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Yuck『Yuck』.jpg  輸入盤のリリースから半年近くが経って、やっと日本でもアルバムのリリースが決定したヤック。ケイジャン・ダンス・パーティーのダニエルとマックスが中心となって結成されたニューバンドだが、そこにかつてキレキレのギタープレイを披露していたロビーの姿はない(いまどこで何をしているんだろう?)。サウンドもイギリスの青春バンドから90年代アメリカンインディ志向へ、ガラリと変わった。おそらくダニエルの個人的趣向がより反映されたバンドなのだろう。ボニー"プリンス"ビリーあたりに心酔しているらしいしね、彼は。

 バンドのサウンドを特徴付けているのは、感情ほとばしる粗いギターの中から聴こえてくるくぐもったダニエルのヴォーカル。あるいは絶望の一歩手前で佇んでいるような物悲しいフィーリング。だがこれはけっして彼自身が人生のどん底で苦しむ姿の痛々しさを表現しているわけではないだろう。それはただ彼が憧れて止まない音楽の形であり、基本的に彼はいまも「Amylase」のときと同じお花畑のなかに存在していて、それがカラフルか、モノクロかの違いしかないように思える。そしてその表現のセンスは同世代と比べてやはり飛び抜けている。ソングは実体験がすべてではない。彼が頭のなかで何を想い、何を描いているのか、それが人々にコミットし得るもので、しかもジャストな音さえ鳴らすことができれば、それは天才ということになる。残念ながらケイジャンは「10年に1度のバンド」になることは叶わなかったが、ダニエルはこれから先、自らの価値観を更新し続け、それに相応しい音楽を作り続けていくに違いない。

 とにかくこのヤックというバンドは良い。少なくともわたしのまわりではむしろケイジャンより高い評価を得ているようだ。アルバムはとくに中盤の流れが美しい。個人的ベストソングは「Shook down」。現時点では2011年のベストソングかもしれない。このバンドは長く続けてくれることを祈るばかりです。

(長畑宏明)

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THE WEEKND『Thursday』.jpg  The Weekndが鳴らしているもの。それは、現代の病巣と恐怖を暴き出そうとしている音楽ではないだろうか?

 Doc Mckinney、lllangelo、Abel Tesfayeの3人によるThe Weekndは、前作『House Of Balloons』のリリースで大きな注目を集めるようになったグループだ。ダブステップ以降のビート感覚を滲ませたR&Bが特徴的で、甘い声を持つヴォーカルも魅力的。ほぼすべての曲でラブソングの形態を保っているし、その普遍的とも言えるテーマをBGM的に楽しむことができるポップ・ソングとしてのキャッチーさも兼ね備えている。もちろんこれらの要素は『Thursday』でも健在だ。しかし、いままで挙げてきたメッキの向こう側へ想像力を働かせると、そこには悪意や悲しみといった非常に複雑な感情が渦巻いているのが分かるはず。

 前作よりさらにダークな雰囲気が増した『Thursday』だが、初めて本作を聴いたとき、僕の頭にはLaurent Garnier『Unreasonable Behaviour』がよぎった。11年前に作られたこのアルバムは"恐怖"をテーマにしているけど、当時のガルニエがリリース時のコメントとしてこんな言葉を残している。

「俺は多くの人々の無関心に恐怖を感じる。インターネットはただ欲望の捌け口になっている。何か悪いことが進行しているような気がしてならない。アルバムのタイトルは俺のそんな感情を表しているんだ」

 かなり示唆的な言葉となっているが、『Thursday』は、というかThe Weekndは、ガルニエの予感が進行し具現化していった果てに生まれた存在だと思う。そしてガルニエは闘志を前面に出した表現をしたが、11年後のThe Weekndはメタ的に、リスナーの想像力を求める形で表現している。

 ジャケにも表れているが、『Thursday』に"救い"は存在しない。楽しい週末の始まりであるはずの金曜日の時点で既に泣いている。それは、どれだけ週末にハメを外して遊び狂ったとしても、必ず重苦しい現実がやってくるというのがあまりにも分かりきってしまっているからだろう。だから、週末前の木曜日がカラフルで笑みを浮かべている姿として映し出されているのだ。といっても、その木曜日の姿でさえ、死化粧を施しているように見えてしまうのだが・・・。つまり、『Thursday』はそんな行き場を失った者達の姿をポップ・ミュージックという形で鮮明に描写し告発している。まあ、自分の好みと現実の間の溝に存在する偏差とは別のところで、Tyler, The Creatorや原発問題に対して理解を示す想像力と視点が欠如している者が多い日本において、The Weekndが真剣に受け止められるかは疑問、というのはひねくれ者な僕の個人的な意見に過ぎないけど、少なくとも『Thursday』は、無視すべきでない音楽を鳴らしていることだけは確かだろう。

