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MODESELEKTOR.jpg  ちょっと気持ち悪い赤ちゃんジャケが印象的な前作『Happy Birthday!』で、世界的な評価を獲得したモードセレクターの約4年振りとなるニュー・アルバム、それが『Monkeytown』だ。彼等が立ち上げたレーベル《Monkey Town》からのリリースとなる本作は、モードセレクターのラテラルな音楽性が見事に発揮された良盤となっている。

 『Happy Birthday!』もトム・ヨークとマキシモ・パークが参加するなど2人の独特なフックアップ・センスが光っていたけど、『Monkeytown』においてそのセンスはさらに広がりを見せている。「Pretentious Friends」で力強いラップを披露しているバスドライヴァー(Busdriver)や、「Berlin」でセクシーな歌声を聴かせてくれるミス・プラチナ(Miss Platnum)。《Warp》に所属するPVTや、前作に続いて参加のトム・ヨークなど、これら多彩なゲストを扱う2人の手腕も秀逸だ。

 ベルリン出身らしい硬派な音作りは健在だが、前作まで存在していた中毒性は抑え、よりドラマティックに興奮を繰り返す瞬間芸に比重が置かれているのは、時代を反映させた結果として生まれたのかも。人によってはこの瞬間芸を何度も聴いていると食傷気味になるかも知れないが、『Monkeytown』をキッカケとして、モードセレクターのハイブリットなエレクトロニック・ミュージックが多くの人に聴かれるべきなのは間違いない。

(近藤真弥)

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Banvox.jpg  バンヴォックスが《マルチネ》からリリースした「Intense Electro Disco」は、初期衝動に満ちた素晴らしい作品だ。とにかく"壊したくて"サイレンを鳴らしたケミカル・ブラザーズ、ディストーションで巨大な要塞を築き上げ聴衆を蹂躙したジャスティス、「デカいスピーカーでベース聴こうぜ!」と、ぶっとい低音を快楽的に垂れ流したダブステップなど、本作には過去のダンス・ミュージックの最大瞬間風速がいくつも刻まれている。新しいものが誕生する喜びと興奮が、「Intense Electro Disco」には確実に存在する。


 ダンス・ミュージックはその昔、豊穣を願ったり神様へ祈りを捧げる儀式としての"踊り"であった。それぞれの土地や国が持つ固有のリズムやグルーヴという"らしさ"があったけど、"K-POP"や"J-POP"といった言葉に代表されるように、昨今のポップ・シーンは"らしさ"を強調した音楽が流行っているのに対し、ダンス・ミュージックは"らしさ"や"意味"を排除してきた面もある。例えば世間一般では"エレクトロ"と呼ばれるニュー・エレクトロだって、歴史的に見ればアフリカ・バンバータのような音楽を指す言葉だったからね。こうしたある種の乱暴さが、「ただエスニックな響きの曲をサンプリングして、西洋のビートにくっつけただけの曲は、ほんと音楽として醜悪だよね。それって現代の植民地主義なんじゃないかな」と、イギリスのガーディアン誌で発言したニコラス・ジャーのような面白いアーティストが出てくる要因でもあるが、乱暴な面がダンス・ミュージックにロマンとダイナミズムをもたらしたのは否定できないし、どうしても僕は、このロマンとダイナミズムに惹かれてしまうのだ。

 

 「Intense Electro Disco」を繰り返し聴いてしまうのもだからだと思う。だってさ、ニュー・エレクトロを基本としながらレイヴ、ハピコア、ダブステップ以降のベース・ミュージックまで飲み込んだバンヴォックスの音楽は、ネオンのようにキラキラした"現在(いま)"を力強く表現してるんだから。本能的獰猛さと理性的洗練がハイ・レベルに融合した奇跡的なダンス・ミュージック、強いて言うなら"ミュータント・ベース"と呼べる雑食性をまざまざと見せつける本作は、僕が音楽に求めるものが詰まっている。地球から宇宙全体を掌握するかのようなリーチを錯覚させ、すべての音がクラブへの"憧れ"として鳴っている。

  

 "憧れ"としたのは、彼が高校生だから(ツイッターのプロフにそう書いてました)。おそらく彼は、クラブに行ったことがないと思う。あるとしても、ズルをして深夜のクラブに入るようなことはせず、デイ・イベントなどに行くくらいだと推察できる。だとすれば、完全なDJライクになっていない曲群にも納得がいく。そして、クラブに対する"理想"が本作を特別な作品にしているという僕の直観も当たるのだが...。どうだろう?


