+エディスによってある程度ハッキリした。マンチェスター出身のバナード+エディスは、グレタ・エディス・キャロルとニック・バーナード・デラップによる2人組ユニット。妖艶な歌声を持つエディスがヴォーカル、そしてエジプシャン・ヒップホップのメンバーでもあるバーナードがサウンド面を担っている。一昨年解散したウー・ライフのライヴ会場で邂逅し、地元のクラブ《Soup Kitchen》などでライヴ活動に勤しんでいるあたりは、マンチェスターも狭いというか、豊穣な音楽シーンとコミュニティーは健在なんだなと思ったりもする。


 とはいえ、ヒップホップの要素が強いビートに、耽美的なサウンドスケープが交わることで妖しい雰囲気を作り上げていくバナード+エディスの音楽自体は、ポーティスヘッドや初期のトリッキーといった、いわゆるブリストル・サウンドに通じる。また、神秘的な空気をまとったポップ・ソングである表題曲はインドのラーガを連想させるもので、こうした折衷性も興味深い。


 そのオリエンタルな要素はMVでも見られるが、それが結果的に、ウィッチハウスや日本の§§(サス)と類似するヴィジュアルに繋がっているのも面白い。もはや使い古された言いまわしだが、ネット以降の世界は狭くなった、ということなのかもしれない。



(近藤真弥)




※1 : ピーター・フック著『ハシエンダ~マンチェスター・ムーヴメントの裏側』によると、《Haçienda》のステージ下の奥は酒樽置き場となっていて、その酒樽は厚い板の上に置かれていた。そして、その板を乗せる台に使われていたのが1/4インチのオープンリール・テープ・ボックスで、それこそがジョイ・ディヴィジョン『Unknown Pleasures』のマスター・テープ・コピーのひとつだったそう。ちなみにピーターは、そのことを次のように表現している。


「完璧なメタファーじゃないか。ジョイ・ディヴィジョンが、いつ崩れさってもおかしくなかった、あの素晴らしい、くそみたいな日々を支えていたんだ。」(ピーター・フック著『ハシエンダ~マンチェスター・ムーヴメントの裏側』429頁より引用)

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Various Artists Review.jpg

 《ano(t)raks》によるコンピレーション『Subterraneans V.A.』のレヴューでも書いたけれど、いま日本のインディー・ミュージック・シーンでシティー・ポップと呼ばれている音楽と、1980年代に流行したシティー・ポップは厳密に言えば違う。1980年代のシティー・ポップが "きらびやかな都会" に対するイメージを憧憬的に鳴らしたとすれば、いまシティー・ポップと呼ばれる音楽のほとんどは、その憧憬とは距離を置いている。むしろいまシティー・ポップと形容されがちな音楽の多くは、都会のイメージとは遠い、もっと身近で日常に寄り添う音楽なのではないか。


 もちろん言葉は生き物であるし、音楽だけに話を絞っても、テクノ、エレクトロ、パンクなどなど、生まれた頃とは比べ物にならないほどさまざまな解釈があてがわれ、多彩な含意を持つようになったジャンルはいくらでもある。これらのジャンルについて音楽リスナーに訊いてみたところで、訊いた数だけの解釈が返ってくるのは目に見えている。おそらくシティー・ポップも、そのうちのひとつになりつつあるのではないか? 筆者はここ最近そう考えるようになった。それでもシティー・ポップで括るのは無理が生じるから、"ポスト・シティー・ポップ" なんて言葉を原稿で使ってみたりもしたのだが、ここに来て《ano(t)raks》が興味深いコンピレーションを発表してきた。それが「Light Wave '14 (Vol​.​1)」である。