(近藤真弥)

追記: 『Thursday』は、The Weekndの公式ホームページでダウンロードできる。

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TINARIWEN『Tassili』.jpg  00年代半ばに「砂漠のブルーズ」という言葉が行き来しだしたころ、ロバート・プラントはモロッコやサハラ砂漠に向かうときは、音楽そのものの強さよりも、その音楽が鳴らされている意味そのもの、原始性や祭祀性に言及していた。生命力の強さ、サハラ砂漠で行なわれるフェスティバルを基点とした泥臭いブルーズ的なうねり、そういったものにジャーナリストのみならず、世界中の音楽家も注視していた。

  今回、紹介するティナリウェンはその代表格であり、グローバルに活躍しながらも、現在はマリ北東部のキダルを拠点とする「トゥアレグ」人のグループである。ちなみに、「トゥアレグ」は、北アフリカにアラブ人たちがやってくるその前から住んでいた先住民の一つであり、砂漠を巡る遊牧民である。トム・ヨークやブライアン・イーノも熱愛するその骨太なグルーヴとレベル・ミュージックとしての逞しさは、世界中のフェスティバルやイヴェントにも呼ばれ、今年のフジロックでも圧巻のステージ・パフォーマンスでオーディエンスの心を奪ったのも記憶に新しい。

  07年の『Aman Iman』で、確固たるポジションと音を手に入れ、絶賛を受けた彼らは、原点に帰るように、前作『Imidiwan』では地元のテサリット村の砂漠に機材を持ち込んで、共同生活をしながら、リラックスしたムードで音を固めていった。リーダーのイブラヒムがイニティアヴを取り、書き下ろした曲は伸びやか、且つ、研ぎ澄まされたものであったが、そこで、頭角をあらわしたのが若いアブダラーだった。彼は、グループにアコースティック・ギターを持ち込むことを提案し、ラップ調にトゥアレグの深い歴史を語る術を表象せしめた。骨太で芯の通ったギターのグルーヴに、野性的なボーカル、そこに女声コーラスが合いの手のように絡みながら、パーカッションとリズムはしっかりと地に根付き、突き上げるような躍動感がストイックというよりは、たおやかさとフレンドリーさもあった前作から2年経ち、待望の新作『Tassili』はそのタイトル名通りに、アルジェリア南部の砂漠にあるタッシリ(Tassili)という街でレコーディングがされた。

  今作における劇的な変化といえば、あの重厚なエレキ・ギターが全面的に出ている訳ではない点だろうか。全体的に、アコースティック・ギターとパーカッションによる素朴なアレンジメントが目立つ。サンタナもティナリウェンも称賛していたが、それはあのエレキ・ギターがもたらすグルーヴとボーカル、女声コーラス、パーカッションの化学反応から発されるバイタルな熱さだったとしたならば、ここでのティナリウェンは骨身としての生々しさが砂塵混じりに増幅されて、より身近に響く。Tv On The Radioのトゥンデ・アデベンペ、キップ・マローン、ウィルコのニルス・クライン、ダーティー・ダズン・ブラス・バンドなどの参加も功を奏し、アレンジの幅では過去作の中では一番と言えるかもしれない。

  1曲目の「Imidiwan Ma Tenam」から、隙間の目立つアコースティックなアレンジといつもより抑え目のボーカルやコーラス・ワークに少し驚く人も多いかもしれないが、その分だけ、「間」を活かし、過去の作品群になかったような風通しの良さを得ているのも確かだ。3曲目の「Tenere Taqhim Tossam」での軽やかな響きはこれまでにはなかったものだし、これまでは、どちらかというと「土臭さ」と繰り返されるデモーニッシュな響きが特徴的だったが、今回はよりミニマルにサウンドが絞られ、幾本ものギターのシンプルなフレーズが有機的に絡み合いながら、じわじわと「深み」へと連れてゆくという、初め聴いた印象は地味かもしれないが、聴けば聴くほど新しい発見がある内容になっている。そして、声の「生々しさ」やコーラスの幽玄さも含めて、サイケデリックな要素が一番、強く出ている作品とも言える。ワールド・ミュージックや砂漠のブルーズといった冠詞を越えて、フラットに「ロック」の快作として、良い一枚になった。

