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 前作『The Fool』から約3年ぶりとなるウォーペイントのアルバム『Warpaint』、実に心地良いサウンドスケープなんです。プロデュースはデペッシュ・モードやニュー・オーダーとの仕事が知られるフラッドに託し、ミキシングはナイジェル・ゴッドリッチ、さらにジャケット・デザインとミュージック・ヴィデオはクリス・カニンガムが手掛けるなど、80〜90年代のロック・ファンにターゲットを絞った? と思わせるような人たちが参加。


 とはいえ、本作が80〜90年代の音をまんま鳴らしているかと言えばそうじゃない。端的に言うと本作は、前作よりもエレクトロニックな音色が増え、洗練されたサウンドが印象的。どこか緩いバンド・アンサンブルが良い味を出していた前作と比べれば大きく異なり、緊張感漂う耽美的な雰囲気は聴き手をトリップさせる魔力で満ちあふれている。ポップ・グループやマキシマム・ジョイに通じるダビーなベースが多く見られる点はポスト・パンク、いわゆる "80年代的" かもしれないが、音が鳴っていない空間を生かした秀逸なプロダクションは現代的。少なくとも、"あの頃の音を懐かしむ" みたいな懐古的姿勢は皆無。まあ、「Hi」の曲展開は『Hail To The Thief』以降のレディオヘッドみたいで少々笑ってしまったが。しかしその「Hi」にしてもドラムの音はヒップホップの要素を滲ませたりと、いろいろ実験をしているのがわかる。


 そして本作中もっとも興味深いのが「Disco//Very」という曲。この曲はタイトル通りウォーペイント流のディスコ・ソングなのだが、何回聴いても "本当はジェームズ・マーフィーがプロデュースしたんじゃないか?" と勘ぐってしまう。ジェームズが主宰する《DFA》からリリースされてもおかしくないし、ザ・ラプチャー『Echoes』やLCDサウンドシステムの作品群で聴ける、あのファットなキックと乾いたハイハットがある。もしかすると、彼女たちなりに "00年代" を受け継ごうとしているのかも。


 今はなにかと "90年代" が取りあげられ騒がれている。だがウォーペイントは "00年代以降" の感性で過去と向き合い音楽を鳴らす。それこそ、LCDサウンドシステム「Losing My Edge」で歌われていること。強いて形容するならば、"YouTube世代の感性"。この感性をウォーペイントは持っている。ジェイク・バグ、ザ・ストライプス、グライムスカインドネスといった人たちと同様の感性。さまざまな要素が接合された本作を聴くとそう思える。





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reddam『Nighthawk is Singing 1​.​2​.​3​.​4』.jpg
 シュエ・ジェンファンというデザイナーがいる。自身のブランド『Jenny Fax』を持つ彼女は、実の妹をファッション・ショーに登場させるなど、かなり個人的な表現をおこなってきた。その代表例は、ジェンファンが2011年にベルサール渋谷で開催した初の単独ショーである。このショーで彼女は、学生時代に見たクラスメイト、それからテレビのホーム・ドラマの世界観をデザインに取り入れていた。


 いくつかのインタヴューで彼女自身が述べているように、ジェンファンの服は "普通の人" のためにあるものだ。オシャレでもないが、芸にできるほどの大きなコンプレックスも抱えていない人。そうした人をジェンファンはファッションで輝かせようと試みる。


 OK?NO!!のメンバーであり、今年1月から吉田ヨウヘイgroupにも参加しているreddam(リダム)が生み出した本作『Nighthawk Is Singing 1.2.3.4』は、ジェンファンのデザインに宿る魔法と似た "ナニカ" を持つ。強いて "ナニカ" を具体的に言い表すなら、退屈で平凡だと思いがちな日常の彩度を高める魔法といったところか 。これは音楽が持つ魅力のひとつだが、その魅力に満ちた音をreddamは軽快に鳴らす。一度聴けば口ずさめるキャッチーなメロディーに、身近な景色に潜む面白さや楽しみを掬い上げるような歌詞。それはそれは何度も聴きたくなる良質なポップ・ソング。


