reviews

retweet

LA CHIVA GANTIVA.jpg ライヴ、現場でこそ体験する「一回性」は「永遠」と止揚されるとしたならば、それは記憶に還元して個々たる豊潤な内面を拓けるのかもしれない。個人的なことだが、いつかスペインに行ったとき、昼間からビールを煽り、燦燦たる太陽の下で歌われる広場での酔客たちの舞い、バリでのケチャ・ダンス、タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの舞台で上に上げられて踊った記憶。アーティストは「向こう」に居る存在ではなく、「こちら」に居る人たちでもあり、更には言語の問題は大きくても、世界中で熱狂を巻き起こす東京スカパラダイスオーケストラのように、音楽は規定を越えて、あちこちで鳴る。

 この度、紹介したいのはベルギー在住のコロンビア系の移民3人を主体としてなる7人組のラ・チヴァ・ガンティーヴァ(La Chiva Gantiva)。メンバーはRafael Espinel(Lead Vocal, Percussion)、Natalia Gantiva (Tambora, Percussion)、Felipe Deckers (Guitar, Piple)、Floriant Ducet (Clarinet)、Martin Mereau (Drums, Trumpet, Marimba Seppe)、Van Hulle (Bass)、 Guilaume Codutti (Congas)、Ho Duc Tuan(Sax)。元々は、デザインを学ぶためにコロンビアからブリュッセルに来ていたラファエルが建築やアートを学ぶために同じ場所に居たナタリアとフェリペと出会い、05年に始まる。その後も各地でのパフォーマンスへのオーディエンスの熱狂や08年に自主制作された5曲入りのCDも話題を呼び、メンバーも増えて、満を持して彼らのファースト・アルバム『Pelao』が《Crammed Discs》から昨年、リリースされた。そして、この度、無事に国内盤化され、手に取り易くなったのもあり、興味がある方はチェックしてもらえたら、と思う。

 このスタジオ盤に溢れるアッパーで晴れ晴れとした空気感もそうだが、映像でも分かるライヴ・パフォーマンスで見せる楽しさが世界中の人たちを虜にもしたところも大きいだろう。勿論、クンビアのエッセンスは受け継がれているが、そこにアフロ・コロンビア音楽、ジェームス・ブラウンのファンクネス、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのミクスチャー・ロックの要素を取り入れ、ソリッドなグルーヴを起こすことを目標しているのか、これまでの「ただ、揚がればいい」という楽団的な所ではなく、彼らはより知的なアプローチと、また独特のアート・センスも見える。何故ならば、アート・ワークのみならず、リズムとアレンジメントにも相当、凝らされたところが伺えるからだ。怒涛のようにパーカッションが鳴り響く中にふと挟まされる軽快なトランペット、ベトナム系移民のHo Duc Tuanのサックスも絶妙なスパイスを加え、聴くだけで自然と気分が揚がってくる曲も多い。しかし、アルバム6曲目の1分半ほどの「Pink Flamingo」では音響そのものへの拘りがあるとも思えるシークエンスだ。アルバムの表題曲「Pelao」はラファエルの韻を踏むようなボーカルと展開といい、キャッチーで誰もが歌えそうな明朗なものになっていたり、この11曲では勢いだけではない、ジャケット写真みたく、音楽そのものを楽しむ姿勢が充溢している。

 そう、こういったジャケットもカラフルでとても良いと思う。

 何かと重苦しい話題が世を巡るが、彼らの音で持ち揚がった心で見つめる現実は少しの華やぎをもたらすのではないだろうか。近くの来日公演を願うのとともに、フェスティバルなどの大きいステージでのパフォーマンスを体感してみたいアクトの一つだ。

 

(松浦達)

retweet

LEE RANALDO.jpg 現在活動停止中のソニック・ユースのメンバー、リー・ラナルドによるキャリア初のヴォーカル・アルバム『Between The Times And The Tides』。リーはこれまで、ソニック・ユースでも度々メイン・ヴォーカルを披露しており(最近だと『The Eternal』収録の「Walkin Blue」など)、筆者はソニック・ユースのなかでも、リーの歌声が一番好きである。決して"上手い"とは言えないが、トーンを抑えた、地味ながらも味わい深い歌声には、聴き手を惹きつけるものがある。

