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 2011年に入ってここまで夢中になって聴いたアルバムは、いまのところテニスの『Cape Dory』だけだ。60年代のオールライトな空気と、いまのUSインディのハンドメイドな感触と、グラスゴーっぽい温もりのあるメロディがすべて見事に融合して、この『Cape Dory』というアルバムにはパッキングされている。全曲にシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss me」なみの甘酸っぱさがあって、愛せずにはいられない。ちなみにデンバー出身だって。360日中300日が晴天なんだって。ビーチ・ハウスの『Teen Dream』が天上の音楽だとしたら、Tennisは夕暮れ時の砂浜で永遠にかけていたくなる音楽。問答無用の傑作です。

 音楽的要素だけなら目新しいものはないなーとか思うでしょ。普通に良さそうだけどなーとか思うでしょ。だけどテニスはほとんどのバンドが手にできなかった特別な空間をアルバムのなかに作り出したのです。心の底から大絶賛したいです。

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 凄い。やっぱりエイジアン・ダブ・ファウンデイションは凄い。結成が93年だから今年で18年目になるわけだけど、UKエイジアンとしてのアイデンティティを維持しながら、ここまで世界を刺激し続けることができる存在もなかなか居ない。93年にジャングルという当時の最先端にアプローチしながらシーンに現れたエイジアン・ダブ・ファウンデイションだが、『A History Of Now』でもグライムやダブステップのエッセンスを巧みに取り込んでいて、持ち味のひとつである咀嚼の上手さは微塵も衰えてはいない。しかも作品を重ねるごとに大人の余裕というか、説教臭くならずに主張を伝える術にも磨きがかかっている印象だ。かつての、エゴが前面に出ていたエイジアン・ダブ・ファウンデイションの姿はここにはない。代わりに、見つめるべき問題にしっかり指を指しながら対話を求める姿が窺える。

 銃声みたいな音がした後に「俺は銃を持っている。死にたくなきゃ従うんだ」と言われたら、みんな従うのだろうか? 誰かが「銃を見た」と言ったら、その銃は存在すると思ってしまうのだろうか? しかし、その従う者や存在すると信じている人達は、実際に銃を見たのだろうか? 存在するとしたら、自分の目で確かめろよ。そしてもしその銃があったら、どうすりゃいいか考えようぜ。と、少々乱暴な例えになってしまったけど、今作でエイジアン・ダブ・ファウンデイションが言いたいことは、「自分の目で見つめ、考えて生きろよ」ということ。結構当たり前のように聞こえるかも知れないけど、現代を生きる人でこうした生き方を実践出来ている人は少ないと思う。もし実践出来ている人が多かったら、民主党政権がここまで続くことはなかった...なんてね。でも、情報に脚色を加え、良くも悪くも情報を扱っていたはずの我々が、いつの間にか情報によって逆に脚色されているというのは事実だろう。

 音楽的進化と変化を重ねながら、時代に蔓延る問題を浮かび上がらせることも忘れない。しかも快楽的なノリまである。シリアスと快楽は水と油のようにも見えるが、エイジアン・ダブ・ファウンデイションは戦うために踊るのだ。今作ではストリングスを上手く取り入れていることもあって、どこまでも広がるようなスケール感と、「体ではなく心を踊らせる」音も手に入れている。洗練とエッジを両立させた理想的なアルバムであるのは確かだけど、ひとつ気がかりなのはライナーノーツにおけるチャンドラソニックの発言だ。

「誰かから与えられた考えじゃなくて、自分の頭で考えるようになってほしいね。自分を取り巻く物事の背景とプロセスをちゃんと把握して、理解してほしい。このアルバムを聴いて、世界を別の角度から見て、考えてほしいんだ。俺はそれで十分満足だよ」