 90年代をリアルタイムで過ごした世代は、本作に渋谷系の要素を見いだすかもしれない。しかし筆者はなんとなく、ジム・オルーク『The Visitor』の影響があるように感じた。本作の歌詞、作曲、演奏、レコーディング、アートワークにいたるまで、ほぼすべてreddamの手によるものだそうだが(4曲目はニルソン「Bath」のカヴァー)、『The Visitor』もほぼすべてジム・オルークの手によって制作されている。こうした共通点からジム・オルークの影響を見たのだ。とはいえ、『The Visitor』のアートワークにジムは関わっていないから、この点は本作のほうが勝っている。


 まあ、それはともかく、外部の手があまり加えられていないソロ・アルバムは内省的になりがちだ。ゆえに聴き手がコミットしづらい場合もある。しかし本作にそういった問題はない。確かにソロ・アルバム特有のパーソナルな空気を醸し出してはいる。だが、そういった作品が大勢の共感を呼ぶのは決して珍しくない。むしろ、個人的な思い入れを色濃く表現したほうが多くの人を惹きつけることだってある。それこそジェンファンのショーのように、そして本作のように。







(近藤真弥)



【編集部注】『Nighthawk is Singing 1.2.3.4』はこちらのページからダウンロードできます。

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 いいメロディーがあって、心地よく刻まれるギター・カッティングがある。時に女性や子どもといった他者の視点で自らの半生を振り返って歌い、それがセルフ・セラピーになり、多くの人に聴かれる普遍的な"うた"となる。前野健太の新作について語るのは、これだけで十分かもしれない。でも、もう少し話をする。


 彼の歌を聴いていると、ミュージックファーストという名古屋の中古レコード店を思い出す。TV塔の近くにあるその店は小さいながら、レコード好きのツボをつかんだレイアウトで、ゆっくりレコードを掘るには最適だ。椅子に座って試聴もできるし、おまけに隣にはオシャレなカフェもある。この店にはマジックがある。探し物があったわけでもないのに、行くとつい何か買ってしまう。適切な値段、見やすい配置で商品が並べられ、一つ一つの音盤へのリスペクトが感じられる。


 店内ではたまに前野健太の曲が流れていて、後で聞いた話では店員の一人が前野の大ファンだそうだ。彼がどんな人でどんな生活をしているのかまったく知らないけれど、レコードが積まれたアパートの一室で、休日に寝転がって聴いているのかもしれない。季節が夏ならセミの音に混ざったメロディーに耳をすましビールを空けて、秋になれば鈴虫が弾き語りの曲に伴奏をつける。彼の恋人は「飽きないねえ」とためいきをつきながら、気がつけば昼食を作る最中に前野の歌を口ずさんでいる。そんな風景が目に浮かぶ。


 前作に引き続いてジム・オルークがプロデュース。彼を含むバック・バンド、ソープランダーズと共に録音された本作で、前野は表現力をさらに深めた。この世界への諦念を歌いながらも、その奥に凄まじいエネルギーを感じる。本作のリード・トラック「ねえ、タクシー」で前野はこう歌う。《私よりみじめな猫を探しても暗闇から逆に見つめられているようで》。ニーチェが述べたように「深淵を覗き込むとき深淵もまたこちらを見つめている」のだ。タイトルをひたすらささやき続けるループ・トラック「悩み、不安、最高! !」で、おそらくレコードにおけるA面とB面が分けられる。


