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Dana Ruh『Naturally』.jpg

 "ハウス・ミュージック"といっても、実にさまざまなハウスがある。シカゴ・ハウス、アシッド・ハウス、ディープ・ハウス、テック・ハウス、ロウ・ハウスなどなど、他にもたくさん。こんな煩雑としたジャンル分けは筆者を含めた "メディア" のせいでもあるから、申し訳ないというかなんというか・・・。


 そんなジャンルについて "ここ最近のハウスは" みたいに語るとなれば大変だったりもするが、それでも言わせてもらえれば、ここ最近のハウスは本当に面白い。そのなかでも特筆したいのが、アメリカのハウス・シーンである。例えばニューヨークの《L.I.E.S.》は、《100%Silk》を旗頭に隆盛したテン年代インディー・ダンス以降の流れを受け継ぐレーベルのひとつとして、ハウスという枠にとらわれない音をカタログに揃えている。さらに《L.I.E.S.》主宰のロン・モレリは昨年、《Blackest Ever Black》や《Modern Love》などを中心としたインダストリアル・テクノ再評価の流れに共鳴する『Spit』を発表。このアルバムは《Hospital Productions》からのリリースだが、昨今のインダストリアル・ブームに接近する《L.I.E.S.》周辺の動きとしては重要だ。


 DJジャス・エド主宰の《Underground Quality》も、近年のUSハウスを語るうえでは欠かせない。2000年代半ばに始動したこのレーベルからは、ブラック・ジャズ・コンソーティアムやDJキューなど、ここ最近のUSハウスを担う重要なアーティストの作品がリリースされている。《Underground Quality》の特徴は、フランソワ・ケヴォーキアンやケリー・チャンドラーといった90年代のUSハウスに通じるサウンド。そういった意味ではUSハウスの歴史に連なる、いわば "正統派"と言えるだろう。だが、決して懐古的な音を鳴らしているわけではない。DJジャズ・エドはシュテフィーやロウレンスといったドイツ勢とも積極的に交流し、USハウスの "拡張" に挑んでいる。


 その "拡張" は、ダナ・ルーのファースト・アルバム『Naturally』がリリースされたことでさらに押し進められるはずだ。ドイツを拠点に活動する彼女は、《Ostgut Ton》や《Cocoon》からもリリース経験があり、ハウス界隈だけでなくテクノ界隈でも名が知られている。本作で彼女はUSハウスに接近しつつ、7曲目「Just Don't」ではデトロイト・テクノに通じる情緒的なパッド・サウンドを鳴らし、続く「D's Interrupt (Dub)」と「Dirty Egg」では《Ostgut Ton》周辺のテクノ・サウンドを披露したりと、高い音楽的彩度も窺わせる。


 また、本作を際立たせるメロディアスな側面も見逃せない。この側面は、ハウス・ミュージックに触れて間もない聴き手を惹きつけるのに十分な魅力を放っている。それこそ、ディスクロージャーがキッカケで初めてハウスを聴いた、なんて人も虜にするほど・・・。キック、ハイハット、スネアといったパーツを巧みに出し入れし、心地良いグルーヴを生み出す手腕もお見事。玄人リスナーも唸るサウンド・プロダクションは文字通り必聴だ



(近藤真弥)

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 先ごろ自伝を発表したモリッシーは、2012年の来日公演でも凄まじくアグレッシヴでピースフルなパフォーマンスを見せてくれた。なんといっても親しみやすい人柄が伝わってくるのだ。演奏中しきりに客と握手したり、ステージに飛び込んできた客を抱擁したり、花束をフロアにばらまいたり、シャツを脱いで客に向かって投げたり、しまいには日の丸の旗を腰に巻いてザ・スミス時代の曲を熱唱したり。そりゃあ常に怒れるモリッシーかもしれないが、表現のそこかしこにユーモアや哀愁を感じた。一方で、ブレット・アンダーソンもスウェードとして2013年に来日。マイク・コードを振り回し観客ともみくちゃになりながら拳を振り上げ歌い続けていた。立ち居振る舞いの力強さといったら、まったく衰えを感じさせない。


 彼らが持つような無敵感(きっぱり言ってしまおう!)。それを背負うアーティストが近年少ない。せいぜい、ストロークスアークティック・モンキーズまでだったか。驚くような目新しさ、玄人受けする緻密な音楽性なんかこの際いらない。とにかく神がかり的な勢いがあるバンドにもっと出てきてほしい。それはロックンロールが担う重要な役割の一つだと思う。


 ドラウナーズはそんなモヤモヤした気分を吹き飛ばしてくれるアクトだ。ザ・ヴァクシーンズのサポートをおこない、テンプルズUSツアーを敢行する彼らは、英ウェールズ出身のマット・ヒット(ヴォーカル/ギター)率いるニューヨークの4人組。英ガーディアンによれば、マットはザ・スミスをオール・タイム・フェイヴァリットに挙げ、おまけにバンド名はスウェードのデビュー・シングルから引用している。演奏するのは飛びっきり疾走感のある2分ほどのジャングリー・ギター・ポップ。加えて、ハスキーでかつ深みや潤いのあるマットのヴォーカル、その色気といったら!