 その歌声がもっとも生かされているのが、「Hammer Blows」以降のアルバム後半ではないだろうか。特に「Stranded」は、シンプルなサウンド・プロダクションも手伝って、リーの歌声を心置きなく堪能できる。本作にはソニック・ユースを想起させる曲もいくつか収録されているが、それらの曲よりも、カントリーの影響が窺える「Hammer Blows」などのアコースティックな曲が、本作をヴァラエティー豊かな作品に押しあげている。

 また本作には、数多くのゲストが参加している。ソニック・ユースのスティーヴ・シェリー、ボブ・バード(元ソニック・ユース)、ジム・オルーク、ウィルコのネルス・クラインといった面々だ。そして共同プロデューサーには、ジョン・アグネロを迎えている(もうひとりのプロデューサーはリー自身)。過去にリーと関わっている者が集まっており、それぞれミュージシャン/プロデューサーとしての評価も確立しているが、ポップ・ミュージックの持つ万能性と実験性を絶妙なバランスで両立させることができる人を集めておきながら、音楽的に突き抜けていないのはちょっと気になってしまった。

 「Off The Wall」におけるパニング、アコギの音色にノイズが交わっていく「Hammer Blows」など、随所に実験精神と遊び心は窺えるものの、それらはすべて、過去にリーが試みてきた実験の残骸でしかなく、強烈なインパクトとして聴き手を驚愕させるまでには至っていない。要は散漫なのだ。なんならいっそうのこと、ギミックを排したアコースティック・アルバムにしたほうが、リーの内面がより強調された興味深い作品になったのではないか。シンプルな曲が出色の出来なだけに、そう強く思ってしまう。

 

(近藤真弥)

retweet

小さなリンジー.jpg 初めて音楽の素晴らしさに気持ちが震えた時のように、「小さなリンジー」には、初めて出会う歌がある。本作を聴けば、あらためて初めて歌に魅了された時の、あの気持ちの震えがよみがえる。生まれたばかりの歌と形容したくなる彼女の歌声は聴き手の気持ちのざらついた部分に真っすぐ触れてくるのだ。

 2010年、EMI Music Japan 50周年記念オーデションをきっかけに、話題となった都内を中心に活動するSSW、田中茉裕。彼女のファースト・ミニ・アルバム「小さなリンジー」が素晴らしい。全5曲。作詞作曲、編曲は全て彼女自身によるもの。レコーディング、ミックス、マスタリングを手掛けた高橋健太郎氏が「これまでのどんな系譜にも属さないものを感じる」とコメントしているように、矢野顕子のようで全く違う。平賀さち枝でも青葉市子でもない。そんな田中茉裕の歌声は揺らぎがあり、哀感があり、躍動があり、無垢な荒さもある。6歳から習い始めたというピアノの調べは美しく、リズミカルでもあり、曲の展開に合わせたタッチの強弱が絶妙だ。スリリングな表情も見せ、歌声と相まって瞬時に引き込まれる。

 影響を受けたのはクラシック音楽全般、マクフライ、YUI、スーパーフライ、ビートルズ、クイーン、中島みゆき、グリーン・デイとのこと。確かにメロディに関してはYUIや中島みゆきに通じるところはあるし、田中茉裕の揺らぎのある歌声は中島みゆきのトーンを高くしたかのよう。音楽的バックグラウンドは決して広いわけではないのかもしれないが、その分、集中を一点に込めた声とピアノが眩しく輝いている。彼女は歌声で透明度の高い地下水脈に似た美を醸し出し、激流をも醸しだす。しかしそれは季節が移り変わるほど自然に変化し、聴き手の情緒を揺さぶるのだ。

 ジャケットは彼女自身によるもの。季節で言えば春なのだろう。これから何かが始まる季節だ。《とにかく笑って、頑張ってみよう》《やりたい事をすればいいよ/一歩踏み出せるなんてすごい事だよ/だからこそ進み続けて/出来る限り拾っていこう》。そして、頻繁に歌われる《Everything's all right.》。そう、彼女の春はもう始まっている。

 ピアノと歌だけのシンプルな本作は、自分から過剰な自我も知識も何もかも剥ぎ取った時に一体何が表現できるのか、ということを見詰めているようだ。それは僕らへの問いかけのようにも聴こえる。

 

(田中喬史)

retweet

きゃりーぱみゅぱみゅ「Candy Candy」.jpg おまえらきゃりーぱみゅぱみゅをナメてるだろ?