 僕にとってのエイジアン・ダブ・ファウンデイションはこんな軟な存在ではなかった。少なくとも「十分満足」なんて言葉は吐かなかったはずだ。世界が混乱すればするほど輝くバンドで、だからこそ『Enemy Of The Enemy』という傑作が生まれたのだから。もちろん世界が安定へと向かっているなら話は別だが、残念ながら世界は複雑になり混迷を極めている。エイジアン・ダブ・ファウンデイションはそんな世界を音楽の力でもって変えようとしていたはずだし、僕もそこが好きなところでもあった。言葉の揚げ足取りと言われたらその通りかも知れないけど、興味深くエイジアン・ダブ・ファウンデイションを追っていた僕にとっては、「十分満足」という言葉が出てくるだけで、少なくないショックを覚えるのもまた事実なのだ。

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 いきなり私事で恐縮だが、今年に入って職場が変わり、そこで流れるラジオ局もJ-WaveからInter FMに。JUJUや平井堅の番組もちょっと好きだったが、岡村有里子さんのDJがやっぱり素敵ぃ~♪ と聴き惚れていたら、頻繁にプレイされているある曲が耳につく。あまりに流麗なコーラスワークっぷりに一発でノックアウトされ、声質と音づくりのオタクっぷりからしてロジャー・マニングjr.の新曲かな...? と思ったらそうではなかったが、調べたら過去にジェリーフィッシュのカヴァーもしている人たちみたいで、そんなに間違えてもなかった...どころか、そのカヴァーのあまりの出来のよさに本人たちのお墨付きまでいただいているみたい。すごいな。

 ウェールズ出身の三人組、ザ・ソニック・エグゼクティヴ・セッションズ(The Sonic Executive Sessions)。スタジオのオーナーとセッション仕事やTV音楽などをこなすミュージシャンによるユニットで、楽曲の完成度のあまりの高さにアルバム発表前からMySpace経由で一部では大変話題になっていたそうだ。待望となるアルバムのほうも、期待を裏切らなかったろう文句なしのポップ・アルバムだ。スティーリー・ダンとジェリーフィッシュのドリーム・ユニットによる巧みかつハッピーで活き活きとした演奏に乗せて、疾走感あるサーフィン期と夢見心地なペット・サウンズ期が融合したビーチ・ボーイズ風の甘いコーラスが気持ちよすぎる...とまで書いても大袈裟でなさそうな「You'll Never Happy」(ラジオで大プッシュされている曲だ)を筆頭に、多少ウェットな憂いを帯びたり、とびきりチャーミングだったりしながら、甘美なメロディが全編に詰め込まれている。メリーゴーラウンド的な多幸感はロジャー・マニングjr.のソロ近作にも通じるものがあるし、冴えわたるソングライティングとピアノ・ポップぶりはベン・フォールズやルーファス・ウェインライトを彷彿とさせる。パワーポップ然ともしながらAOR的な音づくりの丹精かつ端正な職人気質で、クイーンから初期のキリンジまで、日本の音楽ファンのツボを押しまくる展開の連続だ。フックの強さは実にラジオ・フレンドリーだし、どの世代が耳にしても郷愁に襲われるに違いない。

 似たような作風でもMIKAのようなキャラクターのアクの強さは望むべくもなく、技巧派スタジオ・バンドだけあってライブの予定も特にないそうだが、だからといって地味な印象は微塵も受けない。どうやら筋金入りのポップ職人らしく、メイン・ヴォーカルであり作曲も手がけているChristian Phillipsはあのコリン・ブランストーンの近年のアルバム制作にまで携わっていたとのこと。日本盤ボーナストラックにはStack-O-Vocalsバージョン(ビーチ・ボーイズがよくやっていた、ヴォーカルのみのミックス)も収録。スゴ腕コーラスっぷりを堪能できる一方、これを聴くことで改めて彼らの録音技術/芸術の精巧さを再発見できる。ここまで書いて、誰がこの作品を賛辞しても似たりよったりな文面になりそうなことに気づいたが、それだけ広いストライクゾーンに対応している証拠で、音の魅力が誰にでもわかりやすく伝えられるというのもポップの世界においてはすばらしい長所だと開き直れるほどミラクルな瞬間に満ちている。雨の日も笑顔になれそうな、しかめっ面した人々の耳にイヤフォンを捻じ込んででも聴かせたくなる好盤だ。

