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D. Edwards『Teenage Tapes』.jpg

 D.エドワーズことデルロイ・エドワーズによる『Teenage Tapes』、実に中毒性の高いアルバムだが、同時にすごく厄介でもある。というのも、筆者自身こんな作品にお金を出して良かったのだろうかと思っているからだ。お世辞にも音が良いとは言いがたく、ハイレゾで聴くような作品でもない。パソコンに備えつけられたスピーカー、あるいは100円ショップで売られているしょぼいイヤホンで聴いたときの、あのヘナヘナとした薄っぺらい音。そんな音で埋め尽くされた作品が商品として世に放たれ、それを享受してしまっていいのかという葛藤を筆者は抱えている。


 とはいえ、そこにスロッビング・グリッスルが《Industrial Records》を立ち上げる際に掲げたスローガン、「Industrial Music For Industrial People(産業的な人々に向けた産業音楽)」と類似する精神を見いだしほくそ笑んでしまうあたり、筆者は本作の虜になっているのだと思う。


 これまでにエドワーズは、ロン・モレリと共に設立した《L.I.E.S.》、さらに自身が主宰する《L.A. Club Resource》などからシングルをコンスタントにリリースしていたが、意外にもアルバムというフォーマットは本作が初。だから筆者も、いつも以上に楽しみな気持ちを抱きながら再生してみたが、ビックリするほど変わっていない。もちろん収録曲はすべて「Untitled」(エドワーズは "Untitled" のままリリースすることが多い)。言ってしまえば拍子抜け。それでもインダストリアル、ノイズ、ドローン、ハウスをドロドロになるまで混ぜ合わせたサウンドの妖艶な魅力に取り憑かれ、愛聴盤となっている。


 それにしても、家で聴くとインダストリアルを基調とした実験的なドローン・サウンドに聞こえるのに、クラブで流れると心を飛ばすトリッピーなサウンドになってしまうのだから不思議。特に6曲目は、ドラッギーなアシッド・サウンドに仕上がっているせいか、フロアで鳴り響くと秘めた爆発力を発揮する。拳を振りあげ絶叫の嵐、とはさすがにいかないが、それまでバラバラに揺れていたクラウドが一斉にグルーヴを共有したかのように体をくねらせるのだ。これはおそらく、先日エドワーズがDJパニッシャー名義でリリースした「Untitled」な(こちらもタイトルがつけられていない)EPを聴いてもわかるように、もともと彼がフロア仕様のトラックを作る才能に恵まれているからだろう。こうした側面に焦点を絞ったアルバムも聴いてみたい。



(近藤真弥)


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 2013年6月2日、京都磔磔にて細野晴臣のライヴを観た。近年のソロ三部作が中心ではあるが、サニーデイ・サービスがカヴァーした「恋は桃色」や、はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」まで披露してくれた。東京公演ではYMOのライヴでも取り上げたクラフトワークの「Radioactivity」を演奏したという。


 本書のなかで細野は今、「40年代の音楽が特に面白い」と語っているが、単なる回顧趣味ではない。現在の作風は、はっぴいえんど、YMO、アンビエント期の作品群を経て行き着いたもの、ライヴからもそう感じられた。一見、回り道に見える過程にこそ意味がある。結果ではなく、そこへ至る意思。「今は、YMOの頃とは逆でテクノの曲を有機的な生演奏で再構成するのが好きなんだよ」と細野は語る。


 cero森は生きている吉田ヨウヘイgroupなど、昨今、細野からの影響を公言するミュージシャンは多い。Sayoko-daisyCRUNCHはより直接的に、カヴァー音源配信という形で影響を伝えている。細野晴臣の音楽が今なお多くの若者の心を惹きつけるのはなぜだろう? その答えがこの本にはある。


 本書は『TRANSIT』誌のために語った旅と、それにちなんだ音盤の話をまとめたものだが、世界各国、都会と森の比較、果ては宇宙やはらいそ(楽園)、銀幕の美女についてまでとめどなく語っている。サーフィンをしたことのないブライアン・ウィルソンが、サーフィン、ホット・ロッド、水着の女の子についての曲を書いたように、想像力こそが音楽の源泉だ。


 文中で細野は、13年作『Heavenly Music』 の裏テーマを「忘却」だと説明している。レコードでもリリースされた近年のソロ三部作のジャケットを比べると、『FLYING SAUCER 1947』では煙草をくわえ新聞を読んでいた細野は、『HoSoNoVa』では窓から差し込む光の下でまどろみ、最新作『Heavenly Music』では遂に姿を消し、代わりに鳩が写っている。