 書きだしから語気が荒くなってしまい申し訳ございません。しかし、世間のきゃりーぱみゅぱみゅに対する見方を考えると、そう言いたくなってしまうのです。筆者がなぜ、きゃりーぱみゅぱみゅがお気に入りなのかと言いますと、学芸会レベルのラブストーリーを感情過多に歌い上げたような、安っぽいラブソングが未だに蔓延る日本のポップ・シーンのなかで、きゃりーぱみゅぱみゅはナンセンスに近い歌を歌えているから。

 きゃりーぱみゅぱみゅは、必要以上に歌声をアピールすることはない。ただひたすら、聴き心地の良い"音楽の一部"に徹している。だからこそ、きゃりーぱみゅぱみゅの歌はどこかふわふわしていて、感情が希薄である。そんな語感重視の抑制的な歌い方は、やくしまるえつこの登場によってやっと多くの聴き手に受けいれられたものだが、その需要をお茶の間レベルにまで広げることを痛快にやってのけているのが、きゃりーぱみゅぱみゅだ。というのは、筆者の考え過ぎだろうか?

 もちろん彼女が自覚的に"音楽の一部"になっているのではなく、誰かに指示されてそうしている可能性もあるが、だとしても、指示通り実行できる彼女の資質がより重要で素晴らしいと、筆者は考える。ほぼ強制に近い共感を聴き手に求める、押しつけがましい三文ポップ・ソングが量産される昨今において、きゃりーぱみゅぱみゅの歌は、表層的な装飾を過剰に盛りこみつつも、そのすべてが無意味というある種の清涼剤的ポップ・ミュージックとして、筆者の心をとらえる。さらに深読みを進めれば、"無意味な過剰"を身にまとうことで、"ほぼ強制的に共感を求める過剰さこそが無意味である"という批評的態度を貫こうとしているのではないか、とすら思える。もちろんすべては筆者の推察だが、日本のポップ・シーンにおいてきゃりーぱみゅぱみゅは、いま述べてきたようなものとして機能していると思う。

 そして本作には、中田ヤスタカの新たな一面が窺える。パフュームに近いサウンドを鳴らす「Candy Candy」、ポップン・ミュージックで叩きたくなる軽快なポップ・ソング「でもでもまだまだ」(そういえば、中田ヤスタカは以前ポップン・ミュージックに曲を提供していましたね)の2曲は、中田ヤスタカが他のプロジェクトで使うセンスや視点とは異なるものが音として鳴っている。その異なるものとは、特定のなにかを突出させるよりも、それぞれの音がひとつの歯車として機能する、コレクティヴな音像である。そのコレクティヴな音像は、直感的に作られた収録曲「ちょうどいいの Extended Mix」を聴くと、先述の「Candy Candy」「でもでもまだまだ」とのコントラストによって、より浮き彫りになる。きゃりーぱみゅぱみゅと中田ヤスタカ、どうやらふたりは、クリエイティヴな関係を築けているようですね。

 

(近藤真弥)

retweet

ねごと「Sharp ♯」.jpg ねごとの魅力のひとつは、「ループ」「ワンダーワールド」「七夕」といった曲に顕著である、ここではないどこかをふわふわと見つめているような、少しひねくれた世界観だと思う。先に挙げた3曲で言うと、「ループ」の宇宙的トリップ感、小さな子供と遊んでいる風景が目に浮かぶ「ワンダーワールド」、そして、ライトノベルチックなファンタジーを感じさせる「七夕」と、それぞれ固有の世界観がありつつも、どこか聴き手をおちょくるような、心地良いイタズラ心が感じられた。だが「Sharp ♯」は、ねごと史上もっとも"想い"がストレートに出た、良い意味でねごとらしくない疾走感あふれる曲に仕上がっている。

 「Sharp ♯」制作のキッカケは、3年前のフジ・ロックで故・アベフトシに捧げる曲としてThe Birthdayが「愛でぬりつぶせ」を演奏した映像だそうだ。3年前のフジ・ロックにおける「愛でぬりつぶせ」のパフォーマンスは、膨大なエネルギーとパワーに満ちあふれるものであったが、そのエネルギーとパワーにねごとが影響されているのは、先述の疾走感にも表れている。この疾走感を生みだすのに、4人とも相当な試行錯誤を重ねたのは曲からも窺い知れるが、そのなかでも、澤村小夜子のドラムがもっとも重要な役割を担っているように思う。従来の"ほんの少し複雑"なプレイは残しつつも、スネアやハイハットなどの音作りに気を配っており、バンド全体を意識したリズムはバンド・アンサンブルの土台となっているし、藤咲佑のベースも、疾走感をさらに加速させるシンプルなプレイに徹することで、バンドのグルーヴを支えている。さらに沙田瑞紀は、エッジーかつオフェンシブなギター・サウンドを掻きむしるように鳴らし、そこに蒼山幸子のヴォーカルが加わることで、「Sharp ♯」の眩い輝きは聴き手に届けられる。