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 エイ・リリーとはイギリス人ミュージシャンのジェームス・ヴェラのソロ・プロジェクトである。デビュー作となる前作『Wake:Sleep』は、ラップトップをベースにした美麗なエレクトロニカで世界中でもブレイクしたが、4年振りとなる『Thunder Ate The Iron Tree』ではドラスティックな変化が起きている。まず、作詞・作曲・レコーディングをほぼ一人で受け持ったというジェームス・ヴィラが扱った楽器の多さに驚かされる。試しにブックレットに記載しているクレジットを羅列してみよう。

《singing, electric guitar, bass guitar, cello, marimba, glockenspiel, banjo, drum kit, pistachio shell shaker, rice shaker, djembe, gamelan bells, zheng, steel drums, kalimba, accordion, piano, organ, casio miniatures, yamaha miniatures, wooden frog, wooden cricket drum machine, synthesizer, all other percussion, lapsteel, autoharp, mellotron, tone chimes miniature harp, programming, acoustic guitar》

 オーソドックスな楽器からジャンベやバンジョー、メロトロンまでその幅の広さは、現代を代表するマルチ・インストゥルメンタリストであるトクマルシューゴに勝るとも劣らない。楽器の音同士を重ね、その隙間を活かしながら、且つ、歌も一つの楽器として的確に配置して、マジカルで上品なサウンドスケープを描き上げる彼の音世界には、芳醇な活きた音に充ち溢れており、玩具箱を引っ繰り返したかのような楽しさにも守られている。前作からはよりカラフルになり、EFTERKLANGのブラス・セクションも要所で活き、ポスト・クラシカルな音楽としては申し分のないサウンドスケープが拡がっているだけに、ここに、クリティークすべき言葉を置く意味があるのかどうか、とも考えてしまう。"既に音楽の中で、自分の音楽が語られてしまっている"と思えるところがあるからだ。

 我々が考えることが出来ないものや語ることが出来ないものの限界という言い方をするとき、空間的な表象を用いることを回避することはできない、といえる。となると、「トートロジー」という概念を持ち込むと、それは実は空間的表象形式としての別名かもしれなくなる。だからこそ、空間的ではない表象形式があれば、「トートロジー」の自家撞着形式から抜け出ることができる可能性もある。しかし、デリダの思想も関係させるならば、彼の解釈ではトートロジー的論理に取り込まれているがゆえに、それを自覚している自身の思想すら、己を裏切り、己から「ズレ」ることになる。そして、理性によって「ズレ」た他者の排除を、理性のトートロジー的言説の中から察知し、それを告発する自分の言説自体が自身に含む「ズレ」をも嗅ぎ分けるという鋭敏さを帯びてくるということになってくる。では、「エイ・リリーの音楽は、エイ・リリーの音楽だ。」(エイ・リリーの音楽は、エイ・リリーの音楽でしかない。)という凡庸なトートロジーは、この作品を前にどういった意味を持つのか、となると、僕は言葉より先立つ前提条件が幾つも見受けられるという点からして、開かれた他者性に向けられた特権を帯同した「差異」としての内容を孕んでくるように思える。形式の縁をなぞりながら、起こり得るエラーやバグも組み込まれている音楽として、既に音楽の中で存分に自分の音楽を語っているが、だからこそ、「内部」ではない外部から覗き込める隙間もあり、聴き手側に解釈の機微を預けられている要素も汲み取れる。

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 簡単に各曲に触れてみる。幾つもの楽器が鮮やかに重ねられ、多重コーラスが被さる「Joy」にはポリフォニック・スプリ―や『The Soft Bulletin』前後のユーフォリックなザ・フレーミング・リップスの影も見ることができる。メロウなトーンで始まる「Your Collarbone」は、生楽器の妙な組み合わせのため、コミカルな奥行きが生まれ、そこにアイスランド人女性シンガーEMILIANA TORRINIの気怠いボーカルが入り、彼の分厚い多重コーラスと行き来するというかなりエクスペリメンタルな曲。エフェクト処理されたピアノの旋律が美しい「Cheryl Cole」、『Tnt』期のトータスのような「Arc Hugo」、ラストの8分を越える「Rain Islands」は静謐な始まりから楽器と声が重ねられていき、荘厳な昂揚感をもたらす。といったように、10曲の中で、同じようなタイプの曲がない。

