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Fountains Of Wayne.jpg  ああ、これはすごく良い。前作はパワーポップの「パワー」の部分が強くて、それも従来とは違う曲の魅力を引き立たせていたからすごく好きだったんですが、今作はセカンドみたいな雰囲気ですごくいまの気分にフィットしました。そういう意味ではパワーポップの「ポップ」の部分が強いアルバムかもしれません。でもつくづく良い曲を書くバンドだな、と感じ入ってしまいました。けっして地味にコツコツと、というタイプのバンドではないと思います。サードでは「Mexican Wine」や「Stacy's Mom」などのアンセムもバリバリ書いていたし、ただの良質なパワーポップバンドとは一線を画したポジションにいるバンドですよね。そして今作はもう一度自分たちの足元をきっちり見た、という印象が強いです。

 最初は勢いよく「The Summer Place」でスタート。思わず笑みがこぼれてしまいました。そのあとの「Richie And Ruben」がすっごく好きです。これがセカンドとか、あるいはサードの「Hey Julie」みたいな雰囲気で、一番好きなFOWがまたここに戻ってきたんだ、という感じがしました。4曲目の「Someone's Gonna Break Your Heart」や11曲目の「Radio Bar」も新しいフェイバリットになりそうです。彼らは私にとってアメリカに望むすべてのことを叶えてくれる存在です。夏に心地よい風が吹いて、笑顔がキュートな娘(ときにそのお母さん)と恋をして、世界で一番美しい夕暮れがあって、というようなイメージです。もちろんそうじゃない部分も評価するべきなのでしょうが、彼らはやはりアメリカの宝だと思います。アイドルとか他のポップバンドのために惜しげもなく曲を書いてあげるアダムも大好きです。このくらいのペースで良いからまだまだアルバムを作ってください。2011年に最高のプレゼントをありがとう。

(長畑宏明)

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Acid Relief.jpg  このアシッド・コンピは同時に、東アフリカにおける飢餓の危機に対する救援活動資金を集めるためのチャリティー・コンピでもある。参加アーティストもLFOにBen Simsなど、実に豪華な面々が揃っている。

  9月1日にリリースされたこのコンピは、冒頭で述べたようにアシッド・サウンドを基調としながらも、ミニマル・テクノやエレクトロな曲もあったりと、バラエティ豊かな興味深い内容となっている。約1年前Paul Mac自身がSoundcloudに上げていた「Acid Jam」、プロモ盤として出回っていたBen Sims「Barrow Boy Acid」など、正直純粋な新曲とは呼べないものも収録されてはいるが、確かな実力を持ったアーティストが参加しているだけに、アシッド好きにとっては豪華オールスターアルバムとしても楽しめるはずだ。

 アルバムを最初から最後まで聴いていると頭がおかしくなって今にも発狂しそうな気がしないでもないが、それこそアシッド・サウンドの真骨頂と言えるものだし、そもそも「アシッドで人助けしよう!」という心意気が最高じゃないか! しかもこれは音楽のアシッドであって、ドラッグではないしね。

(近藤真弥)

追記: 寄付はJustgivingのサイトから、アルバムはこちらのサイトからダウンロードできる。

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The Sunshine Factory『Sugar』.jpg  ハハハハハ! こりゃ笑いが止まらない。だって、骨の髄までマイ・ブラッディ・ヴァレンタインとジーザス・アンド・メリーチェインの因子が染み込んでいるから。

 英マンチェスターを拠点とするネットレーベル《BFW》からリリースされた『Sugar』は、どこまでも美しく壮大で、爽快な青空が頭に浮かぶ非常に風通しの良い甘酸っぱいアルバムとなっている。どこかマッドチェスターを想起させるビートに、『This My Truth Tell Me Yours』期のマニック・ストリート・プリーチャーズ的なメロディとギター・サウンドなど、90年代UKロックの多大な影響を窺わせるのも特徴的だ(これでアラバマ州を拠点としているのだから、ほんとに面白い)。特に「Twisted And Clover」は、イギリスのロックへ向けたオマージュに聞こえなくもない。この優れた編集能力を独自の創造性に繋げる術を身に付ければもっと面白いバンドになりそうだが、ドライヴしていくようなカッコいいグルーヴは一聴の価値あり。

