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EQ WHY『The Dynamic Time』.jpg

 日本ではDJラシャド『Double Cup』と同日の10月19日にリリースされた、EQホワイのファースト・アルバム『The Dynamic Time』。もしかすると、『Double Cup』は持っていても『The Dynamic Time』はまだ、なんてリスナーもいるのだろうか? もしあなたがそんなリスナーのひとりならば、今すぐ『The Dynamic Time』を探しに近くのCDショップへ行くべきだ。


 EQホワイといえば、今年1月に自身のトラックを100曲以上も詰め込んだ『100%EQWHY(100+ Juke Tracks)』をフリー・ダウンロードでリリースするなど、トラックだけでなく行動でも私たちに"驚き"を与えてくれた。だがこの作品、物足りなさがある内容だったのは否めない。もちろんトラックのクオリティーは素晴らしく、全曲フロアで映えるのは間違いないのだが、EQホワイはフットワーカーによるフットワーク・バトル向けのトラック、いわゆる"フットワーク"を得意とするトラック・メイカーであり、そういった意味でややおとなしい『100%EQWHY(100+ Juke Tracks)』は、EQホワイの本質を伝えているとは言いがたい作品だった。


 しかし、『The Dynamic Time』は全曲フットワークとなっており、EQホワイの真骨頂を味わえる。乱れ飛ぶヴォイス・サンプリング、予測不可能な刻み方をするリズム、そして圧倒的な勢いと熱を帯びたグルーヴは、文字通り"踊るための音楽"である。


 とはいえ、ジューク/フットワーク・ファンにだけ受け入れられる作品かと言えばそうではない。本作の優れた点のひとつは、展開の奇抜さで多くの人を取り込める可能性を秘めているということだ。唐突に音を抜いたかと思えば、次の瞬間にはシンセ・サウンドが飛び出してきたりと、いわばビックリ箱のようなトラックが多く収められている。


 本作のトラック群は、フロアやDJミックスにおいて本領発揮となるタイプのものだが、家で聴いても興奮を得られるのは間違いない。もちろんその興奮は、これまでジューク/フットワークを聴いたことがない人も味わえる。この点は、RPブーのアルバム『Legacy』と共通する要素だと思う。



(近藤真弥)

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オッカビル・リバー.jpg

 ウィル・シェフ率いるオッカーヴィル・リヴァーが今作『The Silver Gymnasium』で見せる、拓かれたバンド・サウンドにあのダミ声が交わることで紡がれるナラティヴには、多くの人たちが驚きと感動をおぼえたかもしれない。


 元来からルー・リードの称賛、ノラ・ジョーンズの作品への参加、2010年のロッキー・エリクソンの見事なプロデュースなど、フロントマンのウィルの才能は多方面から認められていたところがあり、アルバムごとにチャート・アクションの反応や彼らを取り巻く熱量も高くなってはいた。


 前作『I Am Very Far』は、やや散漫な内容だったものの、トラディショナルなカントリー、ブルーグラス、ブルースに沿った曲からサイケな電子音も入り乱れ、実験的でパンクなものまでが引き裂かれながらも、キャプテン・ビーフハートやフランク・ザッパの作品を聴いたときに感じるカタルシスも含んだ感覚は特有といえるもので、筆者は非常に気に入っていた。


 ここで少しだけ来歴に触れると、オッカーヴィル・リヴァーは1998年、テキサスにて結成された。ボン・イヴェールやスモール・ブラックなどがサインしている良質なUSレーベル《Jagjaguwar》からリリースされた作品群はどれも興味深く、私的には『Black Sheep Boy』のリリシズムとルーツ・ミュージックへの探求心は今でも再評価されて然るべきだと思う。そして、アニマル・コレクティヴやフリート・フォクシーズなどの着実な地表化の機運と併せ、確実に評価は高まり、ついに今作で全米トップ10に入ったことが示すように、彼らは2013年を象徴するバンドのひとつになろうとしている。


 ウィルが自身の少年時代を回顧し、振り返るコンセプチュアルな叙情詩たる今作のブックレットには、地図とともに各曲の背景が記され、ニューハンプシャー州の自然あふれる田舎町、メリデンでの日々が豊かな音楽と語り口によって紡がれてゆく。