 このドリーミーで甘美な音像からは個人的につい、コリーンやマイス・パレード、またはタウン・アンド・カントリー、近作のフォー・テット辺りの音を思い出してしまうが、それらの名前よりも更にギャヴィン・ブライアーズやモートン・フェルドマンといった偉大なる現代音楽家の血筋も見て取ることもできる。ジェームス・ヴェラという人のポテンシャルと実験精神を見せつけた快作である。

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 あら? なんか微妙じゃないか、ホワイト・ライズの待望のセカンド。いや、ぜんぜん悪くはないし、特に目立った路線変更もないし、むしろアンセミックにはなってるし、ちゃんと暗いし。私の期待が過剰だったか。しかしその過剰な期待にも余裕で応えてくれるバンドじゃないか、ホワイト・ライズ! というわけでやっぱりこのアルバムに満点をつけることはできない。私はまえにクッキーシーンでホワイト・ライズのファーストをレビューしたとき、「キラーズ、エディターズに続く逸材だ!」と絶賛していたが、その二バンドのセカンドに比べると、やはり停滞感を感じてしまう。もうすこし前のめりで冒険してもよかったのでは? 

 具体的に言えば、キラーズはセカンドで果敢にもアメリカン・ロックへの接近を試みたし、エディターズはファーストからは想像できないほどの壮大なスケールをセカンドで獲得した。逆に考えれば、ホワイト・ライズの「Ritual」は手堅い成長作ともとれるし、本人たちも「キングス・オブ・レオンのようなキャリアが欲しい」とインタビューで語っていたくらいなので、私が「聴いた瞬間に叫びたくなるような大アンセム」を期待していたのがそもそもの間違いかも。どちらにしろ、もうサードが楽しみ。だってキングス・オブ・レオンだったらサードは「Because Of The Times」だからね。うむ、そう考えるとこのセカンドも良いぞ。ゴシックな英国ロックの系譜を引き継いでいるぞ。わくわくしてきたぞ。何だかよく分かりませんが、けっして変な方向に走ったわけではないので、ファーストが気に入った人なら聴いてみるべきだと思います。

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 キャレキシコというバンド名の由来が「カリフォルニア」と「メキシコ」を合わせた造語という部分からして、彼らの描く音というのは最初から、例えば、ルーツ・ミュージックやトラディショナル・ミュージックなどとの「距離感」によって図られるものであった。初期の『Spoke』や『The Black Light』といったアルバムでは、エンニオ・モリコーネが手掛けたマカロニ・ウェスタンの音楽のパスティーシュのような曲からマリアッチ、フォルクローレ、間に挟まれるインスト・ナンバーは緻密な音響工作が活きた浮遊感溢れるものになっていたり、とにかく、"Shady"な音楽であり、その印象から一部の人は架空映画のサウンドトラックという評をしてもいたが、実際、60年代や70年代の西部劇やB級映画に合いそうな雰囲気には溢れていた。