 「僕が音楽を作るときは、彼方の記憶を引っ張り出したり、夢を思い出したりするような気持ちでやっているから、常に忘れることとの闘いなんだ」と語るが、ジャケットの変遷は、細野が忘却のなかへ消え、天上に昇っていくことの暗示なのだろうか、いや違う、先述のライヴで私は細野と会話する機会を得たが、笑顔で挨拶される一方で、鋭く光る眼光、その奥に宿る、燃えさかる何かを感じた。


 「YMOの最初の2枚は宇宙人が聴くかもしれないと本気で思いながらつくっていた」と本書で細野は語っている。世界で認められるかどうかの次元を飛び超えて、宇宙で聴かれるはずだと思っていたのだ。それくらい自分のつくる音楽の魅力を信じている。UFOの存在と同じくらい確信している。

 

 細野の著作は数多く出版されているが、最新の口述筆記ということもあり、フラットな本音が出ている。「レディー・ガガのように素顔がわからないどぎついメイクはしんどくて」と訴え、「化粧をしていない女性の素顔の美しさが心地よいんです」と述べるさまは、そのまま現在の細野の音楽への姿勢に通じる。また最近のメイン・ストリームのJ-POPを評して「無意識的に外国の音楽を受け取って、自分のものと錯覚しつつ活動しているだけでしょう」とばっさり。その他、紹介しきれない数多くの名言がある。


 本書のジャケット・イラストでは、過去/現在、世界の生き物、自然、インディアン、UFOまで、全てが共存する小宇宙で、細野がくつろぎ、のんびりした風情でこちらを見つめている。ひょっとして、細野が語る「忘却」とは、震災の記憶を癒していくことかもしれない。ぼんやりとだが、本書を読み終えてそう思った。



(森豊和)

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 デビュー作で破格の成功をおさめたフォスター・ザ・ピープルが、至極まっとうな、堂々たるセカンド・アルバムをドロップした。世界中で1000万人以上がフィジカルを手にしたシングル「Pumped Up Kicks」に代表されるように、元々彼らのサウンドはシンセサイザーが肝になっていたのだが、今作は力強いギターが印象的だ。いま改めてアルバムを最初から聴いてみて、ちょうど3曲目に差し掛かったところなんだけど、こんなに堅実な進化を遂げるなんて、彼らは次世代のメインストリームとしての役割を担うことにとても肯定的なんだな、と実感する。何せファーストに並ぶアンセム揃い。そして、ファーストはダンスして汗だくになるアルバムだったけれど、今作はギター少年の心くすぐる見事なロック・アルバムに仕上がっている。浮遊感は後退し、かわりに地面にめり込むようなミドル・ビートが繰り出される。


 ここまで書いてみて、お洒落サウンド全盛の現代において、このアルバムが商業的な成功を得ることにはほとんど確信を抱いているのだが、作品性に関してはまともに評価されないんじゃないか、といらぬ心配をしてしまった。わたしは、10年遅くデビューしていたらゴキゲンなポップ・パンク・バンドで歌っていたであろうマーク・フォスター(ヴォーカル)の少年っぽい部分と、社会や人間の暗部をあぶり出すリリックと、人をちょっと小馬鹿にしたような象徴的なコーラスの、この絶妙なバランスのうえに成り立つアンセミックな魅力の虜になっている。純粋にオーディエンスを楽しませるために、まず自分たちが全力で楽しんでいるのが伝わってくるし、そのサウンドロジックは複雑に入り組んでいるが、一聴しただけでは分からないようにうまく工夫されている。どの曲を聴いても彼らっぽさはきちんと残されていて、ただ何回も聴くうちに、とてもひとつのバンドが作り出したとは思えない豊富なヴァリエーションがあることに気付く。


 結果論でいえば、彼らは成功したミュージシャンなのだが、デビューは意外に遅く、それまで自分たちの人生がけっして順風満帆ではなかったことがリリックからも窺える。だから、日常生活のなかでアイデンティティー・クライシスに苦しみ続けている人たちが、「ひょっとしてこいつらも同じような思いをしたんじゃないか」と想像することができる。たとえば今作に収録されている「Coming Of Age」では、自分に自信を持てず、それによってまわりの人たちを傷つけてきたことを認め、そのうえで自らの成熟を意識する、という内容が歌われている。成熟することは生きるうえで一種の喜びとなるが、それは若気の至りゆえに起こってしまった内外部のいざこざに疲れてしまった証拠でもある。わたしはいま20代後半を頭悩ませながら必死で生きている最中だから、この曲のメッセージにはひどく共感したな。そう、何かが完璧にうまくいかないのであればまだ吹っ切ることができるんだけど、問題なのは自分がいるべきではないと思っている場所で生きる時間が意外に長いということだ。