 本作に参加しているのは、へそのすけ、辻林美穂、Sodapop(ソーダポップ)、北園みなみ、Shin Rizumu(シン・リズム)の計5組。レーベルのバンドキャンプに書かれている概要には、「10年代現行インディ・アーチスト達による、リアル・メロウ・ポップス集。」とある。なるほど、「リアル・メロウ・ポップス」ときた。確かに、本作の曲群は日常にある風景を切りとった言葉で彩られたポップ・ソングであり、どこか静穏な雰囲気を醸し出している。もちろん、アーティストごとの個性が生きているという意味で曲によって違いはあるが、どこか繋がっているような印象も抱かせるのだ。各曲で歌われている風景はそれぞれ違う場所にあるかもしれないが、目の前の日常であるという点においては、相互作用しているのではと想像させる。


 さらに全曲メロディーが本当に親しみやすく、ファンクやディスコの要素も通底する。これは偶然にも、ダフト・パンク『Random Access Memories』が世界中でヒットした現在と共振するが、筆者は本作のタイトルにある"Wave"から、セイント・ペプシといったディスコ色が強いヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)を想起した。少なくともニュー・ウェイヴ(New Wave)やチルウェイヴ(Chillwave)よりはしっくりくる。


 また、本作のジャケットもそんな想起を助長する。可愛らしい女性が車のドアにかかり、レコードやCDについてくる帯もある。そしてよくよく見ると、"見本盤" とまで書かれている。筆者がこうしたデザインを見かけるようになったのは、《Ninja Tune》傘下の《Technicolour》などからリリース経験もあるキッドAが、2011年に『PPPoney OST』をデジタル・オンリーで発表したあたりから。その後はイギリスの《Phantasma Disques》、ロシアの《Black Havana》‎といったウィッチハウス系のレーベル、いわゆるインターネット・ミュージック周辺で見ることが多かった。ゆえに筆者は、本作の "Wave" からヴェイパーウェイヴを連想したのだ。もっといえば、ヴェイパーウェイヴも本作も "10年代" である。これはもしかして、本作に込められた裏テーマのひとつでは? と思ったり。


 当然、これが邪推である可能性も否定できない。だがそうやっていろいろ考えさせるのも、本作の目的なのかもしれない。それこそ、ほとんどの者がジャケット・デザインや歌詞カードを繰り返し見ながら音楽を聴いていた、かつてのように。本作は現在のテクノロジーを使って、過去の残滓を鮮明に蘇らせる。



(近藤真弥)




【編集部注】「Light Wave '14 (Vol​.​1)」は《ano(t)raks》のバンドキャンプ、およびタンブラーからダウンロードできます。

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war on drugs.jpg

 80年代にU2が掲げた壮大なセンチメンタリズム。アダム・グランデュシエル率いるフィラデルフィアのロック・バンド、ザ・ウォー・オン・ドラッグスのレコードを聴いて、私は「まだこの世界に希望を持ってもいい」と感じた。核の恐怖に晒された現代社会において、それは馬鹿げた夢想かもしれない。けれどロックンロールはいつだってそういうものだったはず。彼らはインディー・ロックの精神性を保ちながら、メッセージ性を持ったスタジアム・ロックを目指す。


 ブルース・スプリングスティーンやトム・ペティ、ダイアー・ストレイツ等を引き合いに出されるように、カントリーからニュー・ウェイヴまで広く影響を感じさせる一方で、リアル・エステートのような2000年代以降のインディー・ロック・アクトが奏でる繊細なタッチのギター・サウンドも聴くことができる。はかなく揺れるようにきらめく幻想的なギター、あるいはピアノのメロディーなどを軸に、ドラムや様々な楽器をかぶせ、立体的なサウンドを構築していく。随所にさりげなく差し込まれるサックスやハーモニカも映える。ボブ・ディランに似たヴォーカルはつぶやくように、時には吐き捨てるように、ここぞという瞬間にはストレートな激情を帯びる。その力強さから私は幼き日に見た父親の姿を思い出した。たくましい腕につかまり肩に乗れば、遥か遠くの山々へ続く道のりが見渡せる。1曲目「Under The Pressure」や4曲目「An Ocean In Between The Waves」で響く、クラウトロックからの影響を感じさせる反復的なビートは、困難な道のりを連想させ、7曲目「The Haunting Idle」から8曲目「Burning」へつながる流れに顕著な、シューゲイザー的な音像は、山々にかかる霧を思わせる。