 しかし、03年の『Feast Of Wire』では歌の要素が増え、遊びの部分が減り、少しシリアスな様相を呈するようになっていた。それは、9.11以降の地平で無邪気な音楽をアメリカの中でそのままやるという難しさを孕んでいたかのようで、散文詩的な歌詞にふと挟まれるダークなトーンは、『Yankee Hotel Foxtrot』以降のウィルコやサドル・クリーク周辺のアーティストたちの温度ともシンクロしており、良質なアメリカン・ミュージックの担い手として注目を浴びることになったというのは、そもそもの彼らの起点からすると不思議なものだと思う。そういった流れを受けてのことか、05年のアイアン・アンド・ワインとの共作EP「In The Reins」ではオルタナ・カントリーへ接近し、06年の『Garden Ruin』、08年の『Carried To Dust』では、それまでにあった捩れたセンスが少なくなり、衒いのない良質な歌ものの要素が強くなった。バンドとしては「成長」していったのだろうが、その過程は、初期から追いかけている自分のような者からしたら、彼ら特有のウィットが欠けてゆくようにも思え、若干、寂寥も感じてしまったのも否めない。それでも、キャレキシコの主要メンバーでもあり、元・ジャイアント・サンドのジョーイ・バーンズのプロダクション能力とジョン・コンヴァティーノの持つサウンド・メイキングの巧みさには常に魅力を感じていた。

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 エイモス・リーの4作目となる『Mission Bell』では、ジョーイ・バーンズがプロデュースを手掛けているのだが、近年のキャレキシコの路線とエイモス・リーというモダンとルーツを行き来する正当なシンガーソングライターのアティチュードが健康的な形で融和し、良質でディーセントな音楽を結実させることに成功している。より表情豊かになったエイモスのボーカリゼーションを主軸に、ゴスペル、ソウル、フォーク、カントリー、ブルーズといった音楽的背景が叮嚀に束ね上げられ、オーセンティックなアレンジメントの下、ホーン、スライド・ギター、ピアノなどの楽器が有機的に絡み合う。

 同じブルーノートのノラ・ジョーンズが近作で多彩なアーティストとコラボレーションするなど自由度を高めた活動をしているのと比して、端整な佇まいとシルキーヴォイスでもってシーンに鮮やかにデビューし、その後もブルーノートの看板アーティストとしてポップの優等生的な道を歩んでいた彼が、深化の方向に歩みを進め、その成果がこうして出ているというのは頼もしく、映る。また、時にルーツ・ミュージックを求道するアーティストが陥りがちな「視野の狭さ」や聴き手を選ぶ「狭さ」はここにはなく、ソフィスティケティッドされた洒脱な空気を感じさせるものになっているというのは、ジョーイ・バーンズのプロデュースに拠るところも大きいのかもしれない。カントリー・ミュージックの重鎮であるウィリー・ネルソンの参加やソウルフルな歌声で独自の道を堅実に切り拓いているルシンダ・ウィリアムズとのデュエットなども活きている。

 余談になるが、今作を聴いていると、ルーツ・ミュージックを今の音に再構築する腕に長けたジョー・ヘンリーがプロデュースを手掛けていたら、どういったものになっていただろうか、ふと考えてしまうところがあった。もしも、エイモス・リーとジョー・ヘンリーが組むことがあっても面白いことになると思う。加え、例えば、ベックが行なっているレコード・クラブみたいな形で、エイモスが他のアーティストの曲をカバーしてゆくというのも良いかもしれない、とも思った。何故ならば、こうして作品を重ねることで、最初の頃のエイモスに付いてまわっていた匿名性の高い品の良さよりも、記名性の強いアクの強さが見えるようになってきたからこそ、もっと新しい試みを聴いてみたいという願望も出てきたからだ。

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 この『Mission Bell』は、今の渾沌したアメリカの音楽シーンの中で目立つ内容では決してないが、凛と背筋の通った志の高い作品である。同時に、ここでの「アメリカ」とは幻視されるべき旧き良きアメリカであるのかもしれない。そう考えてゆくと、「キャレキシコ」というバンドの存在とシンクロし、フィラデルフィア出身のエイモスがルーツを巡る過程で、幻像としてのアメリカが持ち上がったというのは興味深い。