 冒頭の「It Was My Season」は、軽快なピアノとコーラス・ワークがウィルの歌唱を引き立てるポップな曲。アイアン・アンド・ワインにも似た、美しさと枯れた雰囲気が同居している。そこで、ノスタルジックに自身の故郷に対する想いや両親を振り返る。ホーンが印象的な2曲目の「On A Balcony」といい、ソニック・ユース、ダイナソーJr.、カート・ヴェイルなどの作品に関わってきたプロデューサーのジョン・アグネロの手腕はさすがで、これまでのウィルらしくないストレートなリリックも目立つが、ブルージーで切ない「Lido Pier Suicide Car」や、何度もリフレインされる《若くあれ》という咆哮が胸に染みる「Stay Young」辺りの情感に誘引させられる余韻こそが本懐なのかもしれない。ラストの「Black Nemo」では去りし景色に向けての慕情を伝うように、堅実にキャリアを重ねてきた彼らの根幹を感じ取れる。


 今作を契機にして、過去の作品群にもあらためて脚光があたってほしいと願いつつ、彼らはライヴも素晴らしいので、11/30〜12/1に行なわれるホステス・クラブ・ウィークエンダーでの初来日を体感してほしいと思う。


《I do the same, don't be ashamed, I'm the same / Yeah, I'm that way / But I try every day and all the time(筆者拙訳:僕は同じでいい、恥じることなく、同じで そのように でもさ 僕は毎日とすべての時間の中 挑むんだよ)》

(「All The Time Every Day」)



(松浦達)



【編集部注】『Silver Gymnasium』の国内盤は11月27日リリース予定。

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KELELA_CUT4ME_COVER_ART.jpg

 2002年、LCDサウンドシステムのジェームズ・マーフィーは、「Losing My Edge」でカンの最初のライヴを観たと歌い、さらにはラリー・レヴァンと共にパラダイス・ガレージのDJブースに入り、1988年にイビザのビーチで裸のまま目覚めたという想い出まで告白している。もちろんこれらの出来事は、ジェームズの実体験ではないだろう(彼は1970年生まれだ)。とはいえ「Losing My Edge」が、ネットを介してあらゆる時代の文化にアクセスできる、いわば誰もが神様気分で全能感に浸れる世界の到来を予言していたのは間違いない。


 ケレラのファースト・アルバム『Cut 4 Me』は、「Losing My Edge」から止まることなく発展してきた全能感を宿した作品という意味で、非常に面白い内容だ。ヘヴィーなインダストリアル・ビートが打ち込まれる「Enemy」、そしてジュークの影響が窺える「Something Else」などのトラック群には、ダブステップ以降のベース・ミュージックを網羅したかのような彩度がある。同時にアリーヤ「One In A Million」、それからR・ケリー「You Remind Me Of Something」といった90年代R&Bの甘美さも備え、ケレラの歌声は"ポスト・アリーヤ"と言われてもおかしくない魅力を放っている。


 しかしFACTの記事によると、ケレラはマライア・キャリーを熱心に聴いていたそうで、もしかするとケレラの持つR&B要素は、マライアが1997年に発表した「Honey」をキッカケとする、メインストリームになって以降のR&Bを吸収して形成されたのかもしれない。そう考えると本作は過去、現在、そして未来の文脈が結合した作品だと言える。


 また、ケレラの横顔が印象的なジャケットも興味深い。《Fade To Mind》のアートワークは、もの派の作品に通じる"そこにある"という圧倒的事実を突きつけるようなインパクトに、時折パピエ・コレ的なコラージュ感覚が紛れ込む(キングダム 『Vertical XL』のジャケットが象徴的だ)。こうした感性はさながら創造主みたいだが、《Fade To Mind》は本作でケレラという歌姫を創造したのかもしれない。先鋭的なベース・ミュージックを生み出しつづけることで得た影響力を拡大するために。



(近藤真弥)




【編集部注】『Cut 4 Me』は《Fade To Mind》のサイトでダウンロードできます。

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くるり「Remember Me」―.jpg

 1998年における日本の音楽シーンの一端、特にバンドの在り方を考えると、ある種の幸福な時期の残響を感じもする。L'Arc~en~CielやGLAYといったバンドがメガ・セールスをあげながらも、TRICERATOPS、GRAPEVINE、DRAGON ASHなど、今でも前線で活躍するバンドが芽吹きだしていたとともに、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのようなガレージ、パブ・ロックでスイングさせるバンドが大規模な集客、人気を博していた。