 ガーディアンによると、高い評価を受けた前作『Slave Ambient』にともなう長いツアーの後、故郷に帰ったアダムは浦島太郎になった。恋人は去り、地元の仲間も失い、途方にくれた彼は抑うつ状態に陥ったという。本作には、そこから回復する途上の心情が反映されているのだ。10年以上に渡る音楽キャリアを経て、そのとき彼は真の意味で大人にならなければならなかった。つまり本作で聴ける幽玄なサウンドスケープは彼の経験したメランコリーを表し、力強いシャウトとメロディーは現在の彼が身につけた父性を象徴する。本作を『Lost In The Dream』と銘打ったのは、夢の中にまどろむためではない。厳しい現実を見つめ、夢の途上で失われた希望をもう一度取り戻すためだ。



(森豊和)

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Francis Harris『Minutes Of Sleep』.jpg

 《We go dancing in electric lights and beats, fantasies Till the morning, till the morning Breaks the night》


 これは、フランシス・ハリスのセカンド・アルバム『Minutes Of Sleep』のハイライト、「You Can Always Leave」で歌われる一節。簡単に意訳すると、《きらびやかな光とビート さあ、幻想の中へ飛び込み踊ろう 朝になるまで 夜が明けるまで》といった感じだろうか。このフレーズを女性ヴォーカリストのグライは物悲しく歌ってみせる。その歌声が想起させるのは、パーティーの終わりが近づいたときに生じる、踊り明かした高揚感と寂しさが入り混じったあの空気。そうしたロマンティックな瞬間が「You Can Always Leave」には刻まれている。


 この曲のためだけに本作を手に取るのもアリだが、もちろんアルバム全体としても興味深い内容だ。冒頭を飾る「Hems」「Dangerdream」は、緊張感を醸すトランペットとチェロの響きが耳に残る曲で、共に不穏な雰囲気漂うドローンを展開している。このように本作はディープな領域を起伏のスタート地点にしており、体を揺らしてくれるハウス・ビートが聞こえてくるのは4曲目「Lean Back」から。以降は「Me To Drift」や「What She Had 」を筆頭に、ストイックなハウス・トラックが続く。それでも「Blues News」ではふたたびドローンが顔を覗かせるなど、アルバム後半でもハリスは勢いに身をまかせず、抑制的な繊細さで聴き手を本作の音世界に導いていく。このあたりは、ハリスの高いインテリジェンスと巧みなプロダクション技術を窺わせる。また、随所でジャズの要素が見られること、さらにいくつかのハウス・トラックはメロディアスな側面もあることを特筆しておきたい。特にメロディアスな側面は、本作を甘美かつエモーショナルな作品とするうえで非常に重要な要素となっている。


 それにしても、圧迫的なインダストリアル・サウンドがフロアを席巻するなか、現実逃避的なハウス・アルバムである本作はどう聴かれるのだろう? パーク『The Power And The Glory』のような、あからさまに "レベル(Rebel)" なダンス・ミュージックも現れはじめている。そんな状況において『Minutes Of Sleep』は、現実から背を向けたナイーヴな作品とも解釈できる。ゆえにリアリティーを見いだせず、深くコミットできない者もいるはずだ。そういった意味で本作は、あなたが音楽に求めるものを気づかせてくれる作品だと言える。



(近藤真弥)

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SOURYA「winterwind」2.jpg

 冒頭のメロディーの類似からして、曲名は「Autumn Leaves」、つまり「枯葉」とかけているようだ。有名なシャンソン・ナンバーのオマージュ、秋の枯葉を吹き飛ばす初冬の風。鍵盤をフィーチャーし、スタンダード・ナンバーに着想を得た、折り目正しいソング・ライティング、と見せかけてリズムの定型を破壊しカタルシスを生む。それがスーリヤの楽曲に一貫するムードだ。