 シンプルな歌詞世界は恋愛に悩む思春期の少年そのもの。さらに「Long Hair」では少年も少女も髪を伸ばすと歌う。その純粋な混乱と憧れは「火星から来た屈折した星屑」(そう、グラム・ロック!)を思い起こさせるし、楽曲自体は、モリッシーが憧れたニューヨーク・ドールズなどの初期パンクに近いフィーリングだ。そういった意味では、自身のルーツを遡っているのだ。好きなバンド達のさらにルーツ。彼らの本能はそれがいま必要な音楽だと言っているのだろう。


 ドラウナーズが時代を席巻するかどうかなんて分からない。でも彼らのサウンドは30過ぎの私の胸だって熱くさせる。恥ずかしいくらいナイーヴで子どもじみた歌詞と演奏のテンションといったら、ザ・スミスやスウェードの後継者たるに十分すぎるだろう。



(森豊和)

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 音楽に限らず優れた芸術表現の根底には、自らが所属する世界そのものへの違和感が存在することが多い。その違和感はときに自分自身をも攻撃し痛めつけ、アイディンティティー・クライシスを引き起こす。その表現が切実なものであればあるほど、既成のジャンルには収まらないのかもしれない。パンクもオルタナティヴも、ヒップホップも、現状へのアンチ・テーゼとして生まれ、様式美に陥る前に自らを破壊し生まれ変わっていく。スロベニアのラッパー、ントコはそういった精神を継承し、インダストリアルの要素を全面に打ち出して活動している。


 インダストリアルというと、90年代のヘヴィー・メタルやミクスチャー・ロックのような力強く無機質で分かりやすいビートを思い浮かべるかもしれない。しかし音楽用語として始めて用いられたのは1977年スロッビング・グリッスルによってだった。クッキーシーン編集部によるディスク・ガイド『OUR CHOICE』によれば、クーム・トランスミッション名義で前衛アート活動を行っていたジェネシス・P・オリッジとコージー・ファニー・トゥッティに、デザイン集団ヒプノシスのメンバーだったピーター・クリトファーソン、エレクトロニクス機材に明るいクリス・カーターが加わってスロッビング・グリッスルを結成。アナログ・シンセ等を用いてノイズやエレクトロ・ビートを重ね合わせ奇妙な音世界を構築していったという。


 彼らの音楽性の重要な側面を説明するエピソードがある。ジェネシス・P・オリッジは後年、妻そのものになるために(外見上だけにせよ)性転換してしまった。妻を失った悲しみからか、もう誰も愛せそうにないからか、どちらにせよ驚くほど一途で人間味のある行為だと思う。よしもとばななの代表作『キッチン』にも似た設定の人物が登場し、あとがきにはこう書かれている。


「感受性の強さからくる苦悩と孤独はほとんど耐えがたいくらいきつい側面がある。(中略)もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくことは不可能ではない。そのためには甘えをなくし、傲慢さを自覚して、冷静さを身につけた方がいい」。


 こういった人種は世界への違和感から逃れるために自分自身を変えてしまうか(ときに自殺を選ぶかもしれない)、環境を絶えず変えるために世界を彷徨うかもしれない。ントコもヨーロッパを旅し、東京に幾度も長期滞在し渋谷、原宿、高円寺のカルチャーに影響された。そういった異文化の衝突によって生み出される軋轢が、彼の音楽の持つ緊張感となっている。前作ではUHNELLYSのKimをフィーチャーしたトラックがあったが、本作でも東京のミュージシャンらと共演。ZONZONOのギタリスト小野浩輝、インド・スタイルのヴァイオリンを弾く金子ユキ、ドラマーの村山政二朗といった面々だ。旅の途上で様々な仲間と出会い、彼らとのセッションをへて自分自身を再確認する。その繰り返し。そのなかで自己のアイディンティティーを更新していく。ントコの音楽はその経過報告であり、リズムは彼の鼓動そのものだ。