 しかし、今年リリースされたフィンランド出身のShine2009による『Realism』などもそうだが、マンチェスター以外の土地から古のマンチェスター・サウンドの要素を取り入れた音楽が次々と誕生しているのはすごく興味深い。ダンスフロアでは90年代回帰の潮流があったりするけど、それに関係する流れなのか、はたまた別の何かなのか...。気になる。

(近藤真弥)

追記: 『Sugar』は《BFW》のサイトからダウンロードできる。

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OrgaYou.jpg  この『Homely』を聴いて感じるものは、何故かジャック・フィニィの『盗まれた街』の読後感だった。クラシックSFなので、周知の方も多いだろうが、アメリカの田舎の町で、自分の親や知り合いを「彼らは本人ではない」と言いだす住民が増え始める。そういった状況に対して、主人公である医者とその愛人は、調べてゆく中で人間に豆の莢(さや)のようなものを見つける。これ(異星人)が人間を「侵略」し、その人間に「取って代わっている」ということが分かってから、少しずつ現実が軋み始める。

「よく見知った」人たちが「全く違う誰か(異星人)」になってゆく過程内で、誰が脳を侵略されているのか分からないまま、で、芝居かリアルか分からない境界線が曖昧になったままで、他者への不信と恐怖が主人公たちを心理的に追い込み、愈よ"となりの町(ここではない、どこか)"へと逃げだそうとする際に、見知った街の「知人たち」が大勢で追跡してくるというラスト・シーンで「沸点」を迎えながらも、後を引く皮膚感覚がある。こういう侵略を隠喩に置くとして、それまで「そう」と思っていたものが「そう、ではないこと」、「そう、と演じられていたこと」に向き合い始め、人間が認識の閾値を切り替えるとき、心理的な恐慌が静かに沸き立つ。何故ならば、そもそも自分としての誰かは、いつも自分で、自分のことを知っている「つもり」になっている訳で、その前提条件を規律や方策、ときに法律、暗黙の積み重ね、書面、絆、などの様々な可視・不可視的な要素と因子で「確認」しては、追認する。しかし、自身のことを想おうとするほどに、いつの間にか他者との「関係性」の曖昧さを綴っていることになる。

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 自分というものが、元来、他者との比較においてしか芽生えないということはラカンに指摘されずとも、その「知っている」という自分の中での取り決めごとが病的なレヴェルではない、緩やかな「かもしれない」に浸食されてゆくとき、静かに視界・認識が歪む。その歪みを『盗まれた街』のようなSF的な怖さではなく、サイケデリックな現実の"その隣"として、オウガ・ユー・アスホールはこれまでも柔らかく描写し、聴き手側の固定観念のバランスを仄かに崩してきた。

 前作にあたる昨年のミニ・アルバム「浮かれている人」での、デモーニッシュ且つ独特の"揺れ"と言語感覚は多くの人たちの切実なリアリティをカラフルに屈曲させた。奇妙なコーラス・ワークに乗っての《次のイメージを出来ない 怖さの方によって 進んだ その先を選び分けるんだろ 伝わる物陰で 曖昧な日を過ごして 潜った その先を書き替えて立ってたよ》(「タンカティーラ」)というように、街を「盗んでしまう」センスは極まっていたが、今作では、サイケデリックなバランスや柔らかいAOR調の曲や後期フィッシュマンズのような彼岸のような洗練されたリズム、ダヴィーなサウンド、ゆらゆら帝国が最後に見せていた「引きの美学」にミニマルなビートが反復されるようなものなど、よりサウンド・ヴァリエーションは増えながらも、締まったストイックな印象を受ける内容に帰着している。