 そのB面中盤の曲「愛はボっき」は本作のハイライト。前作のタイトル・トラック「オレらは肉の歩く朝」で見つめた自らの内面を、今回は他者との関係に投影している。コップに水が半分しか入っていないと考えるうつ病相から、まだ半分もあると前向きに捉えられる状態への移行、そして今ある愛情を大切に、瞬間を永遠に変える魔法を唱える。混沌とした悩みを吹き飛ばすために彼は「風は吹いてる」と歌う。震災、原発、秘密保護法といった具体的なキーワードを持ち出さなくても、我々の日常にすでに不安は潜んでいる。解決するための答は、我々の手の届くすぐそばを「風に吹かれて」漂っている。


 レコードの針を止めるために起き上がり手を伸ばす。ふと台所を見やり恋人のあきれた笑顔に気づく。美味そうな飯の匂いが漂う。



(森豊和)

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 アクセル・ボーマンのファースト・アルバム『Family Vacation』は、聴き手の心理状態や聴取環境によって違う表情を見せる、さながらロールシャッハ・テストのような作品だ。アルバム・タイトルに従えば "家族の休日" を連想するのかもしれないが、本作の音世界はいくつもの風景を聴き手に思い浮かばせる。


 ちなみに筆者は本作を初めて聴いたとき、夜遅くからフロアで踊りつづけるうちに太陽が昇りはじめる時間、強いて例えるなら "午前5時の空気" を想起した。客が次々と帰りだすなか、裏方で頑張っていたスタッフもフロアに出てきて、パーティーの成功を祝い乾杯する微笑ましい時間。


 アクセルはスウェーデン出身のDJ/プロデューサー。08年の「Jungle Jesus EP」を皮切りに良質なディープ・ハウスを量産している彼ですが、その名を広めるキッカケとなったのは、DJコーツェ主宰の《Pampa》から発表したシングル「Holy Love」でしょう。特に表題曲のユーフォリックなグルーヴはファンキーかつセクシーで本当に最高。もう3年半近く前の曲だけど、今でもクラブで頻繁にスピンされる名曲なので、興味がある方はぜひ。


 『Family Vacation』は、そんな「Holy Love」の特徴を引き継ぎながらも、ハウスというフォーマットにさまざまな音楽的要素を注入したアルバム。1曲目の「Can't Find It」からアルバムを締めくくる「Bottoms Up」まで、ひとつの物語を紡ぐようにトラックが並んでいる。これまた強いて例えればDJコーツェ『Amygdala』のようなものだが、本作は「Dance All Night」「Fantastic Piano」といった曲に顕著なトロピカル要素が色濃く出ており、この点は『Amygdala』と異なる。


 また、細かいところにまで行き届いた丁寧なサウンド・プロダクションも際立つ。ひとつひとつの音の強さ(ベロシティー)が違い、最低限の曲展開で色彩豊かなサイケデリアを生み出す手腕はお見事。さらに音の抜き差しのタイミングも抜群。ファースト・アルバムにしては完成されすぎているといえばそうだが、そんなケチをつけたところで本作の魅力が損なわれることはない。


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 人が何かを正確に語ることができるのはそれが過ぎ去った後だけだ。精神疾患やアート創造の過程において特にそれは言える。


 例えば、統合失調症では発症時に名状し難い圧倒的な恐怖を体験する。なんでもない日常が突然暗転し奈落への陥穽と変わる。聴こえないはずの音が聴こえる。ホワイト・ノイズが耳鳴りのように持続してしだいに意味を持ち始める。たいていは自分を責める内容だ。何もない場所に何らかのイメージが映る。スノー・ノイズが起こっているだけのアナログ・テレビに異様な白黒番組が映るかもしれない。それらは幻覚妄想であるが、その渦中において正確に言い表すことは難しい。


 モノクローム・セットに「White Noise」という曲がある。再発LPのタイトルにもなっている重要曲だが、かつて日本盤収録の際、ソング・ライターのビドは歌詞掲載を拒否した。ひょっとしたらこの曲は彼の思春期における幻聴体験について歌っているのかもしれない。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響を感じさせる穏やかなナンバーは、幻聴体験が過ぎ去った後の奇妙な静けさ、安堵感がテーマに思える。