 そして、蒼山幸子のヴォーカルにも言及しておきたい。「Sharp ♯」リリースに伴うインタビューで4人は、『ex Negoto』をリリースし、数多くのライブをこなしていくなかで、メンバー間でのコミュニケーション不足に陥っていたことを告白しているが、そうした苦悩を乗り越え手に入れた強い意志のようなものが、「Sharp ♯」における蒼山幸子のヴォーカルにはある。それは歌詞に表れているのはもちろんのこと、声そのものにも表れているのが、本当に素晴らしい。可愛らしいポップなヴォーカルが特徴であった蒼山幸子だが、「Sharp ♯」では聴き手の心をこじ開け、感情を鷲掴みにするような、ある種の荒々しさと野蛮さすら感じるヴォーカルを披露している。その力強いヴォーカルは、ねごとが飛躍的進化を遂げたことの証左であり、明るい未来をも確信させてくれるものだ。

 ちなみに「Sharp ♯」は、通常盤と限定盤の2種類がある。通常盤には、ゆったりとした気持ち良い名曲「Drop」と、ザ・クリブスのカヴァー「Tonight」が収録されており、そして限定盤には、tofubeatsによる「Sharp ♯」のリミックスが収録されている。まあ、なんともファン悩ませな仕様となっているが、筆者は「Sharp ♯-tofubeats remix-」を気に入っている。大胆なヴォーカル・エディットと、tofubeatsらしいビートのタメが感じられる優れたリミックスだと思う。

(近藤真弥)

retweet

ORBITAL.jpg オービタルが戻ってきた。もちろん20周年を記念したベスト・アルバム『20』と、シングル「Don't Stop Me / The Gun Is Good」をリリースし、再結成ツアーを敢行したのは知っている。しかし、オリジナル・アルバムとしては『Blue Album』以来8年振りとなる『Wonky』こそ、本当の復活宣言と言えるだろう。

 本作は、オービタルの"過去"が随所に散りばめられたものとなっている。なんせ1曲目の「One Big Moment」は、「今日は思い出を選んでいただくタイム・リミットです」という日本語のナレーションで始まる。このナレーションが示唆するように、本作にはオービタルの復活を祝うかの如く、過去の音楽的ハイライトがいくつも見受けられるが、そのハイライトは、「Stringy Acid」でひとつのピークを迎える。壮大なシンセ・ストリングスが恍惚的な「Stringy Acid」は、「Chime」から『Blue Album』までの要素がモダンにアップデイトされた形で詰まった、オービタルの新たなクラシックである。ゾラ・ジーザスが幻想的なヴォーカルを披露する「New France」も素晴らしいが、聴き手をユーフォリックの境地へ導く「Stringy Acid」は、本作に収録されている曲群のなかでも飛び抜けている。

 7曲目「Beelzedub」以降は、オービタルの時代に対する目配せが窺える。「Beelzedub」はスクリーム以降のダブステップを感じさせるし、グライムMCレディー・レシュールをフィーチャーした「Wonky」は、元来オービタルが持つ秀逸なメロディー・センスが発揮された新機軸と言える曲だ。アルバム後半に顕著な雑食性はオービタルが持つ特徴のひとつだが、その雑食性は本作でも健在で、頼もしいかぎりだ。

 オービタルのキラキラとした電子音の調べは、テクノが持つ夢を今に伝えてくれる。テクノは音に語らせることで言葉を必要としない音楽になったが、そんなテクノの本質を、オービタルはしっかりと受け継いでいる。時が流れ、音楽性に多少の変化が生じようとも、根っこの部分は変わらない。だからこそ、オービタルは古びないのである。

 