(長畑宏明)

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 デビューEPに裸のピンナップとキスマークを添えて、バイセクシャルなイメージを打ち出した彼。どうしたって奇行のイメージばかり取沙汰される。スイートで眠気を誘う声。「最低の人間として生きたい」とガーディアンのインタヴューで語る。しかしそれは、ジョナサン・リッチマンをヒーローに挙げる彼の本質から、我々の目を背けさせるための一流の"手"だ。


 マック・デマルコの作曲能力は高く評価されている。だが優れたソングライターに限って、真実を見すえ過ぎて早逝する。同インタヴューで彼はこうも語る。「僕のポリシーは、物事を深刻に受け止めすぎないこと。僕はお気楽な人間、最も個人的な曲を書いたって、完璧にシリアスになんてなりっこない。ちょっくら舌を出してるのさ」。シンプルなアコースティック・タッチのギター・サウンドからは、匂い立つような色気とおどけ、そして哀愁が漏れ聴こえる。トリップを誘うサイケ感からはドラッグ疑惑も出るかもしれない。実際に母親にそう疑われた彼はすぐに電話して、「クスリなんかやってない! 俺は大丈夫だよ」と伝えたという。彼はクスリなんかやらなくたって裸なのだ。矛盾だらけの世界で正気を保つための、ごく自然な営みであるし、ジョージ・マイケルみたいに「外に出よう(Outside)」と言い出さない限りは大丈夫だ(もちろん私は彼もワム!の音楽も大好きだ)。


 ピッチフォークによれば、彼が5才の時、両親は離婚した。彼の母はいう、父は魅力的だがアルコール依存の傾向があったと。今でも年に数度会うが、父は彼のパフォーマンスを観ない。スティーリー・ダンの影響を感じさせる収録曲「Chamber of Reflection」のテーマは一種のセラピーだという。曲名は「音の反響を録音するための部屋」とも訳せるし、「内省のための部屋」ともとれる。2013年秋に故郷カナダのモントリオールからアメリカはニューヨーク、ブルックリンへ移住、10年来の恋人キエラと暮らす小さな部屋、そこで楽器演奏含め、本作の全てを録音した。それは同時に、彼の23年の人生を振り返り、過去から未来へ踏み出そうとする試みだったという。『青春の日々(Salad days)』というタイトルからも、自分のキャリアを俯瞰し、遠い何年か先を見すえる意思を感じる。ピッチフォークの記事に題されたように、彼はいまだ「大人になろうとしている少年(Mannish Boy)」、発展途上であり、可能性を秘めている。



(森豊和)

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 nhhmbase(ネハンベース)のシングル「水辺の鼓」をiPodに入れて、繰り返し聴いている。昼間の雑踏の中を歩きながら、夜更けの列車に揺られながら。2分にも満たない2つの歌と3分ちょっとのインストゥルメンタルがひとつ。それぞれが独自の表情を持ちながらも、まるでひとつの曲のように響く。


 幾何学的なアートワークと呼応する変則的なビート。幾層にも折り重なるギター・リフとそのレイヤーの狭間を自在に動きまわるベース・ライン。そして、素っ頓狂にも真摯にも聴こえる歌声。"ポスト・ロック" だとか "音響派" だとか形容されることも多いそのサウンドは、確かに緻密に計算されているのかもしれない。けれども、人懐っこくて、どこか儚げなメロディーが耳に馴染むとき、そのイメージは一変する。数学的というよりも文学的。しっかり構築された音像だけれど、どこまでもエモーショナル。目の前に横たわる色のない雑踏や列車の窓から見える街の明かりが消え去って、遠い記憶が呼び覚まされるようだ。


 タイトル・トラック「水辺の鼓」では、こぼれ落ちるしずくを思わせるギター・リフとたった10行の歌詞で、無常な、そして残酷なほどに無垢な世界が描かれる。どこかにぽつんとひとり取り残されるような不安と、ひとりぼっちだからこそ得られる自由。そんな思いは、ポップなメロディーと一筋縄では行かないリズム・パターンが印象的な「ノスタルショートカット」で、さらにかき立てられる。2ndアルバム『3 1/2』に収録されていた「廃る(Single Mix)」の透き間だらけの混沌で、このシングルは締めくくられる。そして僕はもう一度、PLAYボタンを押す。