 ムーディーで洗練された展開さえを見せる9曲の音世界はまるで、都会のカフェで流れていても、現代のシティーポップスとして収められても違和がないくらいスムースな質感もあるがそれでも、日本のロック・ポップスに必ずといっていいくらい仕掛けられている分かり易いフック・ラインがほぼない、という点からして、シームレスに9曲が繋がっている空気感があり、その空気感も、昨今のトレンドのハイファイでクッキリ輪郭の立った音ではないところも興味深い。強いて言うならば、2曲目の「ロープ」が象徴するように、カンやファウスト辺りのクラウトロックの影響が伺える曲もいいが、女声ナレーションで始まる3曲目の「フェンスのある家」、4曲目の「ライフワーク」のAORやイージーリスニング的な舵取りを途中で、静謐な過激さで微妙に音像を変成させてしまうポイントが今作の肝かもしれない。

 なお、触れておくと、このアルバムのレコーディングに入ってから、ベースの平出氏がバンドを脱退しており(1曲では、彼名義のベースがあるが、他はギターの馬渕氏がベースを弾いている)、前作と同じく彼らの長野の地元スタジオで録音されている。インタビューでは、ギター/ヴォーカルの出戸氏は飄然と、「居心地の良さと悲惨な感じの同居を目指した」、「確実に何かが朽ち果てていっている感じ、それを更に俯瞰で見ていながらも、その朽ち果てている中に自分も居るシリアスさもある」というようなことを言っているとおり、実のところ、今までの彼らのキャリアを振り返ってみると相当、異色性をおぼえる人も居ると思うくらい、「捉えづらさが明確化している」内容にもなっている。決して、前ミニ・アルバムの『浮かれている人』との地続きの感覚はない。今回のアルバムの曲は、3月の震災前に書かれたようだが、震災後、数箇月経ち、問題は山積していながらも、フラットに仄暗く日常は進んでいる。

 そのような「日常」に近接しているところが大きくあり、これまで、非日常への近道を探すことで日常からの遠回りを見せていた彼らの世界観が淡いファンタジーやエスケーピズムへ機能していたと言えるとしたなら、『Homely』における"揺れ"は、より日常の内側で籠る熱が圧縮されている気さえおぼえる。

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 つねづね、ビルト・トゥ・スピル、モデスト・マウスやアニマル・コレクティヴなどUSインディに目配せし、シンクロ(共振)してきた彼らのことだから、昨今の一つの潮流であるチルウェイヴへの意識も少しは含まれているのかもしれないが、決してこれは、代名詞的な"ヒプナゴジック・ポップ"ではなく、バンドとしての一体感と人力のリズム、グルーヴに拘ったものでもあり、その気骨こそが彼らをより先へとフロート・オンさせてゆく逞しさを感じる。

 派手な意匠がない分だけ、賛否両論を分けそうな作品になったが、オウガ・ユー・アスホールというバンドがますますオンリーワンであり、オルタナティヴな存在だということを示した意味で、僕は積極的に評価したい。

《やわらかい所に 埋まっていくように 注がれていった このままでいたいな 変わらない所に 集っていくように 囲まれていった このまま横になるよ》(「ライフワーク」)

(松浦達)

 

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FlenchFilms.jpg 英米で生まれたムーブメントを独自の解釈で鳴らす北欧のバンドは多い。90年代には、最北のパワーポップとでも言うべきザ・ワナダイズがいたし、近年は、ザ・ブライツのレヴューでも触れたネオアコ新世代のザ・ソネッツやノーザン・ポートレイト、シューゲイザー勢からはザ・レディオ・デプトが昨年『Clinging To A Scheme』をリリースし、それまでの(北欧という)異郷からの轟音という枠組みを脱し見事に時代性とリンクした音像を鳴らしたことも記憶に新しい。