(近藤真弥)

retweet

PAUL WELLER.jpg 国家に向かって「目を覚ましやがれ!」と楯突いた前作『Wake Up The Nation』から約2年。ソロとしては11枚目、ザ・ジャムとスタイル・カウンシルを含めると通算22枚目となるポール・ウェラーの最新作『Sonik Kicks』がリリースされた。短く刈り込んだ精悍なヘア・スタイル、ダブルのスーツにタイ。相変わらずスタイリッシュにキメているモッド・ファーザーの姿が麗しいジャケットには"PAUL WELLER"の記名はなく、アルバム・タイトルだけがシンプルなフォントでレイアウトされている。「見りゃ、誰だかわかるだろ!」ということなのかな。クールな佇まいはチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンみたい。そして、ハレーションを起こしたネオン管が交差する近未来空間は、クラフトワークのステージ・デザインを思わせる。

 90年代中期、ブリット・ポップの狂騒の中でも、ポール・ウェラーがオアシスやブラーをはじめとする当時のバンド / ミュージシャンから多大なリスペクトを集めていたことは、ファンのみんなが知っているとおり。でも、彼が本当にカッコ良かったのは、ファンやミュージシャンのそんな思いに甘んじることなく、そんな思いのさらに上を行く素晴らしいアルバムをリリースし続けたことにある。『Wild Wood』に収録された「The Weaver」のタイトでヒリヒリするようなテンション。全英No.1に輝いた『Stanley Road』には「Broken Stones」のように優しいフィーリングのR&Bもある。そして『Heavy Soul』の猥雑なロックンロール「Peacock Suit」は、今でも僕たちを踊らせる。ブリット・ポップがとっくに過去のものとなった2012年、この『Sonik Kicks』のクレジットに、ソロとなったノエル・ギャラガーとブラーの再始動が伝えられるグレアム・コクソンの名前が並んでいることが感慨深い。時代は確実に変わってゆく、けれどもポール・ウェラーは転がり続けている、ということなのだろう。

 今やレコーディング / ツアー・バンドのキー・マンともいえるオーシャン・カラー・シーンのスティーヴ・クラドック、元(解散前の後期)ストーン・ローゼズのアジズ・イブラヒムらに支えられたサウンドは、今までのどのアルバムよりも多彩で新鮮なアイデアにあふれている。というか、想像以上。70年代末のUKパンク勃興期にザ・ジャムとして、スモール・フェイセスやザ・フーから受け継いだモッド・スピリットを甦らせたあの小僧が! 80年代にはスタイル・カウンシルでブルー・アイド・ソウルを標榜しながら(特に日本では)オシャレになりすぎたこともあるあの伊達男が! 当時は見向きもしなかった(と思われる)ニュー・ウェーヴっぽいエレ・ポップやクラウトロックを鳴らしている。「師匠! なぜ今、コレなんですか?」と聞きたくなるけれど、オープニング・トラック「Green」の飛び交うシンセとスポークン・ワード風のヴォーカルがそんな僕らを黙らせる。「何だかわかんないけど、カッコいいッス!」ってね。「Kling I Klang」だなんて、クラフトワークそのまんまのタイトルを付けてしまうところも微笑ましい。

 プロデュースと楽曲の共作クレジットに名を連ねているサイモン・ダインにも注目しよう。彼自身、ヌーンデイ・アンダーグラウンドというプロジェクトを率いて4枚のアルバムをリリースしている。2002年の『Illumination』でポール・ウェラーのレコーディングに初参加。スタイル・カウンシルを彷彿とさせる流麗なホーンとストリングスが響く「It's Written In The Stars」などを手掛けて、その存在を印象づけた。2008年の大作『22 Dreams』では大半の楽曲の共作とプロデュースを担当し、鮮やかなサウンド・メイキングに大きく貢献。アルバムは全英No.1を獲得した。そして、前作『Wake Up The Nation』ではさらに関わりを深め、ついに全曲の作曲とプロデュースをポール・ウェラーと共に行っている。着実に成果をあげる出世魚みたいな男、それがサイモン・ダインだ。彼が参加してからのアルバムは、どれも色彩感覚が豊かでフレッシュ。相当なアイデア・マンとみた。きっとポール・ウェラーにたくさんのインスピレーションを与えているに違いない。さあ、PLAYボタンを押してみよう!