 例えば、ルーツにノイズ、ハードコアを持ちながらミニマムな実験性を発揮し続けたガスター・デル・ソル。彼らが最後に辿り着いた『カモフルーア』の無邪気な遊び心が2011年を経た、今の日本で鳴らされているみたいだなと思う。もしもフィッシュマンズが現在でも活動を続けていたら、どうなっていたかな? という妄想も楽しい。サウンドの感触は違うけれども、ビートと言葉への繊細な感性はnhhmbaseと共通するような気がする。つまり、もう"ポスト・ロック"だとか"実験性"って言葉が面倒くさくなるくらい、サウンドの冒険を恐れていないってこと。間口がグンと開かれた(良い意味での)ポップさを持ち合わせながら。


 そして特筆すべきなのは、やっぱり常軌を逸した(!)特典CDについて。この3曲入りシングルは税抜きで1,000円。それは普通。でも、特典として付いてくるのは、なんと1stアルバム『波紋クロス』のリニューアル・ヴァージョン丸ごと! オリジナルの『波紋クロス』が過酷な状況下でのレコーディングだったことや、その後すぐに「第一期」と呼ばれるメンバーが、メインのマモルを除いて全員脱退してしまったことはすでに周知のとおり。そんな「いわく付き」ともいえるアルバムが『2014』ヴァージョンに生まれ変わっている。


 自由なサウンド、無謀な価格設定とパッケージが素敵だ。あえて『波紋クロス 2014』のレヴューはしない。それは、手に入れたみんなが思い思いのイメージを描くべきだと思うから。初期からのファンは2枚を聴き比べるのも楽しいはず。初めてnhhmbaseを聴く人にとっては、きっと彼らの歩みを知る絶好の機会になる。消費税が8%に上がっても1,080円。それが日本の現状だし、それだけで今の日本から鳴らされるべき音楽を聴くことができる。




(犬飼一郎)

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 カーティス・メイフィールドを連想させる官能的な歌声と、パーカッション主体の音作り。ファンク、ダブ、レゲエ、雑多なようで統一された最小限のビート。モー・カラーズの音楽を聴いていると、陽光の下、昼間からビールが飲みたくなる。庭でイスにもたれかかる。春の日差しの中で浮かれた友人が踊りだす。しばらくして彼は言う。「なんだかつんのめるんだ、足が引っ張られるみたいに」。どういうことか問うと彼は続ける。「これはヒップホップかもしれない。でも同時にレゲエっぽくなったり、サンバかと思う瞬間もある、まるで『海流の中の島々』を旅したかのように、様々な音楽が混じり合っている。けれど同時にどこにも属していない。それは僕をとても不安で奇妙な気分にさせる」。それでも、いや、だからこそ彼は踊らずには居られない。


 モー・カラーズとは、アフリカはモーリシャス共和国人と英国人のハーフであるジョセフ・ディーマモードのソロ・プロジェクトであり、ヴォーカル、パーカッション、サウンド・プロデュースの全てを彼が手がける。アフロ・ビートをアンビエント風に仕上げて、自然音、機械音問わず様々なサンプリングでコラージュしている。手法自体はさほど珍しいものではない。実験精神を持った音楽家であれば試みるかもしれない。しかし彼の作品を個性的にしている雰囲気、陽性のヴァイブと共に感じられる不安感 ― なぜだか人を浮き足立たせる― はいったい何に由来するのだろう。


 レッドブル・ミュージック・アカデミーのインタヴューによれば、7才の時、ロンドンに住むジョセフは父に連れられモーリシャス共和国へ行き、その地の伝統音楽である「セガ」の踊りを観たという。夜の浜辺で踊る男たちを見てジョセフは不思議に思い父に尋ねた。「彼らはなぜ足をあんなにくっつけて踊っているの? 」「かつてこの国の人々は足枷を付けさせられ、自由に足を動かせなかった。それを表しているんだよ」。


 アフリカ人奴隷が過酷な労働の憂さ晴らしに始めたというセガは8分の6拍子系のダンス・ミュージック、パーカッションによる即興であり、抑圧からの解放を表現する。セガの踊りは性行為の暗喩でもあり、揺れてクルクル回るようにソレを突き刺していく。そのフィーリングはモー・カラーズの音楽にも受け継がれている。