 その1998年の終わり間際、10月に引っ掛かった形で、くるりは「東京」というシングルでデビューしたが、真っ青な空をバックに東京タワーが刻まれたジャケットに京都からのバンドということで、中心部、または東京という象徴性への文脈に対する距離感やオルタナティヴな在り方が顕れていた。


 スタイリッシュさとは遠いながらも、その頃には青森からスーパーカー、博多からナンバーガールといったバンドが出てきた趨勢を考えると、地方/中央の二分線が無くなり始める前夜ともいえ、ファスト風土化や大型モールの郊外への展開がじわじわと進み、景観の均質化が浸食してゆく2000年代とは、遠かった辺境やイマジネーションの最良たる部分を削っていったカオティックな穏やかさをおぼえもする。


「東京」という曲は、骨太で重厚なギター・ロックであり、青さと普遍性を昇華させながら、東京の街に出てきたこと、季節に敏感でいたいこと、なによりも君への想いが狂おしいまでに綴られている。サイケ、ブルーズ、尽きないジャム・セッションで埋め尽くされた京都のあちこちのライヴハウスと、主に大学生たちの息吹で呼応する熱気が渦巻く場からの「東京」は、くるりにとって身近な「君」のためのようで、この15年のあいだ追い求めてきた遠心力のある別の遠い誰かに対する何かだったのかもしれない。


 昨年の『坩堝の電圧』の折、新メンバー加入に伴う何度目かの新体制による疾走と、震災以降を考えての切実な希求たる想いは、これまでのパーマネント・メンバーであるメイン・ソングライター岸田繁、ベースとして支える佐藤征史、そしてトランペット、キーボード、コーラスで華を添えるファンファン、現在は脱退してしまったが、多くの影響を与え、今はソロ活動含め多角的に芽を拡げている吉田省念により、ユーモアと慈しみを描いていた。そう考えると、オマージュ、語呂遊びもあれば、震災、エネルギーの問題、沈痛な想いを抱えた曲までが並ぶ『坩堝の電圧』は、色とりどりなこれまでのくるりの来し方を詰め込んだメルクマールになったといえる。


 ただし、その"続き"として「Remember Me」が配信限定でリリースされ、今年初めの武道館公演においてくるりは、『坩堝の電圧』の過剰さと同時代性が均され、スクエアな在り方になったような気がする。


 その「Remember Me」は元来の配信版からストリングスが穏やかに響き、優しい言葉で奥行きのある風景を描くスケールの大きい、これまでのくるりのなかでもどっしりとした曲になっていたが、今回のフィジカル・リリースにあたり、『ワルツを踊れ』の主なレコーディング場所であるウィーンにて、フリップ・フィリップによるストリングス・アレンジが施され、新たな膨らみを持ったものになっている。


 そして、1998年から2013年の時間軸のなかで、くるりが常に視てきた景色の変節、刹那性と、相反する普遍性が組み込まれてもおり、「東京」から「Remember Me」までに出された曲群、アルバム群、多くのライヴ、主催の京都音楽博覧会の立ち上げまで入れると、感慨深さというよりも、その苛酷な過程にて自らをメタ的に、言祝ぐようなシングルかもしれない。くるりのための記念でもあるが、くるりからの混沌たる日本の音楽シーンに向けた祈念的な何かを込めた、というような。


《君が素敵だった事 ちょっと想い出してみようかな》

(「東京」)


《すべては始まり 終わる頃には 気付いてよ 気付いたら 産まれた場所から 歩き出せ》

(「Remember Me」)


 産まれた場所からもう一度歩きはじめること、そのときに想い出す素敵は君かもしれない。


 15年前とは何もかも変わってしまったように、今はそんな変化を未来的な何かへと仮託し、種を蒔く。想い出せることが多いほど悲しくなるのは事実だが、記憶のなかに多くのことがある分だけ自由にもなれる。


《Do you remember meいつか教えてよ》

(「Remember Me」)


 くるりは常に、"いつか"に問いを置きながら、禍福が糾える瀬でもどこか音楽のなかで聴き手が想像力を駆使し、日常内に響き、寄り添えるような、そんな可能性を確かめてきたバンドだった気がする。併せて収められた、エレガントなシャンソン風の小品「Time」は、シングル総体としての立体性をもたらしている。