(森豊和)

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大森靖子 絶対少女.jpg

 中森明夫の著書『午前32時の能年玲奈』のあとがきに、次のような記述がある。それは著者が撮影スタジオで、ドラマ『あまちゃん』の主演を務めブレイクした女優・能年玲奈とやりとりした際のもの。


《「二〇歳になるってどう?」と訊くと「なりたくないです」と即座に答えた。「なんで?」しばし間があって・・・・・・「少年少女が好きなんで!」その表情は、まるで女子中学生だ。「中学生? よく言われます。・・・・・・ずっと、一〇代のままがいいな~」》


 能年玲奈の大人(成人)になりたくないという気持ちは、筆者も抱いたことがある。大学に行ったのも、責任が伴う"社会人"とやらになるのを先伸ばしにするため。とはいっても、それはあくまで先伸ばし。現在25歳の筆者は大学を卒業し、ひとりの"社会人"としての処世を身につけ、何かとハードな日常を生きている。現実とは残酷なもので、誰もピーターパンにはなれないのだ。


 大森靖子は、現在26歳の女性シンガーソングライター。「PINK」というEPを経てリリースされた前作『魔法が使えないなら死にたい』が大きな注目を集め、2013年5月に渋谷クラブクアトロでおこなわれたワンマンライヴを成功させたのも記憶に新しい。そんな彼女が完成させた新たな作品、それが本作『絶対少女』である。


 まず驚かされるのは、オープニングの「絶対彼女」。キャッチーな4/4ビートと彼女の早口な歌唱が印象的で、アコースティック・ギター中心のサウンドだった前作のイメージを引きずる聴き手は肩透かしを喰らうだろう。続く「ミッドナイト清純異性交遊」も、アイドルのようにキュートな歌声を振りまく彼女の姿に驚かされる。「絶対彼女」と「ミッドナイト清純異性交遊」、冒頭を飾るこの2曲で彼女は、前作のリリースによって自身に与えられた期待やイメージから抜け出し、新たな側面を創出することに成功している。プロデューサーにカーネーションの直枝政広を迎え、多くの凄腕ミュージシャンが参加したことで得られた幅広い音楽性も秀逸だ。


 理想と現実が入り乱れたような歌詞も興味深い。《ディズニーランドに住もうとおもうの ふつうの幸せにケチをつけるのが仕事》という歌い出しの「絶対彼女」は、《やっぱ郊外に住もうとおもうの》《ディズニーランドに行ったって 幸せなんてただの非日常よ》とも歌われることで二項対立を作り上げながらも、続く「ミッドナイト清純異性交遊」はキラキラとしたサウンドが際立ち、それこそディズニーランドの如く幻想的だ。しかし、そのファンタジーはディズニーランドのそれとは異なる。このことは次の一節からもわかるはずだ。


《アンダーグラウンドから君の指まで 遠くはないのさiPhoneのあかりをのこして ワンルームファンタジー》(「ミッドナイト清純異性交遊」


 そう、いまやどんなものでも一瞬であなたの手元に届く。スマートフォンを適当に弄れば、どこに住んでいるかも分からない人がサウンドクラウドにアップしたささやかな歌を聴けるし、殴り書きで私情をぶちまけたブログだって読める。そうした現在は、数多の幻想的世界で溢れているとも言えるのではないか? そして、そんな現在に生きる私たちはSNSなどを介して顔も見えない相手と繋がれる。そこに希望を見いだすかのような一節に筆者は思えるのだ。同時にこの一節は、本作がアルバム・タイトルとは裏腹に、あらゆる人がコミットできる作品だと教えてくれる。「君」は特定の誰かではない。すべての人に当てはまる。


 本作に収められた曲群で描かれる世界観はそれぞれ異なり、時には "醜さ" を覗かせることもある。だがそれでも、個人のささやかな日常や一幕を切りとり繋ぎあわせたような『絶対少女』という作品のなかでは、すべてが肯定されるのだ。どんな生き方も、どんな価値観も、どんな言葉も、すべてがアリになる。言ってしまえば本作で大森靖子は、"美しさ" だけでなく "醜さ" も受け入れ愛している。ゆえに本作は、大人になりきれない人々を励ますような、暖かさと優しさを漂わせるのかもしれない。



(近藤真弥)