  オリエンタリズムには常々、エキゾティックな東洋的な趣味が含まれているが、中でも「砂漠」という呼称に魅かれる作家やアーティストは後を絶たない。例えば、フローベールが砂漠のイメージに視たのは雄大、尽き果てぬ天上への想いであり、元来の自然の持つ強さの中に、果てしない実存と旅の「先」について孤独に思念を紡いだ。今、ティナリウェンは「砂漠のブルーズ」というような名称の下で語るには無理があるくらい、汎的な音楽の豊かさを手に入れた。この作品を通じて、「トゥアレグ」の歴史背景を考えながら、更に、イメージではない、「砂漠」の砂塵を掻き分けながら、鳴る音楽の意味を嚥下してみるのもいいと思う。

(松浦達)

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LUOMO『Plus』.jpg『Convivial』以来約3年振りとなるアルバム『Plus』だが、ちょっと興味深い内容となっている。

 Vladislav Delay名義でのリリースやMoritz Von Oswald Trioへの参加などからも分かるように、フィンランドのサス・リパッティという男はBasic Channel に多大な影響を受けている男だ。同時にメタルを愛聴し、ジャズ・ドラマーとしても活動する多彩な才能の持ち主でもある。そんな彼にとってルオモとは、型に囚われないポップ・ミュージックを追及する場であるようだ。

 前作『Convivial』はロバート・オーウェンスやScissor Sistersのジェイク・シアーズなど個性豊かなアーティストが参加したアルバムで、クリック色を強く打ち出した遊び心溢れるものとなっている。『Plus』でもその遊び心は健在だけど、それがハウスのエロティシズムへと傾いているから面白い。シカゴ・ハウスや80年代エレクトロ・ミュージックを彷彿とさせる音が目立ち(実際シカゴから来たというシカゴ・ボーイズなるデュオがヴォーカリストとして参加している)、インディー寄りのディスコ・ミュージックと共振する要素もある。そこにダブをポップに活用したハイレベルなプロダクションとエロスが絡んでくるのだ。こうして上品さと卑猥な感覚を行き来する『Plus』は、聴く者の五感を文字通り犯していく。

(近藤真弥)

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Soakubeats『Tatsuru Of The Living Dead』.jpg  僕がSoakubeatsの音楽と出会ったのは偶然だった。友人がBandcampに曲をアップしたとのことで、その曲をダウンロードするまでの間適当に同サイト内を検索していたら、Soakubeats『Tatsuru Of The Living Dead』が出てきたというわけだ。すべての曲に「内田樹の...」というタイトルが付けられていることにも驚いたが、音源を聴いてみるとこれまた破壊力満点の曲群に驚かされてしまった。

 ダフステップとグライムに影響を受けたビートが特徴的で、音がむき出しになった状態で聴く者の耳を襲ってくる。プロダクションや音作りには粗さが目立つものの、それ以上の勢いや熱にどうしても惹きつけられてしまう。「内田樹のサタデーナイトフィーバー」を聴いたときは「攻撃的になったゴールド・パンダかな?」と思ったりしたけど、「内田樹の神戸GAL学院大学」では反則すれすれの愉快犯的な荒業を見せてくれる。正直なぜここまで内田樹にこだわっているのか分からないが、ユーモアを滲ませながらも、思わずクスっと笑ってしまう鋭いビートを鳴らせるアーティストはそう多くない。

 どこまでも挑発的で、そこに初期衝動の塊とエネルギーが詰まっている『Tatsuru Of The Living Dead』。これは紛れもない現代のパンクだ。

(近藤真弥)

追記: 『Tatsuru Of The Living Dead』は、こちらのリンクからダウンロードできる。


 

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Tropics『Parodia Flare』.jpg"チルウェイヴ"という言葉が生まれ、多くのリスナーはそこに"現実逃避"を求めた。ウォッシュド・アウトやネオン・インディアンなどが注目を集めるようになり、同時に様々な議論のネタになった。"現実逃避"のみを対象とすれば、『Bon Iver』で「ボン・イヴェールこそが居場所」としたジャスティン・ヴァーノン。"歌声"という聖域を犯しながら、そこに新たなソウルを宿して見せたジェームズ・ブレイクなども"現実逃避"的な音楽を鳴らしている者達だろう。他にもブリアルやアニマル・コレクティブなど、ここ数年で枚挙にいとまがないくらい"現実逃避"的な音楽は生まれ続けてきた。