《連れていってよ どこまでも 君と繋がっていたい どうだろう 泣かないで 石畳 雨のように》

(「Time」)


 昨今、アマリア・ロドリゲスやマリーザといったファドへの深い思慕の念を示し、ジェイク・バグのロックンロールに痺れ、フアナ・モリーナに魅かれ、日本語のヒップホップも好きだという岸田繁のモードは既に次にいっているのもあり、それらの感覚は今後のくるりとして還元されることだろうし、まだまだキャリアを再更新してゆくことだろう。


 そのためにも、「Remember Me」は何かとあった2013年を経て、ここでしっかり刻まれないといけなかった宿命を予め持った曲だったのかもしれない。



(松浦達)

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DJ Rashad『Double Cup』.jpg

 ここ数年のあいだで、ジュークの名は至るところで見かけるようになった。イギリスではポスト・ダブステップ的に受け入れられ、アメリカではスラヴァ『Raw Solutions』が示すように、2010年代以降のインディー・ダンスと交わるなど、多様化も進んだ。日本ではSHIN-JUKEのような面白いジューク・イベントが定期的に開催され、さらにはトラックスマンRPブーもアルバムを発表したりと、本場シカゴのトラック・メイカーも絶好調。


 こうした盛り上がりのなか、DJとして世界中を飛び回る売れっ子、DJラシャドが《Hyperdub》からアルバム『Double Cup』をリリースした。結論から言うと、これは紛れもない傑作。本作を機にDJラシャドは、J・ディラ、フライング・ロータスハドソン・モホークと並び、ビートを鳴らす多くの者に影響を与えるトラック・メイカーとして記憶されるだろう。それほどまでに本作は、多様なトラック群で彩られている。


 もちろんジュークを基調にしているが、「She A Go」はヒップホップの要素を感じさせ、「Only One」はR&Bシンガーが歌っていてもおかしくない上品さを漂わせる。また、随所でジャングルを取り入れているのも面白い。


 とはいえ、そこで完全にセルアウトしないのがDJラシャドのすごいところ。官能的なヴォイス・サンプリングが耳に残る7曲目の「I Don't Give A Fuck」以降は、ジュークが持つラフでダーティーな快楽性をあらわにしており、暴力的なキックが打ち込まれる「Reggie」、そしてアディソン・グルーヴを迎え、聴き手を文字通り"飛ばす"ようなアシッド・サウンドが展開される「Acid Bit」などは、1度聴いたら抜け出せない高い中毒性を孕んでいる。それと「Acid Bit」は、『TB Resuscitation』期のハード・フロア、言ってみれば90年代テクノの匂いを醸し出しているように聞こえる。このあたりにも、あらゆるジャンルを跨ごうとするDJラシャドの意図を感じ取ることができる。


 もしかすると、カニエ・ウェストがジュークでラップをする日もそう遠くはないのかもしれない。そう思わせるほど、『Double Cup』はジュークのネクスト・レベルを力強く提示している。



(近藤真弥)

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múm『Smilewound』.jpg

 今や、アイスランドの音楽グループとしては世界的な知名度を誇っているが、2000年のファースト・アルバム『Yesterday Was Dramatic‐Today Is Ok』の時点では、シガー・ロスと比較され、有機的なエレクトロニカ、叙情性を共鳴させる存在として、或る種の記号性が先走っていたきらいがあったのは否めない。時に、アイスランドの持つ空気感や景色の色眼鏡をメディアやジャーナリズムなどが彼らにかけていたように、いまだに"オリエンタリズム"という観点から世界中のポップ・ミュージックは着色、装飾されてしまうのは常だが、アイスランドには、音楽に関しては日本にとって、イメージ、感覚知としてはとても近い何かがあったように思える。


 また、彼らに関しては、パステルズのスティーヴン・パステルが当初、ムームのおかげでアイスランドがいっそう輝かしく見えるし、DJをしていて駄目になってしまった時に備えて、「The Ballad Of The Broken Birdie Records」の12インチを2枚持っているとファースト・アルバムの際にコメントを寄せ、メンバーの双子の姉妹であるギーザとクリスティンがベル・アンド・セバスチャンの4作目『わたしの中の悪魔』のジャケットに象徴的に用いられていたように、アイスランドからの音楽という文脈よりもインディー・ポップ・シーンの中で捉えられていたような"分かりやすさ"があったのも言及しないといけないだろう。