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CRZKNY「RESIST EP」.jpeg

 CRZKNY(クレイジーケニー)は広島を拠点に活動し、数多くのジューク/フットワーク・トラックを生み出してきたアーティスト。CRZKNYが作るトラックの特徴はズバリ、フロアに集う者たちを吹き飛ばすほどの狂暴なベースである。また、稲川淳二ネタの「JUNJUKE」をカルト・ヒットさせ、さらにはキューピー3分クッキングのテーマ曲をチョップした「3minute 2K13」(アルバム『ABSOLUTE SHITLIFE』収録)なんて曲も作ったりと、お茶目なユーモア精神も窺わせる。


 一方でCRZKNYは、良質なエレクトロも量産している(とは言ってもジャスティスデジタリズムのほうではなく、ドレクシアなどのデトロイト色が強いエレクトロ)。そのなかでも代表作に挙げられるのが、《Tokyo Electro Beat》から発表された『NUCLEAR/ATOMIC』。サウンドのみならず、終戦記念日にリリースというメッセージ性も込めるあたり、先述のドレクシアを連想させる内容だ。


 そんなCRZKNYによる新たなエレクトロ作品、それが本作「RESIST EP」である。まずタイトル・トラックの「Resist」は、ハードなサウンドと性急なグルーヴが印象的。『NUCLEAR/ATOMIC』もそうだったが、アンダーグラウンド・レジスタンスに通じる精神と感性もあるように聞こえる。反骨精神が根底にありながら、同時にクラウドを踊らせる(そして楽しませる)ことも忘れていない。B面収録の「Radiation」も硬質なキックが聴き手を惹き付ける良曲で、フロアに投下されたら歓喜が起きそうだ。


 本作において見逃せないトピックといえば、DJスティングレイが「Resist」のリミックスで参加していること。彼はドレクシアの元メンバーで、アーバン・トライブ名義での活動もよく知られている。カール・クレイグムーディーマンとのコラボレーション経験もあり、テクノ好きなら誰もが知る人物だ。そのDJスティングレイによるリミックスはミニマルな音像が際立ち、ローランドが生み出した名機TR-808のものと思われるキックを堪能できる。ラフなプロダクションに聞こえるかもしれないが、それをディープなカッコよさに繋げているあたりはさすがだと思う。


 本作は、日本とデトロイトのアンダーグラウンドが何度目かの邂逅を果たした作品として記憶されるだろう。



(近藤真弥)

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Temples-Sun-Structures.jpg

 昨年のEPで、「おお、なんだ、こいつら? すっげーよくないか?」と猛烈に感じさせてくれた、UKの田舎...地方都市バンド、テンプルズ。先頃リリースされたファースト・アルバムを聴いて、その思いはさらに強くなった。こうやって50分以上のアルバムを何度プレイしても全然飽きがこないどころか、さらに聴きたくなってしまう。極めてポップなメロディーの魅力が、それに大きく寄与している。なんというか、とても間口が広いのだ。


 そんなこともあって、ぼくはこのアルバムから突然「グループ・サウンズ」などという言葉を思いだしてしまった(ここ日本での習慣にのっとって、以下GSと略す。まあ、これは「ほぼ」日本でしか通用しないタームですが:笑)。


 古い記憶をたどれば、70年代、とりわけそのブームが下火になったころの日本で、GSは「ダサいもの」の象徴だった。メンバーたちの思いは考慮にいれず巨視的に見てしまった場合、「ビートルズ以降にロックの本場である英米で起こったバンド・ブームを芸能界が商業的にとりいれたもの」というマクロな図式が、誰の目にも明らかな形で提示されてしまっていたから。


 しかし、80年代のレア・グルーヴ・ブーム以降に再評価されていくなかで、GSのもうひとつの(いわば、ミクロ面の?)本質がクローズ・アップされていった。60年代なかば以降のUSで、まさに雨後の筍のごとく登場した、いわゆるガレージ・ロック/ガレージ・サイケデリック・バンドとGSは、実は音楽的にとても近かったのではないか?