 僕自身こうした流れをポジティブに捉えている。というのも、従来の逃避、つまり現実に背を向け見て見ぬフリをしてきた逃避とは少し違うものを感じるからだ。様々なものが複雑になりフラット化していくなか、多くのものが見えづらくなってしまった現代において何かしらの仮想敵を前提としたカウンター・カルチャーは形成されにくくなった。それは一見すると敵がいない平穏な世界に見えなくもないが、ご存じの通り世界は閉塞感で窒息死寸前だ。悪くなる一方なのに、その原因が見えてこない。そんな状況で"現実逃避"という手段は前向きでポジティヴな意味合いを纏っていくのは自然であり、希望を残しながら戦うためには必然の流れだった。謂わば"現実逃避"とは、己の中に渦巻く感情や思考などをアーティスト自身にとっても分かりやすく外在化するために都合の良いキーワードであり、そこに内包される音楽は何でもよかったのだ。つまり、現実に対してネガティブ・トランジション(攻→守への切り替え)をするための殻として、"現実逃避"が担ぎ出されたと考えられる。

 そして、22歳のイギリス人マルチ奏者Chris Wardによるトロピクスのアルバム『Parodia Flare』は、次の段階であるポジティブ・トランジション(守→攻への切り替え)への移行を素晴らしい音楽と共に宣言してくれる。レコードショップでは"チルウェイヴ"の棚に並べられるかもしれないが、秘境的な雰囲気と極上のサイケデリアを生み出すと同時に、透明度が高い音像と開放的なユーフォリアが鳴らされている。甘く心地良いメロディが特徴的な「Going Back」「After Visiting」。アズ・ワン「Soul Soul Soul」を想起させる「On The Move」など、叙情的かつトワイライトでムーディーなグルーヴがアルバム全体を覆っている。しかし、カーテンの向こう側で申し訳なさそうに音を鳴らしているのではなく、むしろ聴く者を優しく励ますような親近感が、力強く前向きなエネルギーとなって前面に出ている。往年の《Planet Mu》リスナーも唸らせるアンビエントな電子音に、淡いセピア写真のようなギター・サウンド。管楽器などの生音を上手く調和させているプロダクションも特筆すべき点だろう。USインディー的なチルウェイヴとは違うどこかヨーロッパ的な空気もあるけど、トロピクスは《Planet Mu》が新たなインディー層を取り込む際に間違いなく重要な働きをするはずだ。

 冒頭で説明した意味における"現実逃避"は終わってしまったかもしれない(例えば、"ウォッシュド・アウト『Within And Without』は現実逃避(チルウェイヴ)を終焉させる"みたいな意見も多かった)。しかし、それではあまりにも救いがないように思える。激しさを伴ったものではないものの、ゆっくりと着実に1歩1歩前進していく非常に堅実な「抵抗」とダイナミズムが、『Parodia Flare』には刻まれている。そしてそれは、自分たちのエンパイアを築き上げながらも、現実と融和し和解しようとする新たな「戦う逃避行」の始まりに見えなくもない。『Parodia Flare』とは、そんな希望へと向かうアルバムだ。

 

(近藤真弥)

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Hard-Fi 『Killer Sounds』.jpg  ハード・ファイの日本における評価は低すぎる。何なら世界における評価も低すぎる。彼らはときにアークティックよりも称賛されるべき存在だと個人的には思う。スウィングトップにジーンズ姿で「おれは週末のために生きている」なんてジャストなフレーズを繰り出すリチャードの姿は、カリスマ以外の何物でもない。歌はびっくりこくくらい下手だけど。労働者階級のキッズの代弁者であり、たくましき野心の持ち主である彼らの新作は、スチュアート・プライス(マドンナ、キラーズ)やアラン・モウルダー(マイ・ブラッディ・バレンタイン、ヤー・ヤー・ヤーズ)、グレッグ・カースティン(リリー・アレン)らをプロデューサーに招き入れた意欲作。なかでもスチュアートの起用は意外だった。やはり前二作よりも四つ打ちのリズムとシンセサイザーは目立つが、プロデューサーの色にハード・ファイの個性が圧勝しているので、いままでのファンが困惑の色を浮かべるようなことはあまりなさそう。