 振り返ってみるに、エイフェックス・ツイン『Selected Ambient Works 85-92』のテープからモティーフを得て、オルヴァル・スマラソンとグンネル・ティーネスという二人の青年から1997年にベースが作られているムームだが、彼らが元々組んでいたバンドはヨ・ラ・テンゴのようなサウンドに近いものを孕んでいた。その後メンバーが増え、少しずつ自分自身たちの音が固められていった際に、丁度《Mille Plateaux》や《FatCat》などのレーベルを筆頭にエレクトロニカという音楽形態が急速に浸透していた時期とシンクしたムームは、00年代を模倣から実体へ、匿名から記名への道を逆進していった、そんな見方もできるような気がする。


 例えば、2004年の『Summer Make Good』ではやや前衛的に、また、アンビエント的な要素が強まり、初期の"分かりやすさ"やポップネスは排され、静謐を描くように音色を織り込んでいくひとつの区切りになったが、組織体としてのムームも変革していかざるをえなかったのは、メンバーの脱退やその後リリースされた作品群からも察せられる。


 約4年振りとなる新作『Smilewound』は、そういった00年代の多くの模索を抜け、10年代の地平でセルフ・プロデュース、初期オリジナル・メンバーのギーザの復帰、地元のリハーサル・スタジオをメインにじっくり固めていったという原点回帰の側面もありながら、彼らの歳月を重ねてきたなかでの無邪気な遊び心が活きた作品となっており、再スタートともいえる内容だ。


「When Girls Collide」や「Candlestick」など、もはや80年代風のエレ・ポップとも思える軽快な曲や、緻密なアレンジメントや新しいサウンドを取り入れ、細部を埋めるのではなく、トイ楽器、穏やかな電子音が響き、初期の頃の美麗さを持った曲もある程度は併存させながら、ラジオ・フレンドリーといおうか、よりポップ・ミュージックそのものの雑食性と、ふと聴いた者の耳にも届く敷居の低さが映えている。なお、ここでの敷居の低さと、当初の彼らの分かりやすさは差異があると思う。前者は記名的な在り方としての矜持、後者は周囲の役割期待でついた何かが加速させていた匿名性が付随していたとも思えるからで、今作ではあのカイリー・ミノーグが参加している曲「Whistle」もあるように、誰もが求める彼らの在り方の外に、これからの可能性が見え隠れするのも興味深い。


 グループ名であるムーム(múm)がそもそも、アイスランド語としての発音が良かっただけで意味のない言葉ということからして、まさにそんな語感の良さそのものを楽しめるようなところが嬉しい。



(松浦達)


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FRIENDZONE『DX』.jpg

 FACTに掲載されているフレンドゾーンインタヴューは、実に興味深い内容だった。そのインタヴューによると、メンバーのジェームズとディランはPerfumeダニエル・ロパティン、ザ・スミスなどを愛聴しており、さらには多くの人が持つ音楽に対する先入観に不満を述べていたりと、彼らが音楽に接する際の姿勢を垣間見ることもできる。


 フレンドゾーンを一躍有名にしたキッカケは、おそらくメイン・アトラクションズとのコラボレーションや、エイサップ・ロッキーにビートを提供するといった、ラッパーとの仕事だと思う。それゆえフレンドゾーンのことを、クラウド・ラップ周辺のユニットだと認知している人も多いはず。


 とはいえ、自身のアルバムやシングルにおけるフレンドゾーンは、ヒップホップだけでなく初期IDM、トラップ、それからオールド・スクール・エレクトロも取り込むといった、ひとつのスタイルに収まらない奔放さを持ち、レイヴィーなシンセの音色を好むセンスはハドソン・モホークラスティーに通じる。言ってみれば、憧憬にも尊崇にも溺れない、あらゆる音楽を平等に扱い消化してしまうラディカルな感性。こうした獰猛さを、オタクなルックスとは裏腹にフレンドゾーンは秘めている。