 デビューからの流れがここで極まったような気もするだけに、今後、更に大いなるアメリカの歴史と向き合うのか、オルタナティヴに振れるのか、注目していきたい。

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 全2曲で約50分、ノンビート。アンダーグラウンドなシーンの中でも異端とされる存在であるVampilliaの最新作。1曲目の「sea」ではスワンズの女帝ジャーボウが美しい音像の中、ヴォーカルやポエトリー・リーディングで参加している(このアルバム・タイトルの名付け親でもある)。禍々しいオーラに満ちた彼らのヴィジュアルや音楽に触れた事がある人の中には意外と呆気にとられるかもしれないアンビエンスで幕開ける。正に楽曲タイトルを想起させ、壮大な空間を演出するストリングスを用いた美しい情景。ピアノが齎すセンシティヴでしっとりとした音が寄り添いながら、確実に生命の息吹を感じさせ原始的とすら感覚出来る時間。やがてピアノの独奏が中盤支配しこれからの暗黒展開を予見させるかの如く冷ややかな空気が張り詰め、その予感が的中。後半一転してへヴィなギターが畳み掛けてドローン・メタルな展開へと派生するが、冒頭のアンビエント・パートで披露した美麗な旋律は輪郭を暈したまま引き継いでいる。決して安らかなる幻想のみで終わることのない厳格な超自然を感覚させられ、悲哀を帯びた厳しさにただ蹲るだろう。"叙情的な"という形容もシチュエーション次第で当て嵌まるかも知れないが、この音楽そのものに「"都合の良い"物語性」は感じられない。荘厳なフィードバック・ノイズの中で舞うオペラ・ヴォイスや、鳴りやまぬ鍵盤の高らかな響きは、ドゥームやドローン、ノイズ音楽と称される類として聴けばメロディアスな要素を多分に含んでいて、ノンビートものはちょっと苦手という食わず嫌いなリスナーにも体感して欲しい。

 2曲目「Land」は、1曲目「sea」の録音時に使用した膨大な素材を元にメルツバウが自身のノイズを交えてミキシングした楽曲で、「sea」とは対照的に現代音楽のアプローチをもって心身に沁み込んで来る。ギシギシと軋む狂気を孕んだ抽象的なコラージュに脳内がジワジワと冒されて...やがて気が付くのは冒頭の「sea」と同じく2部構成というデジャヴ。後半はギターの轟音がドゥーミーに沈み、散り散りになった細かいノイズの欠片と共に夢の底へと堕ちていく...。ブラックメタルの持つダークネスは確りとルーツの一部として抱き、上っ面の流行やシーンとは一切迎合しない独自の姿勢と同時に、普遍的な美を追求した音楽を作り上げようとする志が窺えるからこそ目指している高みが他とは違うのだろうと感覚出来るのだ。メルツバウやアシッド・マザーズ・テンプルなど、数々のアンダーグラウンドシーンに於ける重要アーティストのリリースを引き受けるアメリカのImportantから全世界への発信となる今作。勿論世界での反応も気になる所だが、こういう問題作(話題性が強いという意味でも)になるべき作品を先ず日本国内がどういうリアクションを返すのだろう?という試金石でもあると感じる。つまりは、非常に素晴らしい作品を前にして真摯に受け入れられる"シーン"であるかどうか。

「よう考えたら最近居らんで、こんなマジなん」という自分のファースト・インプレッションは4回リピートした後の今も変わる事はない。今後の活動も益々精力的な大所帯な彼らは最早、数々の大物との共演を重ねた過去を武器にせずとも十二分に飛躍してみせるに違いない。ポストロックやシューゲイザ―ともリンクするサウンドは更に確信を突き、これを「マニアック」だなんて片付けていては、いよいよ日本も終わりだろう。

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 Humming Conchや12Kあたりのドローン系のレーベルからアルバムをリリースしているトーマス・フィリップスと、京都のアーティスト、マリヒコ・ハラによる共作。アンビエントでエクスペリメンタルでポスト・クラシカル的である――と、音楽性の説明こそ簡単だが、このアルバムの今にも掻き消されそうなほどに淡い旋律は、上記3つの音楽性が絶妙に織り交ぜられており、一言では言い表せない。
 