 とんがった音に耳を奪われてしまうけれど、このアルバムの魅力はそれだけじゃない。静謐なインストの「Sleep Of The Serene」からアコースティック・ナンバー「By The Waters」への流れも素晴らしい。タイトルどおりにせせらぎを連想させる美しいストリングスを担当しているのは、ハイ・ラマズのショーン・オヘイガン(!)。前作に参加したマイ・ブラッディ・ヴァレンタインのケヴィン・シールズに続いて、今回のサプライズ・ゲスト。この辺りの人選はサイモン・ダインの推薦かな。奥さんのハンナとのデュエットを披露する「Study In Blue」では、何とレゲエ / ダブに挑戦している。シド・バレットへと思いを馳せた「When Your Garden's Overgrown」はジュリアン・コープっぽいコズミックなポップ・ナンバー。自ら子供を量産(つい最近も双子が誕生!)する父親として、子供たちと彼自身の亡き父親への思いを託したラスト(国内盤にはボーナス・トラック2曲収録)の「Be Happy Children」まで、一気に聴けてしまう。やはり、アルバム・ジャケットはサウンドと意思を見事にビジュアル化したすてきなデザインだと思う。クールにキメていても、滲み出てしまう熱量。過剰に鮮やかな赤。

 1958年生まれで今年54歳になるポール・ウェラーは、今もこんなにも華やかだ。カラフル、という言葉がぴったりかもしれない。2009年以来の来日公演に期待しよう。今までのレパートリーとこのアルバムからの楽曲がどんなふうに織り交ぜられるのかな? それは僕たちにとっても、新しい発見と驚きに満ちあふれているはずだから。

 

(犬飼一郎)

retweet

YUKO ANDO.jpg  《ねえ 甘い未来を 君に見せてあげる》(「鬼」)

 1年半振りにして6枚目のオリジナル・アルバム。タイトル名の『勘違い』というのがまずは興味深い。ネーミングの意図は違えども、現代におけるフェミニスト主体論やノマドロジーの中で幾つも分割される「女性」的アイデンティティに対しての再配分の理論を対象化し、可動性とアンバランス(不安定、生物的躍動に依拠する)を逆手に取って、ブラウンミラーが言った「men's house culture」を掻き分ける非服従と男性属性が持つ女性性にときに孕むイメージや幻想に対しての違和への補助線を指すかのようである。ダブル・スタンダードとしてのジェンダー、母性への接線沿いの明瞭な多様性に捧げた文脈として、安藤裕子というアーティストの来し方が保っていたホメオスタシスを自身が蹴破る推進力に満ちたものになってもいるが、これまで通りの彼女の声が伸びやかに且つ繊細なメロディーに包まれるバラッドや涼やかで弾むポップスも含まれているので、巷間で飛び交っている"アバンギャルド"や"今までで一番ロック色の強い"という冠詞を課すほどの驚きはないと個人的に思う。

 しかし、例えば、「のうぜんかつら(リプライズ)」、『The Best '03~'09』辺りから入ったリスナーたちには僅かな戸惑いをもたらすところはあるのも事実だろう。それは、以前に書いたシングルの「輝かしき日々」の時点でふと見えたアグレッシヴな攻めの獰猛性をして、彼女の新しい側面の発見があった人たちの想像の先にも立脚するともいえるからだ。

 このアルバムの制作にあたっては、艱難を極めたという。2011年の大震災、親愛なる祖母の死、出産といった公私ともに大きな出来事を経たからか、纏まりや構成という意味では過去の作品群よりは欠けているものの、神秘やホーリーなものから着実に服を脱いだ裸の生命力の強さと痛みが通底している。

  《騙せるように言葉を研ぎ澄まして / 服を脱いでここでちょっと待ちましょうか?》(「エルロイ」)

 アルバムのリード曲の「鬼」、そのPVを彩る彼女の舞いでもそうだったが、歌詞や世界観も少しばかり攻撃的且つ動的要素が見え隠れし、ビートやリズムもこれまで以上に複雑なものが増え、コーラス・ワークとボーカリゼーションも感情の起伏をそのまま顕すかのように、エモーショナルにアップダウンする曲も目立つ。そこに、ベニー・シングスが関わったピアノの穏やかさから楽しく弾ける展開のライヴで映えそうな「すずむし」や2010年のオリジナル・アルバム『Japanese Pop』の流れを汲むだろう流麗なシティー・ポップスの「アフリカの夜」や出産後に作られたという2曲(もう1曲は、「鬼」)の内の、生まれた娘に捧げたという優しさが胸を打つ「お誕生日の夜に」といった曲が立体的にアルバムの全体像を持ち上げるが、何故か、もの悲しさと慈しみも聴後に残る。