 そんな評価の流れにとどめをさしたのは、70年代の末ごろからリヴァプールをベースにガレージ・サイケデリックな音楽をやりつづけてきたジュリアン・コープが07年に本国で出版した『ジャップ・ロック・サンプラー(Japrocksampler)』。「ジャップ」という単語が日本人に対する蔑称として(とくに第二次世界大戦を経験した世代とかに)一部で使われていたことは、たぶん彼も知っているだろうが、彼はそれより10年以上前に『Krautrocksampler』という本も出している。その書名はドイツのファウストというバンドの「Krautrock」という曲名からとられている。その造語には、実は「イギリス人がドイツ人をみたときにありがちな、ちょっとバカにするっぽいニュアンス」もこめられていた(つまり、ファウストにしてみればある種の「自虐的」センスをこめたものだった。まあ、80年代の日本に、ジャップ・レコーズというパンク・レーベルがたしかあったことと同じように:笑)。


 『Krautrocksampler』出版後、ファウストやカンやノイなど、ドイツの60年代~70年代ガレージ・サイケデリックをクラウトロックと呼ぶことが、世界中で定着した。ジュリアンの思いとしては、『Japrocksampler』はその「続編」という意識があったはず。対象に近寄りすぎることのない「客観性」に貫かれた(UKっぽいブラック・ユーモアもまじえつつ)作られたガイド本。もしかすると「専業評論家」にはできなかったもしれない優れた仕事を、彼は10年という時間の流れをへて、2度もなしとげた。残念ながら(少なくともここ日本では)ジャップロックというジャンル名は決して定着しなかったものの、ぼくはあえて(もう一度)こう言いたい。


 テンプルズの音楽って、まるで「最も優れた60年代~70年代前半のジャップロック(もしくはGS)が、今の空気をいっぱい吸いこんで突然変異を起こしつつ、現代に甦ったようだ」と!


 ここまで書き進んだ今、昨年クッキーシーンに載った彼らの「Shelter Song」EPのレヴューをチェックしてみたところ、筆者である(ぼくと同じく日本人の)森くんも、その音楽からGSを連想していたらしい。やっぱ、そうだよね...と同意しつつ、彼らは「自らの音楽をネオ・サイケデリックと称している」とも書いてあった。


 なるほど。ちなみに、この「ネオ・サイケデリック」というターム、80年代の日本では(主に『フールズ・メイト』誌をとおして)ちょっと日本独自のイメージをまとっていったのだが、もともとUKでは70年代末ごろ、先述のジュリアン・コープ率いるティアドロップ・エクスプローズや、彼らと同じリヴァプールのクラブ(エリックス)を根城にしてたエコー&ザ・バニーメンらの音楽を指すものとして使われはじめたものだった。


 なんとなく、感慨深い...。


 そして、もうひとつ。ぼくは、この音楽の開放感からGSを思いだしたのだが、昨年のEPもこのアルバムも1曲目は「Shelter Song」。シェルターって言葉と開放感は理論的に並立しないのでは? などという「自己つっこみ」に対する返答(笑)で、この原稿をしめくくりたい。


 だから、あれを思いだせばいい。


 やはりエリックス周辺から育っていったバンド、ペイル・ファウンテンズが80年代なかばに残した、傑作ニュー・ウェイヴ・ロックンロール・アルバム『...From Across The Kitchen Table』冒頭を飾る「Shelter」って曲の歌詞。《隠れてみよう、このちょっとしたシェルターに、ぼくと一緒にさ!》。朗々と歌われるその一節を聴くたび、とても広々とした風景が、なぜかぼくの頭の中に拡がっていった。


 『Sun Structures』は、まさにそんなアルバムだ。



(伊藤英嗣)

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ミツメ『ささやき』.jpg

 どこか異邦人の匂いがする。浮世離れしているというか、別の世界から奏でられた音というか、でもたまらなく親近感を感じる。ミツメのサード・アルバム『ささやき』のことだ。このバンド名から私は最初、手塚治虫の漫画『三つ目がとおる』を連想した。超能力を有した古代人「三つ目族」の唯一の生き残りである写楽保介の物語。名前が似ているからではない。シーンにおける孤高の立ち位置も似ている気がする。


 ミツメはこれまでの音源全てを自主レーベルから発表している。JAPAN TIMESのインタヴューでメイン・ヴォーカルの川辺素は、「僕たちは誰のコントロールも受けていない。できることはなんでも自分達でやりたい」と語っている。ドラマーの須田洋次郎によれば「まず曲をレコーディングしてネットで公開していた。(結成当初は)東京のインディー・シーンをよく知らなかった」という。ギターとシンセサイザーを操る大竹雅生はMOSCOW CLUBのメンバーでもあり、ベースのナカヤーンは近くソロ作を発表する。彼らの活動は柔軟かつ自由でどこにも属さない。


 本作で彼らはより彼岸に向かっている。もともと抑制されていた感情はミニマルでエレクトロなビートの奥へさらに後退している。エコーがかったヴォーカルはもやの中に隠れて、しかし、なお意味を失わない。現代の感性と技術で70年代のサイケデリック・ロックやファンク・ロックの空気感を表現しようとしたらこうなるのかもしれない。