 モノクローム・セットとは白黒テレビの意味で、彼らのレパートリーにはSF映画『アルファヴィル』から名前をとった曲もある。その歌詞は死のイメージをはらんだ壮大な妄想世界だ。まとまりのない突発的なリズム、予想しにくい曲展開は、統合失調症の連合弛緩を思わせる一方で、それこそが彼らの独創性であり、ザ・スミスやR.E.M.といったポスト・パンク・バンドの先駆けと呼ばれるゆえんである。もちろん現行のギター・バンドへの直接間接の影響は計り知れない。


 しかし、もし彼らが初期の奇妙なテンションを維持し、突拍子もないフレーズを出し続けなければならないとしたら、それはとてもつらいことではないだろうか。では彼らの新作はどうだろう。2012年の前作『Platinum Coils』のタイトルは、くも膜下出血に倒れたビドが受けたコイル塞栓術に用いるプラチナ・コイルに由来し、生命の賛歌と原点回帰を高らかに歌っていた。続く2013年の本作『Super Plastic City』も基本路線は同じだが、メンバーが幼い頃聴いていたであろうドゥーワップや、その影響下にある初期ルー・リードやデヴィッド・ボウイを連想する滋味深いメロディーがより目立つ。


 モノクローム・セットのファースト・アルバムのジャケットには海へ落ちていく男が描かれていた。彼は彼岸へ向けて飛び立ったのだ。一部の統合失調症患者は病気のある時期に、生と死の境さえ飛び越えることができると考える。全てを超越するとても孤独な営為だ。一方で、くも膜下出血から生還した現在のビドは、潤いのあるギターの響きとともに、生きていることの喜びを歌っている。彼らの新作はとても心地よく耳に響く。



(森豊和)

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 「コンピュータで芸術や美をつくり出すことは可能だ」(スティーブン・レヴィー著『ハッカーズ』ハッカー倫理 7ヶ条第6項より)


 メルボルンを拠点に活動する新進気鋭のクリエイター、ジョー・ハミルトン(Joe Hamilton)。デジタルな空想世界に現実世界の要素を持ち込んだジョーの作品は、"現実と空想" の境目が曖昧になった "今" を表象する。デジタル素材と物理的素材を丁寧に組み合わせ、メアリー・シェリー著『フランケンシュタイン』に登場する怪物のような継ぎ接ぎ感もない。まるで最初からひとつであったと思えるほどだ。ゆえにジョーの作品は、テクノロジーに囲まれて生活する私たちと同様の人間臭さを漂わせる。


 本作『S U R F A C E』を作り上げたナヴィガトゥル(フランス語で"航海士")も "今" を表象するアーティストだ。最初に目を引くのは、広大な海に浮かぶ人間の手というまずありえないシチュエーションのジャケット。しかしそのパーツとなっているのは手、海、空など、私たちの身近にあるものだ。それゆえ本作のジャケットは、現実でも空想でもない曖昧な世界観を創造している。


 サウンドのほうはチープなシンセにリヴァーブが深くかかった音像を強調し、チルウェイヴに通じるドリーミーなアトモスフィアを醸し出す。面白いのは、そのアトモスフィアが聴き手を郷愁にいざなうものであること。本作はヤマハDX7、それからエンソニックSQ-80という80年代に作られたシンセサイザーを多用しているそうだが、もしかすると本作の "郷愁" は80年代に向けられたものかもしれない。


 とはいえ、ナヴィガトゥル自身は80年代をリアルタイムで過ごしていない。となると、彼の80年代に対する郷愁に想像が入り混じるのは必然。そう考えると本作は、郷愁に対する郷愁を表現した作品だと言える。いわば "郷愁" そのものを求め、いや、もっと言ってしまえば "郷愁" を作ってしまおうとする全能感。これが本作の根底を成している。