 そして特に昨年、ザ・ドラムスなどの登場により活況だった米国の新世代サーフィン・ムードに呼応するように現れたのが、このフレンチ・フィルムズだ。直訳すると「フランス映画」というバンド名であるが、彼らの出身はフィンランドの首都ヘルシンキ。フィンランドと言えば、ムーミンだったり、サンタクロースだったりと、まったりとした雰囲気の印象を持たれやすいが、ミュージック・シーンだけみると、他の北欧4国より大きなアーティストが現れていない印象があるだろう(事実、クッキーシーンが2007年に刊行した『北欧POP MAP アイスランド、ノルウェイ、デンマーク、フィンランド編』でも、別枠のスウェーデンを除いても他の3国より明らかに取り上げられているアーティストの数も少なかった)。

 さて、このフレンチ・フィルムズ。一聴したところ、やはり先に挙げたドラムスのフィンランド・ヴァージョンというような印象を受ける。「Golden Sea」や「Convict」などを聴くと、シンプルなコードと軽快なリズムにコーラス、ローがきいた野太いヴォーカルが、ドラムスを想起せずにはいられない。アルバム全体を覆う雰囲気もUSインディのサーフィン・ムードに共振するような快活なものになっている。もちろんそれらのUSインディ勢が影響を受けた'80sのUKの雰囲気も取り入れられており、のっぺりした哀愁漂うヴォーカルはモリッシーっぽいし、ジャングリーなコード感はオレンジ・ジュースを思わせる。

 ここまでだと、ドラムスなどのアーティストと何の違いがあるの?と思われてしまうかも知れないが、そういったアーティストが鳴らす海が、陽光が降り注ぎたじろぎながらもサーフィンしたくなるようなものであるのに対して、彼らフレンチ・フィルムズの海はどこか田舎のノスタルジックな憂愁漂う感傷的なものであることだろう。秋を迎え郷里に帰ってきた時に、ふと立ち寄った海とでも言うような、センチメンタルで内省的なものであることはUSインディ勢が飛び込んだ海とは決定的に異なっている。海を目指しずんずん突き進んで鳴らされた高揚と言うよりは、『海へ行くつもりじゃなかった』のに、辿り着いてしまった海で途方に暮れながら鳴らした哀愁という感じだろうか。

 これは、彼らにとって慣れた海がカリフォルニアや東海岸のそれではなく、北欧の寒々しい海であることも(無意識にせよ)たぶんに影響していることも考えられるし、フェイバリットとしてザ・キュアーを挙げていることからもそういった内向きの感性を獲得したのかも知れない。

 同じ海を同じ時代に歌っても彼らのそれは、感傷を隠し切れていない。むしろ過度に英米を意識せずに自らの海を見つめ続け、フィンランドの海と言えばフレンチ・フィルムズというような存在になってほしいものだ。ヘルシンキのビーチ・サイドより現れたこの若者たちがフィンランドの顔になれることを願わんばかりである。

(青野圭祐)

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James Blake.jpg『James Blake』のレビューで僕は、"これはダブステップ・アルバムではない / 良い曲が詰まったSSWアルバムに過ぎない"と書いた。今でもそう思っているし、アルバムを聴いてまず最初に来るのは、「良い曲がたくさんある」という感想だ。しかし、ベース・ミュージックやゴスペルなど多様な音楽をダークなメランコリアへと落とし込んだ『James Blake』ですら、ジェームズ・ブレイクという青年が持っている数多くの側面でしかなかった。

 結論から言ってしまえば、「Order / Pan」は音楽的ではない。そして、「音」からも逸脱しかねない極限にまで削ぎ落とされた極めて空気的なものとして存在している。すべてが不安定な綱渡りのように鳴らされ、今にも転げ落ちそうフリーケンシーが頭の中を駆け巡る「Order」。「Pan」はまだ分かりやすいかもしれない。メロディー的なタムと、かろうじで曲を彩るリバーブ層が地を這うベースラインと絶妙に絡み合っている。

