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 若き日の衝動もそのあげくの失敗も、青春は一度きりの刹那のきらめきだからこそ美しいのかもしれない。しかし、全く同じではないにせよ、年老いても同質の輝きを再現することはできる。むしろこれまでの経験を生かせば、より一層みごとに輝ける。


 2014年2月、オレンジ・ジュースの4枚のアルバムが《Domino》からリマスター再発された。フリッパーズ・ギターの二人によって90年代に日本盤CDとして再発され、10年代の今も再評価され続けている。オレンジ・ジュース、ひいてはその中心人物であるエドウィン・コリンズの音楽は、作られたハイプでも一過性のムーヴメントでもなかった。30年以上の歳月がそれを証明している。


 本作は記念すべきオレンジ・ジュースの1stアルバムである。一聴、さわやかなギター・ロックと思わせて、腰にくるリズム隊のグルーヴと、若さと老成が同居した奥行きのあるヴォーカルが耳に飛び込んでくる。パンク以降の感性でソウル・ミュージックやオールディーズのロックを再解釈した楽曲群、その歌詞は失恋について歌っているともとれるし、この世界の様々な矛盾に唾を吐く意思表明ともとれる。


 一方で、2013年に発表されたエドウィン・コリンズの新作『Understated』は、シンプルに削ぎ落された自然な躍動感に満ちていた。年輪を重ねた今の彼の姿が反映されている。しかし本質は変わっていない。1つのことを継続していくのは簡単なようで難しく、とても重要だ。真の意味で生きるとは、そういうことだと私は思う。


 遡ること2005年、エドウィン・コリンズは脳出血に倒れ、会話すらままならない危機的な状況に陥った。しかし、そこからリハビリを続け、右半身マヒは残っているものの、再びレコーディングができる状態にまで回復した。2011年には来日公演も果たし、機材ケースに座りながらではあるが、バンド時代からソロ曲まで満遍なく披露してくれた。ドラムスのジョナサン・ピアースとの共作曲「In Your Eyes」では息子のウィリアムとデュエット。息子を心配げに見守り、堂々と歌い上げるさまに安堵の表情を浮かべていた。「まあ、上出来だ」というような(笑)。そして代表曲の一つ、「A Girl Like You」では杖をついて立ち上がって熱唱、迫真のパフォーマンスだった! 


 わずか4分間、棒立ちで歌う彼の姿が今でも目に焼きついている。派手なパフォーマンスばかりが胸を打つのではない。その人がその人なりに自身の限界に挑み全力を尽くす姿、その誠実さにこそ人は感動するのだ。本作『You Can't Hide Your Love Forever』は彼の原点であり、現在に至るまでの彼の魅力、その全ての萌芽がある。



(森豊和)



【編集部注】『You Can't Hide Your Love Forever』リイシュー国内盤は3月5日リリース予定です。

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トリプルファイヤー スキルアップ.jpg

 "高田馬場のジョイ・ディヴィジョン"の異名を持つ若き純音楽集団トリプルファイヤー。彼らは柔軟なユーモアのセンスとルサンチマンを武器に、ザクザク心臓に切り込むビートを、殺伐とした歌詞や溌剌とした笑顔とともに四方八方に撒き散らす。プレス・リリースに「メンバーは皆性格が良く、友達が多い」とあり、さらに大森靖子ミツメ、スカート始め、彼らに好意を寄せるミュージシャンは多い」ともある。ういうスタンス、私は嫌いじゃない。


 「これ、本当に笑えますよ」。本作の録音エンジニアであるPANICSMILEのドラマー松石ゲルが、意味ありげな笑顔でCDRを渡してきたのは2013年秋のことだった。そのCDRには、本作のタイトル・トラックである「スキルアップ」のライヴ・ヴァージョンが収められていた。延々と繰り返すギター・リフが閉塞感を極限まで高めていった末に、爆発する歓声のようなヴォーカルの叫び。