 ハッカー倫理 7ヶ条第6項には、「コンピュータで芸術や美をつくり出すことは可能だ」とある。だがナヴィガトゥルは "芸術" でも "美" でもなく "感情" を作り出そうと試みる。この点は、言葉よりも音で語ろうとしたかつてのデトロイト・テクノに通じる感性だろう。あるいは雰囲気や気持ちを喚起させることに挑んだ印象主義音楽の系譜。


 いずれにせよ、私たちが目を逸らしているうちに、チルウェイヴは新たな想像力にたどり着いた。"もう◯年前の音楽だから"と、まるで終わったかのように思われたところから面白い表現が生まれる、なんてことは往々にしてあるのだ。



(近藤真弥)

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 "Walking In The Air"。これが初めて僕がCRUNCH(クランチ)の音楽に触れて抱いた印象だ。自分のバンドのライヴで休日の夜を費やす習慣。小さなライヴハウスでランダムにブッキングされたこの日、数少ない客に混じってステージを眺めていた時のことだった。それは空間系の揺れるギター・サウンドなのか、細かく刻まれるビートの上に乗る無垢な歌声のせいなのか。きっとそのどちらでもあるだろうし、それだけでもないのだろう。当の彼女達は気負いを微塵にも感じさせず、CRUNCH独特の透明感が音に意味を持たせてるようだった。


  CRUNCHは愛知県名古屋市で活動する女性3人組バンド。インディー・ミュージックを紹介する海外サイトで本作収録曲の「森の中」が紹介され、国内のみならず名前が広まったのを皮切りに、はっぴいえんどのカヴァーを収録した「ももんがEP」 をリリース。東名阪で配布された名古ヤ発☆音源付きフリーペーパー『マシュマロ』の付録コンピに本作から1曲収録され、今回満を持しての1stアルバム『ふとした日常のこと』が全国流通で発売された。3人で鳴らせる音で構築されたシンプルな世界観は、脆そうで儚い。歌や言葉が口から放たれる空気が揺れる瞬間さえも閉じ込めてしまうように、日常の一瞬を切り取ってそれぞれ想いを巡らせていく。それと同時にその儚さを自ら受け入れる強かさも兼ね備えているように思う。一握りの希望と諦観が入り交じる、それが彼女達が鳴らす「日常」である。


 本作で特筆すべき点は、それまでの浮遊感のあるサウンドからより緊張感を増したヒリヒリしたサウンドになっているということが挙げられる。松石ゲル氏(PANIC SMILE)のスタジオで録音されている影響も少なくないだろう。ふわふわと空に舞い上がったシャボン玉を夢見心地で眺めるだけでなく、パチンと弾け飛ぶ様までも音で表現されているような印象を持った。


 そして川越(ベース)と堀田(ギター)のツインヴォーカル曲が多く収録されていること。これまでもライブや音源で披露していたが、ツインヴォーカルである特徴を最大限に活かしてるように感じた。少し物憂げな川越の歌声と堀田の無垢な歌声に、先述の緊張感を増したサウンドがCRUNCHの新しい一面と言っていいだろう。それが特に顕著に表れているのは4曲目の「Snow Light」。何かを伝えるかのような神野(ドラム)のドラミングも相俟り、穏やかながら心に訴えかけるものがある。


 加えて最後に、本作にはボーナストラックとして名古屋の新進気鋭のユニットFU-MU(フーム)と三重の宅録アーティストのSayoko-daisy(サヨコ・デイジー)による「ウタカタ」のリミックスが収録されている。FU-MUは彼女達の歌を大事にしながらも、『Point』以降のコーネリアスを思わせるようなアンビエントな展開を見せている。Sayoko-daisyはムーンライダースの鈴木慶一氏の影響を感じさせるニュー・ウェイヴな仕上がりになっている。両リミックスとも耳なじみの良い音色がノスタルジックな想いを掻き立てるようで、非常に心地良い。