 こうして原稿を書かせてもらうようになってから、1年以上になる。おかげさまでいろんな出会いに恵まれなんとかやってきたが、「伝えたい」というモチベーションを喚起させてくれるのは、数多くの作り手たちが作り上げた作品だ。それでも「これは!」という衝撃に遭遇できる機会は少ないが、「Intense Electro Disco」は間違いなく衝撃的だ。こんな出会いがあるから、音楽を聴くのはやめられない。


(近藤真弥)

 

※本作は《マルチネ》のサイトからダウンロードできる。

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  まず、ウィリアム・ブレイクという詩人の「無垢」を幻視者の"それ"として捉えては、何も始まってこない。同じく、作家の芥川龍之介の「歯車」は本当に見えたのかもしれないし、ブレイクの「老いたる無知」への辛辣な言及にこそ、意味があり、「閉ざされた知覚」内での象徴記号の自己/相互分裂の裂け目に無垢はあった。としたら、その裂け目から世界を覗いてみる。それも、ベッドルーム越しに。すると、見えた景色はどうも芳しくない。冬眠でもするしかないか。という訳で、『The Year Of Hibernation』と名付けられたアルバムの邦題は、『冬眠の年』だ(精緻には、"Hibernation"という単語は、休止状態という意味を含む)。しかも、《Fat Possum》というもっとも活発なレーベルの一つに背中を押されて。

 深くリヴァ―ヴがかかった中に、残響する、折れそうなか弱い声。ベッドルーム・シンガーソングライターが静かに音を重ねて紡ぎ上げたヒプナゴジック・ポップのような側面もありながら、チルウェイヴの「波には乗れない(乗ることを考えない)」ハミングするような「Afternoon」という曲を象徴とした、個が抱えた絶対不安下での現実内で、積極的に微かな光のような「夢」を求める一青年のツイート的ロマンティシズムと諦観。

 今年は、コナー・オバースト(ブライト・アイズ)、ベイルート、ケイト・ブッシュ、エド・シーランまで、新旧のシンガーソングライターが世界で新しい音を紡ぎ上げながらも、それぞれがキャリアに関係なく、時代の趨勢を鑑みてのことか、どことなく憤怒と悲哀の間で振れる"慈しみ"に揺れていたのが興味深かったが、この、アメリカはアイダホ出身の23歳の青年トレバー・パワーズによるソロ・プロジェクトのYouth Lagoon(ユース・ラグーン)は、コクトー・ツインズを聴き込んできた、尚且つずっと不安に苛まれた人生をおくってきた、という来し方を差し引いても、「特異」な場所から、自分の声を「世の中」に届けようとする。または、届けようともしていない。何故ならば、シド・バレットの『The Madcap Laughs』やベックの『Stereopathetic Soul Manure』、エリオット・スミス『Either/Or』が持っていた作品に宿る儚さと粗さが「個性」として、柔らかく結実しているからであり、ローファイ/ハイファイで分ける音楽的タームよりも、チープな音の浮遊感の中に「声」も同化させ、景色にさせる―そこで、ループを刻むビート、ふと入る電子音、フックよりも全体としての音像を意識した曲単位の意識よりも、子守唄みたく響く微睡みを優先する漠然とした方向へと舵を切りながら、自己完結のようにシャッターを下ろすサウンドスケープに終始しているからだ。

 この作品をピッチフォークが8.4点を与え、モデスト・マウス、ギャラクシー500の名前を挙げつつ、絶賛するというのは個人的に、分からない。「分からない」というのは、つまり批評というものが遂に「自己完結のシャッターが下りた、サウンドスケープ」にさえ詰めないといけない証左であり、そこで「街」は想像されていないところに、どうにも物悲しさと2011年の温度を感じる。