 無機質で冷やかとも言える音作りはしかし、異常なほどエモーショナルで破壊的ですらある。それらがいざなってくれるのは、死と隣り合わせの陶酔に近いダウナーかつ心地良いサイケデリアな境地だ。本作がリリースされてから僕は何度もリピートしているけど、聴いていない時でさえ、「Order / Pan」による醒めない夢の中にいるような感覚に陥る。天井はひっくり返り、周りの景色はどんどん捻じれてゆく。それは強烈な吐き気のようなものと言えなくもない。とことん美しく快楽的で、同時にマッド・サイエンティストなプレッシャーとサディズムが襲ってくるのだ。文字通り、ジェームズ・ブレイクは狂っている。

(近藤真弥)

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Sebastian.jpg  現今、相互連関する諸要素を複合関係的に組み立てているといえる動向の総体について考えないと、相互の「個」さえも曖昧になってしまう。それが例えば、ベルタランフィの云う「システムに則った上で、思考する」という行為性に帰納するとしたならば、閉鎖されたシステム内で増えないエントロピーの問題は棚上げされてもくる。増大しないでも、そう、もはや既にコアな音楽フリーク以外にも真摯なビートメイカーとして、ジェームズ・ブレイクはしっかりと認識され、チルアウト、チャーチ・ソングの水脈の中にボン・イヴェールが世界の福音と把握される中、その両者が組んだ曲「Fall Creek Boys Choir」が2011年の基調低音になったのだろうか、という問いを一つの岐路に置くのも正しいとは思う。例えば、僕が今夏に居たUKのロンドンでふと寄ったクラブで流れていた90年代後半のようなプロディジーやプロペラヘッズのようなバキバキのエレクトロ・サウンドやプログレッシヴなハウス・サウンド、はたまた、低音の響くゴシックでダークな翳りを帯びたビート・ミュージックは明らかに「それ」の周縁を巡ってもいた。寧ろ、ウィッチ・ハウス、ホーンテッド・ハウスや、旧くはドラムンベース、トリップホップへと帰着する仄暗さとストレンジネスがあり、そこにバラム・アカヴやホーリー・アザー辺りのアーティストの新しい音が着実に「オン」になりながらも、明らかに待望されているような温度も感じたのは事実だ。そして、周知の通り、じわじわとまるでリスナーの反応や飢餓感を試すように公開されてきているジャスティスの「新しい音」はそのままの新しさよりも、「即効性」にリスナー・サイドの文脈がスライドされているとしたならば、ネクスト・ダブステップ、ベースメント・ミュージックに混合してくる要素で重要なものはベーシックなリズムへの意識の高さに回帰するのかもしれない、と夢想さえできる。

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 挿話になるが、00年代の端境期に、ネプチューンズやティンバランドといったプロデュース・ワークでケリスやブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバレイクといったイコンたちのサウンドや声を変曲させながらも、ビルボードのトップに滑り込ませていたときの「メインストリーム」の奇妙さと躍動感と対比して、今のレディ・ガガが一時期のマドンナが持っていた全能性を纏い、一手に担う80年代的なエレクトロ・ポップと過度なヴィジュアル・イメージの「終末観」に峻厳なものを見出している人たちはカウンターとして、インディーの更に、暗闇に向かう、ということなのか、もしくはコールドプレイのようなビッグネスへと向かうのか、考えてみると、「どちらでもない」という気もする。

 世界的な金融情勢の切詰まりやロンドンでの暴動、などの諸事がカット・アップで入ってくるニュース越しに、BGMではなく、基底としてフィットしてきそうな音として、今年のセバスチャン(Sebastian)のいささか遅すぎたかもしれないデビューアルバムである『Total』がじわじわと目映さを放つ。

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 《エド・バンガー》の乱暴な優等生、フレンチ・エレクトロの俊英として、05年のEP『Smoking Kills?』、『H.A.L.』、06年の『Ross Ross Ross』からダフト・パンクやクラクソンズなどの秀逸なリミックス・ワークを経て、そのままシーンの「真ん中」まで突っ走ることができたはずなのに、彼はそうせずに地道なDJワークをこなすことなどで少しずつ名を売っていった。