 最初聴いたときは戸惑った。歌詞の意味もよく分からなかった。ヴォーカルには基本的にメロディーはない。かといってラップのようなリズムもない。ただの語りだ。その語りの内容と絶妙に展開するリズム隊が絡み合い、「魂の叫び」として我々の胸に迫ってくる。自然と体が反応する。踊れる。言葉の意味を理解できなかったとしても伝わる。そもそも言葉だけで通じるなら詩や小説でいいのだ。彼らは音楽という表現形式を選び取った。音楽でしか表現できないミラクルがこの銀盤には収められている。


 彼らの楽曲はじわじわ染み込んでいく。少しずつ笑みがこぼれてくる。何度となく聴くうちに松石ゲルの言葉の意味が分かってきた。最高に踊れるだけでなく最高に笑えるのだ。皮肉でも現実逃避でもない。この時代を生きる苦しみを乗り越えていくために必要な笑いだ。トリプルファイヤーの音楽は、みっともないくらいもがく自らの姿を映し出す鏡である。そんな自分を哀れみ正当化するのではない。客観的に可笑しみをこめて表現する。その風刺のセンスの凄さといったら、もうこれは天然だし本物だ。



(森豊和)

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MOGWAI『Rave Tapes』.jpg

 もともと「歌詞のないインスト・バンド」という地点からスタートした、モグワイ(バンドとしては。メンバーは、それ以前にハードコア・パンク・バンドをやっていた)。それゆえ、だろうか? 彼らの表現は、「総合芸術~トータル・アート~ポップ・アートとしての完成度」が非常に高い。


 たとえば、最近、彼らは自分たちの名前を冠したウィスキーを発表した。スコットランドといえば(日本でも「スコッチ」という言い方があったくらいで)ウィスキーの本場。日本でいえば「バンド名入り地酒を造る」ってな感じ? この行為、あまりにグレイトすぎる。


 この原稿が発表されて数日~1週間くらいしたころ、彼らは来日公演をおこなう。そこでは限定生産の(って、あたりまえ! 酒を大量に造れるのは専門家だけ)その酒も売られるそうだ。うわっ! 飲みてー! ぼく(現在愛知県在住)も東京に住んでたら絶対行きたかったわ! モグワイ・ウィスキー飲みつつ彼らの轟音に...どっちに酔ってるんだかわからない。ああ、素敵すぎる...(笑)。


 これはディスク・レヴュー。なので、酒は関係ない(笑)。今回のアルバムについて言えば、そのタイトルおよびアートワークに、ぼくは完全にぶっとばされた。


 仕事がら、まずはディスクを手にせず音だけ聴いた。もう15年以上彼らの音楽を聴きつづけている自分だが、相変わらず素晴らしいと思った。まだ彼らの音楽を聴いたことのないファンがこれを聴いても、きっと「いい!」と思えるだろう。今回の特徴のひとつは、シンセサイザー系の音が(とりわけ)効果的に混ざっていること。彼らのライヴを何度も体験してきた自分としては(とくに、そこでは以前からシンセサイザー系楽器の使い方に感服していたので)「レア! これまでにないアルバム!」とまでは言えないけれど、それがこのタイトルおよびアートワークで「作品」としてまとめられると、やっぱ(自分にとって)目から鱗、「新展開」だと思ってしまう。


 モグワイがデビューする前、80年代後半~90年代前半に盛りあがった、いわゆる「レイヴ・カルチャー」には、いろんな意味があった。「パンクの自由さ」を10年ぶりに復活させたりとか、それよりさらに10年前のヒッピー・カルチャー的な「ちょっと常軌を逸してフレンドリーな感じ」にも近いとか...。そこ...「レイヴ」に集うディープな音楽ファンのあいだでは、ミックス・テープをやりとりするとか普通のことだった。著作権? いや、それはみんな「個人的な楽しみ」のためだけにやってたことだから(笑)。


 『Rave Tapes』を聴いていると、そんな「カルチャー」に通じる「自由さ」に今も包まれている気がして、頭がくらくらする。さらに言えば今回のアートワーク、その「(いい意味での)しょぼさ」が当時のレイヴ風。もっと言えば、テクノ系というより、レイヴ周辺でむしろ音楽的にはヒッピー・ロックに近いことをやっていた一部のバンドのそれを(わりと直接的に)想起させたりする。


 うーん、やっぱ、モグワイ「ややこしくて深い」ぜ...って、たぶん(とくにアートワークに関しては)「意識せずやってる」気もしますが...。


 でも、(逆説的に)だからこそ、いいんだろう!