 レーベル・サイトで公開されているインタヴューで彼らは親の世代が聴いていたクラシック・ロック、そして特にレディオヘッドに影響を受けたと語っているが、なるほど、ヴォーカルの声質、感情の込め方、響かせ方といい、トム・ヨークと似た雰囲気を感じる。この曲のMVは、暴力男が女性たちに復讐されるという内容だが、その暴力とはシャンプーをすごい勢いでかけ合うというもの。物悲しくも美しく、内省的だがどこかユーモアが漂う映像は彼らの曲にマッチしている。私は、トムが愛読する村上春樹の著書、特に映画を意識した作品である『アフターダーク』を思い出した。


 同作では、一見普通のサラリーマンが、中国人の少女を買い、殴り、身包み剥がす。ヒロインは傷ついた中国人の少女に共感する。「彼女は私だったかもしれない」。一方でそのサラリーマンが行った残酷な所業は、実は我々一人一人にあまねく内在することが作中で描かれる。その結果としてヒロインの姉は永い眠りについているようだ。行き場のない世界。「我々は歩く災厄」と歌うレディオヘッドの「There There」のMVも同じイメージを共有している(トムは同曲を村上春樹の『ノルウェイの森』にインスパイアされた曲だと語っている)。


 優れたアーティストは自らを監視するもう一つの目(カメラ)を持っている。映画でも音楽でも作り手のエゴは重要だ。しかし万能感と一体化し、自らも加害者に成り得るという意識を忘れたとき、作品は暴走する。彼らの音楽が前衛に走るあまり、聴き手を無視した身勝手な作品になったとき、彼らはリスナーから復讐される。それを常に意識しているのかもしれない。その緊張感がまた、彼らの音楽の魅力につながっているのだ。



(森豊和)

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Todd Terje『It's Album Time』.jpg

 ノルウェー出身のDJ/プロデューサーであるトッド・テリエが、上品なディスコ・トラック「Eurodans」を《Soul Jazz》からリリースしたのは、実に10年近くも前のこと。当時高校生だった筆者は、パーカッシヴで中毒性の高い反復リズムを駆使した「Eurodans」に文字通り魅了された。おかげで頻繁にクラブへ、というのは未成年だったゆえに叶わなかったが、そのかわり、自宅のターンテーブルに乗せてヘヴィー・プレイをしていた。


 テリエが作るディスコ・トラックには、腰を振らせる肉体性と同時に、聴き手をふわふわとした心地良さに導くトランシーな恍惚感もある。そんな彼のサウンドは "コズミック・ディスコ" と形容されることも多く、リンドストローム、プリンス・トーマスといったアーティストと一緒に語られることがしばしば。特にリンドストロームとは深い交流があるようで、2013年にはテリエが主宰する《Olsen》から、「Lanzarote」という共作シングルを発表している。このシングルは一言で表すと、お水で享楽的なダンス・ミュージック。世界中の都市名を連呼するだけの歌詞と、イタロ・ディスコのいなたい雰囲気が聴き手を笑わせてくれる。フロア仕様のディスコとして申し分ないクオリティーも備え、多くのDJたちによってスピンされた。こうしたインテリジェンスを感じさせる遊び心もテリエの持ち味のひとつだ。


 本作『It's Album Time』は、その遊び心がこれまでよりも鮮明に表れた作品である。シングル、EP、それから数多くのリエディットやリミックスにおけるテリエは、"フロア" を必ず意識していた。しかし、本作でのテリエはそうした意識を抑えている。全体の流れは明確に練られ、シングル中心に活動する者がアルバムを作る際に陥りがちな "寄せ集め感" の罠にハマっていない。全曲がひとつの壮大な物語を描くためのパーツとして存在し、そういった意味では捨て曲なしと言っていい。「Intro (It's Album Time)」で幕を開けてから最後の「Inspector Norse」まで、だれる場面が一切ない。ロバート・パーマー「Johnny And Mary」のカヴァーでブライアン・フェリーをヴォーカルに迎えるという面白い試みも、『It's Album Time』の世界観に上手く馴染んでいる。