 曲単位で追っていこう。2曲目の「Cannons」の明るく拓けていくベッドルーム・クワイワに人気が集まっているようだが、タイトルそのままの6曲目の「Daydream」はその割にタイトなサイケデリック・ポップで興味深く、イントロがコリーンの諸作を彷彿とさせる9曲目の「The Hunt」もなかなか良い。しかし、突出したメロディーメイカーという訳ではなく、同時に、音響工作の匠では程良い緩さがあり、その曖昧模糊たる場所において、ヘッドホンで聴くと、まさにL⇔Rに様々な電子音、ビート、歪みが行き交い、浮世から離れたような声が遠くで「鳴っている」。チルウェイヴは、現実「逃避」に立脚していた節があり、その逃避は切実な「現実」を強く認識したが故の強度があり、ムーヴメントではなく、点と点が自然と結び合わさり、仄かに浮かび上がった現象として捉えるならば、ユース・ラグーンの描く音世界はもっと「彼岸」に近い。

 その「彼岸」を「冬眠」と置きかえられるほど、進行形のリアリティに疲弊している人たちには、このアルバムは静かな"空中キャンプ"を促すことだろう。

 哲学者のダニエル・C・デネットは云う。

 自由はちゃんと存在する。勿論のこと、完全な自由などはないが、でも、段段と自由が増してゆく方向に、生物はどんどん進んできた。自由意志はあるし、それは進化論の中でしっかり位置付けられる。そうなると、現代において、進化論の中での自由意志を、退化論への疑惑としての自由意思。そう置き換えても、差異はない。この作品に漂う「自由意思」は、僕は尊重したい。

(松浦達)

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Moomin.jpg  ドイツにおけるディープ・ハウス・リヴァイヴァルは、主にベルリンの《White》や《Aim》、それからハンブルクを拠点とする《Smallville》が興味深い動きをみせている。そして、そのうちのひとつ《Smallville》からデビュー・アルバムをリリースするのが、ムーミンことセバスチャン・ゲンズだ。

 彼は、前述した3つのレーベルからシングルを発表している。まさにシーンを代表するアーティストといえるが、ロマーン・フリューゲル『Fatty Folders』にも通じる、美しい流麗なミニマル・サウンドが『The Story About You』の特徴だ。海の波音からはじまり、徐々にキックがフェード・インしてくる「Doobiest」から「Sundaymoon」まで、ひとつの物語のように曲が紡がれていく。

 また、昨今のソフト・シンセ中心の音作りとは違い、ヴィンテージ機材が持つ個性的な音を巧みに使いこなしているのも素晴らしい。特に606、808、909といったダンス・ミュージックの定番ドラムマシンを使用したシンプルながらも綿密なビートは、4つ打ちが持つ快楽的な心地良さを存分に伝えてくれる。ラスティーのように、あえてソフト・シンセであることを強調したきらびやかなサウンドは、同時代性を含んだ"今"の音として興味深いが、ムーミンのハードにこだわったフェティシズム的サウンドも、抗いがたい魅力を放っている。

 故・中村とうようさんの「時間とは関係なくフレッシュな感銘を与えてくれる音楽こそ"新しい"音楽であり、それが自分にとっての未来なのだ」に従えば、ムーミンの音楽は"新しい"音楽といえる。今までになかったものではないし、むしろ原点回帰な音楽をムーミンは鳴らしているが、作ることを楽しむ姿が刻まれたサウンドは音数の少なさを感じさせず、多面的に感情が表現されている。原点回帰という意味では、USディープ・ハウスを漁り"知識"を得たうえで楽しむのもいいが、それよりも自らの感性を信じ身を任せることで真価を発揮するアルバム、それが『The Story About You』だ。

(近藤真弥)

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I BREAK HORSES.jpg  幻想的なエレクトロ・サウンドから始まり、妖艶で暗く憂い気な多重ヴォーカルが流れてくる。これがスウェーデンの宝石と呼ばれる珠玉のシューゲイズ・バンドだ。20年前のシューゲイザーに比べエレクトロの比率がやや高く、冒頭での曲間が繋がっている演出も音の世界へ更に没頭させてくれる。タイトル・ソング「Hearts」は特に轟音と呼ぶに相応しく、丁度良く心地いい程度にヴォーカルを掻き消すノイズにまみれた大名曲だ。その後もマイブラでもなくジザメリでもない、個性的なシューゲイジングをみせてくれる。何よりこんなにダークなのに高揚感があり恍惚へと導いてくれる、それこそが21世紀に鳴らされるシューゲイザーの良さであり、それが決して下を向いておらず天を仰ぎたくなる気持ちにもなる辺りがときにネオ・シューゲイザーと称される所以だと思われる。そして全体を通して起伏があるのも大変嬉しい。北欧にはただただ同じような曲が並ぶシューゲイザー・バンドがたくさんいるのが実際のところだが、彼らは音や声を重ねて重ねて時折これでもかというほどの盛り上がりを見せてくれており、それなのに終始優しい声で癒される、それはまさに静かなる衝動と言えるだろう。