(伊藤英嗣)

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Oleg Poliakov - Random is A Pattern.jpg

 鍵盤、ストリングス、ダブ、インダストリアル、カール・クレイグ......『Random Is A Pattern』はあまりにも多くのものを飲み込んでいる。そのせいで、ハウスをベースにした全10曲のテンポは上がったり下がったり、ゴタゴタとしている。序盤のミニマルなトラックからピアノを基調にしたスペーシーな「A Quiet Storm」に入っていく部分も、ベースがディープな「Ethereal Thoughts」とカール・クレイグをサンプリングした極上のハウス・トラック「C.A.V.O.K」の並びも、どちらも強引に感じられる。フレーズ・サンプリングから始まるダビーな「Lies」をテック・ハウスで挟んでいる後半の3曲もそうだし、最後の最後にヒップホップのサンプリングを持ってくるのもそうだ。しかし、全く不快ではない。あまりにも突然に雰囲気が変わるため、トラックのインパクトが大きい。4つ打ちは妙に気持ち良く響き、ベースは身体を包み込むように深い。そして、アートワークにソンヤ・ブラースの『Tornade(竜巻)』(『The Quiet Of Dissolution』シリーズより)が使われていることを考えると、多少の荒さは意図してできているのだろう。そうなると、このアルバムのプロダクションはもはや鮮やかであると言える。


 『Random Is A Pattern』は、オレグ・ポリアコフことフレデリック・オーバーグのキャリア初となるアルバムである。彼はオレグ・ポリアコフ名義での活動を始める数年前にスカットという名義でもデビューしているが、どうやら今作のリリースと同時にスカット名義での活動は"過去のこと"にしたそうなので、彼にとっては新たなフェーズに入る決断としての作品でもあるのだろう。とはいえ、サンプリングの使用量、ハウスというジャンルの中を動き回るように変化に富んだトラックを作る姿勢は、オレグ・ポリアコフになってもあまり変わっていないように思う。"変わっていない"というよりも、彼はスカット名義の作品も飲み込んだところでこのアルバムを完成させている。


 ちなみに、フレデリック・オーバーグがこれまでリリースしてきた作品はすべて12インチだったので、今作が初のCDリリースだ。クラブ・ミュージックにおける12インチでのシングルカットとEPリリースの、あの異様な量を目の当たりにすると、やはりクラブ・ミュージックはレコードで聴くべきなんだろうな、と思ってしまう。が、ほぼ毎週リリースされる12インチや7インチのシングルを追うように買っていくのは、学生の僕にとっては経済的にかなり厳しいことだ。待望のファースト・アルバムに収録されたのがリード・シングルとしてリリースされた「C.A.V.O.K」と「Subterranean Rivers」だけだったのは残念だが、《Circus Company》ならまたユニークで豪華なコンピレーションを出してくれるだろう。このレーベルは、今やロック・ファンにも知られるニコラス・ジャーをピックアップし、そして何と言っても、素晴らしいハウス・マイスター、オレグ・ポリアコフを世に出したのだ。



(松原裕海)

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 チルウェイヴ以降の音楽は、地域性が薄くなってきているように見える。もちろん完全になくなったわけではないが、アーティスト間の交流はSNSで頻繁におこなわれ、ゆえに外部のアーティストがひとつのジャンルに多大な影響をあたえる、なんてことも珍しくない。どこに住み、何を聴き、誰が周りに居るのか? そういった違いによる距離感なり文化的背景の差異は徐々に均されていき、それは今も進行中だと思う。


 一方で、そうした現状だからこそ、自らを強調する必要性が高まっているのではないか? と、最近考えるようになった。実際、ここ2~3年の間に生まれた日本のインディー・ミュージックを聴いていると、"日本で育ったからこそできる表現"みたいなことに少なからず意識的な作品に触れる機会が増えた。例を挙げると、cero『My Lost City』森は生きている『森は生きている』、それからミツメ 『eye』といった作品。ここにシャムキャッツの『たからじま』を加えてもいいだろう。これらの作品に刻まれたサウンドと言葉は、洋楽を真似ただけの引用バンドでは生み出せない日本的な匂いを漂わせる。それこそ、はっぴいえんどから脈々と受け継がれる日本語ロックの遺伝子なのかもしれない。