 もちろんダンス・ミュージックの機能性も健在だが、本作でもっとも際立っているのは、ホーム・リスニングも可能なメロディー・センスと多様な曲群だろう。こうした側面は、テリエが豊富な引き出しを持つメロディー・メイカーの才に恵まれていることを堂々と証明している。



(近藤真弥)

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 テンプルズとポーティスヘッドを足したようなサウンド、あるいは13thフロア・エレヴェーターズをもっと露骨にカヴァーしたプライマル・スクリームとでも言えば通りはいいか。サイケデリック、ハード・ロック、シューゲイザー、様々な要素が感じられる。


 名古屋大須の『矢場とん』ビルの前はいつも観光客による行列があるが、そのすぐ南、弁当屋の横の雑居ビル、その急な階段を登った4階に『FILE-UNDER』というレコード店がある。店主である山田岳彦の情報収集能力の高さは目や耳が三つ付いているのではと勘ぐらせる。マニアックな品揃え過ぎて、いつか店が潰れないか心配しているのだが、意外とそんなこともないようだ。「深夜に店に戻ったら幽霊が出たよ」とうそぶく彼が今、店で猛プッシュしているのが、異形の化け物を想起させるサイケデリア、カリフォルニア出身の宅録ミュージシャン、モーガン・デルトだ。


 ターン・テーブルに乗せると空気が変わる。スクラッチ音から始まり軽快に跳ねる1曲目「Make My Grey Brain Green」で、我々をフラワー・ムーヴメントの時代にトリップさせる。カルト教団を連想させるスロー・ナンバー「Barbarian Kings」を筆頭に、映像イメージの湧く曲が続く。後半の「Sad Sad Trip」と次曲「Backwards Bird Inc.」の重低音ファンク2曲は、プライマル・スクリームの『Screamadelica』に収録されていてもおかしくない。約2分でフェイド・アウトする最終曲「Main Title Sequence」は映画のエンディングを思わせる。実際に映画にインスパイアされて作曲していると彼はインタヴューで語っている


 60年代のサイケデリック・ロックは、ドラッグによる意識拡張と切れない関係にあった。ミュージシャンに全てを与え、ときに全てを奪い去ったドラッグ。10年代ではインターネットがそれに当たるかもしれない。どんな辺境の一室からも世界への発信が容易になった今、個性的な表現であればいずれ広がっていく。世界は自宅のデスクトップにある。個々人の精神が知覚し得る領域を押し広げる一方で、時には深刻な依存、そして中毒を引き起こすという点でも、ドラッグとインターネットは近い。


 60年代のミュージシャンには明快な仮想敵としてベトナム戦争があった。そしてドラッグ自体が身体を蝕む見えない敵。双方ともに地上の地獄だ。対して10年代のインターネット、とりわけSNSは便利なコミュニケーション・ツールだが、同時に実態のみえない圧力を絶えず受ける。誰かに認められる一方で、誰かに激しく非難される。地獄はパラノイアになる自分自身の奥底にある。商売柄、山田はインターネットを手放せない。海外への発注、問い合わせは勿論、新鋭レーベル、アーティストを探すこともほぼ全てネット経由だ。ロックDJでもある山田が行うレコード店業務は、モーガン・デルトが行う宅録作業と似ている。様々な音楽を聴き、自らの音(あるいは店の商品)としてアウトプットする。


 夜遅く、最後の客も他の住人も帰った後の雑居ビルで、山田は黙々と作業している。店内に並ぶ無数のレコードやCD、手作りジンには、製作者の生霊が宿っている。魔界は我々一人一人の内にあり、インターネットを通して繋がり拡大していく。モーガン・デルトは言う。「聴き手であるお前の中にこそ物語がある」。想像しろ。



(森豊和)

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Untold『Black Light Spiral』.jpeg