 18世紀はフランス、次いで19世紀にはイギリスの支配を受けたモーリシャス共和国では、支配者の言語であるフランス語や英語ではなく、被支配者の言語であるアフリカの言語でもない、両者の特徴を持ちつつも全く独立した言語体系であるクレオール語が生まれた。そして突然変異的なクレオール文化が形成され、セガもその一つだという。支配者と被支配者の間に生まれたモー・カラーズことジョセフは、セガの精神性を受け継ぎ、彼独自の音楽を生み出した。



(森豊和)

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 最近、バンドキャンプやサウンドクラウドでディグっていると、とりあえず "インダストリアル" とタグをつけておけば誰か聴いてくれるだろうみたいな作品に遭遇することが多い。まあ、それは "インダストリアル" という言葉が広まり定着した証左でもあるから、素直に嬉しいと感じつつ、どこか興ざめする気持ちを抱いていたのも事実それでも掘りつづけていたところに、本作が届いた! 言っておくと本作は決して明るいアルバムではないし、お世辞にも万人受けする音でもない。しかし、『Yr Problems』が蠱惑的な雰囲気で聴き手を惹きつける作品なのは確かで、ゆえに筆者も本作の底なし沼にズブズブとハマってしまった。日常の時間軸がねじれていくような感覚と共に・・・。


 本作は、ロシア連邦に属するカレリア共和国を拠点に活動しているラヴ・カルトと、サイケデリックなドローン・サウンドを特徴とするバンド、Gnod("ナード"と読むそうです)のメンバーであるドラスが組んで制作したアルバム。彼らが本作で披露しているのは、瞑想的なドローンとジ・オーブに通じるヴォイス・サンプリングの使い方、さらにインダストリアルの要素もちらつくサウンド。ラヴ・カルトが2曲、ドラスが2曲、そして共作が4曲という内容ではあるものの、アルバムの流れはしっかり統一されており、終始ダークなサウンドスケープが貫かれている。空間を活かしたプロダクションは非常にミニマルで、分かりやすい転調もない。それゆえキャッチーとは言えないが、執拗な反復によって生まれる中毒性はドラッギーな領域にまで高められ、奇怪な空気を醸し出すという点においてはエイフェックス・ツインの『drukqs』と比肩する。


 リリース元の《Trensmat》は、ノイズやドローン作品をリリースしてきたレーベルということもあり、本作にはそんなレーベルカラーに沿う側面もある。だが「Death Forever」ではジュークのビートを持ち入るなど、ビートやリズムの面でもチャレンジングな姿勢を覗かせる。ひとつひとつの音はチープでシンプルの極地にありながらも、それらの組み合わせでディープなグルーヴを生みだす手法は18+ジャック・ダイスなどのユニットに通じ、それは「Nothing Makes It Real」といった曲で顕著に表れている。言ってしまえば本作は、ドローンやノイズの文脈に、《Modern Love》や《Blackest Ever Black》周辺によるここ数年のインダストリアル・サウンド、それからジューク以降のベース・ミュージックを流し込んだ歪で実験精神あふれる作品だ。ジャケットはオシャレなハウス・ミュージックのコンピレーションに見えるが、始めは処女の如く後は脱兎の如し、見た目に騙されてはいけない。



(近藤真弥)

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Ava Luna『Electric Ballon』.jpg

 ダーティー・プロジェクターズによるアッシャー「Climax」のカヴァーを聴いたとき、そのクオリティーの高さに驚かされたものだ。フロントマンのデイヴ・ロングストレスがアッシャーを好んでいるという話は以前から聞いていたが、あそこまでストレートな愛情を感じるカヴァーを聴くと、ダーティー・プロジェクターズとR&Bの関係性の深さに感銘を受けざるを得なかった。ダーティー・プロジェクターズの大きな功績の1つは、インディー・ロックとR&B(歌いまわし、コーラスワーク)をチルウェイヴとは異なった形で両立させたことなのではないかと、そのときあらためて感じた。


 ダーティー・プロジェクターズのこうした方法論をアヴァ・ルナは受け継いでいる。だが、それはトレースではない。ダーティー・プロジェクターズにおけるコーラスワークは、変幻自在のサウンドの間をある種の透明感を携えながら吹き抜けてゆき、重厚なコーラスでありながら、爽やかな印象を聴き手に与える。しかし、アヴァ・ルナにおけるそれは、緊張した空間の中をじわじわと侵食してゆく「不気味」な性質を持っていると感じた。彼らはダーティー・プロジェクターズのような突き抜け方はせずに、どこか重々しい雰囲気をまとっている。それはコーラスワークだけではなく、ジェームス・チャンス的な脱臼したファンクネスと鋭角的なギター、複雑に組み立てられた構造、変化に富んだリズム・ワークなど、全体のサウンド・デザインからも窺うことができる。