 穂崎結実によるソロ・プロジェクトLakeMichigan(レイクミシガン)のファースト・ミニ・アルバム「ADVENTURE」にも、日本的な匂いがある。とはいえ、彼女の音がはっぴいえんど的かといえば、そうじゃない。ドラムにリヴァーブが深くかかり、スネアが "パコーン!"と鳴っている曲が多いせいか、90年代のJ-POPやアニソンを想起させるものだ。特に「泣いてるあの子なぐさめてあげたいけど」は、アニメ『魔法騎士レイアース』のオープニング・テーマ、田村直美の「ゆずれない願い」を連想させる。このことがおそらく、「ADVENTURE」を聴いて"懐かしい"と感じてしまう所以だろう。


 また、「Summer, Wells River, Blues」はアッシュといったロック・バンド、それから「Noah's Bird」はニュー・オーダーに通じるギター・サウンドを鳴らしていたりと、UKロックの要素が随所で見られるのも「ADVENTURE」の面白いところ。イギリスの音楽を愛してきた人なら琴線に触れること間違いなし。


 彼女は「ADVENTURE」で、これまで聴いてきた音楽に自らの感性を注ぎ込み、オリジナリティーを獲得している。ゆえに懐かしさがありながらも、フレッシュな響きを携えているのではないだろうか? もっと言ってしまえば、これまでなら "古い" の一言で一蹴されていたであろう音楽を、"好きだから"という気持ちを原動力に鳴らせる素直な姿勢。この姿勢がLakeMichiganの魅力だと思う。



(近藤真弥)

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 あなたはポップソングにコミットする必要性を感じるリスナーだろうか。それとも、必ずしも自分の生活をリプレゼントしていないポップソングに対しても寛容なリスナーだろうか。僕はどちらかといえば前者寄りだったけど、最近はそうでもなくなってきた。たとえば、ジャンキーが作る音楽に自身のバックグラウンドを重ね合わすことはできなくとも、その音楽自体の良さを認めて、楽しむことはできるようになった。進歩だ。


 さて、シャムキャッツの楽曲に登場する人々やシーンにはジャンキーっぽさの欠片もない。無鉄砲な勢いがあり、輪郭のない夢があり、愛すべき現実がある。冒頭のように書いてはみたものの、やっぱり僕はこういうバンドの音を聴くと安心する。これまで日本のインディーとメジャーのあいだを隔ててきたものは、無意味な非日常性の有無にあると思っている。だってさ、厭世的な人間を演じて、本質とはかけ離れたファンタジーを歌われたところで、僕はその一晩だけ魔法に酔いしれることはできても、けっしてハッピーにはならないじゃんか、と思ってしまう。とくにいまは。


 だから、「MODELS」という曲は革命なんだ。彼らは普通に考えると絶望してしまう日常を歌っているにも関わらず、その表現が変に遠回りでもなければ、ペシミスティックでもなければ、ドラマティックでもないおかげで、この曲は逆説的に希望に満ち溢れている。そんなこと声を大にして言いたくないよ、ということを軽快なビートに乗せてさらりと歌ってくれたおかげで、日常レベルの悪い妄想が取り払われたような気がする。


 この曲のなかに登場するのは一組のカップル。付き合いも長く、いまは工業団地で同棲している。彼氏は夜間トラックの運転手をしていて、彼女は昼に働いているので、1日で顔を合わせるのは夕方のすこしの時間だけだが、それがお互いにとってささやかな毎日の楽しみになっている。二人とも何となく将来のことを考え、お金のことを考えている。電車の窓から見える景色で季節の移り変わりを感じている。とくに代わり映えしないけど、それに絶望もしないし、一方で余計な夢を見ることもしない。ただ、半径5メートルの幸せを模索しながら生きている。それがいまの二人にとっての希望だ。