 初っ端から「お前はいったい何の役に立っているんだ?」と問いかける「Good For Nothing」がとんでもない。これで今年ナンバー1アンセムのポジションはおそらく最後まで揺らがないだろう。新世代のレベルミュージックと言っても良い。しばらく鳴りを潜めていたと思ったら見事に現代のクラッシュになって帰ってきた。彼らの曲を聴いていると何か行動を起こしてやろうという気になる。そういえばこの前のイギリスで起こった暴動って、何かBGM的なものはあったのかな。別にあんな略奪だらけのクソみたいな暴動に彼らの曲を使ってほしいなんて思わないけどさ。いや、でもあれもティーンの叫びだぜ? モラルがないとか、政治的意図がないとかいうけどさ、ないよねそんなもん。持つような環境じゃないんだから。それで未来がないんだから。ずっと精神的に虐げられて、何の形でも良いから自由を掴みたかったんじゃないかな。そんなキッズの希望になるような音楽を作れるのはコールドプレイじゃなくて、アークティック・モンキーズとかビーディー・アイとかハード・ファイなんだから、もっと彼らをまともな方向に連れて行ってやって欲しい。

 相変わらずアルバムの曲にはコール&レスポンスの要素が満載。ライヴハウスが新作のナンバーで熱狂の渦に包まれるところを一刻も早く目撃したい。一際シンセ色が強い「Love Song」とか盛り上がりそうじゃない。イギリスのキッズも決して希望を失わずに「Good For Nothing」を全力でシンガロングして、自分たちはぜったい「Good For Nothing」な人間になんてなってやるものか、と思ってほしい。ぬるま湯みたいなこの国で育った私がこんなこと書いても1ミリの説得力もないかもしれないが、なぜかわたしもハード・ファイのようなバンドが持つ精神性と共鳴する部分が多いから、最終的にはこういう音楽が勝利を収めるんだ、と思って今日も生きていこうと思う。

(長畑宏明)

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ICEAGE『New Brigade』.jpg  とんでもない新人がデンマークから出てきたので、ここに紹介しておこう。その名はアイスエイジ。屈指のノイズ・レーベルEschoと、デニッシュ・バンドOh No Onoのメンバー2人が運営するTambourhinocerosとの共同リリースとなるデビュー・アルバム『New Brigade』は、国内リリースからわずか数ヶ月でUS、UKへと飛び火した。USではブルックリンの名門《What's Your Rapture?》がディストリビュート、UKではNMEが10点中9点を付けている。

 久し振りに聴いたヴォーカルが隠れるほどの楽器の爆音に圧倒されながら、90年代のUSインディー・ハードコアを思い起こさせる超絶不協和音の轟音に包まれていく。実験音楽的要素ももちろん充分に兼ね備えており、ただのパンクと片付けてしまうのは勿体ない。とは言いながらも最高にパンク精神が詰まった作品であることは間違いのない事実だが。そして同時に、歌詞や歌にはほとんど意味をなさないのだろう、ここにメロディーはほぼ存在しない。仮にあったとしても、それを上手く歌うわけなどない人たちだ。

 以前ロックを完全否定したRadioheadがそのとき『Kid A』で「Ice Age Coming, Throw Me In The Fire」と歌ったのは嫌な偶然だ。氷河期ならぬロック・バンド、アイスエイジがこうして出てきてしまったのだから。そんな彼らは4人全員がまだ10代と非常に若いけれど、曲として、またアルバムとしての完成度の高さからするとそれを感じさせない実力を既に持っているようだ。これはコペンハーゲン、Junior SeniorやMew以来或いはそれをも超える逸材かもしれない。

(吉川裕里子)

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BEIRUT『The Rip Tide』.jpg  クッキーシーンのムックでも執筆されている黒田隆憲さんの『プライベート・スタジオ作曲術』を読んでいる。『プライベート・スタジオ作曲術』は、黒田さんが国内外で活躍するミュージシャンの自宅兼スタジオを訪問して、彼らが音楽と出会ったきっかけから作曲方法、スタジオ機材へのこだわりまでを紹介するという内容。音楽が好きな人なら「この曲は、一体どうやって生まれたのかな?」と一度ならず考えたことがあるはず。

"音楽が生まれる場所を訪ねて"という副題どおりに、ミュージシャンでもある黒田さんがそんな素朴で深い思いをひとりひとりに聞いている。そして、16名のミュージシャンが真摯に答えている。スタジオならではの独特な時間の流れを捉えた写真、"部屋本"としても通用するほどオシャレな装丁。じっくり読むのも良い、パラパラめくるだけでも楽しい、とても素晴らしい一冊だ。僕は『プライベート・スタジオ作曲術』を読みながら、ベイルートの新作『The Rip Tide』を聞いている。