 個人的にはアナログ・レコードA面からB面へのつなぎが白眉だった。A面ラスト、肉体性を削ぎ落とし精神性をダークに突き詰めたかのようなファンク・ナンバー「いらだち」から、続くB面1曲目、対照的に力強くポシティヴなギターが鳴らされるタイトル・トラック「ささやき」への流れ。この2曲から私は、プリンスが一度封印した『The Black Album』と次作『Lovesexy』をイメージした。


 彼らは情報過多のインターネット世代に生まれ、それを使いこなし活動しながらも、その音楽は過剰さを避け、音数を抑制していく。最新のネット上の音楽から影響を受けながらも、古典的なロックの方法論へ、その起源に近づいていく。逆にネット世代だからこそ容易なのだ。過去の音楽史を全て参照できる彼らの世代ならではの共通無意識を辿っていく。ユングの云う共時性の概念を思い出す。全ての事象が原因であり同時に結果でもあり等しくそこに在るのだ。



(森豊和)


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Katy B『Little Red』.jpg
 アルーナ・フランシス(アルーナジョージ)やジェシー・ウェアなど、ここ最近のイギリスには良質な歌姫がたくさんいる。ロンドン出身のケイティ・Bもその良質な歌姫のひとりだ。


 ケイティは10代の頃からヴォーカリストとして活躍し、2000年代半ば頃にベース・ミュージック・シーンで頭角を現した。DJ NG「Tell Me」、ジンク「Take Me With You」、ジーニアス「As I」といった曲に参加して、着実に知名度も得ていく。これらの作品がリリースされた時からベース・ミュージックを追いかけてきた筆者にとってケイティは、いわば "青春" みたいな存在。


 そんなケイティが多くの人に知られる大きなキッカケは、マグネティック・マンの『Magnetic Man』に参加したことだろう。この作品で全英アルバム・チャート5位を獲得したマグネティック・マンは、ベンガ、スクリーム、アートワークによるユニット。言ってみればベース・ミュージック界のドリーム・チームであり、そんなユニットにプッシュされたのだから将来は約束されたも同然。実際ケイティは2011年のデビュー・アルバム、『On A Mission』で全英アルバム・チャート2位を奪取した。


 さて、そうした成功を経てリリースされた本作『Little Red』は、前作以上にポップ・ソングとして聴かせることを意識した内容になっている。多くの曲が3〜4分台に抑えられ、ガイ・チェンバース、ジーニアス、ジョージ・フィッツジェラルドらによるサウンドはトランシーなグルーヴを生み出し、プロダクションも秀逸。全体的には昨今盛り上がりを見せるEDMに接近しながらも、「Next Shings」といった曲は90年代ハウスの要素を感じさせる。このあたりはおそらく、ディスクロージャーやゴルゴン・シティーといったハウス・ユニットが注目を集めるイギリスの音楽シーンに反応した結果だろう。


 また、ケイティは本作において、『On A Mission』と同様にソングライティング面でも奮闘している。5曲目「I Like You」以外は"Written"に彼女の名があり、そのせいかキャッチーな曲が多い。ヴァリエーションが少なくワンパターンなのは否めないものの、聴き手を一発で惹きつけるメロディーはとても親しみやすい。現時点では才能花開く、とまではいかないが、このまま順調に曲作りを経験していけばさらなる飛躍も可能だ。



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WANDA GROUP『A Slab About Being Held Captive』.jpg

 《NNA Tapes》からリリースされた『A Slab About Being Held Captive』は、ナース・ウィズ・ウーンドの『Echo Poeme: Sequence N° 2』を模したかのようなジャケットに包まれ、盤面には "Lupo" ことアンドレアス・ルビック(去年までDubplate & Masteringのエンジニアだった)による "Loop_O / Calyx" の文字が小さく刻まれている。A面に針を落とすと、分厚く重苦しい低音が鳴り始め、すぐに凄まじい高音のノイズ・エレクトロニクスで充満される。この時点で大抵のリスナーは不快を覚えるだろう。ノイズが鳴り止むと、静かな風景へと移動する。近くで水の流れる音と人の喋り声が聞こえる。鳥の鳴き声も挿入される。そこにあるようで無いような、不明瞭な音質である。その間、不気味な低音がずっと唸っている。巨大な飛行物体が近づいてくる音が聞こえ、どこかへ去ってゆく。そこから数分間、なにも起きない。後半に差し掛かると喘ぎ声とグロテスクなエフェクト、金属音が立て続けにあらわれ、激しいカットアップとインダストリアル直球の轟音が繰り返される。目紛しく場面は展開し、最後、スッと音圧がフェードアウトすると、不気味な低音は消え去る・・・。