 幸せの価値観の転換が必要だと叫ばれて久しい。いまの日本の世代別人口比を考慮すると、これまでの資本主義で若者が幸せになることなんかできっこないし、かといって『トレインスポッティング』のような世界に逃げ込むわけにもいかない。日本人はイギリス人と違って、下流であることを意識したがらない。いつか中流に、あるいは上流にいけると信じながら、そんな目標とは程遠い地点で意味のない仕事を続けていたりする。果てしない絶望。「MODELS」はそんな "生きるために生きている" 現状を正直にリプレゼントしている。なるほど、僕たちのリアルはたしかにしんどい。だけど、みんな似たり寄ったりなことを考えて生きている。まずはそこがスタート地点だ。イギリスの労働者階級の奴らが生み出したカルチャーだって、自分たちの身分を血統レベルで思い知らされるところから始まっている。もう、誰かを出し抜いて自分だけ幸福になろうとしたってうまくいかないんだ。だってどうするんだ? ブロガーになる? それともプチ有名人と食事に行ってFacebookで自慢する?


 泳ぐようにうねるベースが僕らをあてのない日常の旅へと連れて行ってくれる名曲「MODELS」。果たして、この曲が描く現実の先には何が待っているんだろう。



(長畑宏明)



【編集部注】「MODELS」はタワーレコード限定発売シングルです。

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 昨今のダンス・ミュージックを語る上で欠かせないキーワード、"インダストリアル・テクノ再評価"。この潮流と共振する作品のほとんどは、ダークでゴシックな耽美的世界観が特徴だ。それこそ、アンディー・ストット『Luxury Problems』のように。


 ところが最近、その特徴が変化してきている。例えば、EP「Interpretations」を発表したばかりのパーク。このEPで彼は、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンとコラボレーションをし硬質なメタル・パーカッションと攻撃的なノイズを溶解させ、テクノというよりはEBMを想起させるサウンドに接近することで、インダストリアル・テクノ再評価の潮流に新たな側面をあたえた。


 もうひとつ面白い動きとして、アンディー・ストットがニューヨークのドゥーム・メタル・バンド、バティラスのリミックスを手掛けたことも挙げたい。このリミックスが実現したのは、先の「ダークでゴシックな」ところをふまえれば必然のように思えるからだ。その理由のひとつが、ドゥーム・メタルの源流と言われるバンドにブラック・サバスがよく挙げられること。


 ブラック・サバスは、そのオカルト的なヴィジュアル・イメージから黒魔術との関連を指摘されることも多く、バンド名がマリオ・バーヴァによるホラー映画が元ネタというのも有名な話。そういった意味で、アンディー・ストットとバティラスの邂逅は隔世遺伝的とも捉えられ、この先のダンス・ミュージック・シーンを考えるうえで見逃せない動きだ。


 そんな隔世遺伝が本作『A Fallen Empire』にも見られる。本作を作り上げたサミュエル・ケーリッジは、マンチェスター出身のDJ/プロデューサー。ケーリッジの両親はセカンド・サマー・オブ・ラヴにどっぷりハマっていた世代で、フェンスの下に穴を掘りそこからレイヴ・パーティーに入場したりと、筋金入りのレイヴァーだったそうだ。ケーリッジ自身両親の手に導かれ、幼いながらも当時の非合法パーティーに居合わせたこともあるらしい。いわば小さい頃からレイヴ・カルチャーに触れていたわけだ。


 そうした生い立ちを持つケーリッジが、本作のようなサウンドにたどり着いたのは興味深い。というのも本作、インダストリアル・テクノでありながらドゥーム・メタルにも聞こえてしまうからだ。もちろん本作の基調はインダストリアルである。しかしサン O))の影響を感じさせるドローン要素の使い方、それから「Black Sun」「Straight To Hell」といった曲名をつけるセンスは、やはりメタルを連想させる。それに「Heavy Metal」なんて曲も収められていたり。とはいえ、ケーリッジが好んで聴いていたのはトーキング・ヘッズ、ジョイ・ディヴィジョン、スロッビング・グリッスル、ピンク・フロイド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどなど。メタルというよりはポスト・パンクな嗜好が強い。