 そこで、満を持して届けられた今作『Total』は驚くほどに、バラエティに富んだ内容になった。

 メイヤー・ホーソンがフィーチャリングされたポップでバウンシーな「Love In Motion」や電子音の面白さや星が降るようなシンセに耳が奪われるが、形式としてはスマートでアーバンなR&Bで、ロマンティックさも溢れている。「Arabest」においては、80年代的なハウスのユーフォリアにも目配せされており、煌びやかだ。そこに、フロアヒットとなった過去曲の「Ross Ross Ross」などのビートが立ったマッシヴなものも混ざり合いながらも、複雑怪奇な音空間が生成されている。

 と、容易に纏められる内容にはなっている訳でもなく、多種多様な音がスキゾに詰め込まれているところも含めて、どうにも「今」の音だといえる。フル・アルバムを出すのが遅すぎたアフィと比すると、同じ轍を踏んでいるところを彼の場合も感じる。ただ、昨年と今年では、シーンがより内向きになったと見ると、この『Total』はそのジェット・ラグを含めて、今年を象徴する一枚と言ってもいいだろう。なお、"《エド・バンガー》のダークサイド"とまで言われた彼が、2011年のムードの中では非常に健康的に現前しているのが頼もしくもある。全体を通じて、比較されがちなジャスティスに少し足りなかったと思えるセクシーさがあるのもいいし、クラブでもパブでもラジオ・フレンドリーでもあるほど、心地良い息遣いも混ざっており、目玉の一つでもあるM.I.A. がフィーチャーされた不穏で呪術的なヒップホップ「C.T.F.O.」もクオリティが高い。しかし、なにより、全体を通じて貫かれる彼のビート・メイキング越しの暗渠を見つめる美意識内に詰め込まれた様々なカット・アップ、ノイズ、変拍子、ふと混じるエレガントなダンス・ビートの先に、彼の現在のフロア、ビート・ミュージックへの隔靴掻痒たる疑義が提出されているという真摯さに、個人的に胸が疼く。

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 鮮やかなデビューから6年で辿り着いたフル・アルバムと時代がシンクロ(同期)したと鑑みると、セバスチャンはようやく「始まった」のだろうか。そして、無論のこと、彼はカウンターのままで終わらない。オルタナティヴに「未来の真ん中」を切り拓いてゆくビートメイカーとしての道を進む。快作になったと思う。

(松浦達)

 

 

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Sgt.jpg  彼らには鳴らすべき音がわかっていたんだと思う。研ぎすませた演奏と楽曲があれば、何度でもその音に命を吹き込んで、大勢の感性を揺さぶり得ることを確信していたんだろう。フルアルバムとしては前々作『Stylus Fantastics』から3年、待望の新作がリリースされた。予想外の展開とかっこ良さに狂喜。そのクオリティーの高さがハンパじゃないことに、ファンならずともそろそろ気付くべきだ。しかしこのアルバムは、ある意味トリッキーかつホットな音で埋めつくされている。ダイナミックな破壊力、緻密かつ完璧なアンサンブル、そしてどこまでも美しいバイオリン。恐ろしいぐらいにアイデア満載で刺激の塊。最初は一瞬、そのスリリングさに腰が引けそうになるが、一度耳に馴染んでしまえばもうヤミツキ。レーベルメイトでもあるUhnellysのKimを迎えた、バンド初の試みであるボーカル曲もかなり、ハマる。

(粂田直子)