 基本的にはバンド・スタイルを主としている。つまりエレクトロ・サウンドは入っているもののビートを打っているわけではない。昨今で言う"踊れるロック"というわけでもない。あくまで音の重なり合いのうちの一つの素材として使っているのが面白いところだ。またフィーメール・ヴォーカルに惹かれるリスナーも必聴だろう。力強さは一切ないが、そこが彼らの魅力でもある。実は個人的にはシューゲイザーもフィーメール・ヴォーカルもどちらかといえばあまり好きな方ではないが、それでもここまで彼らの音楽に惹かれる理由はこの作品の完成度の高さと期待をはるかに超えるノイジーなアプローチにあるのだろう。かといってノイズ・ミュージックとは全く違い美しいことこの上ない。そう今はもう、がむしゃらにディストーション・ギターをかき鳴らす時代は終わったのだ。

(吉川裕里子)

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Madegg「Bluu」.jpg  早くもマッドエッグの新作がリリースされた。しかし、これだけのリリースペースを保ちながら、常に新たな視点や試みを見せてくれるのは嬉しい限り。まず驚かされたのはジャケ。これ、ジェームズ・ブレイクの"アレ"じゃないのかな? 「Bluu」のほうがカラフルで素朴な感じがするけど、絶対意識してるよね?

 音のほうは、ビート・メイカーとしてのマッドエッグが前面に出ていて面白い。今までのリリース群から察するに、彼はビートよりも音そのものに強いこだわりを持っていると思っていたが、そのこだわりを保ちつつ、フライング・ロータストキモンスタのような"急進派"とされるヒップホップをマッドエッグなりに解釈したEPとなっている。収録楽曲も2~3分台の曲がほとんどで、聴き手に強い印象を残しながらもあっという間に終わってしまう。だが、この短い尺のなかに詰まった感情や風景は膨大なものだ。アレックス・パターソンの徐々に精神世界へフェード・インしていく緩慢な心地良さも素晴らしいが、瞬間的に「パッ! パッ!」と景色が変わっていくマッドエッグの演出方法もまた素晴らしい。全7曲ゆったりとしたグルーヴながら、次へ移行するスピードはとてつもなく速い。それでも突き放すようなことはせず、聴き手をしっかり掴んで離さない。まるで異世界を案内するコーディネイターのように音が鳴っている。

 このままビート・ミュージックの方向性を突き詰めるのかは不明だが、「Love 2」のようなセクシーなノリを携えた曲を聴くと、ぜひビートにこだわった曲作りをしてほしいと思わずにいられない。玉石混交となっているビート・ミュージックに新たな風を...。その風になれる素質は間違いなくあるんだから、マッドエッグには。

(近藤真弥)

 

※本作はマッドエッグのバンドキャンプからダウンロードできる。

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DJ SHADOW.jpg  まず、異才フーゴ・バルの言葉を孫引いてみよう。

  「1913年の世界と社会はこんな塩梅だった。生は完全に閉じ込められ、枷をはめられていた...日夜問われるもっとも切迫した問いは、こうした状況を終わらせる強さを、なかんずく正気を持った力が何処かにあるだろうか? という問いだった。」(『時代からの逃走』序文より)

 そして、有名な彼の「音声詩」、つまり、「言葉のない詩」とは通常言語を捨てるために、人間の本来的な意識の下で発される「正気を持った力」として言葉を取り戻そうとする試みであり、溢れた言葉の「深奥」を探る為の「詩的魔性」を確認する行為だった。