 また、本作のジャケットで使用されている写真についても特筆したい。アート・ディレクションのクレジットにはケーリッジのフルネームが刻まれている。だが、ロバート・キャパの有名な「崩れ落ちる兵士」を想起させるジャケットの写真、どこかで見た記憶がある。それで記憶を遡ってみると、数年前に見た第一次世界大戦の写真であるのを思い出した。その写真は、第一次世界大戦で多用されたホスゲンに苦しむ兵士を撮影したもの。本作のジャケットではトリミングされて使われているものの、この事実が分かったとき、筆者の頭に次のような言葉が浮かんだ。それはコージー・ファニ・トゥッティによるもので、メンバーとして在籍したスロッビング・グリッスルの音楽について語っている。


 「そこには"インダストリアス(勤勉な)な人間が生み出すインダストリアル(産業的)な作品が、人々に刺激を与え、身を粉にして生産に励むよう促す。それによって勤勉かつ産業的な姿勢があまねく行きわたり、今日の文化が形成されている"という視点もあった。私たちはそれを自嘲的に表現していたというか(笑)。(中略)最近のインダストリアルと呼ばれる音楽にはそういった皮肉もユーモアもない」(※1)


 この批判的な視点は、現在のインダストリアル・ブームにも当てはまるかもしれない。確かにスタイルや音色などは、スロッビング・グリッスルの影響下にある "インダストリアル" かもしれないが、そこにコージーの言う皮肉やユーモアがあるのか? という疑問。そんなケーリッジの批評眼が、本作のジャケット・デザインには表れているように思える。


 スロッビング・グリッスルは、自らのレーベル《Industrial Records》を立ち上げる際、「Industrial Music For Industrial People」というスローガンを掲げている。簡単に訳すと、"産業的な人々に向けた産業音楽"といった意味。このスローガンに込められた意味は、引用したコージーの発言にある通りだろう。


 本作は、現在のインダストリアル・ブームに足りない要素を補う作品だ。それはもちろん "皮肉とユーモア" である。先述したように、本作のジャケットで使用されている写真は、第一次世界大戦の兵士を写したもの。このことから推察を進めると、ケーリッジは本作で、インダストリアルに本来あった "産業的な人々に向けた産業音楽" という側面を蘇らせたのではないか? 軍需産業なんてものがあるように、言ってしまえば戦争もビジネスになってしまうのだ。それこそ、ゲーム『メタルギアソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』で描かれた、合理的な戦争経済を実現させた世界。そうした世界やこれに通ずるもの、例えば無益な殺生や争いなどに対する嫌悪感をケーリッジは本作で表現している。


 ここまでの深みに到達したインダストリアル・ミュージックは、近年リリースされた作品に限ると、アメリカ同時多発テロ事件をテーマにしたヴァチカン・シャドウ『Remember Your Black Day』くらいのものだ。



(近藤真弥)




※1 : 『Cookie Scene Essential Guide POP & ALTERNATIVE 2011 21世紀ロックの爆発』126頁より引用。

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 これは心に優しい盤ですよ。癒しというよりも、活力を与えてくれるような。それも無理に元気にさせるのではなく、自然にエネルギーを注ぎ込む。気がつけばあったかい毛布に包まれてるみたいにぬくぬくしている。そんな歌たち。


 《K》レーベルのアーティストと国内、海外ツアーし、《カクバリズム》からリリースしていた彼女がまさかジブリの主題歌を歌うことになるなんて! これは映画『かぐや姫の物語』主題歌「いのちの記憶」に加え、高畑勲監督の映画主題歌のカヴァー曲も含む企画盤だ。このアルバムから伝わってくるのは、例えば家族だんらんの空気だったり、若い頃の胸のときめきだったりする。後者も苦しいものではなく、性急な感じもしない。人生の様々なことを経験した上で、過ぎ去った日々を俯瞰しているようだ。彼女の夫や子どもに対して歌いかけている部分もあるだろうし、もちろん不特定多数の"あなた"へ対してでもある。


 かつて一度だけ二階堂和美に会ったことがある。会ったといっても飲み屋でのライヴを観たということだ。しかし「会った」と表現したくなるような親密さを感じたのである。その日のMCで彼女は言った。「アルバムは再来年に出します」。思わず「遅い」と呟いてしまった。文句ではない。「素晴らしい歌だから早くリリースすればいいのに」という意味で口をついて出た。彼女は即座に言い放った。「遅くない!」。あざやかな切り返し。こちらの言葉を否定するのではなく笑顔で包み込む風だった。