 《Hessle Audio》や《R&S》から良質なダブステップをリリースしながら、《Hemlock》というレーベルの主宰者としてジェームズ・ブレイク、コスミンTRG、そして今ではパーソン・サウンドの名で知られるラマダンマンのシングルをリリースするなど、ベース・ミュージック・シーンで着実にキャリアを積み重ねてきたアントールド。


 そんな彼が待望のファースト・アルバム『Black Light Spiral』を発表したのだが、聴き手の想像力をくすぐる面白い作品だ。まず、ピギー・バンクに重石が落下した瞬間をとらえたジャケット。アントールドが生まれたイギリスでは、台所に豚の貯金箱を置き、そこに余ったコインを入れる習慣が根強く残っている。そうしたこともあり、筆者は本作のジャケットを見て、これはアントールドなりの反骨精神を表したのか? と思ったりもした。言ってみれば、ダブステップが最新鋭だったのはとうの昔となり、刺激に乏しい定型的なベース・ミュージックが量産されるようになった現在に対する批判精神。それこそ、「音楽よ、安らかに眠れ」と題された短い詩を公開し、最新作『Ghettoville』で新たなサウンドを偏執的に追求したアクトレスと類似する姿勢・・・。


 と、ここまでは筆者の邪推に過ぎないが、本作がそう思わせるような作品であることは間違いない。低域を強調したベース・ミュージックでありながら、そのサウンド・プロダクションはとても粗く、ビートもゴツゴツとしたラフな質感が際立っている。筆者にしてみれば、それはブラワン「Why They Hide Their Bodies Under My Garage」を一瞬思い浮かばせるものだが、本作はもっとダークでドロドロした雰囲気を醸し出す。もしかすると、近年の《Modern Love》みたいなインダストリアル・サウンドを想起する者もいるだろうか。少なくとも、本作でのアントールドが新しい音を鳴らすことに執着しているのは確かだ。ベース・ミュージックやインダストリアルはもちろんのこと、ノイズ、ドローンといった音楽の文脈でも解釈可能な作風からもそれは窺える。


 本作はけたたましいサイレンが鳴り響く「5 Wheels」で幕を開け、その後は地を這うようなグルーヴが終始うねりつづける。ゆえに強烈な酩酊感を宿し、ぶっ飛んだら2度と目覚めないのでは? と思えるほどにダウナーな恍惚感をもたらしてくれる。こうしたトリッピーな側面に触れると、やはり本作はダンス・ミュージック・アルバムであると実感する。体を激しく踊らせるのではなく、心を躍らせるという意味で。


 おそらく本作は、これまでのベース・ミュージック・シーンにはあまり見られなかったサウンドとして享受されるだろう。hanali(ハナリ)といったアーティストを中心に確立された、ゴルジェという音楽をすでに通過している者たちを除いて。



(近藤真弥)

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Millie & Andrea『Drop The Vowels』.jpg

 2010年代に入ってから、"インダストリアル" という言葉が至るところで見られるようになったのは、多くの人にとって驚きだったかもしれない。例えば、2000年代半ばに起きたポスト・パンク・リヴァイヴァル。このときはジョイ・ディヴィジョン、ギャング・オブ・フォー、エコー・アンド・ザ・バニーメンといったバンドの名が誌面におどることはあっても、インダストリアル・サウンドを特徴とし、オリジナル・ポスト・パンク期における最重要バンドのひとつであるスロッビング・グリッスルの名を見かけることはまずなかった。彼らが主宰する《Industrial Records》周辺のアーティストやバンドについても同様。そもそも、"インダストリアル" という言葉自体が無視されていた。


 しかしどういうわけか、2~3年前から「インダストリアルな...」「盛り上がるインダストリアル・リヴァイヴァル...」「必聴のニュー・インダストリアル...」みたいなフレーズが、レコード・ショップのポップ、音楽誌のレヴュー、プレス資料などに現れはじめた。こうしたブームといえる状況は、発展を遂げながら今も続いている。