 本作『DX』は、その獰猛さが顕在化した作品だ。前作『Collection I』は、美しいアンビエント・ミュージックの「Stresses」で幕を開けるなど、落ち着いた"静"の雰囲気を漂わせていたが、本作ではザ・フィールドに通じるトランシーな恍惚感を強く打ち出し、エイフェックス・ツインの『Selected Ambient Works 85-92』をアップデートしたような高揚感もある。ちなみにジェームズとディランは、共にエイフェックス・ツインの作品群にハマっていたそうで、本作の2曲目「RETAILXTAL」ではエイフェックス・ツインの代表曲「Xtal」をサンプリングしている。過去にも岡田有希子をネタにしたりと、遊び心あふれるサンプリングもフレンドゾーンの特徴だが、本作においてもそれは健在といったところか。


 そしてもうひとつ本作の特色を挙げるとしたら、すべての曲がメロディアスであることだ。ゆえにドラマティックであり、ほんの少し狂気が滲むイノセントなエモーションを宿している。そんな本作に筆者は、聴けば聴くほど『Selected Ambient Works 85-92』の影を見いだしてしまうのだが、ここは躊躇せず、『DX』はインターネット・ミュージック世代の『Selected Ambient Works 85-92』、と言ってしまおう。



(近藤真弥)




【編集部注】『DX』はフレンドゾーンのバンドキャンプでダウンロードできます。

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住所不定無職『GOLD FUTURE BASIC,』.jpg

 あらゆるジャンルが混在している! と絶賛するのは、そうした音楽で溢れている現在においては褒め言葉にならないし、じゃあ多様な音楽的要素を掛け合わせるセンス! と称賛すればいいのかといえば、そのセンスを持つバンドやアーティストが多くいる今では、特色となるものではなくなった。では、宮藤官九郎が脚本を務めた『あまちゃん』、それから古沢良太の『リーガルハイ』みたいに、フックとなる小ネタをちりばめた仕掛けの多さに驚くべきか? っていうと、そうでもない(そういえば、『リーガルハイ』の第1話ではさっそく主演の堺雅人が出演していた『半沢直樹』ネタがあって面白かったですね)。


 もちろん、フル・アルバムとしては『ベイビー! キミのビートルズはボク!!!』以来約3年ぶりとなる、住所不定無職の最新作『GOLD FUTURE BASIC,』にはそうした混在、センス、フックとなる小ネタがすべてあり、その点だけをピックアップして"現代のポップ・ミュージック"と評価することもできなくはない。でも、それだけが本作を名盤たらしめる要因じゃないように聞こえる。確かに「IN DA GOLD,」は、トラブル・ファンクなどのいわゆるゴーゴーに、初期のモーニング娘。に近いアイドル・ポップの要素を滲ませ、歌詞も過去に対する敬愛を示すものだ。さらに「CRIMINAL B.P.M」はテディー・ペンダーグラスの匂いを漂わせ、そして《最終回のようなロケーションで君を待つ》という一節が登場する「月曜21時に恋してる」は、フジテレビの"月9"的な世界観を作り上げている。


 だが、それはあくまで本作を彩る一要素であって、ましてや住所不定無職が時代の流れに乗るため折衷性を求めたわけでもない。初期の頃はガレージ・ロックを鳴らすキュートなバンドではあったけど、フルヴォリューム・シングル「JAKAJAAAAAN!!!!!」以降は、豊富な引き出しが可能にする高い音楽的彩度を際立たせていた。そもそも、住所不定無職というバンド名が、細野晴臣のアルバム『HOSONO HOUSE』に収められた「住所不定無職低収入」からの引用ぽいし、もっと言えば、「IN DA GOLD,」には《ピチカートするよこの心臓》なんて一節も出てくるんだけど、この一節の元ネタと思われるピチカート・ファイヴは、『HOSONO HOUSE』収録の「パーティー」をカヴァーしてるっていう、ちょっとした循環が本作にはあるんですよね。


 だからこそ、本作を"住所不定無職が突然変異して生まれた作品"とするのもピンと来ないなと。堂島孝平、澤部渡(スカート)、AxSxE(NATSUMEN)がプロデューサーとして参加、そして今年1月には新メンバー℃-want you!(シ・オンチュ)の加入によってバンドが4人体制になったりと、本作に関するいろんな外的要因があるのは事実だ。しかし、多くの人が楽しめる良い曲(言ってしまえば売れる曲)を作ることに腐心してきた住所不定無職の根本は、本作でも相変わらず。