 彼女の歌は人を拒まない。聴く者一人一人に向かい合う。目の前でささやかれているようで、同時に一つ一つの言葉が丁寧で力強い。言葉が踊る、舞う、くるくる表情を変える。CDをかけて目を閉じれば彼女の表情が浮かぶ。僧侶でもある彼女の半生が伝わってくる。


 後半のカヴァー曲もいい。彼女の視点で歌われると新たな魂が宿る。アルバム全編を通して効果的に用いられる和楽器の音色と相まって、私たちをどこか遠くにある桃源郷に誘い出す。


 《いまのすべては 過去のすべて》と歌う「いのちの記憶」を聴いて思い出したのだが、(主に)うつ病に対する治療技法で認知療法というものがある。「今ここで」の問題に焦点をあて、患者が思考、気分、行動を変化させるのを援助する手法だ。その前提として治療者にはあたたかさ、共感、思いやり、誠実さといったものが必要とされる。そのルーツは仏教説話のような宗教の講話にあると思う。


 彼女の歌がジブリ主題歌になって日本中で聴かれている。ラジオやテレビから、もちろん映画館でも、日常的に不特定多数の人々に対してちょっとしたセラピーが行われているみたいで、こんなに素敵なことってないんじゃない?



(森豊和)

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 好きなバンドが新譜制作に入ったという情報を得てから出来上がった作品を実際に耳にするまで、期待と不安が入り混じってそわそわしているわけだが、regaの1年7ヶ月振りとなるミニ・アルバムは、インスト・ロック・バンドとしての実力をガンガン見せつけてくれると同時に、聴き手が彼らに向ける期待に十分応えうる充実作となっている。ただ、今まで以上に1曲1曲の輪郭がはっきりしているのと、全体的にポップ(ポピュラー)な印象。どうやら、曲の作り方を今までとは変えたようだ。


 「今までの曲作りは(青木)昭信(ベース)さんが曲の展開を作ることが多かったんですけど、前作『SOLT&PLUM』を録り終わった夜に次回作の話をしていて、メンバーそれぞれが1人1曲を責任持って作ることが次へのステップなんじゃないかと・・・。それで今回は各自曲を持ってきて、それに対して他のメンバーがその人が何をしたいのかを汲み取って、皆で曲にしていくっていう作業をしたんです。」(四本晶/ギター)

 アルバム・タイトルの『DISCUSS』は前作を録り終わった夜の「話し合い」からきており、さらに、目が描かれてなくて、逆に口がたくさん描かれているアルバム・ジャケットもその日の話し合いをイメージしてメンバーの青木が描いたものだ。アルバム・タイトルやジャケットからはある種の強さを感じるのだけど、特にそういう意図があったわけではないらしく、今までとは違う新しいことをやろう、という思いが強かったそう。そんなアルバムの中で異色の存在であり、かつ私が特に気に入っているのが三宅隆文(ドラム)提供の「Faust」。


 「僕、J-POP好きなので、A、B、サビ、みたいな単純な構成の曲でポップなものが作りたかったんですよ。皆にイメージを伝えて、フレーズはそれぞれに考えてもらったんですけど、出来上がった時にこんなはずじゃなかったのにな、って(笑)。Salyuみたいなポップスが作りたかったんですけどね。そうなってないのはバンド・マジックだなって感じです(笑)。」(三宅)


 確かにSalyuみたいなポップスからは程遠いかも知れないが、10ccやトッド・ラングレンなどの風味が漂う楽曲は明らかに他のものとは違っていて、多様な局面からの攻めが感じられる。その他にも、ザクザクと空気を切り裂くようなベースの音で引っ張っていく、タイトでキレのあるアンサンブルや、味わいのある、そしてキャッチーなギターが絶妙な情感を醸し出していく曲があったり、本当に個性の強い楽曲たち、そしてバンドなのだ。