 本作『Electric Balloon』は、そんな彼らの待望の2ndアルバムだ。リリースはダーティー・プロジェクターズを発掘した《Western Vinyl》で、ミックスはメンバーのフェリシア・ダグラスの父親、ジミー・ダグラスが担当している(過去にカニエ・ウェスト、ジョン・レジェンド、デュラン・デュランなどのミックスをしている)。本作を一聴して気づくのは、サウンドが前作と比べてミニマルになっていることだ。ジミー・ダグラスのミキシングの成果なのか、曲の情報量の減少と引き換えに音が凝縮され、密度を増している。1つ1つの音が際立ち、シンプルだが力強いサウンドだ。聴かせたい音をチョイスしてそこにフォーカスを当てるという作業は、バンド側がサウンドに対して確信を持っている証拠。こういった確信が本作では堂々と鳴り響いている。また、コーラスの減少も大きな特徴で、風通しが良くなり、バンドのサウンド・メイキングに対する姿勢の変化が窺える(これはメンバーが2人脱退した影響だろう)。


 「Crown」のような、滑らかなギターフレーズが雰囲気を形作り、ヴォーカルが空間を這い回るねっとりとしたナンバーはプリンスを彷彿させ、本作だからこそ作り得たものだろう。例えばこの曲を、『Ice Level』収録の「A Year Of Mirth」と聴き比べれば、アヴァ・ルナのはっきりとした変化を感じられるだろう。他にも《ZE Records》的なサウンドをストレートに咀嚼したリード・トラック「Daydream」、アコースティック・ギターとパーカッションの重なりとズレに電子音が緩やかに絡む「Aquarium」、クラウトロック的なビートが耳に残る「Ab Ovo」などは、前作を聴いた人間からすれば、そのシンプルな構成に少なからず驚かされる。そういったシンプリティーが目立つ楽曲が並ぶ一方で、「Judy」は本作で達成した音の洗練を細部で保ちながら前作の複雑性に挑んでおり、このアルバムの最も大きな成果だと感じた。


 前述したように、本作は音の情報量が減っている。その結果、アヴァ・ルナが持っていたサウンドの鋭角性は切れ味を増し、メロウネスはより際立つものになるなど、彼らの長所がぐっと伸びた。しかし、情報量の減少により『Ice Level』で彼らが持っていた複雑性が減退したことは少々残念に思える。ジャンルを軽々と飛び越えるような雑多で猥雑な前作のサウンドは、何度聴いても飽きることのない濃密な時間を作っていた。正直なところ、本作の傾向はそういった彼ら特有の魅力が少し損なわれていると感じた。とはいえ、このチャレンジは彼らにとって非常に有益なものであったことは間違いないし、シンプルな構成だからこそ得られたものも多い。アヴァ・ルナにとって本作は過渡期の作品になるのではないか。こんなに魅力的な過渡期があるのかと思ってしまうが、アヴァ・ルナならそれも頷ける。



(八木皓平)

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 1991年11月。僕はマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの初来日公演を観るためにクラブチッタ川崎のフロアにいた。当時のマイブラは『Loveless』をリリースしたばかり。この年は"シューゲイザー・ムーヴメントの隆盛"というよりも、マッドチェスターのバカ騒ぎが過ぎ去った後の音楽シーンが再び活性化し、面白くなってきた季節だったと記憶している。ライド『Nowhere』、プライマル・スクリーム『Screamadelica』、ピクシーズ『Trompe Le Monde』、ティーンエイジ・ファンクラブ『Bandwagonesque』など、今でも名盤とされているこれらのアルバムが立て続けにリリースされたのが91年前後。他にもファイヴ・サーティ『Bed』、ネッズ・アトミック・ダストビン『God Fodder』だとか。いわゆるロック・ヒストリー的には取り上げられることが少ないバンドだって、(誰かの記憶にはしっかり焼き付いているはずの)素敵なアルバムを発表して、毎月のように来日していた。


 けれども、肝心のマイブラのライヴをあまり思い出せない。『Loveless』のサウンドがどう再現されるか? ってことよりも、どちらかと言うと『Isn't Anytheing』が気に入っていた僕は「とにかく轟音でぶちかましてくれ!」って思っていた。それが、かなり拍子抜けだったからかもしれない。それでも会場に集まったファンの熱気がすごかったこと、終演後のフロアに『Screamadelica』が流れて「意外だな」って思ったこと、グレー地にワインレッドの渦巻き文字で"my bloody valentine"と描かれたTシャツを買って帰ったことは覚えている。