 そんなブームの中心にいるのが、マンチェスターを拠点に活動する《Modern Love》。初期の頃は一介のテクノ・レーベルに過ぎなかったが、ここ数年はアンディー・ストット『Luxury Problems』を筆頭に、インダストリアル再評価の震源地として強い存在感を放っていた。だがここにきて《Modern Love》は、インダストリアル再評価の先を目指すような動きを見せている。それは、ダブ・テクノとベース・ミュージックをダークな音像に流し込んだライナー・ヴェール「New Brutalism」、そしてザ・ウィーケンドに通じる2010年代以降のR&Bとヒップホップを交雑させたジャック・ダイス「Sip Paint」など、《Modern Love》のレーベル・カラーを拡張する作品のリリースが続いていることからも窺える。


 本作『Drop The Vowels』も、その拡張路線にある作品だ。本作を作り上げたミリー・アンド・アンドレアは、デムダイク・ステアのマイルス・ワイテカーとアンディー・ストットによるユニット。このユニットは、これまでにシングルというフォーマットで作品をコンスタントに発表し、ダブステップ、トラップ、ジュークといったベース・ミュージック寄りの音を鳴らしてきた。ふたりは共に昨今のインダストリアル・ブームを代表する存在だが、ミリー・アンド・アンドレアでは、インダストリアルから離れた音を自由気ままに鳴らしている。


 それは本作でも変わらない。もっと言えば、ミリー・アンド・アンドレアとしてやってきたことの集大成と言える内容だ。ガムランを連想させる音色が印象的な「Gif Riff」で始まり、続く「Stay Ugly」ではダブステップ以降のベース・ミュージックを鳴らしたりと、マイルスとアンディーのパブリック・イメージとは程遠い音が展開されている。


 本作でもっとも際立っている要素は、ずばりジャングルである。しかも「Temper Tantrum」はロゴスといった《Keysound》周辺のサウンドに通じ、さらに「Corrosive」ではトラップのビートで幕を開け、突如激しいジャングルに変化したあと再びトラップに戻るという荒業を披露するなど、その取り入れ方は多彩。


 興味深いのは、「Back Down」「Quay」というインダストリアル・トラックが収められていること。女性のヴォイス・サンプリングを使い、ラフなビートはシカゴ・ハウスを想起させる「Back Down」、さらにラストの「Quay」も耽美的なアンビエントに仕上がっていたりと、この2曲でふたりはミリー・アンド・アンドレアという仮面を外し、アンディー・ストットとデムダイク・ステアの顔に戻っている。そんな2曲をアルバム終盤に持ってきたのは、デムダイク・ステアとアンディー・ストットにそれぞれ回帰するストーリーを描くため? と邪推してしまったり。こうした聴き手の想像力をくすぐる遊び心も本作にはある。


 とはいえ、不満がないと言えば嘘になってしまう。というのも、本作は習作の域でとどまっているからだ。本作でのふたりは、サージョンが「The Power Of Doubt」でインダストリアル・テクノとダブステップを接続したときのような斬新さを見せることもなければ、マーク・プリチャードのように深い理解力でベース・ミュージックを消化できているわけでもない。踊り狂うクラウドで満たされたフロアに相応しい曲群を作り上げた点は素直に称賛したい。しかし、ふたりのポテンシャルからすると、シーンの流れを決定づける仕事ができたのではないか? そう思ってしまうのも本音である。



(近藤真弥)

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 発色を抑えた物憂げな横顔のジャケットとは裏腹に、カラフルで豊潤という言葉がぴったりなサウンドが鳴り響く。ネナ・チェリーのソロ名義としては96年の『Man』以来の新作となる『Blank Project』が最高にカッコいい! 12年にリリースされた北欧の爆音フリー・ジャズ・トリオ、ザ・シングとの共演作『The Cherry Thing』のインパクトが大きかっただけに、ご無沙汰な感じはまったくない。ジャズを基調としながらも、ストゥージズからマッドヴィリアンまでをカヴァーする意外性たっぷりなセンスと斬新なアレンジで、僕たちを存分に楽しませてくれたばかりだから。