 このアルバムで何かが変わるだとか、世界をひっくり返るなんてことはないだろう。何故なら彼女達の視線の先には、きっと我々が見ているものとは異なる景色があるに違いない。「浮世離れ」とまで言ってしまうとかなり大げさになるけれど、彼女達は生活感がないと言うのか、日常とかけ離れた世界にいる。ただ「非日常」から鳴らされる「日常」に魅了された我々が引き込まれるしかないのだろう。



(小出雄司)

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 時代の音を鳴らしているか? 技術がずば抜けているか? 革新性はあるのか? そんなこと全部どうでもよくなって、ただ引き込まれて聴くアルバムが1年に1枚くらいある。私にとって、オーストラリアはメルボルンのバンド、ニュー・ゴッズのアルバム『Beloved』がそうだった。


 ニュー・ゴッズの持ち味は、教会の賛美歌を思わせる厳かなコーラスと鍵盤、アコースティック・ギターの響きに絡むヴォーカル、それに追従するエレキ・ギターといったサウンドで、それはヤックをはじめとする90'sオルタナティヴ・ロック復権の流れを思い出させるものだ。


 ニュー・ゴッズのフロント・マン2人はかつて、2012年までリトル・レッドというアート・ロック・バンドで活動し、ヴァンパイア・ウィークエンドやスプーンらとオーストラリア・ツアーをしている。そんな2人が日本デビューと来日公演も果たしたリトル・レッドを解散させ、新たに組んだニュー・ゴッズとして、インターネット上の架空カセット・テープという方法で『Beloved』を発表した。要はフリー・ダウンロードだが、そのやり方が凝っている。彼らのサイト上に浮かぶ手描きのプレイヤーをクリックすると再生ボタン、曲目、歌詞カード等が現れ、あたかも現物のカセットを手に入れラジカセで聴いている気分になれるのだ。


 最初のハイライトは4曲目の「Sky-Man」。眠りを誘うようなアルペジオと気だるいヴォーカルに始まり、中盤から歪んだエレキ・ギターが差し込まれるが、最終的に浮遊するギター・エフェクトとなってかき消えていく。6曲目の「I Love You Too」では、ジ・エックスエックスを思わせる反復リフとベース・ラインに乗せて切ない片思いが歌われ、後半のストリングスが華を添える。8分に及ぶ「Caravan Park」のインプロヴァイゼーションはまるでヴェルヴェット・アンダーグラウンドみたいだ。続く「Step Into The Light」は、挫折しながらも歩んでいこうとする意思を奏でる。静かな曲調から一転、幕を切り落とすような一音とともに暴れだすギターに、私はレディオヘッドの「Stop Whispering」を連想した。彼らが歌う10代の情熱、失望、その繰り返し、それは決して恥ずかしいことじゃないし、別に10代に限ったことじゃない。だからラストの「Deeper Love」で彼らは精一杯、大仰に演奏し、声を枯らして叫ぶし、私も折に触れ、このアルバムを聴き返すだろう。



(森豊和)



【編集部注】『Beloved』バンドのホームページからダウンロードできます。




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ALEX CHILTON『Electricity By Candlelight - NYC 2:13:97』.jpg

 アレックス・チルトンといえば、今や既に「伝説的人物」...とぼくは思っているけれど、これを読んでくださっている方の多くは...知らない...か...?