 僕が横浜に帰る東海道線に揺られている頃、ひとりの男の子が彼の未来を決定する象徴的な出来事を体験していた。 彼はもちろん熱心なマイブラ・ファン。マイブラのアルバムやEPを聴きまくり、音楽雑誌のレヴューを読み漁る。そして、自身もバンドを結成して音楽漬けの毎日を送っていた大学生。それが、この本の著者である黒田隆憲さん。23年前のその日、黒田さんが偶然にも開くことができた楽屋の扉は、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインというバンドと共にある"今"につながっていた。


 『Loveless』をリリースしたあと、20年近くもシーンから姿を消してしまったマイ・ブラッディ・ヴァレンタイン。愛すべき厄介なこのバンドが08年に再始動し、12年に新作をリリースするなんて、誰が想像できただろう。そして、記憶にも新しい12年から昨年にかけての来日公演も。この本では、そんなマイブラの("奇跡"ともいえる)不思議な"軌跡"がひとつひとつ明かされていく。時には、音楽ジャーナリストという肩書きもかなぐり捨てるような情熱を持って。08年、ロンドンのラウンドハウスでの再始動ライヴに駆けつけた著者はこう記す。


「この十数年間、僕自身にも色んなことがあった。(中略)紆余曲折を経て音楽ライターとして何とかやっている。その間ずっとずっと思い続けてきたマイ・ブラッディ・ヴァレンタインの記念すべき再始動ライヴ。その皮切りとなるロンドン公演を本当に見逃していいのか? とてもじゃないけどフジロックまで待てない!」(本文より)


 そして、元ミュージシャンならではのサウンド分析と機材紹介は、バンド活動をしているキッズやサウンドを多角的にとらえたいファンにとっては必読だろう。アンプ、キャヴィネットからメンバーのエフェクター・ボードの写真(!)、さらにはエフェクターとアンプをつなぐブロック図(!!)まで。世界中のマイブラ・ファンが知りたがっているサウンドの秘密を日本語で読むことができる。これは本当にすごいことだと思う。


 ケヴィン・シールズへの2度に渡る単独インタビューも読み応え充分だ。そこに至るまでの(本当に驚き!の)エピソードの数々、ビリンダ・ブッチャーとの心温まる交流、そして何よりも東京、ロンドン、ニュー・ヨーク、メルボルン、グラスゴー、マンチェスターなどなど...世界中を飛び回って体験したライヴ・レポと著者自身が撮影した極彩色のステージ・フォトの臨場感。


 時系列に沿ったドキュメントはどれも想像以上で、まるでロード・ムーヴィーのようだ。時間と空間、さらにはマイブラというバンドと音楽そのものにまで翻弄されながらも突き進む著者の姿は、音楽ファンなら共感してしまうに違いないと思う。マイブラというバンドをとことん愛し、ロック・ミュージックを信じ切り、他人から見れば「たかが音楽に、なんでそこまで?」と思われてしまうかもしれない。けれども、この本は音楽を、誰かを、何かを大好きになることの素晴らしさを伝えてくれる。そして、それがとても困難だってことも。


 読み終えて、マイブラのアルバムをもう一度聴いてみる。『Isn't Anything』と『Loveless』、そして『ep's 1988-1991』も。今まで以上に、そのサウンドが多くを語りかけてくる。この本に描かれていないたったひとつのこと。それは未来。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインの新しいストーリーは、この本の読者ひとりひとりがこれから体験すること。91年に黒田さんがクラブチッタ川崎で開いた扉は、僕たちにとっても楽しみな音楽の未来につながっていた。



(犬飼一郎)

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 リアル・エステートも風格が漂うバンドになってきた。と、思ったのは1月半ばに先行で公開された「Talking Backwards」を聴いた時だった。ただ、同楽曲のMVに映る彼らの和やかな表情を見ていると、「そうでもないのかな?」と自分を疑ってしまったりもする。リアル・エステートから風格を感じたのは、初めて聴く楽曲にも関わらず、彼らが作るノスタルジックなメロディーに自然と胸を撫で下ろすことができたから。ニュー・アルバム『Atlas』を聴いていると、このバンドのメロディー職人的な部分は3年前の『Days』からさらに洗練されているように感じる。