 ワンダ・グループ、本名ルイス・ジョンストンの名前が最初に世に知れたのは、2010年に《Leaving Records》から『Caveman Smack』という名のカセットテープを発表した時である。その時はデム・ハンガーという名義を使用していた。このカセットに収められた奇々怪々としたサウンドスケープは、当時賑わっていたロサンゼルス界隈のビート・ミュージック(フライング・ロータス『Cosmogramma』やティーブス『Ardour』、トキモンスタ『Midnight Menu』は同年発表である)を確実に意識していた。「意識していた」というのは「距離感を見定めていた」ということであり、言い換えれば商業主義に染まりだした気運とは一歩距離を置こう、ということである。とにかく音粒が細かく、大量の情報を1曲に詰め込む。泥臭くゲットー的で清潔さはまるでない。今でこそ《Dirty Tapes》や《bootlegtapes》、D/P/Iや日本のcanooooopy(キャノーピー)といったカットアップ・シーンのパイオニアたちは注目を浴び始めているが、ルイスはそれに通ずる青写真をもうこの時すでに描いていたのである。彼はその年の末にベルギーの新興レーベル《Vlek》の第1弾リリースの役目を全うすると、早々とデム・ハンガー名義での活動は終え、その後はワンダ・グループでの活動をメインとする。ワンダ・グループは、多くのドローン/アンビエント作家が醸すような陶酔性と同時に、過度にパフォーマンス・アート化しないノイズ・ミュージックの可能性を突き詰めたようなサウンドで、インダストリアルが持っていた狡猾な精神と反社会性を帯びている。


 持田保氏が著した『INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE!!!』によれば、77年から始まったインダストリアル・ミュージックという音楽の特徴は下記のとおりである。


"その音楽形式をザックリと表現するなら「ズタズタになるまでロックを解体し、ノイズ(エレクトロニクスから具体音まで)を導入する」であり、また音楽同様か、もしくはそれ以上にアート・テロリズム的なメディアへの情報戦略が重要視された。"


 近年、こうしたインダストリアル・ミュージックに源流をみてとれるような音楽が世界中から観測できる。それは、《Opal Tapes》や《Vlek》《Alter》《Further Records》といった硬質で灰色のイメージをまとった地下テクノ/ハウスの音楽たち、あるいは阿木譲氏が「コンテンポラリー・モダン・ミュージック」と提唱する《Editions Mego》《Modern Love》《Blackest Ever Black》《Downwards》《PAN》といった、主に英国やドイツのレーベルが発信する、暗闇の奥から鬱屈とした怨念を吐き出したかのようなアンビエント/ドローンとテクノの境界をゆく電子音楽であったり、ざっくざっくと切り刻んでコラージュした、サウンドクラウドやバンドキャンプに無数に巣くうヒップホップを土台としたサンプリング・ミュージック群であったりする。これは、インダストリアル・ミュージックが当時のロックに反撥する流れで生まれたムーヴメントであることの相似形として、物と情報が行き届き過ぎた結果の副作用として限定生産を行い(50部限定はザラ)、曲自体はインターネットで無料ストリーミング再生が可能であることがしばしば(従来のメディア・複製権利観を揺るがす)、そのサウンドは大衆性とは程遠い場所で鳴っている(聴衆の選別)。これらの音楽は、総じてインダストリアルとして括ってしまうのが惜しいくらいに多様な進化を遂げており、周辺文化を侵蝕しながらもどこか共通した理念を持つ運動体としてテン年代に広がりつつある。例えば、これらの音楽はカットアップをよく行う。カットアップは古くは1910~20年代のダダに始まり、50年代ではガイジンやバロウズが、70年代には彼らから直々に継承したアーティストら(インダストリアルの中心人物たちを含む)が用いた技法である。カットアップとはその名の通り、切ることである。意味を断つことであり、既成概念の否定である。同書の言葉を借りるなら「高度情報社会に対するアクション装置として」のカットアップは、いまや世界中の至る所で試され、一貫して仄暗く陰鬱とした表象で自らを覆い、時には聴く者の気分をどん底に、時には高揚させたりする。