 それは、11曲の中でも「勘違い」から「輝かしき日々」の前半の動性と、後半を締める「永すぎた日向で」からの静謐な流れの傾ぎ、ラストを飾る不思議な途程感を持つ「鬼」を含め、奇妙な不安定な感情の揺蕩いがそのまま影響しているからなのだろうか。ルー・リードの1972年の『Transformer』に収録されている極北的な美しい曲「Perfect Day」にインスパイアされたという重さが残る「永すぎた日向で」には魅惑もされるが、通奏としてのChara、aiko、YUKIなどの確固たるポジションを持った日本のフィメール・アーティストのアティチュードではない形で、いささかイロニカルな言い回しになるが、彼女自身がインタビューで自身について時折、言及することから考えると、女性としての何らかの欠落、コンプレックスを踏まえながらも、"より生々しい女性(以前に書いた、「女の子」ではなく)に近接した"要素がそう想わせる気もする。そういう意味では、「輝かしき日々」の次元からは一つ、階段を昇った感触があり、そして、やはり、出産を経て、我が子に紡がれた曲に宿る、礼装のイノセンスが凝縮された「お誕生日の夜に」がしみじみと美しく響くのも道理なのかもしれない。

  《息を吹きかけ 願い事ただ一つ唱えて 君が生まれた素敵なこの夜を祝おう》(「お誕生日の夜に」)

 いささかスキゾで静 / 動を往来する間に彼女の凪ぎと野方図な感情に裂かれた希いをJ-POPの縁に引っ掛けて、その内側で更にオルタナティヴなステップに彼女が踏み込んだ大事な証左を示す作品になったと思う。これからの思い出せる明日の続きに、愉しみが募る。

《過ぎて行く時の狭間にも 捨て去った想いがあると知っていたから / 決して何も追わない 出会う明日のため思い出すだけ》(「飛翔」)

 

(松浦達)

retweet

HERAJIKA.jpg 都内を拠点に活動する男性2人女性3人からなるロック・バンド、ヘラジカが鳴らす音はいつだって澄んでいる。穏やかなシンセと可愛らしいトイ・ピアノ、メロディアスなベースと力強いが気張りのないドラムがミシンの歌声とたわむれながら聴き手を音遊びに誘ってくる。素敵なのに気取っていない。軽やかだけれど地に足はついている。子供たちのにぎやかに土を踏む音が聞こえてきそうだ。

 「歌詞にメッセージ性を含めない」「純粋に気持ちのいい音を鳴らしたい」とメンバーが言うように、音楽を音楽以上のものにしないという意思がある。それは、山本精一や大友良英らの諸作も手掛けたエンジニア、近藤祥昭を迎えたファースト・アルバムとなる本作『Herajika』に言えるのはもちろん、試作品という位置付けだった2枚のシングル(「Herajika Test 01」「Herajika Test 02」)からも伝わってくる。試作品であっても過剰に実験的にせず、ポップ感を忘れない姿勢は彼らが鳴らす音と同様、背伸びをしないメンバーの人間性をも伝えるのだ。

 多くの音色を添い合わせた本作は色彩豊か。油絵具やクレヨンで描いた音世界というより、色鉛筆で描いたような繊細さがある。ジム・オルーク「Halfway To A Threeway」のように丸みを帯びた音と角の無いメロディ、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド『はらいそ』をシンプルにほぐしたようなサウンドの数々。熱心なリスナーでもあるフロント・マンのミシンによると、ジム・オルークや細野晴臣のみならず、スーパー・ファーリー・アニマルズやブラー、スピッツ、スティーヴ・マルクマスなどからの影響もあるとのこと。瞬間的にベースがストーン・ローゼズのマニのようだったり、ドラムがアート・ブレイキーのようだったりもするが、しかし、知識に頼った音や他のバンドと審美眼やセンスを競い合う音はない。それは個々のメンバーのこれまでの音楽体験から生まれたアイデアの集合が、ヘラジカの音楽を構成する重要な要素だからだと思う。

 デビュー当時、彼らはトクマルシューゴと比べられることが多かった(僕も比べたけれど...)。しかし不協和音を混ぜるヘラジカの音楽は危うさを持っている。それはしばし奇妙に聴こえ、音数の増減で曲に緩急を与えるトクマル的な技巧とは無縁に思える。ヘラジカは特別技巧に長けたバンドではないのだが、メンバーの頭の中で鳴っている世界観を表現できた。彼らは和音と不協和音の隙間に哀感と笑顔の温かさが見える"ヘラジカの音"を鳴らす術は他の誰よりも優れている。いわばダニエル・ジョンストンのように、存在そのものがコンセプトとしてヘラジカは僕らの前に現れる。