  「詩的魔性」という意味では、現在、90年代的な音のリヴァイヴァルやその生き残り組の新譜が目立つ中、ロンドンのストリートが燃えた今年になって帰ってきた、「アブストラクト・ヒップホップの先駆者」として、ときに名称もされるDJシャドウの存在は欠かせない。90年代のヒップホップは、例えば、ア・トライブ・コールド・クエストのジャズをネタに取り入れたスムースさ、アウトキャストのアマルガム的な加速、ナズの硬質さなどがパブリック・エネミー以降の視界を変えて行きながらも、USのユース・カルチャーを語る際には「組成/混合としての音楽」のヒップホップを考えないことには、見えないものが多くあった。日本でも、ロック×ダンスのエクレクティズムの波と、ストリート・カルチャー×アート性としてのヒップホップは一部のトライヴのみならず、耳聡いリスナーの五感をフック・アップした。

 その中でも、96年のDJシャドウの『Endtroducing...』の新しさとその後も語り継がれる意義とは、細かく刻まれた美しくも抽象的なビートの上に幽霊のように幾つもの声やサンプリングがジャンプ・カット写法のように切り替えられながらも、通底はメロウな感触に貫かれている、というところだったのかもしれない。また、トリップ・ホップ、チルアウトなどとも緩やかに共振しながらも、その音はベックの『オディレイ』が刷新しただろうセンスの鋭さ、豊潤な音楽の歴史の遺物への敬礼というタームで括ることも出来たが、現在のディプロが行なうようなDJのフロアーに根差した現場感覚とサウンド・センスの絶妙な「間」を縫ったというのも大きかった。それは、アンクル、トマト×アンダーワールドにおけるアート的に且つアンダーグラウンド・カルチャーの水脈を叮嚀に拾い上げ、しっかりとアップ・デイトしてシーンへと掲げたクールネスにも準ずるだろう。DJシャドウのサンプリング、元ネタのヴァイナルの数々、音源にも注目が集まり、そのストイックなステージ・パフォーマンスでも、非常に魅力を持ったアイコンの一人だった。

 彼のその後は、コラボーレーション、リミックス・ワーク、カット・ケミストとの「Brainfreeze」など順当に活動を拡げ、02年のセカンド・ソロ・アルバム『The Private Press』はサンプリングをベースにしている点では、ファーストとほぼ変わらなかったが、その心の中に潜りこむような暗さが増し、内省が強くなっていたところがあったが、この美しい陰翳を愛するリスナーも少なくない。

 問題にはなったのが、何より06年のサード・ソロ・アルバム『The Outsider』であり、大きな賛否両論を生んだ。殆どの曲で客演、ボーカルを迎えたストレートなヒップホップ・アルバム。背景に自身が死を近くに感じたというエピソードがあるにしても、彼のビート・メイクとストイックなセンスを信頼していた人たちからしたら、この「拓け方」には、戸惑いも覚えた人も多かったが、アート性が先立っていて、入り込むことが出来なかった人たちには新しい入り口にもなった。

 そして、10年代、ダブステップ的なサウンド・メイクが基調になり、寧ろ彼の作る音が巡り廻り、求められるのではないか、という中で届けられた新譜『The Less You Know The Better』。簡単に邦訳すれば、「貴方が知らなければ、知らないに越したことがないよ」という諦念とシニックに通底したタイトルになっている。そのタイトル名通り、更に憑き物が落ちたように、明快なヒップホップ・アルバムへと舵を取っている。「Border Crossing」でのハードなギターの響き、PosdnusとTalib Kweliのライムが軽やかにステップする「Stay The Course」、「Sad And Lonely」にはメロウなR&Bの馨りが濃厚に漂う。Tom Vekの参加した「Warning Call」は懐かしい90年代のヒップホップの歴史背景が見え、従来通りのアブストラクト・ビートが冴える「Tedium」、「Enemy Lines」など含め、「10年代の音」として考えるよりも、DJシャドウが長いキャリアを重ねてきた結果、行き着いた場所がこういったバック・トゥ・ベーシックではなく、自分の中に幾つも眠るレコードの束、音楽を並列的に出来る限り絞らず、呈示するということであれば、これは90年代後半に出てきた一人の天才的トラック・メイカーが素のレコード・コレクターたる自分の顔を見せて、フロアーに皆を呼び込むための一通のインビテーション・カードになったのではないだろうか。作品としての纏まりの無さ、統一性のなさ、彼特有の美学の希薄さにフォーカスを当てるよりも、この音を聴いて、現場に足を運ぶことを促すものである。