 針をB面に落とす。何かが激しく摩れる音がする。遠くからまた不気味な轟音がやってくる。ホワイトノイズ、灰色雑音が織り重なったようなキメの細かい音の群れは、嘗てのグリッチ・エレクトロニカを思わせなくもない。が、これといったメロディーは皆無。高周波のモスキート音が鳴りだすと、もはやドローンとも似つかない何かになってくる。気分は悪くない。一つ一つの音を、風景を構成する要素の一部だと思ってしまえばヒーリング効果さえあるのでは。ただしこれをBGMに眠りたくはないが。しかし・・・いったいこういった音楽が我々に訴えるものとは何だろう。私は、この音楽を人に勧めたいとも思わないし、理解してもらおうとも思っていない。そしてこんな音楽に入れ込んでいる孤独と背徳に苛まれながらも、そんな自分を楽しんでいる節がある。なぜかこういった音楽を嫌いになれない。ああ、奇妙な音楽を聴くようになってしまったものだ・・・と思いながら、私はまた針を落とすのである。外は政治だとか社会問題の話で煩い。隙を見せればすぐ邪魔しにくる。新手の宗教か何かだろうか。やんややんや言わないでほしい。まったく、音楽だけあればいいじゃないか・・・ただ、そうもいかないらしい。面倒な世の中だ。



(荻原梓)

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 2013年12月3日、財政破綻したミシガン州デトロイト市に対し、同州の連邦破産裁判所は連邦破産法9条の適用を認めた。とはいえ、これで終わりというわけではない。デトロイト市の弁護人は、期限である3月1日までに再編計画を提出しなければいけないし、さらには破産法適用に反対してきた市職員や労働組合などが異議申し立てをすれば、新たな法廷争いも生じるだろう。言ってしまえば、先行き不透明。


 かつてデトロイトは、ゼネラル・モーターズ、フォード、クライスラーといった自動車産業を中心に工業都市として栄えた街だ。しかし、その自動車産業が衰退すると、企業に勤めていた人たちは大量に解雇され、大企業の下請け会社の多くが倒産に追い込まれた。これに伴い人口も減少し、そうなると所得税といった市の税収も減るのは必然。それでも公共サービスを縮小し、市民から税金をむしり取ることでなんとか債務返済をおこなってきたが、当然そうした "無理" を続ければ都市機能は崩壊してしまう。2013年7月18日、ミシガン州デトロイト市は連邦破産法9条を申請した。


 今年1月に本作『Moodymann』をリリースしたムーディーマンは、デトロイトを拠点に活動するDJ/プロデューサー。これまでに数多くの素晴らしいハウス・トラックを残し、1967年にデトロイトで起きた暴動(43人もの死者を出した "トゥエルフス・ストリート・ライオット" だと思われる)がテーマとなったアルバム『Det.riot '67』を発表したりと、メッセージ性を打ち出すことも多い。しかし本作は、そのメッセージ性があからさまではない。歯が獣のように鋭く、レミーマルタンを手にでっぷりとしたお腹を見せつける男が印象的なジャケットは暗喩とも取れる。それでもサウンドのほうはハッピーでファンキーなダンス・ミュージックとなっており、ハウスを基調にファンク、R&B、ディスコ、ソウルなどなど、実にさまざまな要素が混在し、ムーディーマンを知らない者も楽しめる間口の広さがある。LP版は全12曲入りだが、比較的手に入りやすいCD版はなんと全27曲入りで、しかもラナ・デル・レイ「Born To Die」のリミックスが収められていたりと、サービス精神も旺盛。おまけにセクシーでお水なノリも。まさにパーティー・アルバムと言える内容だ。


 また、本作に関してひとつ気になることがある。そもそも本作、昨年11月にリリースがアナウンスされたときは、『ABCD : The Album』というタイトルだった。同時に収録曲である「Come 2 Me」のMVも公開され、2013年発表のミニ・アルバム「ABCD」の続編的作品になると見られていた。この時点で、かなり具体的なリリース・プランがあったと思われる。そうしたなか、なぜあえて自身のアーティスト名をアルバム・タイトルにしたのか? 筆者は、この自らのアーティスト名を掲げるところに意味があると考える。そうすることで、本作の内容がケニー・ディクソンJr.(ムーディーマンの本名)としての姿勢を示すものであると聴き手に伝えたかったのかもしれない。その姿勢とはおそらく、"それでも楽しむ"ということ。ハードな状況だからこそ、踊り、楽しみ、笑う。そんなッセージが本作には込められていると思う。


 本作でムーディーマンは、できる限りのユーモアと反骨精神を表現している。いわば "逃避のための享楽" ではなく、"闘うための享楽"。それが『Moodymann』という作品である。



(近藤真弥)