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When Saints Go Machine『Konkylie』(!K7).jpg  この作品は一聴しただけでは魅力がわかりづらい異色作となっている。デンマーク出身のエレクトロ・グループの2作目となるフル・アルバムだ。本作に限って言えば、まずエレクトロであり、ヴォーカルがしっかりしている、そして全体的にスロー・テンポなのが特徴だ。以前からこのバンドのことを知っている方には大変意外かもしれない。これまでエレクトロ音に合わせて生ヴァイオリンを入れるなど独特のアプローチをしてきたからだ。そんなファースト・アルバムはEMI Denmarkからリリースされており、よりバンド・サウンドに近い面を持っていた。ところが一変した今回の《!K7》からの最新作、これは"北欧エレクトロニカ"と称していいだろう。だがビートや低音は非常に軽く、曲調もときにレトロだったり新しかったり、様々だ。そして1曲1曲がきっちり分かれているのもエレクトロニカ・レーベルからのリリースものとしては比較的珍しい類いに入るかもしれない。ファースト・アルバムも名作だったため、ある意味自分たちを超えるための試行錯誤の上での実験的作品とも言えよう。

  そんな今作はタイトル曲「Konkylie」(ドイツ語で「巻き貝」の意)からゆっくりと始まっていく。特徴的なメイル・ヴォーカルが幻想的な音楽に乗せて響きわたる。続く「Church And Law」でもヴォーカルを強調させながら、その裏で鳴っているエレクトロ音の不協和音が聴く者を彼らのワールドに引き込むように煽っていくのだ。そして大胆なシンセ・アプローチ。それでもどこか寂しげで憂い気なのは北欧ならではだろう。「Parix」では少しキャッチーなポップ要素を取り入れ、「Chestnut」では唯一シングルにもなり得そうな曲らしい曲を奏で、「The Same Scissors」では感動的なアンビエントとダーク・エレクトロニカを鳴らし、かと思ったら「Jets」で民族音楽のようなリズム・セッションを見せてくる。アルバムも後半に差し掛かり、「Kelly」では80年代のエレポップやニュー・ウェイヴを思わせる異色のサウンドを、そして「On The Move」ではエレクトロ・バラードを、更に何とも暗く妖艶な「Whoever Made You Stand Still」が始まり、ラストは「Add Ends」。メイル・ヴォーカルから始まり徐々にエレクトロ音とヴァイオリンが追加され、不思議なコード進行が盛り上がりも最高潮へと持っていく。そして最後は驚きの...! 聴けば聴くほどに味がしみ込む大傑作の予感。

(吉川裕里子)

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Nerdstep Commune.jpg  もし「ポップス」というものが、その時の最先端とされる感性と技術の集合体とするならば、『Nerdstep Commune』は間違いなくポップス・アルバムだ。

『Haruta EP』のリリースが話題になった《Lowfer Records》のニュー・リリース。それが『Nerdstep Commune』となるわけだが、本作はアニメやゲームのテーマ曲をダブステップ・ドラムンベースリミックスした楽曲を集めたアルバムとなっている。「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」「魔法少女まどか☆マギカ」。それから個人的にグッときた「チョコボの不思議なダンジョン」など、実に様々なものが取り上げられているが、そのなかでも、『Haruta EP』収録の「Miss Pararel World (Loco Edit vvotaro retouch)」的なハチャメチャ路線を引き継いだ「Rock Over Japan(Glitch edit)」は、かなり強烈。ちなみに、この楽曲の元ネタは「輪るピングドラム」というアニメで、もちろん「生存戦略~」も聴ける。「Connect」のリミックスでは、The Lowbrowsのリミックスなどで知られるKan Takahikoが参加しているのも驚きだ。

 一般公募という形で楽曲を募集したそうだが、『Haruta EP』よりも統一感がある印象だ。レイヴィーかつヘヴィーな曲が多くそろっているけど、『Haruta EP』と比べてバラエティさに欠けるのが、ちと微妙。しかし、楽曲そのもののクオリティは相変わらず高いし、フロアで鳴ればアンセムになることが容易に想像できる。

 アニメ、ゲーム、ベース・ミュージック。他にもクラブや萌えなど、言い出したらキリがないくらい多くの感性や文化が交差している。その交差地点では、日本でしか生まれえないものが生成されている。それは文字通り、「日本の音楽」と言えるものだろう。

(近藤真弥)

 

追記: 『Nerdstep Commune』は、Lowfer Recordsのホームページで無料ダウンロードできる。