 『The Cherry Thing』は、ジャンルの垣根が(当然、いい意味で)曖昧になってきている「今、これから」を象徴するサウンドとして、もっと多くの音楽ファンに聴かれるべき1枚だと思う。そして『The Cherry Thing』をさらにパワー・アップさせた『The Cherry Thing Remixes』も忘れずに。ジム・オルーク、メルツバウ、ホートラックス・コブラ(ピーター・ビヨーン&ジョンのジョンによるソロ・ユニット)など、個性豊かすぎるメンツが揃ったこのリミックス・アルバムは、リビング・ルームでまったり聴くのも良し、フロアでガンガン鳴らすのも良しな全方位的な仕上がり。パンク/ポスト・パンクからクラブ・ミュージックへと広がり続ける音楽性、必然的とも言える新世代ジャズとの接近、そしてソウル・ミュージックへと繋がるルーツ。彼女の長いキャリアで培われた豊かな感性は、"今"という時代にこそ相応しい。


 満を持してリリースされた『Blank Project』は、『The Cherry Thing』と『The Cherry Thing Remixes』での緻密なサウンド・アレンジと冒険心を引き継ぎながらも、よりパーソナルなフィーリングに満ちたアルバムとなっている。プロデュースは、キエラン・ヘブデン。フォー・テット、と言えばピンとくる人も多いはず。先述のリミックス・アルバムでもスーサイドのカヴァー「Dream Baby Dream」をトライバルなハウス・サウンドに生まれ変わらせていたキエランが、今作でもその手腕を存分にふるっている。


 滴り落ちる水音をイメージさせるビートとスポークン・ワード風のヴォーカルが重なりあうミニマムな「Across The Water」、電子音と生ドラムが脳内を飛び交う「Naked」、ヘヴィーなシンセ(ブラック・キーズのギター・リフみたいだ!)がブンブン唸るダンス・ナンバー「Weightless」、そしてスウェーデン出身の女性シンガー、ロビン(Robyn)とのポップでクールなデュエットが聴ける「Out Of The Black」などなど、聴きどころがいっぱい。エレクトロニックなダンス・アルバムなのに、オーガニック。どの曲もネナが目の前で歌っているような親密さが心地良い。


 そんな変幻自在のサウンドを鳴らしているのは、全曲でバック・バンドをつとめるロケットナンバーナイン。キーボード&ドラムというミニマムな編成でジャズからポスト・ロック、エレクトロニカまでを縦横無尽にプレイする彼らも要チェック! つまり、このアルバムはネナとフォー・テットとロケットナンバーナインがガッツリ組み合わさったコラボ・アルバムだということ。それは単なる"足し算"ではなくて、予想外の答えをはじき出す素敵な方程式。ザ・シングとの共演と同様、聴くたびに新しい発見がある。


 デンジャー・マウスとスパークルホースデヴィッド・バーンとセイント・ヴィンセントジ・オーブとリー・"スクラッチ"・ペリーなど、近年のコラボ作品の充実を挙げ連ねるまでもない。インターネットの発達、レコーディング機材の進歩はもちろんだけれども、それ以上の速さで音楽は変化/進化し続けている。ジャンルも国籍もキャリアも関係なく、アイデアは融合され、具現化される。この瞬間にも、世界のどこかで真新しいビートが人々を踊らせているに違いない。


 "カテゴリー分け"はCDショップの棚かPCのデータ管理機能に任せておけばいい。ダンス・ミュージックにも、ソウル・ミュージックにも、パンクにも聴こえるネナ・チェリーの新しくて、懐かしい音楽に耳を傾けよう。前作がカヴァー・アルバムだったことを思えば、今作こそが彼女の集大成といっても過言ではないはず。挑戦と可能性、それこそが音楽の本質だと思う。その楽しさに改めて気づかせてくれる素晴らしいアルバムに出会えた。



(犬飼一郎)