 だから、もう「詩的魔性」は今の彼にはない。

 しかしながら、これまでの来歴を想えば、良いのかもしれない。

(松浦達)

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RobCrow.jpg  インディー・ロック界のハード・ワーカー、ロブ・クロウの4年振りのソロ・アルバム。実はこのアルバムのリリースが発表されて間もなく、ピンバック(Pinback)の新譜が2012年初頭にリリースされることがアナウンスされており、ファンの多くの関心は、既に来年へと寄せられているに違いない(私もその一人)。しかしながら、あらかじめそんな朗報が流布されてしまうと、どうしてもこのアルバムを色眼鏡に通してしまう。ソロ作品が緩衝材としての役割を担っており、クリエイティビティを滾らせてピンバックの制作に至ったのではないか、とか。このアルバムが"ツナギ"だったらどうしよう、とか。かなり投槍に言ってしまえば、そんな憂慮は余計な気遣いで、迷走も何も無く、本盤でも安定してミニマルなインディー・ロックが鳴らされていることに変わりはない。

 ピンバックに漂う、美しい情景を喚起させるような音色やフレーズ、ポスト・ロックらしさは希薄になっており、本盤はかつてのヘヴィ・ベジタブル期のロブ・クロウを彷彿させる。どちらも大好きな者としては、この方向性へのシフトは大歓迎であろう。ヘヴィ・ベジタブルが一直線ながらも複雑な回転がかけられたボールであるなら、ピンバックは複雑な軌道を描きつつも、最後は素直にミットへ飛び込むボールなのだ。複雑な構成や展開など目の敵にしているかのような潔さが堪らない。

 更に言うなら、ポスト・ロックをドロドロに溶かして、ミニマルの鋳型へ注ぎ込むのが従来のピンバックであるのに対し、本盤はヘヴィ・ベジタブル期の自分自身が、ミニマルの鋳型に注ぎ込まれているような印象である。短い曲がせかせかと立て続けに雪崩れ込んでくる早急さは、まさにピンバック編成で再現されたヘヴィ・ベジタブルである。ピンバックの新作を控えている矢先に、原点回帰(原点でもないけど)のようなアルバムをリリースしてくる辺り、小気味良い捻くれ加減は健在である。

(楓屋)

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GoldPanda.jpg  少し指が触れただけで壊れてしまいそうなほど繊細で、ガラス細工のようなソフィスティケーションが施された上品なグルーヴ。でもそれは、人を寄せ付けない圧倒的なオーラというよりも、聴き手に寄り添う優しさと温もりにあふれている。もちろんフロアで流れてもよさそうなセットリストにはなっているが、家でヘッドフォンを通して向き合う、もしくは大事な誰かと一緒に過ごす時間など、謂わば"日常"に根ざした環境で聴いたほうがしっくりとくる。これはやはり、現実に対するささやかな抵抗として音を鳴らし、独自の世界観を築きあげるゴールド・パンダの音楽性がそう思わせるのだろう。

 彼の音楽は"日常"を匂わせながらも、その"日常"に潜むストレンジな扉を開いた先に存在する"ここではないどこか"を見つめているが、今回の『DJ-Kicks』でも同じ場所を見つめている。ダブステップと2ステップを基本とし、時折テック・ハウスも織り交ぜるなど、DJとして優れたバランス感覚を見せつけながらも、すべての曲から"ゴールド・パンダ"の雰囲気が漂う。不思議なことに、彼の細長い指と手にかかれば、どんな曲もゴールド・パンダの曲になってしまう。この魔法のような感覚が、テクニック以上に『DJ-Kicks』では輝きを放っている。

 DJMIXは、クラブの空気を疑似体験できるのが売りだったりもするが、本作は文字通り"ゴールド・パンダの世界"としか言いようがない、まるでおとぎ話のなかにいるような錯覚に陥ってしまう。アシッドやエクスタシーのトリップとは別のトリップ、強いて言うなら、"ゴールド・パンダ"という新種のドラッグだろう。もちろん本作は音楽であるから、なにかしらの副作用を心配する必要もない。もしあなたが音楽でしかできない時間旅行がお望みなら、ゴールド・パンダによる『DJ-Kicks』を手に取るのもいいだろう。