 彼らはどこかから音を苦労して見付け、鳴らすのではなく、ひょいと、身近にある音を拾い、心地の良い音にしてしまう。コーラスとハンド・クラップが印象的な「Reverse」はまさにそう。ノイジーなギター・サウンドも交えているこの曲は、ヘラジカの特徴である予測できない音が次々とチャーミングな面持ちで飛び出でてくる素晴らしい楽曲(ライヴだとさらにすごい)。ワルツ風の「ハリケーン」もペイヴメントに通じるざらついた質感をベースとギターが醸し出すことで、時としてラ・セラを思わせるユウコのヴォーカルを際立たせているし、ヒップホップ的な「Clay」ではミシンの声を神秘的に加工し、女性コーラスと、これまた加工したかけ声との掛け合いのサイケデリック感が聴き手をトリップさせる。そして訪れる高揚を宿したディストーション・サウンド。引き算の空間美と足し算の高揚。静謐さと獰猛さの同居。ファズやわずかな残響音からも音に対するこだわりが見えた。だが音はこだわりに縛られず、実に素直に鳴っている。ヘラジカはアイデアを無造作に聴き手に投げつけない。理知的に整頓できるバンドなのだ。こうした音楽性は彼らが聴き手をリスペクトしていることと共に、マルチ・プレイヤーが多いということもあるかもしれない(サエはさながらグレアム・コクソンのよう)。車窓を眺めているように景色が移り変わる本作だけれど、移り変わりは滑らかだ。

 制作過程で難航したところもあったようだが、おそらくハーモニーに関して難航したのではないだろうか。綺麗にまとめるのか。それともファズを強調するのか。結果的に両者が混じり合い、分かち合った作品に仕上がった。「音楽の好みは人それぞれ」とはよく言われる。しかし本作にはメンバー個々の音が手を握り合い、「人それぞれ」の音は鳴っていない。ふらふらと香りに導かれるように聴き手とすれ違わないものとしても本作はあり、図らずともタヒチ80のように清々しく誰もが分かち合えるサウンドに満ちている。そこには誤解を理解という共有に発展させることはとても尊く、楽しいという心地を聴き手に浮かばせるものがあり、なにより「人それぞれ」が終着点ではなく、「人それぞれ」が出発点としてあり、だからこそ分かち合おうと、この作品を聴いた後は言いたくなるものがある。

 2月4日、ヘラジカのライヴの帰り道に、彼らが鳴らしているのは派手なネオン・サインとは対極の音だと思った。聴き手を孤立させる音がないのだ。豆電球のような暖かさがある本作は、僕らを照らしながらとてもやさしく人と人とを結ぶだろう。僕はそれがユートピアだとは思わない。

 

(田中喬史)

retweet

MIRRORRING.jpg 4月下旬からの日本ツアーが待ち遠しいGrouperことLiz Harrisと、Sub Pop出身のTiny VipersことJesy Fortinoの、女性二人によるドローン・ユニットが1stアルバムをリリースした。共通点の多い似た者同士によるユニットであり、ソロ名義の二人が好きなリスナーなら、きっと愛聴できるアルバムになる。ギターによる人力アンビエントやドローンなどの音響系から、アコースティック・ギターを爪弾く楽曲まで制作している経験がそれぞれあり、本盤は彼女達の相違点が時に美しく溶け合い、時に主張し合う。まさしくユニットとしてのケミストリーが最大限に引き出された好盤である。

 深くぼやかした滝のようなレイヤーが幾重にも重ねられ、長い楽曲の中盤にさしかかるにつれて、ギターのか細いアルペジオがその水飛沫のように舞い上がる。ホール・リヴァーブをかけた二人のウィスパー・ボイスは幽玄でありながら存在感が明瞭で、ただただ催眠的な持続音が続くわけではない。またTiny Vipersのフォーキーなギターが、楽曲を音響系一辺倒へと流れて行くことを拒んでいて、「ドローンはちょっと...」という方にも聴き心地良く仕立てている。お互いのソング・ライティングが見事に調和した成果を見せつけられた。

 

(楓屋)