 今作での新たな取り組みを経た上での次回作にはすでに取り掛かっているようで、「今回の作品とセットになると思う。A面B面、表裏一体、みたいな感じで。」(井出竜二/ギター)だそう。


 「僕ら、バンドとしては結構な我の強さがあるので、バンドっていうものはこうじゃないと!! っていうのがありますね。その、こうじゃないとダメっていうのが、レガがやってることだと思う。」(青木)


 そしてそれが、私たちを楽しませてくれる。



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 《Fabric》は世界中から客が集まるロンドンの有名クラブだが、人によっては缶のケースに入ったミックス・シリーズを思い浮かべるかもしれない。その《Fabric》が、2013年から新たなレーベル《Houndstooth》の運営を始めた。オリジナルのアルバム、EP、シングルをメインにリリースしていくそうで、『Fabric』と『Fabriclive』という2つのミックス・シリーズをリリースし続けてきたレーベルに新しいアイデンティティーを生み出そうという目的から設立に至ったそうだ。まだ始まって1年も経っていないのに、既にアルバムとEPを15枚もリリースしており、初めて見る名前や誰かの変名、ジャングルのようなベース・ミュージックからヴォーカル付きのエレクトロ・ポップまでと、顔ぶれもサウンドも幅広い。これらに大きく関わっているのは、設立にあたってA&Rに就任したロブ・ブースという男で、エレクトロニック・ミュージック専門ポッドキャスト『Electronic Explorations』でキュレーターを務めている人物。ロブ・ブースのキュレーションの感覚は非常に鋭く、詳しくは彼のSound Cloudのプロフィールにも記載されているが、ジェームズ・ブレイクマウント・キンビーといったアーティストをいち早くポッドキャストでピックアップしている。


 マンチェスターの2人組ユニット、アコードも例外ではない。まだフィジカルでのリリースがなく、どこのレーベルにも所属していなかった2012年の始めにはポッドキャストに登場している。おそらくロブ・ブースは、A&Rに就任することが決まった時にはアコードのファーストをリリースしようと決めていただろう。テクノを形づくりながらもフロアから少し乖離した実験性を持つアルバム『Akkord』は、《Houndstooth》の指針を示すにはぴったりだ。


 アコードは数学や幾何学に基づいて音楽を作ることをコンセプトとしているユニットで、特にリズムの構築においてそれを重視している。"音数が少なくても、それぞれを複雑に配列してリズムを構築すれば、できあがるトラックたちそのものはシンプルでも確実にヴァリエーションを生むことはできる"と彼らが言う通り、トラックのひとつひとつが、足を止めて聴き入りたくなるほど作り込まれている。ノイズは特有の鋭さを際立たせるように丁寧にカットされているし、同時に奥深くで響くベースはずぶずぶとリスナーを独自の世界へ引き込む。「3dOS」「Folded Edge」「Conveyor」......とアルバムの奥に進めば進むほど踊りたいという欲求よりも、磨かれたグリッチ・ノイズとインダストリアル的なサウンド、そして彼らが作るリズム・パターンの美しさに没頭してしまう。


 また、このアルバムは構成も見事だ。アルバムのイントロダクションに位置しているノイズ/アンビエント系の「Torr Vale」と、トライバルなビートと奇妙な謎の呪文を用いた「Smoke Circle」は、その後のテクノ感が濃くなるパートの陶酔感をより強いものにする。グリッチ・ノイズを多用しながらリズムに変化をつける「Hex_ad」からアルバムが徐々にスローダウンしていく流れも滑らかで、最後はビートレスのノイズ・トラック「Undertow」で鉄同士が衝突しているような音を響かせながら綺麗に幕を閉じる。


 アルバムを作り上げる10のトラックひとつずつはシンプルな金属工芸のようで、素材と共にアーティストの手つきを感じることができる。しかし、アルバム『Akkord』としてまとめられると、途端に幾何学形態の反復で形成されるカール・アンドレの作品のようにもなる(カール・アンドレは素材を加工せずに配置していった)。アコードもミニマリストだろうか。グリッチ・ノイズを用いていてもサウンド・アートよりはまだまだ全然フロア向けのトラックを作っているが......この先が楽しみだ。



(松原裕海)