 2007年にリリースされた前作『The Flying Club Cup』がフランスのフォーク・ミュージック(民衆の音楽)からインスパイアされたことは、容易に想像できた。ジャケット・デザイン、ブックレットに収められたセピア色のスナップ、そしてアルバム・タイトルといくつかのショート・ストーリー。フレンチ・ホルンを擁したブラス・バンドの演奏にザック・コンドンの歌声が重なり合い、いにしえのパリの町並みや人々の喧噪を描き出す。デビュー・アルバムもバルカン半島の音楽に影響を受けたものであったように、ベイルート(ザック・コンドン)が鳴らす音楽は、いつでも"異国情緒"にあふれている。それは移動を伴うロード・ムーヴィーというよりも、その土地のゆるやかな時間が流れる短編映画のようだ。

"潮の流れがぶつかり合い、激しい波が起こる"という意味を持つ『The Rip Tide』と名付けられたこの最新作は、今までのように特定可能な"どこか"に影響を受けた音楽ではない。前作で特長的だったオーウェン・パレットによる流麗なストリングス・アレンジは鳴りを潜め、シンプルなバンド編成で奏でられるメロディはいつになく明瞭だ。アーケイド・ファイアやブライト・アイズを彷彿とさせる一面を見せながらも、やはりザック・コンドンはギターを手に取らない。ウクレレを抱え、ピアノに向かい、豊かなメロディを生み出してゆく。特定できる"どこか"から、彼自身が今いるべき"ここ"へ。たっぷり吸収してきた異国の音楽が、ベイルートだけのフォーク/アコースティック・ミュージックとして高らかに鳴り響く。

 ザック・コンドンの生まれ故郷である「Santa Fe」と名付けられた曲はあるけれど、曲名と演奏者のクレジット、そして「East Harlem」の歌詞しか表記されていないブックレットも実に素っ気ない。布張りで製作されたジャケットは、日記帳かフォト・アルバムみたいだ。そこには"目に見えない風景=音楽"だけが収められている。イメージの広がりは、音楽にだけ託されている。

 僕は『プライベート・スタジオ作曲術』という素敵な本のページをめくりながら、ベイルートの不思議なフォーク・ミュージックに耳を傾けている。「この音楽はいつ、どうやって生まれたのかな?」って、いろんな想像をふくらませながら。

 

(犬飼一郎)

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The Rapture『In The Grace Of Your Love』.jpg  ポップ・アルバムとしては良いアルバムだと思う。高揚感に溢れた「Sail Away」や、ピアノ・リフが印象的な超絶キラー・トラック「How Deep Is Your Love?」など、リスナーを楽しませ踊らせる技は匠レベルと言える領域に達している。アルバム全体を通して、緩やかながらもしっかりとしたディスコ・ビートとグルーヴを維持できているのも素晴らしい。しかし、それだけでは物足りないことを隠しようのない事実として告白せざるをえない。

 瞬間的な爆発力の連続で聴く者を文字通り吹っ飛ばした『Echoes』。反復の美学を独自のポップ・センスと掛け合わせ「ハマる」ダンス・ミュージックを披露してみせた『Pieces Of The People We Love』。この2枚の名盤には、あくまでポップに鳴らしより多くのリスナーへ届けようとする姿勢と共に、音楽シーンに対するポスト・パンク的なささくれ立った批評精神が混在し貫かれていた。この姿勢と批評精神こそが、ゼロ年代を通じて音楽から歴史性が消失しフラット化が進行していくなかでザ・ラプチャーをオルタナティヴな存在たらしめていた。

『In The Grace Of Your Love』においてポップ・センスはより広がりを見せ、安定感や風格といったものも醸し出している。ダンス・ミュージックに対する愛情も相変わらずだし、クンビアを取り入れるなど時代に対する嗅覚も衰えていない。しかし、過去2作にあったクリエイティヴィティー、つまり、何か新しい音楽を生み出そうとする開拓意識とは程遠いところに、『In The Grace Of Your Love』は存在する。6年近く待たされた結果がこれならば、正直僕はがっかりだ。本作が「ザ・ラプチャーに対してリスナーが求めている音」だと言うならばそれまでかもしれない。でもそれが、ザ・ラプチャーでなければいけない明確な理由はどこにもないように思える。彼ら自身本当にこれで満足してしまったのだろうか?

(近藤真弥)