 また、自分たちの作るメロディーを支えるバンド・アンサンブルが円熟してきたというのも少なからずある。『Atlas』でもこれまでと同じように、マーティン・コートニー、マット・モンダニル、アレックス・ブレーキーの3人が学生時代からここまで共に過ごしてきた時間の密度をそのまま映し出したようなアンサンブルが芯になっている。密度という点においてはますます良くなっていて、「Crime」をタブ譜付きで聴くことができるヴィデオ「How to play... Crime」を初めて見た時は、肝心のタブ譜よりもマーティンとアレックスの息の合い具合に目がいってしまった。そして、3人でも埋め切れなかった隙間を新メンバーの2人が埋めていく。鼓膜へ優しく沁み込むようなギターのリヴァーブやマーティンのソフトなヴォーカルを後押ししているのは、新キーボーディストのマット・コールマン(過去にガールズ『Broken Dreams Club』やクリストファー・オウエンス『Lysandre』に参加していた)で、アレックスの太く滑らかなベースと共にドリーミーな雰囲気と音風景が薄れていかないようにしっかりとした額縁を作るのは、前作リリース後のライヴから参加していた新ドラマーのジャクソン・ポリスである。特に「The Bend」と「Primitive」に新リアル・エステートの関係性がよく現れている。加えて、今作はプロデューサーとミキシングを担当したトム・シックによってこれまで以上に各パートの一音一音がクリアになっているため、音像に微かな靄が立ち籠めていた『Days』よりもさらに、アンサンブルのディテールに耳を澄ますことができる。


 ところが、リリックに注目してみると、音像からは消えた靄がマーティンの心の方に立ち籠めていることがわかる。その原因はガールフレンド(おそらく2012年に結婚した方)との遠距離恋愛だ。アルバムの1曲目「Had To Hear」から、《帰れるかどうかわからない/だけどこの夢を叶えるため(中略)君に電話をかける/君を近くに感じるために思わず同意してしまった/違うと知って/だけど久しぶりだから/よくないと知って》と歌うように、ニューヨークに拠点を移してからもツアーやフェスで各地を飛び回り、バンドとして確実に成長する一方で、ガールフレンドと大きな距離ができてしまったことに不安を感じていたようだ。彼の不安、孤独感を最も緩和させているのは彼女との電話。他愛無い会話でも、コミュニケーションをとることで、お互いがどこに居ても繋がっているような気分になれる。少しでも長く電話したいがために《逆さまから喋ったらどうかな/君には意味が分からないかな?》(「Talking Backwards」)と言う彼だから、なかなかうまくいかない時もあったのだろう。それでも彼は自分自身を見つめ直し、心の靄を取り払うように、正直な言葉と一途な思いを彼女に伝えている。彼には彼女しかいない。《一晩中眠れないんだ/どうしたら良くなるのかもわからないんだ/深刻な不安だよ(中略)死にたくないよ/孤独と緊張で/僕の側にいて》(「Crime」)。


 「『Atlas』のために、ブルックリンでの現在の生活についてもっと書いてみようとしたんだけど、僕には少し違和感があったんだ。だけど僕自身が本当にブルックリンが好きじゃないんだということがわかったから良かったし、郊外(出身地のニュージャージーのこと)に戻りたかったから郊外について書き続けたんだ」(※1)


 マーティンの一途な思いは、故郷のニュージャージーにも向けられている。しかし同時に、時間が経って景色が変わってしまったことに寂しさを感じている。


《この近所に帰ってくることはできない/自分の年齢を気にせずに》《ここは僕が知っていた場所と同じ場所ではない/だけどここにはまだ昔と変わらない音がある》(「Past Lives」)。


 アートワークに使われているステファン・ナップの壁画も、かつてニュージャージーにあったAlexander'sというデパートの外壁に飾り付けてあったもので、彼に"今は無き昔のニュージャージー"をイメージさせるものなのだろう(壁画は無題で、通称"Alexander's mural"と呼ばれていた。1992年にAlexander'sが閉店した後に取り外され、現在はニュージャージー州バーゲン群カールスタッドにある倉庫に保管されているそう)。


 もしかすると、リアル・エステートの風格を作り上げている要素の中には、誰かへの、どこかへの、あるいは音楽への一途な愛も含まれているのかもしれない。そう考えると、『Atlas』全体に漂う空気が温かいのも納得できる。もう少し気温が上がって本格的に春を迎えたら、ぴったりの作品だ。中でも「April's Song」は特に。



(松原裕海)



※1 : Pitchforkの特集記事『Suburban Dreams』より



【編集部注】『Atlas』の国内盤は3月26日リリース予定です。