 少年時代にジャクソン5・ブルー・アイド・ソウル版ってな感じのグループ、ボックス・トップスの一員として全米大ヒットを記録。しばらくあとに彼はビッグ・スターというバンドを始めた。70年代にはあまり知られていなかったものの、パンク・ブームの余波を受けてヴェルヴェット・アンダーグラウンドが世界的再評価を得たのと同時に(彼らほどではないにせよ)オルタナティヴ音楽ファンたちの多くに愛されるようになった。


 アレックスは数年前(2010年)に亡くなっている。80年代から現在にかけて多くの発掘盤がリリースされているが、これは、リリース元の情報によれば没後初の「公式CD」とのこと。いや、そんなことよりなにより内容がグレイトすぎる。


 ライヴハウスの灯りが消えてからおこなわれた演奏の記録。停電か会場に消されたか、それは、どっちでもいい(ちなみに「客電が落ちてからも演奏をつづけるバンド」を、ぼくは過去一度だけ見たことがある。『Remain In Light』直後の男性女性黒人白人混合編成だった時期のトーキング・ヘッズ)...。そういったシチュエーションであるだけに、なんと全曲カヴァーで「アンプラグド」。重度の音楽好きであれば誰もが知ってる...と言えるレベルの名曲がずらりと並ぶ。


 ピート・シーガーからサム・クックまで、多くの人にカヴァーされた「プロテスト・フォーク」...「If I Had A Hammer」がラスト前に置かれているのも、なんとなく彼のパブリック・イメージを裏切るようで、気持ちいい。そして、そのあとラスト・ナンバーはアルバム中唯一の「スタジオ・レコーディング」トラック。だけど、それと気づかないほど自然に、いい感じでマスタリングされているのも素晴らしい!


 かつて「60年代にヴェルヴェット・アンダーグラウンドを聴いた者は誰もがバンドを始めたいと思った。同じことが70年代のビッグ・スターにも言える」みたいなことを言った人がいた。それを引用しつつ「80年代ならR.E.M.だね!」みたいな原稿をかつて(20年くらい前に:笑)書いた記憶があるので、よく憶えている。R.E.M.はこの両者のファンだった。


 これを聴いて、みんなが「バンドを始めたい」と思うことはないかもしれない。だけど「音楽を作りたい」とは思う...かな? それはそれとして、この2、3ヶ月、ぼくはくりかえし聴いている。



(伊藤英嗣)


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 本作「Peace Sword」は、SF映画『エンダーのゲーム』の主題歌を依頼され、どうせなら! とそのまま6曲36分のEPに仕立て上げてしまったという作品だ。宇宙戦争を終わらせる使命を背負った少年が苦難を乗り越え成長していくSF小説にインスパイアされて作ったそうだが、ちょっとまて、彼らの音楽はいつだって、そんな主題を背負っていたじゃないか。


 『The Terror』の日本盤ボーナス・トラック「Sun Blows Up Today」と同様、何かのイメージ・ソングとして作られたがゆえに、リラックスした、彼らの本来のポップな持ち味が出た作品になっている。この世界を生きていくうえでの恐怖を奏でていた『The Terror』とは対照的。私は本作を聴いてちょっと安心したというか、 ダークでシリアスなテーマを掲げることは時に必要だけど、そればかりじゃちょっと息苦しくなる。たかが音楽なのだ。


 ストーン・ローゼス1stのカヴァー・アルバムを作ったり、83年のデモ音源を7インチにして一部のレコード・ショップで販売したりと、彼らの活動はあいかわらずフレンドリーで遊び心に満ちている。非商業的で、とにかく「驚かせたい」「聴いてほしい」という気持ちが伝わってくる。トラック・メイカー達がフリーでネット配信しまくるのと基本的に変わらない。


 本作は随所にクリスマス・ソングを連想させるシンセサイザーのフレーズが挿入されているけど、そういえば彼らはクリスマスや宇宙にちなんだ作品をよく作っている。ウェイン・コインの立ち居振る舞いはまるで地上に降りた神様みたい。彼は空から降りてきて子ども達に音楽を伝えるキリストなのかもしれない。でも、スーパースターでござい! なんていう嫌味ったらしさはまるでない。それがいい。


 なんにせよ、今年も雪が降る。車を走らせていつものように出勤する。フレーミング・リップスの新しいCDをかける。とたんに雪景色は別次元に変わる。みんなフレーミング・リップスは好きかい? 私は大好きだ。