 そう考えると、変わったのは時代のほうであり、もっと言えば住所不定無職に時代が追いついたと言えるのかもしれない。例えば森は生きているカインドネスの、さまざまな要素を撹拌させつつも目地のない音楽は、音楽自体に目地がないというよりも、その目地に時代、つまり我々がやっと慣れてきたからこそ、目地がないと感じるようになったのでは? それに先述の折衷性という点だけでいえば、イアン・ピールに「特徴的な鳥の鳴き声は、グレアムのマーティン・デニーやアーサー・ライマンといった50年代のエキゾチカ音楽への愛をユニークにカタチにしたものだ」(※1)と評されたテクノ・クラシック「Pacific」で有名な808ステイトなど、過去にも折衷性を発揮したバンドやアーティストはたくさんいる。2013年である現在、808ステイトの『90』や『ex:el』を聴いたらどう感じるだろう? これらのアルバムで披露される多様な音楽に、目地を見いだすことはできないはずだ。


 結局のところ、リスナーとはとても移り気な存在であり、人気があるとされている音楽の大半は、そうした移り気にジャストなタイミングで共振できる、いわば幸運を持っていたのだろう。時代ごとに"面白さ"や"良さ"の中身は変わっていくのだし、"あの頃の音楽が一番好きだ"という愛情はあっても、"あの頃の音楽が一番良かった"とする断定など、ありはしない。このことを、懐古ではなく愛情でもって"過去"を現在に浮かび上がらせる本作は教えてくれる。


 そういった意味で本作は、2013年という"今"と住所不定無職が元々備えていた根本が見事に交わっており、ゆえに多くの聴き手の心に刻まれるであろう名盤なのだ。こういう面白いことがあるから、ポップ・ミュージックを聴くのはやめられないんですよね。なのでポップ・ミュージック好き、いや、音楽好きのみなさんは本作を一聴すべきでしょう。繰り返しになりますが名盤です。これは売れなきゃおかしい作品ですよ、ほんと。



(近藤真弥)




※1 : イアン・ピールによる、808ステイト『90(デラックス・エディション)』のライナーノーツから引用。

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lylical school.jpg

『ストップ!! ひばりくん!』の江口寿史がジャケット・イラストを描いているのは反則だ。さらに新曲ひとりぼっちのラビリンスをはじめ5曲提供のtofubeats、ラストを締めるMyかわいい日常たちを提供するイルリメこと鴨田潤、そして泉まくら、ゆーきゃん等をリリースするレーベル《術ノ穴》主宰のFragment等、楽曲提供アーティストの豪華さといったら。しかしこのアルバムの最大の聴きどころは、何よりも彼女たちのラップのかけあい、その気持ちよさだと思う。革新性とか上手い拙いの問題ではなく、自らの役割のなかでどれだけ個性を表現できるか。改名、メンバーチェンジ後初となるフル・アルバムは、3つのインタールードを挟み計10曲、6人のガールズ・トークをそのままトラックに乗せたような自然体で、かつ聴くものを踊らせる万人向けのジャパニーズ・ヒップホップだ。


「友人のバンドがプロ・デビューしたものの、演奏はスタジオ・ミュージシャンによるものだった」とは、浅野いにおの漫画素晴らしい世界のエピソードの一つ。はっぴいえんどの前身であるエイプリル・フールのさらに前身バンドであるフローラルは、モンキーズ来日に際して「本人達は演奏できずスタジオ・ミュージシャンによる録音」という噂のあった彼らのバック・バンドをさせるために公募で結成されたという。そもそもビートルズ以前のミュージック・ビジネスでは作詞作曲、歌唱、演奏、すべて分業体制が当たり前だった。2012年の紅白での「ヨイトマケの唄」が今なお記憶に鮮烈な美輪明宏はいう。「昔のコンサートはカヴァー曲を、前口上する弁士の解説の後に、歌わなければならなかった。オリジナル曲を歌い自分でコンサートをプロデュースする私は、芸能界の古参から激しい攻撃を受けた」と。


 80年代の細野晴臣、90年代の小室哲哉の例を挙げるまでもなく、アイドル歌謡へのアンチテーゼとして成長した自作自演のロックンロールが、いつしか主流になると、今度はロック・ミュージシャンがアイドルをプロデュースするという逆転現象が起こった。そもそもモーニング娘。をブレイクさせたつんく♂のグループ、シャ乱Qのコンセプト自体がアイドル歌謡へのオマージュであり、tofubeatsはそのつんく♂へのリスペクトを口にしている。だとしたら、インディーズ上がりのふりをして実は作詞作曲、演奏に至るまで外部提供のロック・バンドと、一流のトラック・メイカーから楽曲提供され、ダンスの練習を死ぬほどこなし百万ドルの笑顔を振りまくアイドル・グループ。どっちを応援したいだろうか(極端な比較ではあるけれど)。