 ドローン、アンビエント、環境音が仄かに散りばめられつつ、長く響くピアノの音が印象的。限りなく静寂に近い音楽であり、しっとりしたピアノやドローンには主張性が全くなく、鍵盤に触れる音さえ聴こえてきそうなデリケートさである。2008年から制作をスタートさせたそうだが、変な話、音数と日数を対比して考えてみると、一つ一つの音に何日もの濃密な歳月を費やしていることになりかねない。かといって、本盤にそういった責任臭さや説得力といったものはない。あたかも数カ月で作成しているような、良い意味での軽やかさがある。
 
 ついでに本盤がリリースされたtenchというレーベルにも軽く触れておくと、tenchはWords On Musicの姉妹レーベルにあたり、ボルチモアに拠点を置く。本盤がレーベルからの2枚目のリリースとなる。いずれもHome Normalや12Kらの路線と同様でありつつ、美しさを避け、より穏やかな方面へ向かっている印象がある。

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 昨年、2010年の春に、大阪でフリーティング・ジョイズ、ディア・トラックス、レディオ・デプトの3組の来日公演を観る機会に恵まれたのだが、その夜のハイライトは大方が、ディア・トラックスの「Yes This Is My Broken Shield」を挙げるのではないだろうか。打ち込みを楽曲の中心に据えるバンドは、ことライブにおいてダイナミクスを損なってしまうリスクも背負っているが(その日観たレディオ・デプトに若干のそれを感じてしまったので...)、彼らの音は1つ1つに緩急のついた表情を感じさせる、多幸感に満ちたものだった。ラストの 「Yes~」の音の洪水には思わず涙がこぼれた。
 
 音源でもそれは窺い知ることができる。ひとくちに生楽器を組み合わせたエレクトロ・ミュージックといっても、とりわけ彼らの音は立体的かつ有機的だ。それは、聴き手の感情を想起させる余地を多分に含んでいると言い換えてもいい。温度を感じさせるという意味では、ラリ・プナを初めて聴いたときにも似たような印 象を受けた。が、それよりももっとスケールの大きい、まさしく北欧をイメージさせるような、澄んだ空気のなかで鳴らされている世界観がそこにはある。 
 
 彼らの日本盤としては2作目にあたるこのディア・トラックスの『THE ARCHER TRILOGY PT.1』は、基本的に前作の流れの延長線上にあり、前作で確立させた世界観をより推し進めた内容である。より光が濃くなった感じだろうか。まるで白昼夢をみているかのような、とにかく美しい...。「RAM RAM」「MIO」は高揚感が否応なしに掻き立てられる名曲。ライブでのまばゆい光景が浮かんでくるよう。後者はシガーロスをも思わせたりもする。タイトルからするに3部作の1作目ということで、今後の音源が早くも気になる。何故だかそんな期待は裏切られないだろうという確信がある。北欧ときて反応するような人はぜひ。
 

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 ライアン・フランチェスコーニによる、本人名義での第2弾作品。前作同様、彼の並々ならぬほどに豊かな表現力に感服。アカデミックなテクニックに裏付けされている、いわゆる超絶系の演奏でありながら、胡散臭さやプレイヤーのドヤ顔を浮かび上がらせない。純粋に物語として楽しめるようなアルバムである。
 
 本人名義での第1弾作品である『Parables』は、アコースティック・ギター一本による独奏であり、静謐で内省的なアルバムであった。本盤はウード奏者のケーン・マティスとのデュオ編成の作品である。ライアンはアコースティック・ギターから手を離し、彼の十八番ともいえる楽器、タンブーラ(ブルガリアで言うシタール的な弦楽器)に持ち替えている。
 
 前作で見られたフォークさや穏やかさは消え失せ、流麗なアルペジオは、かなりアグレッシブでプログレッシブなものに変容している。クロマチックな旋律はどこか東洋的でもある。それでもなお、彼独特の世界観は健在しており、ほんの少し耳にしただけでも、ライアン・フランチェスコーニの音楽だなと瞬時に判別できてしまうのは、私だけではないだろう。エレクトロニカを経由したアーティストとは到底思えない、圧倒的な存在感を誇るタンブーラ。帯に書いてある通り、杉の香りがしている。