(近藤真弥)

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Noel Gallagher'sHFB.jpg  ノエル・ギャラガーの1stソロ・アルバムを聴きながらストーン・ローゼズ再結成のニュースを追っていた。オアシスは「Sally Cinnamon」のシンプルなリフに導かれて、バンドとしての方向性を見定めた。"憧れられたい"というメロウな囁きの代わりに"今夜、俺はロックンロール・スターだ!"と高らかに宣言してみせた。そのオアシスも、今はもう存在しない。そしてビーディ・アイとノエルのアルバムが出揃った瞬間にローゼズが復活した。本当に不思議な巡り合わせだと思う。

 記者会見でレニが10数年ぶりに元気な姿を見せ、ジョン・スクワイアが笑っている。マニは正式にプライマル・スクリームからの脱退を告げ、「車輪が外れるまで、走り続けるぜ!」とイアン・ブラウンが宣言する。これから鳴らされるストーン・ローゼズのサウンドは「One Love」のあとに失われた5年間を埋め合わせるものなのか? 『Second Coming』の音像をさらに拡大させるものなのか? それとも...? すべては来年6月にマンチェスターで開催される復活ライヴのあとで明らかになるだろう。

 初めて自分のおこづかいでレコードを買った日から20年以上経つけれど、いま改めて"音楽はタイムレス"だと気付かされることが多い。1991年にクラブチッタ川崎で見たプライマル・スクリームのボビーは最高にセクシーでヘロヘロだった。それを20年後に再体験するなんて、誰が想像できただろう? 「ストーン・ローゼズのマニはプライマル・スクリームに入るんだぜ!」って、当時の自分に話しかけてみたい。きっと信じないだろうな。「話はまだ終わっていないよ。ストーン・ローゼズは2011年の10月に...」。僕は今、目の前で起こっていることが信じられない。

 ストーン・ローゼズが友情を取り戻した。そして僕の手には『Noel Gallagher's High Flying Birds』と名付けられた1枚のCDがある。9月、リアムはビーディ・アイとして日の丸をバックに「Across The Universe」を歌った。僕は最前列でそれを見た。全部、当たり前のことなのかな? 少し上手になったノエルの歌声を聴きながら、僕はそんなことを考えている。

 オアシスのアンセムを書き続けてきたノエルのこと。このアルバムにオアシスの面影を見つけるのも難しいことじゃない。「WonderWall」を彷彿とさせる「If I Had A Gun」、オアシス時代に書き貯めていたと公言されている「(I Wanna Live In A Dream In My) Record Machine」、そして(日本盤ボーナス・トラック2曲を除く)ラストを締めくくるのは「Stop The Clocks」というオアシスのベスト盤と同名の曲だ。それでも、このアルバムは当然のように"ノエル・ギャラガーのアルバム"として僕の耳と心を奪う。ギター、ベース、ドラムス&ヴォーカルというバンド・アンサンブルの束縛から解き放たれた楽曲は、"High Flying Birds"と呼ぶのに相応しく、自由に飛び回っている。冒頭の「Everybody's On The Run」から鳴り響くストリングス、全編を貫くアコースティック・アレンジ、そして切なくも力強いメロディと詩情。アルバム・ジャケットを見れば、ガソリンスタンドの照明という無様に光り輝く羽根を広げながら、一人の男が飛び立とうとしている。

 2011年の今、日本で音楽に興味を持たない人たちは、どんな気持ちで毎日を暮らしているんだろう? ひとつのバンドが解散したり、再結成したりすることに一喜一憂する僕たちをバカみたいだと思っているのかな? 最新の音楽を追い求め、今まで知らなかった過去の曲に感動し、聞き慣れた歌を飽きずに何度も再生している。それは少しでも「今、この瞬間」を良くするためだ。どんな時も音楽は「今」を変える。音楽は歌い、踊り、祝福する。僕はそれを「可能性」と呼びたい。

 ストーン・ローゼズはバンドとしての「今」を取り戻した。オアシスが残した曲は「今」も僕たちの心を奮い立たせる。そしてビーディ・アイに続いて、ノエルのアルバムが「今」から鳴り響こうとしている。

(犬飼一郎)