 握手会には参加しなかったが、名古屋のタワー・レコードで2日間計4回のステージをこなした彼女たちのパフォーマンス、その最後の回を観た。このアルバムで描かれる彼女たちの夏の日々を早回しのジェスチャーとダンスで楽しむことができた。個人的に印象に残ったのは今夏加入した本多未南だった。誰が可愛い、誰が技量があるという話ではない、最も経験が少なく最もステージ慣れしていない彼女、その分追いつこうと一生懸命なのだろう。そしてそれは別のメンバーが同じ立場だったらやはり、そのメンバーに対してそう感じたかもしれない。いろいろ書いてきたが、結局はtofubeatsのアルバム推薦コメント、この一言に尽きる。「皆さん思い思いの人とのデートコースを予習しながら聴くのがおすすめです」。



(森豊和)




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JOHN WIZARDS―.jpg

《Planet Mu》からのリリースということもあり、多彩なダンス・トラックが詰まっているものの、まず、彼らの在り方そのものが興味深い。南アフリカのケープタウンを拠点に活動しているアーティスト、ジョン・ウィザースとルワンダ出身のエマニュエル・ンザランバの2人を軸にした総勢7人からなるバンドの初作であり、多くの音楽性が混在している。そのなかでも、やはり、サウスアフリカン・ハウス、シャンガーン・エレクトロなどのリズムが主に脈打っているのは彼らの特徴だろうか。


 なお、シャンガーン・エレクトロに関しては10年代にじわじわと隆盛してきている音楽だが、そもそも、80年代的なシャンガーン・ディスコとニュー・ウェイヴの要素を保持したまま、よりBPMを高速化し、8ビットのチープネス、マリンバなどの民族楽器の音などを入れて、シャッフルし音像化したもので、南アフリカのストリート・ミュージック、クラブ・ミュージックとして機能しているのみならず、世界の先鋭的なビート・メイカーたちに注視もされている。


 このアルバムでは、若干25歳のジョンの幅広い感性がメインに置かれているのもあり、冒頭の「Tet Lek Schrempf」からスペーシーさとトライバルが合わさった曲で始まり、そのまま、リードEPとしてリリースされていた「Lusaka By Night」では、エマニュエルの声が加工された浮遊感溢れるダヴィーでキラキラした曲へと繋がる。このEPにはリミックスも含まれており、それがシンプルなフロア対応になっていたり、アルバム未収録の「I Is」も変則的なビートが前に出たIDMとして興味深く、もしも、今作で関心を持った方は手に取ってみて欲しい。


 そして、3曲目の「Limpop」では、いかにもなシャンガーン・エレクトロを基底に、チップ・チューン的に楽しく体を揺らすことができる。ただ、次曲ではその印象を覆すようなソウル・ミュージック風の「Muizenberg」へと転換するなど、いわば、コンセプチュアルに細心を配っている訳ではなく、コンピレーション的に何でもアリの面白さと刹那の愉しさに準じた好奇心を放り込んでいる様は、聴いていてフラットに心地良い。


 チルウェイヴ、アンビエント・ミュージックの幅も包含し、基本2分台のコンパクトな尺で纏められた曲が次から次へと様々な意匠をまとい、繰り広げられる。後半は、やや内省的な曲も見受けられるが、しかし、キラキラした電子音とジャジーなグルーヴと緩いリズムは浅い感傷を逸らしながらも、エマニュエルの声、ギターの響きが強調されたトラディショナル・フォーク風の最終曲「Friend」は切ない情感で締めくくられる。


 アイデア先行ともいえるアティチュードは逆に頼もしくもあり、ネット上に無限に溢れる音楽の点と点を結び、自分たちのトラディショナルな音楽的語彙を併せ、デスクトップ上で最終情報処理した想像力の飛距離を試す、そんな内容になっているともいえるかもしれない。


 ジョンがケープタウンで手掛けているCM音楽もそうだが、音楽はときにこういった辺境からボーダーレスに世界中の人たちの五感を刺激する。



(松浦達)